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第1.5章 魔女と日常の話
昔
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平日の午後。りいちゃんも学校に行って誰もいない退屈な時間。私が昼に働く最大の理由は夜にりいちゃんと一緒にいる為だけど、二つ目の理由があるとすればまさにこんな退屈を埋める為だろう。
とは言えキャバ嬢は世のサラリーマンやOLと違い、決まった出勤日も決まった休日もない。希望のシフトを提出した所で、店の都合で仕事に行けない日だってある。そんな日の昼というのは退屈で退屈でたまらないや。
「……」
ふと、数日前の出来事が脳裏に過ぎる。りいちゃんが例の冊子を見つけたあの日の出来事が。りいちゃんは確か、アルバムを探そうとして襖の中を覗き見てたんだっけ。
私はりいちゃんの前ではしっかりしようと心がけているものの、基本的に自分はナマケモノの生まれ変わりか何かだと思っている。座右の銘は『思い立って数日後が吉日』と、『急がば回って漫画喫茶で三時間昼寝コース』の二つ。そんなめんどくさがりな私でも、退屈には勝つ事が出来なかった。
目当ての品はすぐに見つかった。りいちゃんはこれを探すのに苦労したらしいけれど、収納した張本人である私はその限りじゃない。まぁ、本当ならすぐにでも取り出せるように部屋のどこかにしまっておきたかったけれど、りいちゃんと気まずいまま最後の一年も過ぎて行くものだと思っていた私は、昔の記憶を覗き見るのが辛くてこれを押し入れの奥にしまってしまったんだ。
アルバムを開く。序盤のページに写っていたのは、この世界に来たばかりでまだ身長も百センチにも届かない四歳の頃のりいちゃん。懐かしいな。入学式とか、りいちゃんのお母さんがいきなり前日になって無理矢理魔法でねじ込んだものだから、私もりいちゃんも訳がわからず硬い表情をしている。
ページを捲ると、今度は家の中で一緒に遊んだ日々が写真となっていくつも貼り付けられていた。今となってはスマホやゲームに夢中のりいちゃんも、この頃は積み木で遊んでたんだよなー。あぁ、懐かしい。私はあの頃を思い出す。
『あ、りいちゃん積み木? 何作ってるの?』
『サチのトイレ』
『うん、何て?』
『サチのトイレ。サチ、ここでうんこしていいよ』
『……ありがとう。検討はしてみるよ』
……。
おっといけない。なんか変な記憶が蘇っちゃったぞ。私はもう一度目を瞑り、幸せなあの頃を思い出した。
『今日も積み木してるんだ? 今度は何作ってるの?』
『サチの牢屋』
『りいちゃん、昨日から絶妙に喜べない物ばかりチョイスするね』
『サチ、悪い事したらここ入っていいよ』
『りいちゃんには私が悪い事をする大人に映っているのかな?』
……。
おかしいな。幸せな記憶が思い出せない。きっとこのページがダメなんだ。もっといい思い出がたくさん詰まったページがあるはず。まったく、せっかくのアルバムなのに一体誰がこんなくだらないページを……。
私は更にページを捲る。次に出てきたのは初めてのテストで百点を取ったりいちゃんの写真。はなまるのついた国語のテストを持って、りいちゃんは誇らしげにピースを送っている。りいちゃんってこっちの世界に来た頃から同年代より頭が良かったんだよね。まだ習ってもいない漢字とかスラスラ書けていたし。
『えー! りいちゃんもう漢字が書けるんだ! すごいすごーい! この調子だとあっという間に四字熟語とかも覚えちゃいそうだね?』
『書ける』
『え、本当に?』
『本当。赤字覚悟、期間限定、初回無料、年末決算』
『なんか知識に偏りがあって素直に褒められないなぁ……。でもまだ一年生なのに凄いや。何で知ってるの?』
『サチ、この字好きだから』
『……』
子供って大人が想像しているよりよっぽど大人の事を見ているのだと知ったあの出来事を思い出した。
『サチが嫌いな字も書ける。確定申告』
本当によく見ているんだなーと、そう思い知らされた。
いや、してるよ? 大丈夫、ちゃんとしてるから確定申告。手術の後に彼氏と別れ、それからりいちゃんのお母さんと出会うまで酷い人生を送っていたあの頃の私。色んなお店に通い、色んな方法を使って荒稼ぎしていた私。その後りいちゃんのお母さんとりいちゃんに救われた私の元に届いた税務署からの催促状。あの日以来、確定申告は毎年きっちり間違いなくちゃんとやっているんだもん……。本当だもん……。
ダメだダメだダメだ。このページも嫌な記憶が蘇ってくる。次のページに行こう。……あ! りいちゃんの寝顔だ。可愛いなぁ……。そうだよ、どんなに手の焼く子でも寝顔は可愛いって言うよね? 寝ている子が相手なら傷つけられる事も……!
『……サチぃ…………。うんこ……おいちい?』
りいちゃん、あの時どんな夢見てたんだろう。私は半泣きになりながらアルバムのページを捲った。
次のページからはしばらく同じ日に撮った写真が続く。これは初めての夏休みにテーマパークに行った時の写真だ。今思い返すと自分でも引くくらい写真を撮っていた気がする。背景違いを撮りたくて、同じ場所にも関わらず色んな角度から撮ったりしたなー。あの時のりいちゃん、幼いながらに呆れた顔をしていたのをよく覚えてる。
もう、こういう所にも随分長い間行ってないや。私達は二年間も止まり続けていたんだ。最後の一年になる今年くらいは、また昔みたいに色んな所に連れて行ってあげたい。
そういえばこの時だ。私がりいちゃんの心の強さを知るようになったのは。
人気のアトラクションだった。平日でも結構待たされるのに、私達がそこに並んだのは休日の真昼間。一時間以上は軽く並び続けていたと思う。スマホで動画を見たり、途中途中水分補給したり、色々と暇潰しの手段は行使したものの、それでもその長い待ち時間は着実にりいちゃんを疲弊させていった。それでも待って、待って、待ち続けて。いよいよ自分達が遊べる番に差し掛かろうとしたその時だ。
列の外で、一人の男の子が泣きだした。その子は盛大にこけてしまったらしい。膝からじんわりと血が滲んでいた。係員が私達を案内しようとする中、りいちゃんは今まで並び続けた労力を簡単に放り捨ててその子の元へ駆け寄った。
『大丈夫か?』
自分よりも幼いその男の子に手を差し伸べた。
『お父さんかお母さんいるか?』
その時点で、私はりいちゃんと過ごして一ヶ月ちょっとしか経っていない。それなのに私はその姿を見て、彼女の事をとても誇らしく感じてしまった。
その子のご両親はすぐに見つかった。りいちゃんが恥を恐れず大きな声で迷子がいる事を周囲に知らせたからだ。りいちゃんのその目立つ姿に、すかさず男の子のご両親が慌てふためきながら駆け寄って来た。
この五年間でりいちゃんは随分と変わったと思う。でも、根っこの部分は今も全然変わっていない。誰かを助ける事を恐れない、とてもいい子だ。
こんな話がある。ペットは飼い主に似ると言うけれど、実はあれは逆で本当は飼い主の方がペットに似ていくという話。人懐っこい犬を飼えば、飼い主も陽気な人になる。マイペースな猫を飼えば、飼い主もマイペースな人になる。
私もこの十年間で大分性格が変わった。すぐにイライラして、そのイライラを何事もなかったかのように周囲にぶつけていたかつての自分が信じられない。かつて私が傷つけた人達を思うと、とても胸が痛くなる程。私がここまで変われたのも、きっとりいちゃんと暮らしたおかげなんだろうなって。そう思った。
そういえばあの男の子のご両親、タコのように顔を赤らめながら駆け寄って来た気がする。あれ、なんでだっけ? 五月半ばの頃だし気温だってそんなに暑いわけじゃなかった。それに駆けつけた時の形相たるやまさに鬼のようで……。
あれ。これまずいかも。私今、思い出さない方がいいような事を思い出そうとしているような……。
えっと……、あれは確か……そう。りいちゃんが男の子の元へ駆け寄って、手を差し伸べて、そして大きな声をあげて男の子のお母さんを探して……。
『女ー! おーい! 女ー! この子供産んだ女ー! いるか女ー! 女ー!』
『待って! 待ってりいちゃん! 言い方! 言い方ーっ!』
結局最後に思い出すのはこういうのばっかか……。
とは言えキャバ嬢は世のサラリーマンやOLと違い、決まった出勤日も決まった休日もない。希望のシフトを提出した所で、店の都合で仕事に行けない日だってある。そんな日の昼というのは退屈で退屈でたまらないや。
「……」
ふと、数日前の出来事が脳裏に過ぎる。りいちゃんが例の冊子を見つけたあの日の出来事が。りいちゃんは確か、アルバムを探そうとして襖の中を覗き見てたんだっけ。
私はりいちゃんの前ではしっかりしようと心がけているものの、基本的に自分はナマケモノの生まれ変わりか何かだと思っている。座右の銘は『思い立って数日後が吉日』と、『急がば回って漫画喫茶で三時間昼寝コース』の二つ。そんなめんどくさがりな私でも、退屈には勝つ事が出来なかった。
目当ての品はすぐに見つかった。りいちゃんはこれを探すのに苦労したらしいけれど、収納した張本人である私はその限りじゃない。まぁ、本当ならすぐにでも取り出せるように部屋のどこかにしまっておきたかったけれど、りいちゃんと気まずいまま最後の一年も過ぎて行くものだと思っていた私は、昔の記憶を覗き見るのが辛くてこれを押し入れの奥にしまってしまったんだ。
アルバムを開く。序盤のページに写っていたのは、この世界に来たばかりでまだ身長も百センチにも届かない四歳の頃のりいちゃん。懐かしいな。入学式とか、りいちゃんのお母さんがいきなり前日になって無理矢理魔法でねじ込んだものだから、私もりいちゃんも訳がわからず硬い表情をしている。
ページを捲ると、今度は家の中で一緒に遊んだ日々が写真となっていくつも貼り付けられていた。今となってはスマホやゲームに夢中のりいちゃんも、この頃は積み木で遊んでたんだよなー。あぁ、懐かしい。私はあの頃を思い出す。
『あ、りいちゃん積み木? 何作ってるの?』
『サチのトイレ』
『うん、何て?』
『サチのトイレ。サチ、ここでうんこしていいよ』
『……ありがとう。検討はしてみるよ』
……。
おっといけない。なんか変な記憶が蘇っちゃったぞ。私はもう一度目を瞑り、幸せなあの頃を思い出した。
『今日も積み木してるんだ? 今度は何作ってるの?』
『サチの牢屋』
『りいちゃん、昨日から絶妙に喜べない物ばかりチョイスするね』
『サチ、悪い事したらここ入っていいよ』
『りいちゃんには私が悪い事をする大人に映っているのかな?』
……。
おかしいな。幸せな記憶が思い出せない。きっとこのページがダメなんだ。もっといい思い出がたくさん詰まったページがあるはず。まったく、せっかくのアルバムなのに一体誰がこんなくだらないページを……。
私は更にページを捲る。次に出てきたのは初めてのテストで百点を取ったりいちゃんの写真。はなまるのついた国語のテストを持って、りいちゃんは誇らしげにピースを送っている。りいちゃんってこっちの世界に来た頃から同年代より頭が良かったんだよね。まだ習ってもいない漢字とかスラスラ書けていたし。
『えー! りいちゃんもう漢字が書けるんだ! すごいすごーい! この調子だとあっという間に四字熟語とかも覚えちゃいそうだね?』
『書ける』
『え、本当に?』
『本当。赤字覚悟、期間限定、初回無料、年末決算』
『なんか知識に偏りがあって素直に褒められないなぁ……。でもまだ一年生なのに凄いや。何で知ってるの?』
『サチ、この字好きだから』
『……』
子供って大人が想像しているよりよっぽど大人の事を見ているのだと知ったあの出来事を思い出した。
『サチが嫌いな字も書ける。確定申告』
本当によく見ているんだなーと、そう思い知らされた。
いや、してるよ? 大丈夫、ちゃんとしてるから確定申告。手術の後に彼氏と別れ、それからりいちゃんのお母さんと出会うまで酷い人生を送っていたあの頃の私。色んなお店に通い、色んな方法を使って荒稼ぎしていた私。その後りいちゃんのお母さんとりいちゃんに救われた私の元に届いた税務署からの催促状。あの日以来、確定申告は毎年きっちり間違いなくちゃんとやっているんだもん……。本当だもん……。
ダメだダメだダメだ。このページも嫌な記憶が蘇ってくる。次のページに行こう。……あ! りいちゃんの寝顔だ。可愛いなぁ……。そうだよ、どんなに手の焼く子でも寝顔は可愛いって言うよね? 寝ている子が相手なら傷つけられる事も……!
『……サチぃ…………。うんこ……おいちい?』
りいちゃん、あの時どんな夢見てたんだろう。私は半泣きになりながらアルバムのページを捲った。
次のページからはしばらく同じ日に撮った写真が続く。これは初めての夏休みにテーマパークに行った時の写真だ。今思い返すと自分でも引くくらい写真を撮っていた気がする。背景違いを撮りたくて、同じ場所にも関わらず色んな角度から撮ったりしたなー。あの時のりいちゃん、幼いながらに呆れた顔をしていたのをよく覚えてる。
もう、こういう所にも随分長い間行ってないや。私達は二年間も止まり続けていたんだ。最後の一年になる今年くらいは、また昔みたいに色んな所に連れて行ってあげたい。
そういえばこの時だ。私がりいちゃんの心の強さを知るようになったのは。
人気のアトラクションだった。平日でも結構待たされるのに、私達がそこに並んだのは休日の真昼間。一時間以上は軽く並び続けていたと思う。スマホで動画を見たり、途中途中水分補給したり、色々と暇潰しの手段は行使したものの、それでもその長い待ち時間は着実にりいちゃんを疲弊させていった。それでも待って、待って、待ち続けて。いよいよ自分達が遊べる番に差し掛かろうとしたその時だ。
列の外で、一人の男の子が泣きだした。その子は盛大にこけてしまったらしい。膝からじんわりと血が滲んでいた。係員が私達を案内しようとする中、りいちゃんは今まで並び続けた労力を簡単に放り捨ててその子の元へ駆け寄った。
『大丈夫か?』
自分よりも幼いその男の子に手を差し伸べた。
『お父さんかお母さんいるか?』
その時点で、私はりいちゃんと過ごして一ヶ月ちょっとしか経っていない。それなのに私はその姿を見て、彼女の事をとても誇らしく感じてしまった。
その子のご両親はすぐに見つかった。りいちゃんが恥を恐れず大きな声で迷子がいる事を周囲に知らせたからだ。りいちゃんのその目立つ姿に、すかさず男の子のご両親が慌てふためきながら駆け寄って来た。
この五年間でりいちゃんは随分と変わったと思う。でも、根っこの部分は今も全然変わっていない。誰かを助ける事を恐れない、とてもいい子だ。
こんな話がある。ペットは飼い主に似ると言うけれど、実はあれは逆で本当は飼い主の方がペットに似ていくという話。人懐っこい犬を飼えば、飼い主も陽気な人になる。マイペースな猫を飼えば、飼い主もマイペースな人になる。
私もこの十年間で大分性格が変わった。すぐにイライラして、そのイライラを何事もなかったかのように周囲にぶつけていたかつての自分が信じられない。かつて私が傷つけた人達を思うと、とても胸が痛くなる程。私がここまで変われたのも、きっとりいちゃんと暮らしたおかげなんだろうなって。そう思った。
そういえばあの男の子のご両親、タコのように顔を赤らめながら駆け寄って来た気がする。あれ、なんでだっけ? 五月半ばの頃だし気温だってそんなに暑いわけじゃなかった。それに駆けつけた時の形相たるやまさに鬼のようで……。
あれ。これまずいかも。私今、思い出さない方がいいような事を思い出そうとしているような……。
えっと……、あれは確か……そう。りいちゃんが男の子の元へ駆け寄って、手を差し伸べて、そして大きな声をあげて男の子のお母さんを探して……。
『女ー! おーい! 女ー! この子供産んだ女ー! いるか女ー! 女ー!』
『待って! 待ってりいちゃん! 言い方! 言い方ーっ!』
結局最後に思い出すのはこういうのばっかか……。
応援ありがとうございます!
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