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第一章 魔女と子宮を失った彼女

最後の夜

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 無限のような時間を漂っていた俺は知っている。劇的な別れなんてものはこの世にそうそうあるもんじゃないと。離別にせよ死別にせよ、別れというのはいつの時代も呆気ない。それが永遠の別れになるとしても、最後の一時と言うのはドラマチックの欠片も生まずに過ぎていく。今、隣でお互いを抱き枕にしながら静かに寝息を立てる二人が良い例だ。

 時計の針が深夜の十一時を指す。俺はここまでの出来事を静かに思い返した。

 多くの注目を浴びた仲直りを経て学校の校門を出た二人の前に一台の車が止まった。窓が空き、そこから顔を覗かせたのは、後部座席のタロウと運転席の中年のおっさんだ。恐らくタロウが普段言っているお父さんって奴だろう。

『はじめまして。君がみほりちゃんで……そちらはサチさんかな? タロウから話は伺っています。うちのタロウがお世話になっているね』

 そんなおっさんの挨拶に慌てて返事をしたのはサチの方だった。

『い、いえいえそんなお世話になっているなんて! ……お世話になったのはむしろ私の方で……。その、タロウくん。今日はありがとうね? おかげで私達、後悔しないで済んだ』 

 それに続いてホリーも口を開く。ただし申し訳なさそうなサチと違い、ホリーは馴れ馴れしく車の窓に腕を突っ込み、ガシガシとタロウの背中を叩いていたが。

『いやータロウ! お前マジでよくやったな! マジでナイス! グッジョブ! エクセレントだぞエクセレント!』

『……理解不能』

 タロウは相も変わらず心を知ろうとするアンドロイドキャラが言いそうな台詞第七位くらいのセリフを口にするのだった。

『僕もね、驚いているんだ。ファンタジーに関われるちょっとした好奇心でこの子を引き取ったはいいものの、全然感情らしい感情が芽生える気配がない。毎日規則的な生活をするばかりで、それこそまさに機械と過ごしているようだった。そんな子がまさか友達の為に学校をサボるだなんて』

 そう言いながらおっさんは暖かい目つきでタロウをとらえる。

『本当はもっと一緒に遊んでもらいたいんだけどね……』

 その言い方からしてホリーの状況もタロウから聞いているのだろう。恐らくホリーが初めての友達だろうし、よっぽど惜しいと見える。

『なーに、魔界に戻ったらそれこそ死ぬ程遊んでやるよ。な?』

 ホリーは簡単にそう言うが、ゴーレムはウィザードの国のものだ。ウィッチのこいつはそもそもウィザードの国に行く事からして困難なのだが、まぁ今はそんな野暮ったい事は言うまい。

『そうかい? ありがとうね』

 そういうおっさんの目は、やはりタロウの友達を一人失う現実を前にしてどこか寂しげだった。

 こうしてタロウとその保護者に別れを告げた俺達は、異世界最後の日であるにも関わらず、どこか特別な場所へ出かけたり特別な食事をしに行くでもなく、淡々といつもの我が家へ足を運んだ。

『本当にいつものご飯でいいの? せっかくだし外食してもいいのに』

『あーあ、これだからサチは……。そんなんだから私にあんなひどい事言おうとか考えるんですよ』

『うっ……』

 呆れたようにため息を吐くホリー。二年ぶりだな、こいつがサチを茶化すのも。

『外食に行くとして、家に着くのは二時間か三時間後ですよ? それだけあれば何が出来ると思ってるんです?』

『そ、そうだね……。明日の帰り支度とかしないといけないもんね。こんな馬鹿な人が五年間もお母さんやっててごめんね……』

『そうじゃなくて!』

 ホリーは涙目になりながらしょぼくれるサチの口をその小さな指でビシッと塞いだ。

『一緒に夕ご飯が作りたいです』

『……』

『その後は一緒に夕ご飯を食べて、一緒にお片付けもしたい。それが終わったら一緒にお風呂に入りたいし、一緒にゲームもしたい、それで夜になったら一緒に寝たい。どっちかが寝落ちするまで一緒の布団でお喋りがしたい』

『……』

『ダメですか?』

『……ううん。ダメじゃない。私もそうしたい』

 ホリーはここ最近で一度も見せた事のない満面の笑みを浮かべた。

 二人の希望通り、ホリーとサチは二人三脚で夕ご飯の調理を始めた。

『早速ですけど晩御飯は私に任せてください! 結局エコバッグもサチに殆ど作らせちゃったし、最後の晩餐くらい親孝行させてくださいよ』

『ううん、大丈夫。一緒に作ろ? りいちゃんも最後の晩餐が朝のゲロ臭いやつなんて嫌でしょ?』

『言い方』

『それでどうしよっか。何か食べたい物ある?』

『別に何でもいいですよ』

『あー出たそれ一番困るやつ……。本当に何もないの? 最後のご飯になるんだよ?』

『だって急にそんな事言われても思いつかないんですよ……。もう面倒だしお饅頭一個とタバコでもあればいいような』

『それ死刑執行前に出される奴だね』 

『強いて言えばお肉料理。野菜が少なければ少ない程嬉しいです。とんかつ定食キャベツ抜きとか』

『ここぞとばかりに押して来たね。まぁ今日は特別だから作るけど普段なら絶対許さないよそんなご飯……。あ、でも豚肉ないや。やっぱり買い物くらいしとく?』

『そこまでしなくてもいいですよ! 時間がもったいないじゃないですか』 

『じゃあ豚肉抜きでとんかつ作ろっか』

『それは本当にとんかつなんですか……?』

『でも今ある物って言ったら卵にウインナーに各種お野菜に』

『あ、それなら卵焼きがいいです!』

『卵焼き……。もしかして朝のあれまだ恨んでる……?』

『あーもう、ないないないない! 全く恨んでないですから一々涙目にならない! 私はただ教えて欲しいだけです。味付けとか、ふっくらさせる方法とか、綺麗な巻き方とか。そしたらあっちに行ってもサチのご飯を食べられるし、それに』

『それに?』

『サチからこんなご飯を食べさせてもらったんだって、お母さんに教えてあげたい。……いいですよね?』 

『……うん。もちろん』

 料理が終わると二人の希望通り、ホリーとサチはテレビを見ながら最後の晩餐を始めた。ウインナーと卵焼きと味噌汁があるだけの、とてもシンプルな夕飯だった。

『サチ、テレビ見てください! なんか電車が道路を走ってるんですけど』

『あれ、りいちゃん路面電車って知らない? 別名ちんちん電車って言うんだけど』

『……』

『何を考えてるのかは大体想像つくけど違うからね。ベルの音がチンチンって鳴るだけだから。昭和の時代はあちこち走ってたらしいけど、平成以降は殆ど絶滅しちゃったみたいだね』

『そんな古い乗り物が令和の時代にも残ってるもんなんですね。まさに生きた化石。ゴキブリみたい』

『他に何かいい例えなかった……? でもりいちゃんがちんちん電車を知らないって意外かも。池袋からも出てるのに』

『え、そうなんですか?』

『都電荒川線って言って、早稲田を出発してから東池袋を経由して巣鴨方面に向かうんだよ』

『でも私地元であんなゴキブリ見たことないんですけど』

『ゴキブリ言わないの……。まぁ駅自体東池袋の端っこの方にあるしね。でもそっかぁ……、五年も暮らしてたのにまだまだわからない事もいっぱいあったんだね。学校じゃ習わない色んな事、もっと教えてあげたかった』

『あ、私あれ気になります! 年末になるとサチがいつも嫌そうな顔するかくていしんこくとか言うやつ』 

『うん、知らないまま帰っていいから』

 夕食が終わると二人の希望通り、ホリーとサチは後片付けをした。

『私、りいちゃんがいなくなったら洗い物やらなくなっちゃいそう』

『どうしたんですか急に?』 

『私ね、洗い物が家事の中で一番面倒臭いんだぁ……。ほら、シンクってがっつり凹んでるから常に中腰で作業するでしょ? だから洗い場に立つと腰が痛い痛いで。それにご褒美感がないのも辛いね』

『ご褒美感?』

『例えばご飯は作った後に食事っていうご褒美があるでしょ? でも洗い物は洗ったらそれで終わり。この作業が終わっても楽しい事は何も起きないって思うと、面倒臭いのなんの……』

『なるほど。じゃあ洗い物をした後に、ご褒美として何か美味しい物を作って食べてみたらどうです?』

『永久機関始まりそう』

『せめて私がバイト出来る歳までいられたら、最初の給料で食洗機とか買ってあげられたんですけどね。もっと魔法の実力があれば精密機械だって作れたかもしれないのに……』

『りいちゃん……。ありがとう、気持ちだけで嬉しい』

『あ、でも紙切れなら多分作れますよ? 百万円くらい作っておきましょうか?』

『やめて』

 洗い物が終わると二人の希望通り、ホリーとサチは風呂に入った。

『お風呂って言えば、帰る前にもう一回くらい温泉や健康ランドとかに行ってみたかったです』

『魔界にはないの?』

『体の汚れも服の汚れも魔法で取り除けますから、わざわざ長い時間かけて体を洗うもの好きなんて中々いませんよ。まぁお母さんはお風呂好きでしたけど。あいつも昔日本に留学していたから、そこでお風呂文化に馴染んだんだと思います』

『あいつって……』

『サチだって私がここに来る前に何度かお母さんと会ってますよね? あれがまともな親だと思いますか?』

『んー……わ、悪い人ではないと思うよ』

『甘い! 奴は悪人じゃないだけの人格破綻者です!』

『奴って……』

『……でも、お母さんは卒業試験を突破した上位階級の魔女で、私は中退した下位階級の魔女。同じ街で暮らす事は出来なくなっちゃいました。何でですかね? あんなサイコパス一歩手前なお母さんなのに、そう思うとなんか寂しい』

『……。そういうもんだよ。本当の親って言うのは。りいちゃん、お母さんと同じ街で暮らす為に五年も頑張って来たもん』

『五十点』

『ん?』

『私が五年間頑張った理由。その答えは五十点です』

『残りの五十点は?』

『一日でも長くサチと居たかったから』

『……そっか』

 入浴が終わると二人の希望通り、ホリーとサチはゲームをした。あぐらをかくサチの上にホリーが座りながら、少しでも長く触れ合っていた。

『ぎゃあ⁉︎』

『わぁ⁉︎ ど、どうしたんですか?』

『あ、足が痺れて……。やっぱり大きくなったよりいちゃん。一年生の頃は何時間乗せても大丈夫だったのに、今じゃ十分もキツいや……』

『ご、ごめんなさい! 座布団に座ります!』

『え? ま、待って! いいのいいの!』

『いやいやそんな苦しまれてるのに座れませんよ! 鬼ですか私は!』

『鬼でいいから!』

『私がよくないです!』

『本当にいいの! ……後たったの三時間しかないもん。最後の三時間くらい離れないでいたい。お願い……』

『……』

 ゲームが終わると二人の希望通り、ホリーとサチは一緒の布団に入った。

 時刻は既に深夜の二十二時。ホリーがこの世界にいられるのも気付くと残りたったの二時間。もっとも強制送還される際は向こうの魔女に無理矢理呼び戻されるのか、それとも異世界同士を繋ぐ扉までこちらから出向くのかもよくわかっていない。後者なら零時を回ってもまだこの世界にいられる猶予は僅かにあるのだろうが、しかしどちらにせよここでの会話がサチとの最後の会話になるのは間違いなかった。俺はそんな二人の最後の日常を淡々と見守った。

『旅行、もっと連れて行ってあげたかったなー。行き先はくじで決めてね。それで電車に揺られて景色を楽しんだり、お喋りしたり、お弁当食べたりしたかった』

『気にしないでください。Twitterの電車アイコンってクソしかいないからきっと電車旅行もクソですよ』

『近場でもまだまだりいちゃんの知らない所っていっぱいあるんだよ? そういえば最近近所に猫カフェとか出来てたし、そこも二人で行ってみたかったなー』

『Twitterの猫アイコンもクソしかいないじゃないですか。猫カフェだってクソカフェに違いありません』

『あとほら、天気の子に出てきた大きな坂。あそこも実はこの辺が舞台でね』

『何言ってるんです。アニメアイコンこそクソの代名詞じゃないですか』

『りいちゃん、今日が滞在最終日でよかったかもね。後一年滞在が伸びたら私かなり厳しくりいちゃんのその口調直そうとしてたかも……』

『……ま、まぁなんにせよ? 本当に思い残す事はありませんからそんな心配しないで……』

『本当? りいちゃん、せっかく学校だって通ってたのにずっとぼっちだったから青春らしい青春もしてないのに』

『青春……って言われましてもね。例えば?』

『例えば……恋愛とか?』

『恋愛? ハッ、なんで私があんなガキどもと。付き合うにしてもクールな大人じゃないと私はなびきませんよ』

『うん、りいちゃんの好みはそれでいいとしても逆にりいちゃんに靡く大人がいたら私そいつ刺すよ?』

『サチ、顔怖い……』

『ていうかりいちゃんにも好みのタイプってあったんだ』

『そりゃあありますよ。高学歴、高収入、高身長な男が好きです』

『昭和かな?』

『確かに少し昭和の価値観に影響されてる所はあるかもですね。私のお母さんが昭和の女なんで。えーっと、確か1939年にこっちの世界に来たとか言っていたような』

『1939年? 魔女の留学期間が最大六年だから、じゃあ1945年まで日本で暮らしてたって事?』

『そうなりますね』

『闇の深い留学生活送ってそうだね……』

『日本史習った時に私もそれなんとなく思いました……』

『それで人格歪んじゃったのかな?』

『どうでしょう? あの異常性格は生まれ持っての才能な気もしますが。この世に生まれたと同時に生みの親の命を奪ってるタイプですよあれ』

『どれだけお母さん嫌いなの……。そう言えばりいちゃん、お父さんの事とかはわからないんだよね?』

『そうですね。魔女の国にはどこかの異世界から拉致って来た人族の男を監禁してる場所があって、魔女は一人前に認められたら五年以内にそいつと子供作って育てる感じです』

『りいちゃんのお母さんからも聞いたけど、それ本当だったんだね……。あの時本当にショックだった……。やだよ私りいちゃんがそんな事になるの。そんな事するくらいなら私と結婚してよー……う、うぅ……っ』

『ちょっといい大人が泣かないでくださいよ! ほら、よしよし』

『ねぇ、りいちゃん。私を魔法で男にして拉致ってみる気はない?』

『サチ少しサイコパス入って来ましたよね……。男のサチとか私が……ふわぁ……っ。私が嫌……なんですけど』

『……。眠い?』

『……いえ、全然。お風呂の後にコーヒーも飲みましたし眠気対策はばっちりですよ』

『コーヒーっていうかコーヒー牛乳だけどね。しかもよりによってホットで飲んでたし』

『そんな事ない……ですよ。ホットコーヒーの熱気で……むしろメラメラ心が燃えてるくらいです』

『一年生の頃みたいに子守唄歌ってあげようか?』

『い、いいです! やめてください! 眠くなるじゃないですか……』

『こらこら、耳塞がないの。その歳で夜更かしとか体に悪いよ?』

『デッデッデッデッデッデッデッデッ』

『ジョーズのテーマ歌わないの』

『デデデッ、デデデッ、デデデデデデデデデッ』

『ゴジラのテーマ歌わないの』

『デデデデデン、デデデデデン、デデデデデッデッデデデデデーン』

『世にも奇妙な物語歌わないの』

『……でも、寝たくない』

『……大丈夫』

 サチはそう言ってホリーを自分の胸元まで抱き寄せた。そしてこれ以降、ホリーは喋らなくなる。寝たくない。それがホリーがサチと交わした最後の言葉となった。

『これは全部夢だから。明日起きてもちゃんと私はいるよ?』

『……』

『だからおやすみ。りいちゃん』

 そしてサチは歌い出す。その歌はこの世界の大衆文化なんぞに興味のない俺でも知っているほどに有名な歌だった。もっとも、例えこの世界に来なかったとしても俺もホリーもこの歌を知っていたが。

 俺達は魔界にいた頃からこの歌を知っていた。ホリーの母が好んで口ずさんでいたからだ。ホリーの母もかつてはこの世界に留学していて、これはその時に覚えた歌らしい。時代の影響か大分歌詞は変わっているものの、しかしそのゆったりとしたリズムは間違いなく子守唄とマッチしている。著作権も切れているからいくら歌った所でJASRACが手を出して来れない点も評価したい。

 それにしてもサチの歌い方も相まって、本当に心地のいい音色だ。寝る事のない俺でさえ、眠る心地良さというものが理解出来てしまいそうな程だ。寝れない俺でもこんなにも心地よいのだ。寝る事の出来るホリーが。まだまだ小さなガキのホリーが。一時的な代替品とは言え、そんな最愛の母の歌声に抗えるはずもなかった。

 それでも起きようと何度も目を擦っていたホリーだが、子守唄も終盤に差しかかった頃には遂にその動きを止め、ホリーは静かに夢の世界へと旅立っていく。

 そして。

「……寝ちゃったね」

 深夜十一時。サチはそんな独り言を呟いたが、それが独り言として処理される事はない。

【俺に言ってんのか?】

「あ、やっぱり起きてたんだ」

 俺が独り言として処理させなかったからだ。

【そもそも精霊は寝ねえよ】

「そういえばそうだったね」

 サチはわざとらしく、それでいてホリーを起こさないように静かに笑う。

「二年ぶりかな? こうして二人きりで話すのも」

【そうだな。アイスの一件からこいつ、おめえと一緒に寝なくなっちまったし】

「そういえばメリムちゃんって何歳なの?」

【なんだ急に? さぁな。少なくとも三葉虫の時代から生きていたし、どんなに少なく見積もっても数億歳レベルだぞ】

「あ、じゃあお酒飲んでも大丈夫だ」

【人間からすりゃ結構スケールのデカい話をしたつもりなんだけどな。おめえからすりゃその程度の話なんだな】

「いいじゃん。私夢だったんだ。子供とお酒飲んでグダグダ喋るの」

【子供? 俺が?】

「うん。りいちゃんと同じ、私の大切な子供だよ?」

 精霊の俺に。それ以前に有機物の体さえ持たない俺に何を言っているのかわけが分からず、思わず呆気にとられてしまった。

【そうかよ。しゃあねえな付き合ってやるよ】

 ……が、なんとなく嬉しいと思ってしまったのも事実。俺がサチの提案を受け入れると、サチは嬉しそう冷蔵庫から酒を二缶取り出して戻ってきた。

「かんぱ~い」

 そう言ってサチは左右の手で酒缶同士をぶつけ合い、片方を俺の前に置く。ただシンプルに酒を置いただけだった。

【おい、飲ませろよ】

「え? どうやって?」

【おめえが一緒に飲みたいっつったんだろが】

「言ったけどそれは半分ノリっていうか……。え? 本当にどうやって飲ませるの?」

【とりあえず俺にぶっかけろ】

「えー……。じゃ、じゃあ」

 俺に促されるまま、サチは恐る恐る俺のページに酒を注ぐ。

【カーッ! 乾いたページに酒が染み渡るなぁオイ】

「そんな胃にお酒が染み渡るみたいに言われても……。でも案外飲めるもんなんだね」

 俺に続いてサチも勢いよく酒を半分ほど一気に流し込んだ。

「くーぅっ! ……ま、お酒が美味しけりゃいいや」

 こいつもホリーの母親には及ばずとも、中々適当な人間なんだと思い知った。

「あーあ。今日が終わるまで残り一時間もないね。私ってどのタイミングで記憶を失くすのかな?」

【さあな。零時になったタイミングかも知れねえし、寝て起きたタイミングかも知れねえ。明日のどっかのタイミングでプツッと記憶が書き換えられるかも知れねえし、真相は魔女のみぞ知るってな】

「そっかそっか。どっちにせよ二十四時間以内に私は一人ぼっちになっちゃうわけか」

【おめえの顔なら子供を産めなくても良い旦那の一人や二人簡単に見つかるだろ?】

「そんな事ないよー? そもそも私がこうして若くいられるのだって、りいちゃんと長い間一緒にいたおかげで、魔界の影響を多かれ少なかれ受けているからでしょ? あーあ、明日からどんどん老けていくって思うと鬱だぁ……」

【バッカおめえ、外見ってのは第一印象に過ぎねえんだよ。その後の関係を長引かせるのは結局愛嬌よ愛嬌よ。笑うブスかキレる美人なら俺は断然前者を選ぶね。大体てめえの顔なら少し老けた所で誤差だ。愛嬌に至っては問答無用の百点満点なんだから自信持て】

「……。それもメリムちゃんの勘違い。私、愛嬌なんて全然ないんだ。りいちゃんのお母さんに会うまでは本当に酷い人間をやってた。明日魔女達の記憶を全部失くしたら、私またあの頃の自分に戻っちゃうのかな」

 ふと、酒を飲んで上機嫌だったサチの顔から笑みが消える。俺はこの顔を知っている。ホリーが学校でいじめを受けていたと知った時のあの冷たい顔だ。何を捨てても構わない、それこそ殺人にだって手を染めたって構わないと思う女の顔。

「……ごめん! この話なしね? 楽しくお酒飲も?」

 サチはすぐにそう言って笑顔の仮面で取り繕った。もしまだ一年この世界にいられるのなら、俺はサチの子供としてその過去に深追いする義務や責任があるのだろう。……いや、違う。義務とか責任ってのはなんか違う。単純に俺がサチの力になりたいんだと、心からそう思う。しかし俺達に残された時間はもうどれだけ短いか。

【記憶を消す魔女に会ったら、そこら辺上手く調節して消すように頼んどくよ】

「……そう? ありがとう」

 こうして俺達はしみったれた話に幕を下ろし、そしてさっきまでのようなくだらない雑談に身を投じた。

「楽しかったなー、この五年間。まぁ最後の二年はちょっと気まずい事になっちゃったけどね。りいちゃん、他の子と比べて随分大人びてるから」

【ハッ、わかってねえな。こいつは他のガキより知識と度胸があるだけのガキだよ】

「そういうのを大人って言うんだと思うよ? 自分より強い人を助ける為にもっと強い相手にも立ち向かえる子だもん。普通の大人より大人らしいよ」

【大人らしいってか、男らしいだろ?】

「あはは……。確かに言えてるかもね。そういえばメリムちゃんって性別はあるの? 私は絶対に女の子だって思うんだけど」

【あ? 別に精霊に性別とかねえけどよ。話し方からして男だと思わねえか普通】

「えー、絶対女の子だよ。俺っ娘だよ俺っ娘。女の子じゃないと困っちゃうもん……」

【何が?】

「だってメリムちゃん、りいちゃんと一番仲良いじゃん。男の子だったらりいちゃんと相思相愛で私に入り込める隙がなくなっちゃう……」

【はあああああああああ? やめろや虫唾が走る。大体このガキどう考えてもおめえにべったりだろうが】

「そんな事ないもん。りいちゃん、私に対してクソとかアホとか言って来ないもん。気を遣われてる証拠だよ。……まぁ元はと言えば、昔私が言葉遣いを治して欲しいってお願いしたせいでもあるんだけどさ」

【そんな事言ったら俺なんて気を遣われた事さえないね。このガキがおめえに気を遣っているのは嫌われたくねえからだ。好かれたいって気持ちの表れだろうが】

「……そっか」

【そうだよ】

「私達、似た者同士か」

【だな】

 子供が一人スヤスヤと寝息をたてる寝室で、俺達は静かに笑い合った。そんな幸せな時間があっという間に過ぎていった。そして。

「あー……私ももうらめかも……」

【おう。長話に付き合ってくれてありがとよ】

「いえいえこちらこそぉ……。それじゃあ二人とも」

 サチはホリーの隣に横たわり、その両手で俺とホリー抱きしめる。

「おやすみ、りいちゃん。メリムちゃん。……また明日」

 ホリーの頬と俺の表紙に交互にキスをし、俺達三人は眠りにつくのだった。まぁ俺は寝ねえんだけど。

 ……………………。

 …………。

 ……。

 …。

「……わ! やべえ朝じゃん!」

「おいメリム朝だぞ朝! ってかお前なんか酒臭えな!」

「なんだよ、結局迎えも来てねえじゃん。こっちから門まで行かねえといけないのか? めんどくせえな」

「おいメリム、魔法使うぞ魔法。サチが起きる前に」

「じゃあ行くぞ。せーの」
 
 万能な魔法を使える魔女はほんのひと握りだ。魔法というのは自然現象に逆らう程習得が困難で、十分な効力を発揮する事が出来ない。例えば過去に戻る魔法なんか使った所で、普通の魔女はそもそも発動さえしない。下手すりゃ反動で何らかの不具合が起きるかもしれないし、仮に成功したとしてもでは一秒にも満たないタイムスリップが精一杯だろう。

 そしてそんな魔法には、もう一つだけ効力を十分に発揮出来ない物が存在する。それは曖昧な魔法だ。例えば。

「幸福魔法、メリム・イアルゼ・カーテ」

 幸せになって欲しいみたいな、そんな曖昧な魔法。

「……バイバイ、サチ。幸せに。私もサチを幸せに出来るように努力するから」

 ホリーはスヤスヤと眠るサチの頬にキスをし、そして日が上ったばかりの街へと姿を消した。

「……サチも酒臭ぇな」
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