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第一章 魔女と子宮を失った彼女

あと一年

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 ダイチ達の事を一通り学校にチクって電話を切る私。万が一に備えて非通知でかけたから私が特定される事もあるまい。変身魔法のおかげで声色も少し変わっているし。私は世界征服を成し遂げた魔王のように豪快に笑ってやった。あいつら、これで明日先生に怒られまくるんだろうな。

「かーっ! 調子に乗ってる陽キャ共が社会的制裁を受ける様ってのは想像するだけで笑えてくるよなおい。な? タロウ。お前もそう思うだろ」

 私は一緒に逃走中から抜け出したタロウに同意を求める。まぁ、一緒に抜け出したっていうか私がこいつの腕を掴んで抜け出したんだけど。

「なーに、礼はいらねえよ。お前の気持ちはよくわかる。あいつらガキ過ぎてマジしょうもねえよな? 私達とは頭の出来が違うんだよ。ガキ過ぎて話が合わない合わない」

 何でこいつを連れ出したかって言えば、まぁ気紛れみたいなものだ。遠目に男子達を見ていた時、男子達と馴染まずに距離を置いたこいつに共感のようなものを感じてしまった。その気持ちは痛い程わかる。あいつらはガキ過ぎて話が合わないんだ。

 人というのはIQが二十近く離れた相手の思考を理解する事が難しいと聞く。私もダイチ達も歳の近いガキではあるけど、私はあいつと違って大人になろうとしているガキだ。成長しようとしている私とガキのまま日々を楽しんでいるだけのあいつらとじゃ精神年齢が違うんだよ。だから私はクラスのガキ共とは馴染まないんだ。馴染めないんじゃなく馴染まないんだ。

「幼稚なガキ共のつまらねえ話にため息ばかりつく毎日。気づけば私ももう小六、随分歳をとったもんさね。このまま静かに小学校を卒業するもんだとばかり思っていたが」

 私は口に咥えたタバコを取り出し、大きく息を吐いた。ちなみにこのタバコはドンキのチュッパチャプスコーナーで一本三十円で売られている。

「まさかお前みたいな理解者と巡り会える日が来るなんてな」

 私はタバコの先端でタロウを指して、再びタバコを咥えて舐めた。

「まぁなんだ。昨日は色々悪かったよ。お前、ちょっと変わってるから私も驚いちゃったんだ。けどそれも過ぎた話。ガキとは馴染まない大人同士、過ぎた事は水に流して仲良くしようぜ?」

 人というのは不思議なもので、こいつとは仲良くなれないだろうと思っていた相手でも、ちょっとした共通点が見つかるだけで一気に距離感を縮める事が出来る。学校ではあんなに声のかけかたに悩んだはずなのに、こいつが私の同類とわかってしまうと面白いくらい言葉が頭に浮かんで来るのだ。私はタロウに向けて片手を差し出す。友好の証、握手だ。

「……」

「……」

「……」

「何か言えよおい」

 しかしタロウは何もしない。警戒でもしているのだろうか。直立不動の姿勢でじっと私の事を見つめるだけ、文字通りの意味で指一本も動かさないし、私が何か言えと発するまで言葉を発するそぶりも見せなかった。そして。

「お父さんが言っていた。知らない人について行ってはいけない」

 私に促されてようやく発したその言葉も意味のわからないものだった。

「は? 冗談よせよ。それともあれか? 昨日乱暴に蹴りつけられたからそれで怒って……」 

 しかし、タロウの言葉の意味はすぐにわかった。路上駐車してあった黒の車体のバイクに私の姿が反射していたから。そうだ、私今男子に変身していて……。

「昨日、僕は六回蹴られた。有生 美穂里(ありせ みほり)に一回」

 有生 美穂里。この世界で私が使っている仮の名前を口にしながらタロウが一歩近づいて来た。

「有生 美穂里に一回」

「いや、その……」

「有生 美穂里に一回」 

「あれは……」

「有生 美穂里に一回」 

「だから……」

「有生 美穂里に一回」

「違くて……」

「そして犬に一回」

「お前昨日のうんち、野糞してる犬のやつ拾ったろ?」

 タロウが一歩近づいたら一歩引き、また一歩近づいたら一歩引き。そしてついに私は壁際まで追い詰められる。これはかなりまずい状況だよな? 魔法で変身している今、私の正体がこいつにバレたら……。

「君は誰?」

 そんな言葉がタロウの口から出るや否や私は逃げ出した。それはもう全力疾走で逃げ出した。

「僕も行く」

「なんでだよ⁉︎」

 タロウはついて来た。それはもう全力疾走でついて来た。いや、よく見たらこいつ息とか切らしてない。全然全力疾走じゃないぞ。余裕じゃないか。

 魔法の勉強だけでなく、この世界の勉強も怠らない私だけど実は一つだけ怠っている科目がある。体育だ。それは何故か? 簡単だ。私の実年齢が九歳だからだ。

 異世界留学の期間は六年。だから丁度良いとでも思ったんだろう。お母さんは四歳の私を六歳の女の子として小学校に入学させた。

 勉強は努力でいくらでも差を詰められるし、更なる努力で差を開いて独走する事だって出来る。でも体力面においては年齢という壁がどんな努力も軽々しく打ち砕いて行くんだ。子供の二歳差というのは身体能力的な意味でありえないくらいのハンデであり、私はクラスで一番の非力だって胸を張って言えるのさ。

 ってかそもそもの話体育なんてやる必要ないんだよ。実際体育で活躍する奴ってのはヒーロー気取りのクズばかりだからな。特に体育で球技とかやり出した日とか、サッカークラブに入ってる男子がガチり過ぎててうざいったらありゃしない。

 クソどもがよ。百メートル十四秒台で走れたらエラいのかよ? バク転だのバク宙出来ればエラいのかよ? 私だって魔法使えばそんくらい出来るわ!
 ……まぁ、色々大人気なく私情とか出ちゃったけど要するにだ。

「い、いたゃい……、わ、脇腹……っ!」

 私は走りが遅かった。街中を駆け抜けて十分は経っただろうか。全力疾走なんて走り出して十秒もしないうちにスタミナが尽きていて、それから五分くらいはマラソンみたいなジョギングになって、そして今は一応走りのフォームをしてはいるけど道行く幼稚園児の徒歩に抜かれる程度のスピードでしかなくて。なんかもう歩いた方が速いくらいの走り方で。

「な、……なんだよお前はぁ……!」

 そして学区外の繁華街にまで来ていた私はついに力尽き、ガードレールに腰を下ろしてタロウに怒鳴りつけたのだ。それは決して怒鳴ると言える程の声量ではなかったけれど。

「佐藤タロウです」

「知ってるよ! ちくしょう、ずっと私と……同じスピードでついてきやがって……! コバンザメかお前は……⁉︎」

「佐藤タロウです」

「知ってるっつってんだろ⁉︎」

 私に元気があれば頭を叩いてやれたのに最早そんな元気も残っていない。私は俯き、桜の花びらがちらほら溢れたアスファルトを見つめながら話を続ける。

「お前、いつまで私につきまとう……つもりだよ?」

「君が誰かわかるまで」

「いやいやいやいや……。頼むってマジで。こっちにも色々事情があるんだよ、今日は引き下がってくれよお願いだから……」

「わかった」

「いや、わかったじゃなくて……え?」

 聞き間違いなのかと思ってしまう程にあっさりとした回答に私は思わず首を上げた。

「……タロウ?」

 しかしそこにタロウの姿は見当たらない。間違いなくほんの数秒前までそこに立ちながら私と会話をしていたはずなのに、この一瞬の間に影さえ消え失せてしまっている。

 そんな事ってあるのか? ていうか可笑しな事なら昨日のもそうだ。あいつ、鍵の閉まった私の家にどうやって上り込んだ? どうやって私に気づかれないように侵入した?

「なんだあいつ……」

 真夏のように火照った体に鳥肌が走る。大丈夫か私? 友達になる相手を間違えてないか?

【おいどんすんだよ馬鹿。お前のヘマのせいであいつお前の正体探る気満々だぞ】

 手首からひょっこり姿を現し、そう書かれたページを見せるメリム。

「う、うっさいな……」

【色々焚き付けておいてなんだが、こうなった以上あいつと友達になるのは辞めとけ。リスクが高すぎる】

「いや……大丈夫だろ? 別に正体バレたわけじゃないんだし」

【怪しまれてる事が問題なんだろうがアホ。あれと友達になってみろ? 正体確かめる為に解剖されんのがオチだぞ】

「お前クラスメイトを何だと思ってんだよ」

【あの野郎に昨日殺されかけてる事忘れてねえよな?】

「忘れてた!」

【死ね馬鹿】

「は? お前だ馬鹿」

【黙れクソ馬鹿】

 以下省略。

【とにかく俺は反対! 大反対! お前だって昨日は渋ってただろうが。あいつの死んだ魚みてえな目見たか? 本気で人を殺せるサイコパスの目だぞあれ】

「……」

 実際、どうするのが正解なんだろうな。年度試験の締め切りは次の日曜日。この限られた時間の中で、既に人間関係の出来上がった他のクラスメイトと友達になるのは至難の技だ。でもメリムの言いたい事だってわかる。あいつは私の正体を怪しんでいて、しかも急に私の家に押しかけて私の両目を潰そうとするような危険な行動力を持ったやつだ。うんこまで食わせようとしやがった。

 私、本当にあいつを友達候補に選んでいいのかな。他のクラスメイトじゃダメなのかな。考えて、考えて、考えて。

「……」

 あの日の事が脳裏をよぎって。

「なぁ、メリム。本気で人を傷つけるのと冗談で人を傷つけるのとじゃどっちがマシなんだろうな」

 そんなふとした私の問いにメリムは答えてくれなかった。

「前者の方がマシって考えちゃう私って、やっぱおかしいのかな」

 それに対してもメリムは答えてくれなかった。私はため息をつき、疲れた体を休ませるために再び俯く。そして数秒か、数十秒か、あるいは数分が経った頃。疲れすぎて時間の感覚も忘れてしまった私に一つの声が降り注ぐのだ。

「りいちゃん?」

 首を上げる。その人のその声を聞くだけで首を向けてしまうのは何年も一緒に暮らしたせいで身についた習慣のようなものだ。そして、その人とこの街で出会うのだって別に不思議な事じゃないし。だってここは繁華街。サチの職場がある街。そして日が傾きだしているこの時間はサチの仕事が終わる時間だ。

「サチ」

 こうして街中でたまたま出会うのだって偶然って程の事ではないのだ。私はサチに目を向けた後、サチのすぐ隣にいる初老の男性の方にも視線を向ける。多分、サチのお客さんなんだろう。

「え、さっちゃん子供いるの?」

 私の姿を見て目を見開く初老の男性。

「やだもーう、私にこんな大きな子供がいるわけないじゃないですか! 妹です妹」

 そして男性の言葉を嘘で否定するサチ。嘘はいけない事だけど、でもこれは仕方のない嘘だ。サチが歳を十歳以上誤魔化して働くための嘘。生きていくために必要な嘘。私もサチも年齢の鯖を読んで生きていくなんて、本当の親子でもないのに変な所ばかり似たもんだ。

「へー、なんか男の子みたいだね。でも大丈夫? 妹さんにこんなとこ見られて」

「大丈夫です、家族公認なんで。じゃなきゃ堂々と昼間からキャバクラでなんて働けないですよ」

「随分寛容な家族だね……。えーと初めまして、僕は武田って言います。今日はさっちゃんに色々愚痴を聞いてもらったりでそれはもうお世話になって」

 すると初老の男性は少し何かを考えたあと、おもむろに財布を取り出して私に五千札を差し出してきた。

「まぁ少ないけどとっておいてよ」

「……」

 っしゃオラー! 五千円ゲットだぜ‼︎ どりゃー‼︎ ウェーイ‼︎ と言うのが本音だけど。

「えー⁉︎ そんな武田さん大丈夫です! お店でも色々貰ってるのに……」

「いいのいいのこのくらい。どうぞ、大切に使ってね」

「あ、ありがとうございます……」

 私は荒ぶりたい本音を押し殺し、サチの印象を少しでも悪くしないまま五千円を確実に貰える最良の回答をしたと思っている。ちなみに五千円を受け取らない選択肢は当然ながらない。

 それからしばらくサチと初老の男性は冗談混じりの雑談を交わしながら数分の時間が経った。そして一本のタクシーが目の前にやってきたところで雑談は止まり、男性はタクシーの中へ入っていった。

「それじゃあ武田さん、またお待ちしてますね」

 武田と言う男性は最後の最後まで笑顔を絶やさないまま、またねと車内からサチに手を振る。私もお小遣いを貰っているし、そうでなくてもサチのお得意さんなんだから「五千円ありがとうございます。サチの事よろしくお願いします」と、最低限の礼儀として別れの挨拶を交わした。そしていよいよタクシーは去っていき、こうして今日のサチのお仕事は終わりを告げたのだった。

「んー!」

 夕空に手を伸ばすように大きな伸びで仕事の終わりを確認するサチ。

「私達も帰ろっか?」

 そう言ってサチは私に手を伸ばす。

「……。はい」

 私は思わずその手を握ろうとしてしまったけど、すんでの所で気がついて彼女の手を拒んだ。

「あはは……。残念」

 私は困ったように笑うサチと一緒に帰路を歩いた。

「りいちゃん、その格好どうしたの?」

 とは言えサチは黙って帰り道を歩かせてくれるような人ではない。お店で働きながら培った技術なのかそれとも話す仕事をしているが故の職業病なのかはわからないけれど、サチの口はお喋りが尽きない。

 私はサチの事をよく知っているつもりだ。サチだって私の事をよく知っている。魔法で少年の姿に変わっていても私だって気づけるくらいにはよく知られているんだ。

「まぁ、色々あって男子に変身を……」

「ふーん。じゃあ何で池袋にいたの? 寄り道?」

「えー……まぁ、それも色々あって」

「随分汗だくだったけど何かあった?」

「まぁ、色々……」

「そっかー。色々あるんだね。カラフルだね」

 それは違うと思った。

「さっき会った武田さん、どうだった?」

「武田さんですか? お金くれたからいい人だと思いますけど。お金も持ってそうですし」

「こんな仕事してる私が言うのもあれだけど、その考え方はやめようね……。まぁ、お金持ちなのは確かみたい。武田さんってお医者さんなんだって」

「お医者さん?」

「うん。しかも週三のアルバイト。それで日給が十二万円だから週に三十六万円でしょ? もうびっくりしたよ。今日初めて知り合ったんだけどこのままお得意様になってくれたら嬉しいなー」

 あれ。私はてっきり武田さんは既にサチのお得意さんだと思っていたんだけど。かなり打ち解けているように見えたし。

 ほんと、実の親ではないとは言え私はこの人に育てられたはずなんだけどな。何で私にはサチのお喋りスキルが身につかなかったんだろう。

 ……。まぁ元の性格がサチとかけ離れていたって言うのが一番の原因なのかもしれないけどさ。ニ番目の原因をあげるとすれば、それはきっとサチと距離を置いている私自身にあるんだろうな。子は親の背中を見て育つって言う割に、私はサチの背中なんて全く見てはいないのだから。

 ……。

 もしもニ年前までの関係が続いていたら。さっきみたいに差し出された手を素直に握って、二人仲良く帰り道を歩けるような関係が続いていたなら。私のこの口下手な性格も少しはサチの影響を受けていたのかも知れないけれど。

「サチ?」

 交通量の多い交差点で信号待ちをするべく足を止めた時。ふと、サチが隣から私の体をリュックごと抱きしめながら私の頭上に自分の顎を乗せてくる。

「んー……。大っきくなったなーって思って」

 頭の位置をずらしてサチの顔を覗き込むと、サチの表情は夕陽の逆光で暗闇がかっていた事もありどこか寂しげだった。サチらしいいつもの笑顔なのに、泣いていると言われても思わず納得してしまいそうな程。

「こっちの世界に来たばかりの頃は私のおへそにも届いていなかったのに、気づいたら私の胸くらいまで背が伸びてる」

「……」

「考えてみたら久しぶりだよね、りいちゃんと並んで歩くの。りいちゃん、最近は一緒にお出かけとかしてくれなくなっちゃったから。だからここまで背が伸びていた事にも全然気がつかなかった」

 そんな事を言われると私の方が泣いてしまいそうになるんだけど。……だって。

「小学校を卒業する頃には追い抜かれてたりしてー……って、流石にそれはないか。でもそっかぁ、後一年かぁ。早かったなーこの五年間」

 私はその日が来るまでもなくこの世界を去る事になるのかもしれないのに。

「ねぇ、りいちゃん。最後の一年くらい昔みたいに」

 だから私はそんなサチの体を突き飛ばすように引き剥がした。私にはそれをしても良い口実だってあったから。

「青信号ですよ」

 サチの抱擁から解放されて自由になった指で信号機を指差す。サチはその様子に一瞬ばかりの俯きを見せたけど。

「ほんとだ。早く渡らないと」

 すぐにいつもの笑顔に戻ってくれた。




「んあーーーーーー!!」

 部屋に入ってベッドに飛び込み枕に顔を埋めながらジタバタする。どうやらこれは私のストレス発散に最も適した行動である事を最近知るようになった。何故なら友達を作れとか言う馬鹿みたいな試験に挑むようになってから、私は毎日のようにこの行動をとっているからだ。結構大きな声で叫んでも顔を埋めた枕が声を吸い取ってくれるのも中々にポイントが高い。

 まぁこれは気を晴らす手段というより目先のストレスから気を紛らわせる為の手段だから、ストレスの素がなくなるわけじゃない。だからしばらく暴れても、暴れ疲れた辺りでどうしようもない虚無感に襲われる。

「疲れた……」

 そして最後には疲れて動かなくなる。こんなアホみたいなストレス発散をこの短い期間に何度やっただろう。それでもきっと明日も同じような事をしているんだろうけど。

「明日だけ」

【あ?】 

「明日だけ私の自由にやらせて。やっぱ友達になるなら人間関係が出来上がってるクラスの連中より、転校生のタロウの方が可能性はあると思う。それに昨日の目玉潰しも今日の詮索も、私がやめろって言ったらあいつ素直にやめたじゃん? 一応話は通じる奴なんだよ、あれでも」

【ハッ。またダイチの奴に先越されて気づけば何も出来ずに放課後になってる姿が目に浮かぶな。で? もし友達になれなかったりしつこく正体の詮索をされたりしたらどうすんだ】

「諦める。そうなったら最悪一年生のガキんちょ共から順番に友達になってくださいって頭下げてくよ。一人くらいオッケーしてくれるだろ流石に……。まぁ」

 上体を起こし、机の上に乱雑に置かれた年度試験の案内用紙に手を伸ばし、もう一度その曖昧過ぎる試験内容に目を通した。

「仮にそれでオッケー貰った所で、これが合格扱いになるのかは微妙だけど……。あーもう友達ってどこからどこまでの関係を指すんだよちっくしょーうっ!」

 友達になってくださいって言って、いいよって言われたら試験クリア。そんな単純な話なら相手に嘘を吐かせたって問題ないわけじゃん? あーあ、イライラするなぁ……。

 こうして限られた時間は刻一刻と過ぎて行くのだった。



 日付は変わって五月九日の水曜日。試験をパスしなければ、魔界に帰るまであと四日。

 気分はどうだと言われたら最悪と答えたくなるそんな朝。どのくらい最悪かって言ったら、みんなが定期や電子マネーでスムーズにバスに乗車する中、私は千円札しか持っていなかった時くらい最悪だ。機械が千円札を吸い込みお釣りが出てくるまでバスは発車出来ない、私の後ろに並ぶ人たちも乗車出来ない。そんな私をバスの運転手が冷ややかな目線で見て来るような。そんな最悪な気分だ。わかりやすいだろ。

 とは言え気分が最悪だから許してねとか言って試験がパス出来るはずもなく、私はとぼとぼと通学路を歩くしかなかった。周囲を見回すと多くの人が目的地を目指して歩いている。学生やリーマンのような人間から野良猫のような人外まで様々。リーマンは比較的一人で歩いているけど、学生共は二人以上で歩いているやつらばかりだ。頭おかしいよこいつら。

 ……いや、違うか。どう見ても一人で歩く私の方が少数派だ。普通じゃないのは私の方なんだ。

 ふと考えた。私は魔女の掟で傷つかない為に人との交流を極力避けている。私に限らず殆どの魔女はそうしているとも聞いている。どうせ別れる相手と仲良くしても無駄。仲良くなればなるほど別れの時が辛くなる。ただの別れならまだしも、私達が味わう別れは永遠の別れだ。相手の記憶から私という存在が消えてなくなるんだ。だからこのやり方は自分を傷つけない為の賢い方法だと、そう思っている。

 なら仮にその掟がなかったらどうだろう。留学期間が終わっても、私の知り合いから私の記憶を消さなくても良いのだとしたら。そしたら私も友達とお喋りしながら登校するあいつらみたいになろうとしたのだろうか。

「……」

 自分が同年代の誰かと仲良くしている姿が思い浮かばない。私はとことん人付き合いに向いていない性格なんだと思い知った。……一応サチとは仲良くしていたんだけどな。二年前までは。

「なぁ。二年前までの私ってどんな風にサチと仲良くしてたっけ」

【ママーって言いながらサチのおっぱいしゃぶってたろ】

 私はメリムをぶっ叩いて学校へと赴いた。

(うっし!)

 学校に着き、教室の前で心機一転。心の中でそう叫びながら、両の頬にビンタをかまして気合いを注入する。教室の前でそんな奇行をしたもんだから廊下ですれ違う同学年の奴らが奇異な瞳を向けてくるが、名前も知らん連中の目なんかどうでもいい。どうせこいつらは私と友達になってくれないクソ共だ。今私に必要なのは私の友達になってくれる人だけ。それ以外のモブとか知ったこっちゃねえ。私はムフーと鼻息を吐き散らし、胸を張って堂々と教室に入室した。

 教室に入り、中の様子を軽く見回す。標的は佐藤タロウただ一人。それ以外の連中なんて、期待させておきながらいざ開封すると千円札一枚しか入っていなかったお年玉袋並みにどうでもよかった。

 タロウの姿はすぐに確認出来た。朝の会までまだ少し時間があるのに、誰と話すでもなく本を読むでもなく、ただじっと自分の席に着席しているだけだからとても目立つ。そんなタロウの姿を見ているとため息が出てしまいそうだ。あいつ馬鹿だな、そういう時は寝たふりをすればいいのに。

 ……ん? タロウ一人?

 すかさず私はダイチの姿を追った。ダイチはと言うと教室の隅でサッカーボールを蹴りながらリフティングをしていやがる。ダイチは「七十一、七十二」とリフティングのタイミングに合わせながら数を数え、それに対して取り巻き達は「すげえ」だの「やべえ」だの面白くもない平凡な感想を呟いていた。

 そう。ダイチはタロウから離れていた。離れていたんだ。正直、昨日メリムに言われた通りどうせ今日もダイチに先を越されてタロウとは話せずじまいになるんだろうなって不安があった。でも今なら……! あいつがタロウから離れている今なら……! いや、今しか……!

 私はすかさずタロウの隣、自分の席まで歩いて着席する。着席してとりあえず深呼吸を二回。よし、言おう。言うぞ。友達になってって言うんだ。行け、ホリー。ほんの一言。たった一言言うだけだ。やれ!

「……なぁ、タロウ。お前私とともだ」

 ……が、しかし。何故だろう。九割出かかった言葉が途中で途切れる。あとほんの数文字喋るだけだったのに口が止まってしまった。……あれ。なんだ? なんで私急に声が止まって……。

 あ、そうか。タロウに話しかけたはずなのに、隣にタロウがいなかったからだ。だから思わず言葉を止めてしまった。で、その肝心のタロウはと言うと、私の視界の外に出て行っていた。具体的には床だ。椅子ごと床に倒れていた。

 それで、なんだっけ。なんでこいつ倒れてるんだっけ。なんかこいつが倒れる寸前、三つの音が聞こえたような。ダイチの「百!」って声と、その直後にサッカーボールを強く蹴り飛ばした音。で、タロウの顔にそのボールが直撃した音。

「た、タロウ……?」

 思わず倒れたタロウに声をかけてしまう。そんな私の声を掻き消すように第四の音が覆い被さった。

「あ、悪い。そっち行っちゃった」

 タロウにボールをぶつけた張本人、ダイチの声。悪いという言葉と矛盾した、ヘラヘラとした表情を浮かべるダイチの声だ。

「ボール投げてくれよ」

 ダイチがそう言葉を続けるとタロウは「わかった」と一言答え、転倒した事などなんともなかったかのように体を起こしてボールを投げ返す。が。

「あ、ごめん」

 ダイチは投げられたそのボールを教室の端っこの方まで蹴り飛ばした。

「上手くトラップ出来なかった。取ってきてくんね?」

 そんな理不尽な要求に対してもタロウは「わかった」と答え、ボールを取りに教室の端まで歩いて行く。

「……」

 私はその一連の出来事に、無邪気の一言では済まされない邪気の片鱗を垣間見た。

 なんだ。何が起きたんだ。ボールを上手くトラップ出来なかったって……いやお前タロウが投げ返したボール思い切り蹴飛ばしたよな? わざとだよな、それ。何してんだよ。何笑ってんだよ。お前も。他のクラスメイトの奴らも。

 私は気さくにタロウを遊びに誘っていた昨日までのダイチを目の当たりにしている。だからこそ目の前の出来事が上手く飲み込めずダイチの方に視線を向けたが、それと同じタイミングで朝の会を知らせるチャイムが鳴り響いた。

 担任が教室に入ってきて一言。

「こーらー! 誰ですか教室の中でボール遊びをした人は?」

 ごめんなさーい! と。てへぺろと言う表現がこれでもかと言うほど似合うお茶目な表情で誤魔化すダイチ。悪気とか、悪意とか、そう言った色合いは一切感じ取れない。あまりに悪意が見当たらない表情だから、本当にこの違和感は私の気のせいじゃないのかとさえ思えてしまう。

「……」

 この違和感と既視感の正体がただの杞憂ならいいけど。そう思えたのはこの瞬間だけだった。

 国語の時間。先生がプリントを配布し、前の席から後ろの席へと配られていった。そのプリントがタロウの前に座るダイチの手元に来た時、ダイチはプリントを取りこぼした。そして「おっと!」とわざとらしい声をあげながら床に落ちたプリントを踏みつける。プリントにはダイチのうわぐつの跡がつき、ダイチはそれを悪びれもせずにそれをタロウに渡した。

 社会の時間。先生の着席という合図と共にタロウは再び激しく転倒する。それを見ながらクラスのみんなは大爆笑だ。みんなが爆笑する中、一人の男子生徒だけは爆笑とは違ったいやらしい笑みをこっちに向けていた。タロウの斜め前の席の男子だった。そいつの足とタロウの椅子は縄跳びで繋がっていて、タロウが座る直前にタロウの椅子を引いたのは明白だった。その男子は先生に叱られていたが、終始満更でもなさそうな笑みを浮かべていた。

 休み時間。男子たちがタロウの席の近くを通るたび、奴らは意図的にタロウにぶつかっていった。中にはわざとらしく手を大きく広げて全力疾走し、その邪魔な腕をタロウの頭部に直撃させていた者までいた。

 給食の時間。クスクスと給食係の男子達が笑みを漏らしていた。見てみるとタロウの食器には米粒数粒とカレーのルーが数滴ほどしかかかっていない。給食を配膳していた男子は笑いながらタロウに言う。「早く行けよ。はい、次の人」と。それに続いて「いってえ!」とも声を漏らした。

「馬鹿かお前」

 私がその男子を突き飛ばしたからだった。

「ほら、食え」

 私はしゃもじとお玉を取り上げ、こいつらの代わりに山盛りのご飯とルーをタロウの食器へ注いでやる。

「いってえな何すんだよ!」

 予想は出来ていたが、突き飛ばされた男子が突っかかってきた。……いや、こいつだけじゃないな。声と行動で突っかかって来たのがこいつだけだった。他の奴らも視線で私に突っかかって来ているのは、火を見るよりも明らかだ。

「馬鹿みてえな事してんじゃねえよ。お前来年中学生だぞ」

 一触即発の空気。このまま掴み合いの喧嘩になってもおかしくはなかったけれど、しかしこの場は一旦おさまざるを得なくなる。男子が怒声をあげたせいで、流石に先生が異変に気づいて間に割って入ったからだ。

「こらこら、何? どうしたんですか?」

「……別に」

 男子は部が悪いと悟り、静かに身を引いた。

【偉いじゃねえか】

 給食を食べていると、誰かに見られないようにチロルチョコサイズのメモ帳を模したメリムが腕から浮き出て私にそう語りかけた。流石に周りの皆んなと机を合わせて給食を食べている手前、今はどんな小声であろうと返事は出来ない。私は一方的にメリムの言葉を読むしかない。

【まぁタロウのやつ、いかにもイジメの標的にされそうな性格だけどよ。けどイジメってのはこうも急に始まるもんかね?】

 そんなメリムの疑問が解消されたのは本日最後の授業の体育が終わり、更衣室で体操着を着替えていた時の事だ。

「ねえ、なんか今日佐藤かもられてない?」「知らないの? あいつ昨日男子達がドンキで遊んでる事を先生にチクったらしいよ」「ドンキに先生が来て、男子達みんな叱られたんだって。そしたら一緒に遊んでたはずの佐藤だけいなくなってたみたい」「えー……絶対佐藤がチクったんじゃん。キモ」

 ……。

【お前のせいだな】

 ごめん、タロウ……。私は着替えを終えて更衣室を後にした。

 この学校は高学年になってから体育の着替えは男女別々になる。男子は教室で女子は更衣室。特に更衣室で友達と無駄話をふかす必要もない私が着替えを終えるのはいつも最初だ。しかし、教室は男子の着替えの場。私が着替え終えた所であいつらのうち一人でも着替えを終えていなければ教室には入れず、こうして教室の前で立ち尽くす事になる。これはもはや体育の後のお決まりのようなものになっていた。

 教室の前でため息を吐いた。そりゃため息だって吐きたくもなるさ。教室の中から聞こえてくるのは毎度お馴染み男子の馬鹿笑い。あいつら着替えながら遊ぶもんだから、教室に入れるのはいつもチャイムが鳴るギリギリのタイミングなんだもんな。ガキなんだよ、男子って生き物は。

(おい! これもこれも!)

(こいつ何やっても全然嫌がらねえじゃん、キモチわるっ!)

(おいお前らも来いよ! 何か描け!)

 ……本当ガキ臭えよ。

「メリム。なんでイジメってのはなくならないんだろうな」

 教室の向こう側から微かに聞こえて来る男子共の馬鹿笑いを聴きながらメリムに尋ねた。

(何も描かなかったやつは殺すぞ。早く描け)

(なぁなぁ、ちんこにマンモスの絵描こうぜ)

(じゃあ俺乳首に花の絵描こ!)

【弱い相手を見てると楽しくなるのは生き物の本能だからな。お前だって水ダウで芸人が酷い目に遭ってるのを見て爆笑してるだろ? そりゃあ芸人は対価を貰った上で自ら望んで笑われちゃいるけど、笑う側の本質は変わらねえと思うぜ? 自分より無様な奴ってのは見ていて楽しいもんだ】

(おい誰だよセックス大好き♡って描いたやつ、エッッグイ!)

(こいつがセックス出来るわけねえじゃん、オナニー一万回って描け!)

(待て! 腕には描くなバレるだろ! 服で隠れる部分だけ描け!)

「じゃあ芸人見て笑ってる私もあいつらと同じなのかな」

【なわけねえだろタコ】

「……だよな」

 私はガキが嫌いだ。ガキ臭いのも嫌いだ。好きなガキなんて生牡蠣とガキ使の二つだけ。それ以外のガキは吐き気さえするね。

 私はガキが大嫌いで、そしてメリムは私にこう言ってくれる。だから行動する事に迷いなんて微塵もなかった。私はわざとらしいくらい乱暴に教室のドアを開け、男子だけしかいない悪意に満ちた空間に足を踏み入れる。

『この人ちかんです』

 真っ先に私の目に飛び込んで来たのはそう書かれた張り紙が一枚。その張り紙で顔は隠れているけれど、そいつがタロウである事は一瞬で理解出来た。上着はめくられ、ズボンは下ろされ、95%裸と言っても差し違いのない見窄らしい姿。その体に刻まれていたのは、教室の外まで漏れていた声通りの品性下劣な呪文の数々。私はタロウのそばまで歩み寄り、まずはセロテープで頭に貼られたそのクソみたいな張り紙を剥がした。

「おい何してんだよ! まだ着替えてんだろ!」

「は? タロウ以外みんな着替え終わってんじゃん」

 突っかかってくる男子を一蹴し、無駄だと知りつつ筆箱から消しゴムを取り出してタロウの体に刻まれた下品な文字を擦ってみる。が、案の定それは油性マジックで書かれたもの。こんなので消せるはずがなかった。私はタロウに訊ねる。

「放課後時間あるか?」

「ある」

「じゃあうち来い」

「どうして?」

「どうしても。いいから黙って来いよ。あとさっさと服も着ろ。女の前でちんこ出すな」

「わかった」

 タロウは首を縦に振り、そそくさと着替え始めた。まぁこのイジメの元凶を作った私が言うのもなんだけどさ。他人に指図されて、こんな風に簡単に首を縦に振るような奴だから目をつけられたんだろうな、お前は。

「女に守られてんじゃねえよだっせえ」

 ふと、そんな言葉が私達目掛けて投げつけられた。声の主は主犯格と見て間違いないであろう、このクラスのカーストトップであるダイチだ。私はそんなクソ野郎を溜息混じりで睨みつけ、そんなクソ野郎の目の前までのしのしと歩み寄り、そして。

「お前らがドンキで悪さしてるってチクったの私だから」

「は?」

「まさかタロウがチクったって勘違いしてイジメてたのか?」

「……」

「だっっっっっっっっせえええええええええ!」

 実年齢九歳の身長百三十センチ台という矮躯で、身長百七十台のダイチを心の底から見下してやった。
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