黒乃の短編集

黒野ユウマ

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スランプ

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(創作人少女と男の子の話)


 酷く無気力になった私が、そこにいた。
何度気分転換をしても、頭の中には何も浮かばない。
絵が描きたい、小説を書きたい、この手で頭の中に浮かぶものを表現したい。

 創作意欲ならいくらでもあった。けれど、頭が、体が、言う事を聞かない。
ネタは浮かばないしペンを持つ気力さえ私には残っていない。
 がどうしたのかはわからなかった。ただ、気力がどこか彼方へ吹っ飛んでしまっているとしか説明のしようがなかった。
何か書きたいのに何も書けないもどかしさが私の心と体を侵食していく。

 全て侵食される前に何とかしたい、元の私に戻りたい。
けれど、思うこと願うこと祈ることは容易く、実際にやる気を起こすことは難しい。
これが所謂「スランプ」の4文字だろうか。だとしたら何という病に体を侵されてしまったものだろうか。
発熱動悸痛み等の症状が出てくる病ではない、ある種心の病だ。
「何かしたいのに何も出来ない」と脱力し、気分も落ち込み、そして最終的には堕落していくこの病。
厄介なものだ。特に、私のような創作者には。

 イラストや小説を公開しようと趣味で始めたブログも、もう一週間近くも更新していない。
私のブログを見ている友達は教室や他のクラスにちょこちょこいる。彼女達はいつだって私のブログの更新を楽しみにしてくれていた。
教室に行けば「最近どうしたの?」「大丈夫?」とかけられる言葉。私は笑顔で「最近あんまり更新する暇なくて」と答える。

 友達はそれを真に受け「そっかぁ」と答えてくれる。その答えの裏で何を考えているかはわからないが。
しかし何にせよ私は彼女たちに嘘をついている。本当はブログを更新する暇はいくらでもあるのだ。
だが何も浮かばないから書くことも何も無い、私の日常を書こうったって私の日常など高が知れている。
今日の学校ではこんな事があった、テストが何点だった、夕飯はこんなものだった。
ありきたりで、どこにでもありすぎる話題。そんなことを話したって何にもならないだろう。彼女たちもそれを望んではいない。
 何より私自身がそんなことを書きたくない。書いてる私自身すらつまらないと思ってしまう物を書いてしまっては、ブログの質も落ちてしまう。

 しかしだからといって何をどうすれば良いのだろう。現に何も浮かばないんだ。
教室で一人、ため息をついていた。気晴らしに絵を描こうかとルーズリーフとシャーペンを出すも、結局何も浮かばずにぐしゃぐしゃ書いて一枚の紙が終わってしまう。
本気で悩んだ。このままでは私が私ではなくなってしまう。
打開策が欲しい。この、特殊な病から抜け出せる打開策が。

 そう一人で悶々と考えていたある日、ある男が私の席へ近寄り私に話しかけてきた。

「桐原、手が止まってるよ」
「……芹澤」
「そう睨むなよ」

 芹澤だ。私はこの男のことはよく知らないが、風の噂によればこいつも私と同じ創作者だそうだ。
ただ違うのは、こいつは二次創作者。版権のキャラクターを使った小説や絵を書いている。
私は完全なるオリジナル創作者だ。だが、それでも同じ創作者であることに変わりはない。

「何か描いてたのか?」
「別に何も」
「……ははぁ、さては失敗でもしたか?」

 眼鏡をずらしつつ、芹澤は答えた。私は図星を突かれ「うっ」と言葉を失う。

「図星か」
「……悪い?」
「悪くないさ、失敗なんてよくあることだからさ。だけど……桐原、元気無いな」
「そう?」
「思いつめてるように見えるよ、俺には」

 少し困ったような笑顔を浮かべて、芹澤が言った。
私はこの男のことをよく知らない、よく知らなければ話したことだってそんなに無い。
ただ、どっかにいたのをちらっと見ていた程度。関わったことなどあまり無い。

 しかし、友達でさえ言わなかった言葉を何故こいつが言ったのだろうか。
こいつは私の感情を読み取れていたりするのだろうか。

「……なんとなくだけど、わかった。そういうことなんだな、桐原」
「えっ? な、何……」
「スランプなんだろ、お前。俺もそういう事何度かあったから、同じ創作者としてよくわかるよ」

 芹澤は自分が体験した事柄を私に正直に離してくれた。
彼は生まれて以来17年、記憶のある限りだと3度くらいスランプに見舞われたことがあるそうだ。
女の子が可愛く描けなかったり、絵を描く気分になれなかったり、絵を描くことさえ嫌になったりしたこともあった。
 スランプの間、芹澤は何も出来なかった。だから、とても苦しかったと彼は言う。
何とかやる気を奮い立たせてペンを握っても何も浮かばず、何かを描こうという気にもなれなくて、じゃあ何をしていればいいんだ、と全て投げ出したくなって。
丁度、今の私のような感じの時もあったそうだ。

「桐原さ……ブログ、更新してないだろ?」
「えっ……み、見てるの?」
「実はね。桐原の絵とか、桐原の描く世界観とか、見てみたくてさ……でも、直接桐原に教えてもらうのは何となく恥ずかしかったから、友達に教えてもらった。ちょっとストーカーみたいで気持ち悪いよな、ごめん」

 申し訳なさそうに、だけど何処か照れくさそうに芹澤が言った。知らぬ間に芹澤に見られていたのか、少し恥ずかしい。
リアルの友人で私のブログを見てるのは先程言った子達だけだと思っていたから、なおさらだ。
だけど、ちょっとだけ嬉しかった。他にも見てくれている人がいるんだと思って。

「ううん、大丈夫。……ごめん、見てくれてるのに一週間も放置して」
「いや、いいんだ。ネタっていうのは浮かばない時は浮かんでこないんだ、仕方ないよ。だけど桐原、これだけは覚えておいて欲しい」
「何?」

「スランプってのはさ、無理矢理に力を奮い立たせて脱出できるもんじゃないんだよ。スランプから脱出しようとばかり思って焦ってると、スランプは余計追いかけてくるもんだと俺は思う。現に、俺がそういう体験をしているからさ。書けない時は無理に書かなくていい。無理に書こうとすればする程、創作意欲は消え失せてしまう。だから、桐原は桐原のペースで創作して欲しいと思ってるんだ。俺が偉そうに言える事じゃないけどね」

 芹澤は私の頭にぽんぽん、と手を乗せて言った。
唐突な芹澤の行動に、私は目を見開いて芹澤の顔を見上げる。
芹澤は「あっ、ごめん」と言って慌てて手を引っ込めたが、私はちょっと残念な気がした。

「あ、えーっと……」
「………」
「ご、ごめん、桐原。さっきから俺、変なことしてるし言ってるしで……そろそろ先生来ちまうし、俺席に戻るわ! じゃあな!」
「あっ、せ、芹澤……」

 芹澤は早足に席へ戻ってしまった。
私は呼びとめようと手を伸ばすも時すでに遅し、芹澤に届く前に空振ってしまった。

 私の頭には、芹澤の手の感触がまだ残っている。
何だか、暖かかった。元気のない私を、優しく慰めてくれているようで。
他人が自分にしてくれることであんなに心地良く感じるものもあるんだ、と思った。

 芹澤が私の頭に手を乗せてくれた時のことを回想する。
私の胸が、とくんと高鳴ったような気がした。
もう一度してほしい。まるで私がそう考えているかのような気さえした。

(……なんなのだろう、これは)

 今まで感じたことのない感情、感触。私は不思議でままならなかった。
私はこの感情を知らない。何で、芹澤にあんなことをされただけでこのような感情を抱いたのかすら、わからない。

 だけど、わかったことは一つある。
芹澤のお陰で、私のやる気が漲ってきたような気がするのだ。
あの暖かな感触を、表現したい。
絵で表現するならば柔らかな絵で、小説で表現するならば優しい文章で。

 久々に、本格的に湧いてきた創作意欲。
この意欲が切れないうちに、と私はルーズリーフと向き合いペンを持った。
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