夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第六章

第十話 忍び寄る…

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「──っていうわけなんだけど……」


 影人さんが一通り語り終えると、重いため息をつく。二人がキスをしている……ように見えたのは、ボクの立ち位置から見て「そう見えた」だけだった……らしい。

「じゃあ、キスしてた~っていうのは不破君の見間違いってこと?」
「そういうこと。顔とかベタベタ触られて正直気持ち悪かったけど、キスはされてない」
「……ホントにしてないのね?」
「してないって……さっきから言ってるでしょ。俺がしたいのは蛍だけだよ」
「さりげに惚気てんじゃないわよクソ崎」

 しれっと爆弾発言をした影人さんに、黒葛原つづらはらさんが平手を打つ。影人さんの背中から、トンッといい音が鳴った。

 ……そんな言葉を聞いて、少し安心したのだろうか。先ほどまで胸に重くのしかかっていた不安や悲しみが、ほんのすこし軽くなった気がする。
ほっと一息つくと、影人さんがゆっくりと歩み寄り──ボクの頭に手を伸ばす。

「まぁ、でも……不安にさせてごめん」

 影人さんの手が、ボクの髪を優しく撫でる。その感触に、絶望感のようなもので覆われていた心がじわじわと軽くなって──暖かいものがこみ上げてくる。

それは涙という形で目から溢れ出した。

「なんでまた泣くの……」
「し、仕方ないじゃないですか! 本当にびっくりしたんですから……」
「あーあーあー!! まーーったく見せつけてくれるわねこの二人は~!!」
「あ、あはは……まぁ、仲良しなのはいいことなんだけどね。その……や、やっぱり二人って”そういう関係”なの?」

 気付いたら影人さんばっかり見ていたところに、黒葛原つづらはらさんと窓雪さんがツッコミを入れる。……そういえば、二人にははっきりとボクらのことを伝えてなかった気がする。
特に、窓雪さんは分かっていない……かもしれない。黒葛原つづらはらさんは、最初から分かっていた節があるけれど。

「あ、……えぇと、その、すみません。隠してたつもりはないんですけど……」
「付き合ってるよ、俺ら」
「えぇーーっ!? やっぱり美影みえちゃんの睨み通りだったんだね!?」

 なんて言おうか迷っていたボクの横で、影人さんがしれっと爆弾を落とした。……嘘ではないとはいえ、もう少し心の準備というものをさせてほしい。

 ちょっと、と抗議をするボクの目線など目もくれず、彼はマスクの下でべらべらと喋り始める。

「まぁ、付き合ってるどころかやることはやったからね。あとは婚姻届出せばい」
「シャラーーーーーップ!!!!!」

 マスクの下の口が、立板を流れる水のごとく要らんことまで流し始めた。最後まで言い切られる前に、急いで手で蓋をした。

 確かに間違ってはいない、間違ってはいないのだが……言い方というものがあるだろう。

 影人さんのかなりストレートな言葉に窓雪さんは顔を赤らめているし、黒葛原つづらはらさんは呆れたようなため息をついている。

 ……なんとも言えない沈黙が流れてしまった。

「オタク共が「リア充」死ねって言いたくなる気持ち、今ならめっちゃ分かるわ……」
「僻み?」
「僻みじゃないわよ! ったく、今回は不破君の見間違いで済んだから良かったけど、ガチの修羅場だったらこんなもんじゃなかったんだからね」

 呆れたように目を細めながら、ビシッと指を差す。そんな彼女に、影人さんはいつも通りの無表情のまま「まぁ、うん……」と目を伏せる。

 ……あまり想像したくはないけれど、事によっては確かに「修羅場」になっていた可能性だってある。

 もしそうだったとしたら――ボクの情緒もこれくらいじゃ済まなかっただろう。

「ま、まぁ……とりあえず、これで一件落着、かな?」
「……はい、二人ともすみません。こんな時間まで付き合わせてしまって」
「別にいいわよ。いつの間にか修羅場真っ最中でした~って状況でこっちが気まずくなるよりマシだし」

 窓雪さんは相変わらずやんわりと苦笑を浮かべ、黒葛原つづらはらさんはそっぽを向いて言う。巻き込んでしまったのは申し訳なかったけれど、この二人がいなかったら今日のうちに話し合うことはできなかった。

 特にありがたかったのは、黒葛原つづらはらさんだ。最初こそ驚いたけれど、彼女が踏み込んでくれなかったら影人さんから真実を聞き出すこともできなかっただろう。感謝してもしきれない、とはまさにこのことだ。


「ケイちゃん、一件落着したところで帰りましょ。これ以上遅くなると、見回りの先生にどやされるわ」
「あ、うん。そろそろ帰らないと親も心配するかも……。不破君、黒崎君、また明日ね!」

 カバンを持ち上げ、窓雪さんと黒葛原つづらはらさんさんが食堂を出る。ボクは「ありがとうございました!」と礼を述べながらその背を見送った。

「………」
「………」

 女子二人が立ち去った後の食堂は、しん……と静まり返っている。気付けばもう、時計の針は夕方の5時過ぎを指していた。そろそろ部活をしている人たちも帰る時間だ。
校庭から聞こえていた声も気づけば聞こえない。窓の外を見れば、エナメルバッグを抱えた部活動組がぞろぞろと校門の外へと歩いている。

「……蛍、俺たちも行こうか」
「あ、はい」

 影人さんに促され、ボクたちも立ち上がる。少しだけ、先ほどよりも足取りが軽くなった気がした。
ほとんどの生徒が出て行った校庭を歩き、学校の外へ出る。さも当たり前のような流れで繋がれた手の温度に、思わず顔が熱くなる。


『俺がしたいのは蛍だけだよ』


 お金のために誰とでも「ああいうこと」をしていた影人さんが、「蛍だけ」とはっきり言ってくれたこと。それは純粋に嬉しくて、心の底から安心できるものだった。
影人さんは、人に媚びることはしない。良くも悪くも好き嫌いがはっきりしている彼だ、理由もなく知らない人とキスなんてするわけがない。
それに、今は三栗谷先生と一緒だからお金に困ることもないはずだ。昔のような援助交際だって、もう必要はないだろう。

 だから、あれもただの見間違い。影人さんの手に触れて、気持ちも落ち着いたところで、ようやくそう確信できた。
影人さんは、他の誰かに目移りなんてきっとしないだろう。そんな確信は持てるのだけれど──


「……ねぇ、蛍」
「はい? どうしました?」

 少し街中を歩いたところで、影人さんが足を止める。ボクもそれに続き足を止め、影人さんを見た。

「……今度のライブでさ、俺ボーカルやるかもしれないんだよね」
「え? そうなんですか、珍しい」
「うん。……ちょっと、練習に付き合ってくれない? あそこで」

 そう言いながら影人さんが指差したのは、今いる場所から近くにあるカラオケボックスだった。
少し狭めの駐車場の中、ぽつんと建っている。車の数もそこまで多くはなく、ボクら二人の部屋くらいは多分空いているだろう。

「 随分急ですね……まぁ、叔父さんたちには連絡しておきますし、いいですよ」
「ありがと」

 ボクの手を引っ張るように先を歩き、カラオケボックスの中へと入っていく。
影人さんと寄り道は何度かしたことはあるけれど、カラオケボックスに入ったことなんて今まで一度もなかった。

 彼は音楽の時間でさえ歌わず、合唱ともなれば周りの声でかき消されてしまうくらいには手を抜いている。そもそも歌うのは好きではなさそうだった。

 そんな彼がボーカルをするだなんて、本当に珍しい話だ。確かベースをやっていると聞いたが、我孫子あびこさんが引退でもするのだろうか?

 しかし、今日の今日だ。さっそく影人さんと帰り道にデートができるなんて、こんなに嬉しいことはない。
胸を弾ませながら、影人さんの歌声に期待を膨らませていた。










「………」


 ──背後に忍んでいた黒髪の影に、ボクだけが気づかずに。
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