夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第五章 番外編 影を産んだ女の話

第十一話 元通り

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 ……そこから先は、もう殆ど覚えていない。
影人が他の女に盗られたこと――ただそれがすごく悲しくて、子どものようにたくさん泣き叫んで……。
気がついたら兄さんが来ていて、そのまま家まで送り返されていた。


「……本当は、もっと主とおしゃべりがしたかったがの」


 影人と再会して三日も経たないうちに、また元通り。
私の隣には影人じゃなく兄さんがいて、退院当日と同じようにハンドルを握っている。
心地よい揺れと車内に流れる洋楽に身を委ねながら、私はじっと窓の外を眺めていた。

(…………)

 見慣れた風景も、これで見納めだ。
せっかく戻ってきた実家の部屋も、ようやく出会えた影人の顔も……もう、見ることはできない。
彰人あきひとさんなんて、遠目から顔を見ることすら叶わないまま。

 何も得ることのないまま、病室あのへやに戻されてしまう。泣いても怒っても、私に拒否権はない。
何せ医者との約束を破ったのだ、今後は外出すら許されないかもしれない。

「……面会には変わらず来る、主をひとりぼっちにさせるつもりはないから安心しておくれ」
「うん、ありがとう……」

 信号待ちで止まった瞬間、兄さんの左手が私の頭を撫でる。ほんの一瞬だけ向けられた顔は、昔と変わらない優しい笑顔だ。

 この数十年、一切変わることのない兄さんの優しさ。兄さんだけは、ずっと変わらず私を愛してくれている。

 たった一つでも変わらないものがあること――私はそれで満足するべきかもしれない。



 ……それなのに。




影都けいとちゃんのこと、大好きだよ』

影都けいとちゃんと、もっと一緒にいたいんだ』


影都けいと



 ……この体は、この心は、
今もなお、彰人あきひとさんを求めている。


 諦められない。


 彰人あきひとさんと愛し合った幸せ。
影人が産まれて彰人あきひとさんと家族になれた幸せ。
影人と彰人あきひとさんのためにたくさん頑張った日々の記憶。
影人と二人で過ごした幸せな日々……。


 走馬灯のように脳裏を過ぎる思い出たちが、私の心臓をぎゅっと掴んでいく。



彰人あきひとさん、影人)

(私、また三人で暮らしたいよ)


 私は病院にいて、影人は一人で暮らしていて、……彰人あきひとさんは、行方知れず。
いつまでこんな日々が続くんだろう。私が思い描いていた幸せは、一体どこ?


 ぼーっと窓の外を眺める私の頬に、冷たいものが伝う。


「……すまぬな、影都けいと
「…………」

 ぽんぽん、と軽く撫でるように叩いた後、兄さんの手がハンドルに戻る。信号の色が変わったようだ。

 兄さんの手だって、彰人あきひとさんに負けず大きくて温かい。撫でてもらえると、本当に心が穏やかになる。

 こんなにも優しい体温が、ずっと変わらず私を想い続けている。
……幼い頃から、私の支えになっていたはずなのに。

彰人あきひとさん……)

 心が紡ぐのは、いつだってあの人だ。
私は……わがままな女なのかもしれない。


「……本当なら、あの男のことなど忘れた方が――」


 寂しそうな顔を浮かべる兄さんに、私は聞こえないフリをする。
一眠りしようと目を閉じる中、窓の外に彰人あきひとさんに似た若い男の子が少しだけ見えた気がした――
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