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第五章 番外編 影を産んだ女の話
第五話 紡がれたモノ
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どうにか保っていた学力は下がり続け、稼いだお金も泡のように消えていく。それでも私は幸せだった。
アキラさんとの時間を作れるなら。大好きなアキラさんに愛してもらえる時間が手に入るなら、なんでも犠牲にできた。
アキラさんのためなら、きっと私は死ぬことすらできるかもしれない。
初めてのアフター以降、私はアキラさんと何度もデートを重ねては一夜を共にした。
アキラさんと恋人同士になっても、アキラさんと会えるのは夜だけ。
私は学校、アキラさんは昼間はお休み。オフの日も全く合わず、気分はまるで織り姫と彦星のよう。
だからこそ、他の担当のババアが邪魔をしてくるのも変わらない。そして、仕事とはいえその人たちに笑顔を向けるアキラさんの姿を見ては、抑えきれないほどの激情が体の芯から湧き上がっていた。
(絶対、あんなババアどもには負けない)
(私が、私がアキラさんの一番なんだから!)
営業終了後のアフターが、私にとっての勝負。
彰人さんを、私だけの彰人さんにしたい。この人と結婚して、ずっと傍にいるんだ。
アキラさんとのデート中も、心の奥底には固い決意を秘めていた。
「彰人さん……私、もう我慢できない……」
「そうみたいだねぇ。影都ちゃんのココ、ずっとヒクヒクしてる。俺が欲しくてたまらないって言ってるみたいだ」
「んッ……うん、だから……来て?」
傍に置いてあった避妊具を取り、彰人さんに手渡した。
彰人さんはセックスの時、うっかり私を妊娠させないようにといつも避妊具をつけてくれていた。
心遣いは嬉しい。……でも、私としては少し残念だ。
(アキラさんの子どもなら、喜んで産むのに)
── アキラさんの全てが欲しい。
アキラさんのモノを、そのまま受け入れたい。
避妊具なんて他人行儀な気遣いじゃなく、欲望をそのままぶつけてほしい。
「ッ、アキラさんッ、……ナカ、出して……」
「うんッ……!」
肌がぶつかり合う音とお互いの息遣いが、室内に響く。
今ではこの時間が何より幸せで──
(上手く……上手く、いきますように……)
──今夜は、私にとっての"賭け"の時でもあった。
◇ ◇ ◇
「……今、なんて?」
あの夜から数週間──私の体に、もう一人分の命が宿った。
それが判明したのは、こうしてアキラさんに報告する三日前のことだ。
あの夜にセックスをしてから生理がまったく来なくなり、まさかと思って検査薬を使ってみたら……なんていう、お決まりの流れだ。
青ざめた顔の兄さんに連れて行ってもらった産婦人科でも診断され、きっちりとお墨付きをもらっている。
「もう一回言うね? アキラさんと私の子どもがね、できたの! 今、このお腹の中にいるのよ!」
自分のお腹をさすりながら、アキラさんにもう一度伝える。
愛するアキラさんと私のカケラが結ばれ、そして紡がれた小さな命。私にとってずっと望んでいた、大きな希望だ。
「マジかよ……避妊はちゃんとしてたはずなのに……!」
私が妊娠したと聞いた兄さんと同じように、青ざめた表情のアキラさん。困惑したような、絶望したような……見ただけでも「嬉しくない」と分かる、そんな表情を浮かべていた。
どうしてだろう。私のこと、アキラさんだって「大好き」って言ったはずなのに。
「私、アキラさんと結婚したいってずっと思ってたわ。アキラさんと家族になりたい……アキラさんと一緒にいる間、そればっかり考えてた」
「…………」
「もちろん、アキラさんとの赤ちゃんも欲しいって思ってたの。だからね、こうして本当に赤ちゃんが出来て私は嬉し──」
──アキラさんが、私を力強く引き寄せる。
その顔に貼られてあるのは、いつもの微笑みではなく
「……ろせ」
「え?」
「そのガキを今すぐ堕ろせ、影都」
……化け物に追われてるかのような、焦燥と恐怖に駆られた表情を浮かべていた。
今、彼は何と言っただろうか。
私の耳が聞き違えてなければ、「堕ろせ」と言っていたような──
(堕ろ……す?)
堕ろす──堕胎、中絶、人工死産。それ即ち、赤ん坊を殺す行為だ。
……つまり、私がアキラさんに望まれているのは。
(アキラさんと私の血が通った子を……いなかったことにする……?)
私たちの間にある絆の糸を、切られようとしている。
そう想った瞬間、私の心も体も、一瞬にして冷たくなって。
──愛するアキラさんの言葉を、初めて否定したくなった。
(やっと、やっとここまで進むことができたのに……?)
あの夜、私はこっそり穴を開けた避妊具を渡し──その上で、私のナカにアキラさんの種を出してもらった。
僅かでも私の子宮に届いてくれれば、アキラさんと私の間を結ぶ大切な存在ができる。そう信じていたのだ。
ただ、出してもらったからといって必ず出来るわけじゃない。しかも、避妊具という邪魔なものがある。だからこそ、あの夜は"賭け"だった。
あの時は避妊具に穴を開けたこともバレず、運良く最後まで彼とセックスをすることができた。けれど、これから先も同じ手が通用するとは限らない。
「俺はまだ誰かと結婚する気なんてないし、誰かの父親になるつもりだってない。ようやくここまで登りつめられたんだ、こんなことで全部台無しにされたくない」
──アキラさんは、大人気のホストだ。私以外にもアフターを一緒に過ごしている女はいるかもしれない。
ああやって抱いてもらっている女も、ごまんといる可能性だってある。
もし、そうだとしたら。
きっと、私以外の女が、その腹にアキラさんとの子どもを……
……そんなの……
「それに、男なら俺の他にもいるだろ。女に貢いでもらうホストなんかより、影都のことをもっと幸せに出来る奴がいるはずだ。だから」
「イヤ!」
アキラさんの言葉に、私はとうとう首を横に振った。
頭の中に浮かんでは消える、想像するも恐ろしい情景。それらを振り払いながら、アキラさんの懐に飛び込む。
「さっきも言ったでしょう? 私はアキラさんとずっと一緒にいたい! だから、絶対堕ろしたくない! この子だって、アキラさんがパパならきっと嬉しいはず」
「はぁ? まだ産まれてもねぇガキのことなんざ知らねえよ! 中絶費用なら俺が全額出してやっから、病院行ってとっとと堕ろせ!」
「それだけは絶対にイヤよ! 私は絶対この子を産む! アキラさんと家族になって、アキラさんとずっと一緒にいるの! 他の女に貴方を渡したくない!!」
二人でいるには少し狭い、アキラさんのワンルームに響く声。きっと、お隣さんは迷惑しているかもしれない。
けれど、知らない他人のことまで気遣える余裕なんて私には無かった。きっと、アキラさんにも無かった。
ここで私が折れたら、私の夢は潰える。
長い時間をかけて築いてきたアキラさんとの絆も、今までのことも、全部、全部、空白に戻されてしまう。
私を愛してくれる素敵な人が、私がこれほどまでに焦がれた人が……私の前からいなくなる。
考えるだけでもおぞましい。この人を失ったら、私はまた地獄に逆戻りだ。
「いい加減にしろクソアマ! ちょっと優しくしてやったからって調子に乗ってんじゃねぇよ!!」
アキラさんと距離が離れ、背に痛みが走る。
アキラさんの腕は、私を抱きしめ返してはくれなかった。
「お前みたいな面倒くせぇ女と家族? まっぴらゴメンだよ!!」
アキラさんの目に、いつもの優しい光はない。敵を威嚇する獣のような、鋭い眼光が私をひどく突き刺している。
縋った手に残った温もりは、あんなにも温かかったのに。
彼が吐く言葉も、彼の表情もドライアイスよりずっと痛くて──何よりも冷たい。
今まで見たことのないアキラさんの姿に、この体は震えていた。
いくら好きな人でも、こんなに酷いことを言われて傷つかないわけはない。私だって、心を持った人間なのだ。
「大好きだよ」と囁いてくれた口は、ずっと私を罵って。私を包んでくれた手は、今にも私を殴りそうなほど強く拳を握りしめている。
こんな一面があるなんて知ったら、きっと大半の女は離れていくのかもしれない。
でも、私は……三栗谷 影都は、違う。
「……なら」
アキラさんが大好き、彼とずっと一緒にいたい。
アキラさんとの時間で強く育った決意。それを抱く私の中に、彼を手放す選択肢は無い。
私は再度立ち上がり、アキラさんとは正反対の位置にある台所に向かった。
「私、ここで死ぬわ」
包丁を手に取り、自分の喉元に向けて告げる。
……その瞬間、アキラさんの表情が大きく変わった。
「はぁ!? いきなり何言ってんだよ!!」
「だって、私には貴方しかいない!! 私をこんなに愛してくれたのも、こんなに好きになれるのも、アキラさんだけなの!!」
アキラさんに選ばれないなら、私の人生に意味なんてない。
アキラさん以外の男と結ばれろと言うなら、アキラさん以外の男と子を成せというなら──それは、私に「一生地獄を歩いて生きろ」と言うようなものだ。
アキラさんと一生一緒にいられる子どもを、殺したくない。手放したくない。
この子さえいてくれれば、私はアキラさんとずっと繋がっていられる。最愛のアキラさんと愛し合った証が、永遠にこの世界に残り続ける。
すなわち、それが私にとっての生きる希望。たった一つだけ残された、私の生きる意味。
「私、アキラさんのためならなんだって頑張る! お金だって頑張って稼ぐ、料理だってお掃除だって、お洗濯だって……なんでも頑張る! アキラさんさえいてくれれば、私は幸せなの!」
「……」
「私にとってはアキラさんが全てなの!! アキラさんがいないなら生きてたってなんの意味もない!! だから、アキラさんに捨てられるくらいなら、私はここで──」
「わかったよ!! 籍入れてやるよ!!」」
アキラさんに捨てられるくらいなら、私はここで死んでやる──そう、言いかけた時だった。
突然アキラさんの口から出たのは、承諾の言葉。包丁を持つ手の力が、思わず緩くなる。
「……え?」
「だから! 結婚してやりゃいいんだろ!? だから死ぬだなんだガタガタ騒ぐんじゃねぇ!!」
「ほ……本当!? 本当に結婚してくれるの!?」
包丁を投げ捨て、アキラさんに駆け寄る。アキラさんは私を見下ろすだけで、さっきと変わらず抱きしめてはこない。
幾分、目から敵意も消えた気はするが、それでも少し冷たさは残っている。
「何度も言わせんなよめんどくせぇな……次の休みまでに婚姻届持ってこい」
「……うん! 早いうちに持って行くね!」
「間違っても店には持ってくんなよ!? 持ってきたら死のうがなんだろうが結婚の話はナシにするからな!!」
「わかったわ、おうちにいる時に持って行けばいいのね!」
ため息をつきつつ、呆れたように話すアキラさん。一時はどうなるかと思ったけれど、ようやく結婚を受け入れてくれて良かった。
……私は、あのクソババアどもに勝った。
彼は「みんなのアキラさん」から、「三栗谷 影都のアキラさん」になった!
密かに沸いた優越感と達成感に、にやけが止まらない。私は、ようやくここから幸せになれるんだと楽しみでならなかった。
(……これで、私たちは明日から夫婦)
(私の人生は、ここから始まるんだ!)
数日後、役場に届けた書類には「黒崎 彰人」と「三栗谷 影都」の名が幸せそうに隣り合っていた──。
アキラさんとの時間を作れるなら。大好きなアキラさんに愛してもらえる時間が手に入るなら、なんでも犠牲にできた。
アキラさんのためなら、きっと私は死ぬことすらできるかもしれない。
初めてのアフター以降、私はアキラさんと何度もデートを重ねては一夜を共にした。
アキラさんと恋人同士になっても、アキラさんと会えるのは夜だけ。
私は学校、アキラさんは昼間はお休み。オフの日も全く合わず、気分はまるで織り姫と彦星のよう。
だからこそ、他の担当のババアが邪魔をしてくるのも変わらない。そして、仕事とはいえその人たちに笑顔を向けるアキラさんの姿を見ては、抑えきれないほどの激情が体の芯から湧き上がっていた。
(絶対、あんなババアどもには負けない)
(私が、私がアキラさんの一番なんだから!)
営業終了後のアフターが、私にとっての勝負。
彰人さんを、私だけの彰人さんにしたい。この人と結婚して、ずっと傍にいるんだ。
アキラさんとのデート中も、心の奥底には固い決意を秘めていた。
「彰人さん……私、もう我慢できない……」
「そうみたいだねぇ。影都ちゃんのココ、ずっとヒクヒクしてる。俺が欲しくてたまらないって言ってるみたいだ」
「んッ……うん、だから……来て?」
傍に置いてあった避妊具を取り、彰人さんに手渡した。
彰人さんはセックスの時、うっかり私を妊娠させないようにといつも避妊具をつけてくれていた。
心遣いは嬉しい。……でも、私としては少し残念だ。
(アキラさんの子どもなら、喜んで産むのに)
── アキラさんの全てが欲しい。
アキラさんのモノを、そのまま受け入れたい。
避妊具なんて他人行儀な気遣いじゃなく、欲望をそのままぶつけてほしい。
「ッ、アキラさんッ、……ナカ、出して……」
「うんッ……!」
肌がぶつかり合う音とお互いの息遣いが、室内に響く。
今ではこの時間が何より幸せで──
(上手く……上手く、いきますように……)
──今夜は、私にとっての"賭け"の時でもあった。
◇ ◇ ◇
「……今、なんて?」
あの夜から数週間──私の体に、もう一人分の命が宿った。
それが判明したのは、こうしてアキラさんに報告する三日前のことだ。
あの夜にセックスをしてから生理がまったく来なくなり、まさかと思って検査薬を使ってみたら……なんていう、お決まりの流れだ。
青ざめた顔の兄さんに連れて行ってもらった産婦人科でも診断され、きっちりとお墨付きをもらっている。
「もう一回言うね? アキラさんと私の子どもがね、できたの! 今、このお腹の中にいるのよ!」
自分のお腹をさすりながら、アキラさんにもう一度伝える。
愛するアキラさんと私のカケラが結ばれ、そして紡がれた小さな命。私にとってずっと望んでいた、大きな希望だ。
「マジかよ……避妊はちゃんとしてたはずなのに……!」
私が妊娠したと聞いた兄さんと同じように、青ざめた表情のアキラさん。困惑したような、絶望したような……見ただけでも「嬉しくない」と分かる、そんな表情を浮かべていた。
どうしてだろう。私のこと、アキラさんだって「大好き」って言ったはずなのに。
「私、アキラさんと結婚したいってずっと思ってたわ。アキラさんと家族になりたい……アキラさんと一緒にいる間、そればっかり考えてた」
「…………」
「もちろん、アキラさんとの赤ちゃんも欲しいって思ってたの。だからね、こうして本当に赤ちゃんが出来て私は嬉し──」
──アキラさんが、私を力強く引き寄せる。
その顔に貼られてあるのは、いつもの微笑みではなく
「……ろせ」
「え?」
「そのガキを今すぐ堕ろせ、影都」
……化け物に追われてるかのような、焦燥と恐怖に駆られた表情を浮かべていた。
今、彼は何と言っただろうか。
私の耳が聞き違えてなければ、「堕ろせ」と言っていたような──
(堕ろ……す?)
堕ろす──堕胎、中絶、人工死産。それ即ち、赤ん坊を殺す行為だ。
……つまり、私がアキラさんに望まれているのは。
(アキラさんと私の血が通った子を……いなかったことにする……?)
私たちの間にある絆の糸を、切られようとしている。
そう想った瞬間、私の心も体も、一瞬にして冷たくなって。
──愛するアキラさんの言葉を、初めて否定したくなった。
(やっと、やっとここまで進むことができたのに……?)
あの夜、私はこっそり穴を開けた避妊具を渡し──その上で、私のナカにアキラさんの種を出してもらった。
僅かでも私の子宮に届いてくれれば、アキラさんと私の間を結ぶ大切な存在ができる。そう信じていたのだ。
ただ、出してもらったからといって必ず出来るわけじゃない。しかも、避妊具という邪魔なものがある。だからこそ、あの夜は"賭け"だった。
あの時は避妊具に穴を開けたこともバレず、運良く最後まで彼とセックスをすることができた。けれど、これから先も同じ手が通用するとは限らない。
「俺はまだ誰かと結婚する気なんてないし、誰かの父親になるつもりだってない。ようやくここまで登りつめられたんだ、こんなことで全部台無しにされたくない」
──アキラさんは、大人気のホストだ。私以外にもアフターを一緒に過ごしている女はいるかもしれない。
ああやって抱いてもらっている女も、ごまんといる可能性だってある。
もし、そうだとしたら。
きっと、私以外の女が、その腹にアキラさんとの子どもを……
……そんなの……
「それに、男なら俺の他にもいるだろ。女に貢いでもらうホストなんかより、影都のことをもっと幸せに出来る奴がいるはずだ。だから」
「イヤ!」
アキラさんの言葉に、私はとうとう首を横に振った。
頭の中に浮かんでは消える、想像するも恐ろしい情景。それらを振り払いながら、アキラさんの懐に飛び込む。
「さっきも言ったでしょう? 私はアキラさんとずっと一緒にいたい! だから、絶対堕ろしたくない! この子だって、アキラさんがパパならきっと嬉しいはず」
「はぁ? まだ産まれてもねぇガキのことなんざ知らねえよ! 中絶費用なら俺が全額出してやっから、病院行ってとっとと堕ろせ!」
「それだけは絶対にイヤよ! 私は絶対この子を産む! アキラさんと家族になって、アキラさんとずっと一緒にいるの! 他の女に貴方を渡したくない!!」
二人でいるには少し狭い、アキラさんのワンルームに響く声。きっと、お隣さんは迷惑しているかもしれない。
けれど、知らない他人のことまで気遣える余裕なんて私には無かった。きっと、アキラさんにも無かった。
ここで私が折れたら、私の夢は潰える。
長い時間をかけて築いてきたアキラさんとの絆も、今までのことも、全部、全部、空白に戻されてしまう。
私を愛してくれる素敵な人が、私がこれほどまでに焦がれた人が……私の前からいなくなる。
考えるだけでもおぞましい。この人を失ったら、私はまた地獄に逆戻りだ。
「いい加減にしろクソアマ! ちょっと優しくしてやったからって調子に乗ってんじゃねぇよ!!」
アキラさんと距離が離れ、背に痛みが走る。
アキラさんの腕は、私を抱きしめ返してはくれなかった。
「お前みたいな面倒くせぇ女と家族? まっぴらゴメンだよ!!」
アキラさんの目に、いつもの優しい光はない。敵を威嚇する獣のような、鋭い眼光が私をひどく突き刺している。
縋った手に残った温もりは、あんなにも温かかったのに。
彼が吐く言葉も、彼の表情もドライアイスよりずっと痛くて──何よりも冷たい。
今まで見たことのないアキラさんの姿に、この体は震えていた。
いくら好きな人でも、こんなに酷いことを言われて傷つかないわけはない。私だって、心を持った人間なのだ。
「大好きだよ」と囁いてくれた口は、ずっと私を罵って。私を包んでくれた手は、今にも私を殴りそうなほど強く拳を握りしめている。
こんな一面があるなんて知ったら、きっと大半の女は離れていくのかもしれない。
でも、私は……三栗谷 影都は、違う。
「……なら」
アキラさんが大好き、彼とずっと一緒にいたい。
アキラさんとの時間で強く育った決意。それを抱く私の中に、彼を手放す選択肢は無い。
私は再度立ち上がり、アキラさんとは正反対の位置にある台所に向かった。
「私、ここで死ぬわ」
包丁を手に取り、自分の喉元に向けて告げる。
……その瞬間、アキラさんの表情が大きく変わった。
「はぁ!? いきなり何言ってんだよ!!」
「だって、私には貴方しかいない!! 私をこんなに愛してくれたのも、こんなに好きになれるのも、アキラさんだけなの!!」
アキラさんに選ばれないなら、私の人生に意味なんてない。
アキラさん以外の男と結ばれろと言うなら、アキラさん以外の男と子を成せというなら──それは、私に「一生地獄を歩いて生きろ」と言うようなものだ。
アキラさんと一生一緒にいられる子どもを、殺したくない。手放したくない。
この子さえいてくれれば、私はアキラさんとずっと繋がっていられる。最愛のアキラさんと愛し合った証が、永遠にこの世界に残り続ける。
すなわち、それが私にとっての生きる希望。たった一つだけ残された、私の生きる意味。
「私、アキラさんのためならなんだって頑張る! お金だって頑張って稼ぐ、料理だってお掃除だって、お洗濯だって……なんでも頑張る! アキラさんさえいてくれれば、私は幸せなの!」
「……」
「私にとってはアキラさんが全てなの!! アキラさんがいないなら生きてたってなんの意味もない!! だから、アキラさんに捨てられるくらいなら、私はここで──」
「わかったよ!! 籍入れてやるよ!!」」
アキラさんに捨てられるくらいなら、私はここで死んでやる──そう、言いかけた時だった。
突然アキラさんの口から出たのは、承諾の言葉。包丁を持つ手の力が、思わず緩くなる。
「……え?」
「だから! 結婚してやりゃいいんだろ!? だから死ぬだなんだガタガタ騒ぐんじゃねぇ!!」
「ほ……本当!? 本当に結婚してくれるの!?」
包丁を投げ捨て、アキラさんに駆け寄る。アキラさんは私を見下ろすだけで、さっきと変わらず抱きしめてはこない。
幾分、目から敵意も消えた気はするが、それでも少し冷たさは残っている。
「何度も言わせんなよめんどくせぇな……次の休みまでに婚姻届持ってこい」
「……うん! 早いうちに持って行くね!」
「間違っても店には持ってくんなよ!? 持ってきたら死のうがなんだろうが結婚の話はナシにするからな!!」
「わかったわ、おうちにいる時に持って行けばいいのね!」
ため息をつきつつ、呆れたように話すアキラさん。一時はどうなるかと思ったけれど、ようやく結婚を受け入れてくれて良かった。
……私は、あのクソババアどもに勝った。
彼は「みんなのアキラさん」から、「三栗谷 影都のアキラさん」になった!
密かに沸いた優越感と達成感に、にやけが止まらない。私は、ようやくここから幸せになれるんだと楽しみでならなかった。
(……これで、私たちは明日から夫婦)
(私の人生は、ここから始まるんだ!)
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