夜影の蛍火

黒野ユウマ

文字の大きさ
上 下
119 / 190
第五章 番外編 影を産んだ女の話

第一話 理想なんてクソくらえ

しおりを挟む
 理想なんてクソくらえ。
今までの人生を一言で綴るとすれば、きっとそんな11文字。

 これは、母親になれなかった哀れな女の話。
黒崎 影人をこの世に産み落とした女──「黒崎 影都けいと」が歩んできた過去の話だ。









 父親は町一番の総合病院の院長、母親は副院長。親戚一同も同じく何かしら医療の資格を持ち、個人で病院を受け持っている。
家は一般家庭のそれより大きく豪勢で、誰が見ても「お金持ち」と思わせるような立派な建物。

 高嶺に咲く花のように、天から差す光のように。
誰もが羨み尊敬するようなエリート一家。「三栗谷」の肩書きを持つ人は、みんな立派なお医者さん。

 兄さん──三栗谷 平司と私は、そんな立派な医者の家系に生まれた。





ある時は、『花屋さんになって、綺麗なお花でみんなを幸せにしたい』

ある時は、『アイドルになって、色んな人を元気にしたい』

ある時は、『アニメのヒロインになって、悪いやつらとやっつけて、世界を平和にしたい』


 世の中のことが右も左もわからない幼な子の時代、私は色んな夢を頭の中で描いていた。


 けれど、ひとたびそれを主張をすれば「非現実的だ」「いつまでも夢見がちなことを言うな」と、頭ごなしに否定される。

「お前たちには、いつか私の病院を継いでもらいたい」
「たくさん勉強して、立派なお医者さんにならないとね」

 口癖のように、私たちにそう言い聞かせてきた父と母。
「三栗谷」に生まれた以上、医者の道に進む以外の選択肢は許されていなかった。


影都けいと、大丈夫。影都の夢は、悪い夢じゃない』
『お兄ちゃん……』
『医者なら、僕がなればいいんだから。影都けいとは夢を見てもいいんだよ』

 私も兄さんも、二人が敷いたレールの上を黙って歩かされるばかり。
だからこそ、兄さんは……兄さんだけは、私のことを家族として純粋に愛してくれていた。


『僕が立派な医者になったら、きっと影都けいとのことも助けてあげられる。だから、頑張るよ』

 兄さんのそんな言葉が、私にとって唯一の希望だった。


 ──たった一つの、いつ千切れるか分からないほど、ささやかな。






◇ ◇ ◇







影都けいと
「……ごめんなさい……」

 ── 17歳の冬。
しかめっ面をする父親と母親の前に、一人正座をさせられる私。

 高校三年生の一大イベントといえば、進学先を決める「受験」か、就職先を決める「就活」。
私が挑んだ──否、挑まされたのは「受験」だ。

 テレビでもたびたび紹介されるほどの、有名な医療大学。両親や親戚の母校であり、必ずと言っていいほど通らなければいけない道だ。
兄さんも一昨年の春に見事合格を勝ち取り、今も好成績を収めている。

「……どうするんだ、この大事な時期に。浪人なんてしたら、世間に顔向けができないじゃないか」
「………」
「……まだ遅くないわ。私たちが信頼できる大学を探しておくから、影都けいとは勉強を続けなさい。次は失敗しないこと、いいわね?」
「……はい」

 不良品を見るかのような、冷徹な目。
言いたいことはわかる。彼らは私を「落ちこぼれ」「恥さらし」と言いたいのだ。

 町一番の病院の院長・副院長の娘が、浪人生。そんなの、二人のプライドが許さないだろう。
ましてや、兄さんが彼らの思惑通りに動いてくれているのだ。だからこそ、私へのプレッシャーも余計に重くのしかかってくる。


 ……正直、私は勉強が得意じゃない。元からバカなんじゃないかというくらい、知識を身につけるのに人一倍の苦労をしている。
今通っている女子校だって、必死に勉強して勉強して、これでもかと知識を頭に詰め込んで──体を壊すくらい努力して、ギリギリ合格した程度だ。
高い偏差値に設定された進学校は基本的に授業のレベルも高く、追いつくだけでも精一杯。毎日、気の休まる暇がなかった。


(私だって、頑張ってるつもりなのに)


 高校でさえ息が切れそうなのに、さらに上の大学を目指せと両親は言う。
頑張れだとか、もっと上を目指せだとか。言うだけなら簡単だ。

 ── それも、私と違って頭のいい両親ふたりなら。
 



(私がどれだけ音を上げながら勉強してると思ってるんだ)



 家のことは家政婦に任せっきりで、自分たちは医者としての仕事ばかり。
小さい頃から傍にいてくれたことなんて、指で数えられる程度だ。

 授業参観だって、二人は一度も来たことがない。たまに兄さんが来てくれてたけれど、いつだって惨めな思いをしていた。

 普段私や兄さんがどうやって過ごしてるかだって、二人は全然知らない。
いつも二人が見ているのは「結果」だけ。兄さんは成績優秀、私は成績不振のバカとしか見られてないだろう。

 期待ばかりを上乗せして、本当の私を見ようとしない。
私のことより世間体を気にする両親に、もはや愛なんて感じられなかった。








(私はあの人たちの「子ども」じゃない)


(家柄を綺麗に彩るために操られてる「お人形」なんだ)



 ぷつりぷつりと、私の中で何かが切れていく。
必死に繋ぎ止めていた何かが、音を立てて崩れていく。





『僕が立派な医者になったら、きっと影都けいとのことも助けてあげられる。だから、頑張るよ』


 ──あぁ、兄さんがそう言ったこともあったっけ。

 兄さんは、今でも私を励ましてくれる。慰めてくれる。
きっと、あの言葉も嘘ではないんだろう。本当にお医者さんになったら、私を助けてくれるかもしれない。



(兄さんが、私を助けてくれる)



(……それって、いつ?)



 私の目の前はもう真っ暗だ。僅かな光すら、見えないほどの闇の中。
いつ叶うかわからない約束を糧にできるほど、私はもう強くなれない。






 これ以上 苦手な勉強ばかりさせられたら、


 これ以上 応えられない期待ばかり積み上げられてしまったら、





 私は、


 わたしは、




 ワ タ シ は ──── 。







しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ヤバいフェロモンが出ている♡

明星イツキ
BL
未知のウイルスが流行した世界。 ウイルスに罹った男性は、同性を発情させるフェロモンを出してしまう。 このお話は見た目はごく普通なのに、ウイルスに感染してフェロモンを出すようになった高校生の話。 とにかく、色んな男から襲われて、あんあん喘いでいる。 ※ア〇ル内に放尿とかエロ激しめなので、苦手な方はご注意ください。 【※男子妊娠や近親相姦の表現が出てきます。ご注意ください。】

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

エレベーターで一緒になった男の子がやけにモジモジしているので

こじらせた処女
BL
 大学生になり、一人暮らしを始めた荒井は、今日も今日とて買い物を済ませて、下宿先のエレベーターを待っていた。そこに偶然居合わせた中学生になりたての男の子。やけにソワソワしていて、我慢しているというのは明白だった。  とてつもなく短いエレベーターの移動時間に繰り広げられる、激しいおしっこダンス。果たして彼は間に合うのだろうか…

部室強制監獄

裕光
BL
 夜8時に毎日更新します!  高校2年生サッカー部所属の祐介。  先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。  ある日の夜。  剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう  気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた  現れたのは蓮ともう1人。  1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。  そして大野は裕介に向かって言った。  大野「お前も肉便器に改造してやる」  大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…  

とろとろ【R18短編集】

ちまこ。
BL
ねっとり、じっくりと。 とろとろにされてます。 喘ぎ声は可愛いめ。 乳首責め多めの作品集です。

新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~

焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。 美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。 スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。 これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語… ※DLsite様でCG集販売の予定あり

五人の調教師と一人の豚(僕) それぞれのイケメンに調教されまくる

天災
BL
 ゲイポルノビデオをこっそり兄の名義で借りていた僕。  ところが、ある日にとある男に見つかってしまい、「店員にチクらない変わりに言うことを聞け」と脅される。  そして、その男についていくと、そこにはその男を含めた5人のイケメンが。  僕は、これからその5人に調教されることに!?  調教系BL長編小説!!!

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

処理中です...