夜影の蛍火

黒野ユウマ

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※「夜影の蛍火」連載前に書いた短編です。
 いわばプロトタイプみたいなものなので、設定や関係性など本編と相違があります。















 もうそろそろ出ないとやばい。なんて、慌てて教科書をしまい始めた夕暮れ時。
テスト期間中は部活もなく、家に帰ったところで時間を持て余すばかりで。たまには図書室で勉強でもしようか、なんていうボクの提案のもと影人さんとボクは図書室でひたすらノートとにらめっこしていた。
……とはいっても、面倒くさいのか影人さんはたまに上の空になっていたけれど。

「英語は範囲が広くて面倒くさいですね~」
「国語も結構面倒だけどね。漢文とか」
「分かります、ボクもそれクッソ嫌い」

 ──校舎内に残っている生徒は速やかに下校してください。
そんな校内放送をBGMに、ボクと影人さんは荷物をまとめた鞄を持つ。
ボクら学生の時間はそろそろ終わりだと告げるかのように、空は橙色に終っていた。

「休みが明けたらテスト開始かぁ、気が重たいですねぇ影人さん」

 ひょいっと鞄を持ち上げて、図書室の出口へと足を進める。
──はずが、何故か動かない。

 ふと感じた手首の温もり、誰かに掴まれたかのような感覚。
後ろを振り向けば──眉間に皺を寄せた影人さんが、ボクの手首を掴んで、じっとボクを見ていた。

「ねぇ、蛍」
「……な、なんです?」
「何、これ」

 掴んだ手首を持ち上げて、ボクに「これ」を見せる。
── 俗に言う、ボクの「黒歴史」。何度も何度も刻んでは自然治癒した痛い過去。
中学時代、追いつめられるたびにつけてきた自傷の痕だ。

 油断した。今の時期は長袖で過ごせるから、隠し通せると思っていたのに。
影人さんの顔が見れない。思わず逸らした視線。
真剣な顔つきをした影人さんの真っ赤な瞳と、その後ろで強い光を差す夕空の太陽。ボクを心ごとこの場から逃がさないようにしているように思えて、少し苦しい。

「何でもないですよ、こんなの。転んだだけですって」
「転んでこんな傷できるわけないし、ここだけっていうのも不自然でしょ」
「ははは……怖いなぁ、影人さん。大したことないですよ、ボクのこんな怪我の痕くらい──っ!!」

 ボクの手首を握る力が、少しだけ強くなる。

「本当に何もないなら、目、逸らさないでしょ」
「……」
「……教えてよ、蛍。俺達、たった二人きりの──…………友達、でしょ」

 たった二人きりの友達──影人さんは、重々しく告げる。
どこか寂しそうな、悲しそうな、そんな声色で言われたような。ボクの気のせいかも、しれないけれど。

 本当なら、腕を振りきってこの場から逃げてしまいたい。
これの訳を話すには、思い出したくもない実家住まい時代のことを話さなければいけなくなる。
思い出したくない。「母」とかいうクソ女のことも、「兄さん」のことも、──「兄さん」の影となり、荒れに荒れていたボクの姿も。

 けど、そうしようとしないボクがここにいるのは、何でだろう。
逸らした目を、もう一度影人さんに向ける。──未だ、力強い目でボクを捉えていた。

「……友達」
「……。……そうだよ。友達……」

 強く握られた手首が温かくて、痛い。
逃げたい、離れたいと思っても、逃げようとしないのはきっと──。

「……影人さんには、お話ししてもいいかもしれません。ただ、ちゃんちゃらおかしい話なので……笑わないでくれると助かるんですけど」
「笑わないよ。手首切るなんて、よっぽどのことでしょ」
「まぁ、その通りなんですが。……ここじゃ帰れって急かされそうですし、影人さんちにお邪魔しても?」
「いいよ」

 それじゃあ帰ろう、と言いながら手を離す影人さん。
手首はまだ、じんわりと暖かい。未だ掴まれてるんじゃないかと思うくらいに。

 あまりに情けないボクの姿を、晒すことになるだろう。
親や兄にさえ話したことのない、あの頃のボクの姿。……きっと、この人なら受け止めてくれるだろう。

 ボクが逃げようとしなかった理由は、至ってシンプルで。
ボクを捕まえたこの人は、ボクのたった一人の友達で──初めてボクを「蛍」自身として向き合ってくれている人だからだろう。
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