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第五章
第九話 ボクの音
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叔父さんと影人さんが話し合いをした翌日。
彼を自宅に一時避難させることが出来ることになった──そのことに安堵しつつ、影人さんとしばらく一緒に暮らせることに、密かに胸を踊らせている自分がいる。
(影人さんが大変な目に遭ってるのに、喜ぶなんて不謹慎だ……)
──ただ、今回、影人さんは遊びに来たわけじゃない。
叔父さんたちの許可を得た上で「逃げてきた」のだ。
何をしでかすか分からないあのお母様から、影人さんを隔離させるため。いわば、今回は緊急事態における必要な措置でしかない。
そんな中で、少しでも「一緒にいられて嬉しい」と思ってしまうなんて。状況を理解しておきながら舞い上がっている、そんな自分が腹立たしい。
優先すべきは影人さんの安全と普通の生活だ。ボク自身の個人的な感情じゃない。
……そう言い聞かせつつ、ボクは昨日買ってきたジュースをグラスに注いでいた。
今日は叔父さんも叔母さんも仕事で出払っていて、家にはボクら二人しかいない。
「……あのさ、蛍」
「はい?」
「……あの時は、ホントにごめん」
ジュースがコップへと流れていく水音だけが響いていた静けさを破るように、影人さんが声を出す。
「え? ……なんの事です?」
「……あのクソババアと一緒にいた時のことだよ。俺、お前の見た目が女っぽいの利用してあんなことしちゃったし……」
突然出された謝罪の意味を思考する。
「あのクソババアと一緒にいた時のこと」……つい一昨日あった、あのお母様との対立。
あんなにも強烈だった思い出は、そうそう忘れるわけが無い。DVDを再生するように、ボクの脳内に当時の映像が流れ始める。
影人さんをお母様から離すためにしたことといえば、お母様と影人さんの腕を掴んでどうにか距離を開けようとしたことだ。
しばらくはボクとお母様の言い争い、のようになっていたが……その時、影人さんがボクにしたことといえば──
(……もしかして、あの時ボクとした、キ──)
……思い出した瞬間、恥ずかしさで顔が瞬間沸騰。
動揺から思わず手が緩み、ボトルを絨毯に落としてしまった。
(あっ……)
気づいた時にはボトルの口からジュースがどんどん零れ始めていて、絨毯を色濃く染めていく。
ボクは慌ててボトルを立て直し、台拭きに手を伸ばして絨毯を拭き始めた。
……影人さんから目を逸らすいい口実ができたかもしれない、なんて思いながら染みのついた絨毯に目を向ける。
今、影人さんと目を合わせたら、きっと意識をしすぎて心臓が爆散してしまうだろう。
上手く回らない口を必死に動かし、影人さんに答える。
「だ、大丈夫ですよ、大丈夫! ホント、気にしてませんから!」
「……ホントに? 嫌じゃなかった?」
慌てて床を拭き続けるボクの顔を、影人さんがじっと覗き込む。
マスクのない素の顔面はいつもの平坦な表情を描いていて、何を考えているのかさっぱり読めない。
(気遣ってくれてる……の、かな……?)
──今までなら、キスのひとつしたところでこんな風に言うこと無かったのに。
もっと言ってしまえば、ボクらはとっくにキス以上のことだってしてしまっているのだ。
それなのに、彼が「ホントに嫌じゃなかった?」だなんて……かなり珍しい。
「え、えぇ……影人さんだって、アレのお陰で逃げられたわけですし……。……それに……」
「……それに?」
「……ボクも、嫌ではなかった……です、から……」
床を拭きつつ、唇を抑える。脳が再び呼び起こした記憶に羞恥心を煽られ、上手く口が動かない。
……もっと言うなら、今でもこうして感覚すら鮮明に蘇るほどの高揚感と幸福感があった。
もし許されるなら、もう一度でも、何度でも。いつまでもしていたい、なんて。
──けれど、そんなこと言えるわけがない。
恥ずかしい、というのもあるけれど。
多分、あのキスは状況を乗り切るための最終手段だったのだ。影人さんも、きっとやりたくてやった訳じゃないだろう。
仕方なくやったこと──だからボクに「嫌じゃなかった?」なんて、気遣いの言葉が出たんじゃないだろうか。
そんな考えが浮かんでは、心がどんどん沈み込み──
(ボクは男で、彼も男だから)
(どうせ彼女と誤解されるなら、本当に好きになった女の子との方が、良かっただろうな)
── 杭が刺さったかのような痛みが、ボクを襲う。
影人さんのことを考えるたび、どうしてこんなにも苦しくなるのだろう。
ボクは同性で、ただの「友達」だ。こんなこと、彼相手に考える方がおかしいはず……なのに、どうして。
気付けば絨毯を拭く手も止まり、何もせずただ染み付いた絨毯を見下ろすだけの体勢になっていた。
ハッと気づいた時にはもうすっかりジュースが絨毯に染み込んでいて、いくら拭いても落ちなくなって。
まるでボクの中に染み付いてしまった影人さんへの変な感情みたいだ──なんて、おかしなことを考えてしまっていた。
「……じゃあさ」
再び訪れた静寂の中、影人さんの声が響く。
反射的に顔を上げると、視界いっぱいに影人さんの顔が映り──紅い双眸が、ボクの顔をじっと見据えている。
「もう一回、したいんだけど……」
「え、……はい!? 何言ってるんです……!?」
「あの時のお前の顔、もう一回見たくて……」
更に距離を詰めてきた影人さんが手を伸ばし、ボクの頬に手を添えてゆっくりと顔を近づける。
5センチ、4センチ、3センチ……影人さんの唇が、もう一度あの瞬間に戻ろうと迫り来る。
── このままじゃ、いけない。
「か、……からかってるなら、やめてください……っ!」
影人さんの両肩を押し、突き放す。
このままキスしたい――心の奥底で僅かに湧き出ていたそんな欲も、どうにか押し殺して。
距離を離された影人さんは、驚いたように目を見開いてボクをじっと見つめている。
「……からかってるなんて……俺は本気だよ? どうしても嫌なら、無理強いはしないけどさ」
「い、……嫌では、無いです……けど、たとえ本気でもダメ……です」
「……なんで?」
ボクの答えに、影人さんが淡々と返す。嫌じゃないなら良いじゃん、なんて思っていることだろう。
ボクに理性がなければ、きっとこのままキスをして――雰囲気さえ良ければ、流されるようにそのまま色々していたかもしれない。
影人さんは「したい」と言ってて、ボクも正直言えば「したい」と思っている。本能だけで物を言うなら、お互いに利はある……のだろうけれど。
「……そういうのは、友達にすることじゃない」
――ボクの心が、理性が、それを許さなかった。
「アナタが心の底から信頼出来て、誰よりも、……誰よりも好きだ、って思えるような……」
ボクは、影人さんの「友達」。彼の過去を知り、抱えてきた傷を知り――誰も知らない、本当の彼の姿を傍で見てきた。
誰かにまっすぐ愛してもらえることのなかった彼に、幸せになってほしいと願った。
ボクに降りかかる「幸せ」を全て彼に振り替えてでも、これからの人生は幸せいっぱいのものであってほしい。
「そんな素敵な人と……ちゃんと、してほしいんです……」
本当の彼を知り、理解し……その上で彼を深く愛し、彼に愛される素晴らしい女性。
そんな人と巡り会って、心の底から笑えるくらいの幸せを手にする──その時まで影人さんを傍で守るのが、友達の役目だ。
……そのはず、なのに。
(……どうして)
影人さんの幸せを心から願っていること、キスをすべき相手はボクではないこと、いつか心の底から愛し合える人と出会って欲しい──全部、本心だ。
大切な友達には幸せになってほしい、友達として当たり前の願いのはずなのに。
(苦しい、痛い、)
「誰よりも好きだと思える人と」──そんな言葉を口にしてから、心臓が酷く痛む。
嘘をつく時に感じる罪悪感と似たような痛みが、ボクを苛む。言ってはいけないことを言ってるかのような、ボク自身を責める「何か」が鼓動を激しく鳴らして。
……視界が滲む。喉の奥がツンと痛くなって、謎の感情がどんどん膨れ上がっていく。
影人さんの顔をまともに見られなくなってきたボクは、思い切り顔を俯かせた。
心が落ち着かなくて、いたたまれない。どうしたら良いのだろう。
一旦、トイレにでも逃げて少し落ち着かせるべきだろうか。それとも、適当な理由をつけて外に出た方が良いだろうか。
再び訪れた静寂の中、整理しきれない思考をぐるぐると巡らせていると──
「その存在が、お前だったら?」
──耳を疑うような言葉が、静寂を破った。
「……なに、言って……」
「……お前の言う「俺にとって素敵な人」が、お前だったら? って聞いてるんだけど」
──思考回路が、一瞬止まる。
この人は何を言ってるんだろう。
それとも、ただ単に都合のいい幻聴でも耳にしてしまったのだろうか?
イマイチ状況が掴めない。影人さんの顔でも見れば冗談か否か分かるかもしれないが、今のボクにそれはできない。
きっと、今のボクは情けない顔をしているはずだ。
声だってガチガチに震えていて、上手く喋れない。目尻から溢れ出そうになっているものを必死に堪えて、表情筋も強ばっている。
……そんな顔を見せようだなんて、到底思えない。
「……そんなの、ありえないでしょう……変な冗談はやめてください」
「冗談じゃないよ」
そう言い切るなり、ボクの両頬に手を添える。「こっちを見ろ」と言わんばかりにボクの顔の角度を上げさせ、向かい合わせの形になった。
どうして、と言いながら震えるボクの姿を、紅い瞳がじっと見据える。
「お前って結構可愛いし、体の相性もいいし……」
「…………」
「俺に集ってくる馬鹿な女どもと付き合うくらいなら、俺は蛍と付き合うよ」
……その紅に、濁りはなかった。
恐らく、今の言葉は本心なのだろう。長い付き合いの中で培われた直感が、そう確信した。
「……ッ!!」
そんな理由で、ボクを──
必死に抑え込んでいた感情が氾濫し、目尻から涙がとめどなく溢れていく。
感情のままに影人さんの体を勢いよく突き飛ばし、ボクは彼に言葉をぶつけた。
誰よりも近い位置にいて、誰よりも彼を理解している──そんなボクの立ち位置が仇となり、こうしてまた痛みを加速させていく。
「……ボクは、アナタの「友達」でしょう!? たったそれだけの適当な理由でボクを選んだところで、アナタは幸せになれるんですか!?」
「…………」
「第一、ボクは男ですよ!? アナタは女の子が好きなんでしょう!? アナタが今まで知り合った人達がたまたまクソだっただけで、これからもっと可愛くて性格もいい、文句なしの子に出会えるかもしれないじゃないですか!!」
──痛い、苦しい、息が出来ない。
言葉を吐けば吐くほど痛んでいく胸を抑え、ひたすらに叫ぶ。
感情が、言葉が、もう止められない。我慢だの忍耐だの、そんな言葉ももう通用しない。
リミッターが外れたボクの心は、思うままに言葉を吐き出していく。
「ボクは、アナタには誰よりも幸せになって欲しいと願ってます……だから、いつかアナタを心の底から笑わせてくれるような素敵な女性が現れるまで、友達として傍で守ろうと決めたんです!」
影人さんに向けていた顔を、再度俯かせる。ぽたぽたと絨毯につけられていく小さなシミが、今のボクの表情を物語っていた。
溢れ出る雫、喉を襲う突き刺すような痛み、締め付けられていく胸。こんなにも大きな感情を抱いたのは、きっと人生で初めてだ。
「ボクはアナタと同じ男だから、アナタに出来ることなんて、それしかない……。
……ボクじゃ、アナタを幸せになんて──」
──はっ、と口が止まる。
ボクは今、何を言おうとしたのだろう。自分が吐こうとした言葉に、疑問を抱く。
ボクは、彼に対して確かに言ったはずだった。
「アナタを心の底から笑わせてくれるような素敵な女性が現れるまで」と。
影人さんにとっての「運命の人」が現れて、影人さんがその人と幸せになるまで……と、主張していたはずなのに。
(”ボクじゃ、アナタを幸せになんて”……?)
一体、いつからそこに自分を入れるようになったのだろう?
ボクは影人さんの幸せに、関係ないはずだ。ボクが何かをしたところで、彼を幸せにすることなんて出来るはずがない。
だって、ボクは「友達」で、同じ「男」で──
「……男だから、何?」
言葉が止まったボクに、影人さんが歩み寄る。そっと撫でるように髪の毛に触れる手の感触に、とくんと胸が鳴った。
「別に同性でも、俺はお前と一緒に過ごした時間はすごく幸せだったよ。……まぁ、たまに口うるさい時は鬱陶しいって思う事もあるけどさ……」
そこを除けばね、と髪を撫でる。
自分と過ごした時間は幸せだった──その言葉を聞いたボクの心は、嬉しさでふわりと舞い上がりそうになる。
あぁ、でも……でも、きっと。
影人さんの発言に期待をしかけた自分を振り切るように、首を横に振る。
何を期待しているのだろう、ボクは。
その言葉に、大した意味なんてきっと……。
「……それは、ボクが友達だからでしょう? 友達と過ごす時間は、ボクだって幸せだって思」
「前まではそうだった」
遮るように言葉を被せた影人さんが、ボクの手首を掴む。そのままぐいっと引き寄せられ、お互いの距離がまた近くなる。
「けど、昨日蛍の叔父さんと話した時に気づいちゃったんだよ」
いつもの平坦な、でもどこか真剣みを帯びた声色で。
「……お前のこと、好きなんだって」
僕に向かって、まっすぐに投げかける。
あまりにも衝撃的な告白に、思わずひっくり返ったような声で「へ!?」と返事をしてしまった。
今聞いた言葉こそ、都合のいい幻聴……ではないだろうか。
これは夢なんじゃないかと、自分の頬を殴りたくなる。
影人さんが? ボクを? 好き?
でも「友達」としてだよね? 「そういう意味」だなんてさすがにありえないよね?
……と、思考回路が目まぐるしいほど混乱して、上手く言葉が出ない。
「あ、あの、それは……」
「この期に及んで「友達としてですよね?」はナシだよ? 俺が言ってんのは恋だのなんだのの”好き”なんだけど」
「……そんな、だって……ボクは女の子じゃ……」
「好きになった奴がたまたま同性だったってだけの話。それで納得してくれたら嬉しいよ、俺は」
「恋愛として」「たまたま相手が同性だった」──そう言い切る影人さんの目は、未だ濁りのない紅だった。
すぐ切り返すことのできないボクは、影人さんが吐き出した言葉を咀嚼し、上手く回らない思考をどうにか動かしてみる。
影人さんは、”恋”という意味合いでボクを「好き」。
「たまたま」そういう感情を抱いたのが同性ってだけ……と言うあたり、好きになった相手に対して性別のこだわりはない…ということなのだろうか。
同性であるボクに「あんなこと」も出来たのだから、完全に女の子じゃないと無理っていうわけではない……と、捉えるべきなのだろうか。
そうして混乱と戸惑いが頭を占める中、ボクの中にはもう一つの感情がある。
影人さんに「好き」と言われた瞬間に感じた鼓動と、沈んでいた気持ちが一気に舞い上がったような多幸感── 一言で言えば「嬉しい」に似た感情だ。
……ボクは、影人さんに「好き」と言われて嬉しいのだろうか。ますます、自分の感情がわからなくなってくる。
そんなボクの顔を、影人さんはどこかにやにやしたような表情で見つめていた。
「……蛍自身は気づいてないだろうけど、結構顔とか態度に出てたよ。蛍だって、俺と同じ気持ちなんじゃないの?」
「……え? そ、それはどういう……」
「……俺の事、好き?」
……囁くように尋ねるその声に、心臓が跳ねる。
ボクが? 影人さんを? 好き? 鼓動が早まる中、頭の中に疑問符が増えていく。
「な、なな、何言ってるんですか!? そんな、ボクが影人さんに恋愛感情、なんて……」
同性で友達であるアナタに、恋愛感情を抱くなんてありえない──そう言いかけたところで、ハッとあることを思い出す。
──【自覚してんだかどうだか分かんないけど、とっととどうにかなんなさいよ 美影より】
数日前、黒葛原さんからいただいた恋愛成就のお守りに、そんな文面の手紙があった。
まるで、ボクが誰かに恋をしていると断定するかのような文章。
「自覚してんだかどうだか」という文面が魚の小骨のように引っかかり、取れないまま今日まで来た。
黒葛原さんからの手紙には、肝心の「誰に」を記載していない。だからこそ、ずっともやもやしていたけれど。
(今まで、影人さんにずっと抱いてた変な感情……不整脈か何かかと思ってた動悸って……)
影人さんの言う「たまたま相手が同性」──それさえ当てはめてしまえば、合点のいくことばかりだった。
影人さんの顔を、真正面から直視できなくなっていたこと。
他の女子と絡む影人さんを想像して、不愉快な気持ちになること。
影人さんに触れられて、なんとなく幸せな気分になってしまうこと。
会えない間、ずっと影人さんのことを考えてしまっていたこと。
ボクの胸の内にあった彼への気持ちは全て、ボク自身が知らなかった感情に辿り着くものだった。
(……きっと、黒葛原さんはそれが言いたかったんだろうな)
数ヶ月間ボクの心を覆っていた曇りが、一気に晴れていく。
ボクにとって、正体不明の化け物だったこの感情を……今日、ようやく理解した。
(……ボク……ボクは……)
頭の中に、一つの映像が流れる。いつか来る可能性のある、一つの未来。
白を基調とした教会の中、タキシードを着た影人さんの隣にはドレスを着た知らない女性がいて。二人が幸せそうに笑い合っている姿を、ボクは客席からじっと見ているだけ。
──そんな想像をしてみれば、心に暗雲が立ち込める。
(……影人さんの隣に、知らない誰かがいるのは嫌で)
影人さんと見知らぬ女の結婚式をかき消し、違う風景を描く。
晴れ渡った春空の下で今と変わらず隣り合う、大人のボクらの姿。
何の変哲もない日常を過ごしながら、二人で幸せそうに微笑み合う。特別なことなんて何もなくとも、二人で手を繋ぐだけで幸せなひとときを過ごせるような、ささやかな生活を送っている。
そんな想像をすれば、この胸は期待と喜びで大きく弾み──
(……ボクが、ずっと彼の隣にいたいんだ)
──そんな未来が欲しいと、奥底から叫んでいる。
影人さんを幸せにしてくれる誰かを、二人で一緒に待つことじゃない。自分がその存在になりたいんだ。
知らず知らずのうちにここまで育っていた感情に、ボクはようやく追いついた。
自分のことなのに、今更理解するなんて。ボクはなんて情けない男なのだろうか。
「何泣いてんの、お前……」
「だ、だって……」
やっと、分かったんです。
震える唇を必死に動かすボクに、影人さんが「うん」と静かに頷く。
「ボクは、ずっとアナタの隣にいたい。ボクが今いる場所を、誰にも譲りたくない」
「……うん」
「誰とも知らない女の子じゃなくて……ボクが、アナタと幸せになりたい」
俯かせていた顔を上げて、影人さんと向き合う。
「……アナタが好きです、影人さん」
元々近かった距離を自ら縮め、唇を触れ合わせる。
抱きしめた影人さんの体温は、いつもより少しだけ暖かい気がした。
彼を自宅に一時避難させることが出来ることになった──そのことに安堵しつつ、影人さんとしばらく一緒に暮らせることに、密かに胸を踊らせている自分がいる。
(影人さんが大変な目に遭ってるのに、喜ぶなんて不謹慎だ……)
──ただ、今回、影人さんは遊びに来たわけじゃない。
叔父さんたちの許可を得た上で「逃げてきた」のだ。
何をしでかすか分からないあのお母様から、影人さんを隔離させるため。いわば、今回は緊急事態における必要な措置でしかない。
そんな中で、少しでも「一緒にいられて嬉しい」と思ってしまうなんて。状況を理解しておきながら舞い上がっている、そんな自分が腹立たしい。
優先すべきは影人さんの安全と普通の生活だ。ボク自身の個人的な感情じゃない。
……そう言い聞かせつつ、ボクは昨日買ってきたジュースをグラスに注いでいた。
今日は叔父さんも叔母さんも仕事で出払っていて、家にはボクら二人しかいない。
「……あのさ、蛍」
「はい?」
「……あの時は、ホントにごめん」
ジュースがコップへと流れていく水音だけが響いていた静けさを破るように、影人さんが声を出す。
「え? ……なんの事です?」
「……あのクソババアと一緒にいた時のことだよ。俺、お前の見た目が女っぽいの利用してあんなことしちゃったし……」
突然出された謝罪の意味を思考する。
「あのクソババアと一緒にいた時のこと」……つい一昨日あった、あのお母様との対立。
あんなにも強烈だった思い出は、そうそう忘れるわけが無い。DVDを再生するように、ボクの脳内に当時の映像が流れ始める。
影人さんをお母様から離すためにしたことといえば、お母様と影人さんの腕を掴んでどうにか距離を開けようとしたことだ。
しばらくはボクとお母様の言い争い、のようになっていたが……その時、影人さんがボクにしたことといえば──
(……もしかして、あの時ボクとした、キ──)
……思い出した瞬間、恥ずかしさで顔が瞬間沸騰。
動揺から思わず手が緩み、ボトルを絨毯に落としてしまった。
(あっ……)
気づいた時にはボトルの口からジュースがどんどん零れ始めていて、絨毯を色濃く染めていく。
ボクは慌ててボトルを立て直し、台拭きに手を伸ばして絨毯を拭き始めた。
……影人さんから目を逸らすいい口実ができたかもしれない、なんて思いながら染みのついた絨毯に目を向ける。
今、影人さんと目を合わせたら、きっと意識をしすぎて心臓が爆散してしまうだろう。
上手く回らない口を必死に動かし、影人さんに答える。
「だ、大丈夫ですよ、大丈夫! ホント、気にしてませんから!」
「……ホントに? 嫌じゃなかった?」
慌てて床を拭き続けるボクの顔を、影人さんがじっと覗き込む。
マスクのない素の顔面はいつもの平坦な表情を描いていて、何を考えているのかさっぱり読めない。
(気遣ってくれてる……の、かな……?)
──今までなら、キスのひとつしたところでこんな風に言うこと無かったのに。
もっと言ってしまえば、ボクらはとっくにキス以上のことだってしてしまっているのだ。
それなのに、彼が「ホントに嫌じゃなかった?」だなんて……かなり珍しい。
「え、えぇ……影人さんだって、アレのお陰で逃げられたわけですし……。……それに……」
「……それに?」
「……ボクも、嫌ではなかった……です、から……」
床を拭きつつ、唇を抑える。脳が再び呼び起こした記憶に羞恥心を煽られ、上手く口が動かない。
……もっと言うなら、今でもこうして感覚すら鮮明に蘇るほどの高揚感と幸福感があった。
もし許されるなら、もう一度でも、何度でも。いつまでもしていたい、なんて。
──けれど、そんなこと言えるわけがない。
恥ずかしい、というのもあるけれど。
多分、あのキスは状況を乗り切るための最終手段だったのだ。影人さんも、きっとやりたくてやった訳じゃないだろう。
仕方なくやったこと──だからボクに「嫌じゃなかった?」なんて、気遣いの言葉が出たんじゃないだろうか。
そんな考えが浮かんでは、心がどんどん沈み込み──
(ボクは男で、彼も男だから)
(どうせ彼女と誤解されるなら、本当に好きになった女の子との方が、良かっただろうな)
── 杭が刺さったかのような痛みが、ボクを襲う。
影人さんのことを考えるたび、どうしてこんなにも苦しくなるのだろう。
ボクは同性で、ただの「友達」だ。こんなこと、彼相手に考える方がおかしいはず……なのに、どうして。
気付けば絨毯を拭く手も止まり、何もせずただ染み付いた絨毯を見下ろすだけの体勢になっていた。
ハッと気づいた時にはもうすっかりジュースが絨毯に染み込んでいて、いくら拭いても落ちなくなって。
まるでボクの中に染み付いてしまった影人さんへの変な感情みたいだ──なんて、おかしなことを考えてしまっていた。
「……じゃあさ」
再び訪れた静寂の中、影人さんの声が響く。
反射的に顔を上げると、視界いっぱいに影人さんの顔が映り──紅い双眸が、ボクの顔をじっと見据えている。
「もう一回、したいんだけど……」
「え、……はい!? 何言ってるんです……!?」
「あの時のお前の顔、もう一回見たくて……」
更に距離を詰めてきた影人さんが手を伸ばし、ボクの頬に手を添えてゆっくりと顔を近づける。
5センチ、4センチ、3センチ……影人さんの唇が、もう一度あの瞬間に戻ろうと迫り来る。
── このままじゃ、いけない。
「か、……からかってるなら、やめてください……っ!」
影人さんの両肩を押し、突き放す。
このままキスしたい――心の奥底で僅かに湧き出ていたそんな欲も、どうにか押し殺して。
距離を離された影人さんは、驚いたように目を見開いてボクをじっと見つめている。
「……からかってるなんて……俺は本気だよ? どうしても嫌なら、無理強いはしないけどさ」
「い、……嫌では、無いです……けど、たとえ本気でもダメ……です」
「……なんで?」
ボクの答えに、影人さんが淡々と返す。嫌じゃないなら良いじゃん、なんて思っていることだろう。
ボクに理性がなければ、きっとこのままキスをして――雰囲気さえ良ければ、流されるようにそのまま色々していたかもしれない。
影人さんは「したい」と言ってて、ボクも正直言えば「したい」と思っている。本能だけで物を言うなら、お互いに利はある……のだろうけれど。
「……そういうのは、友達にすることじゃない」
――ボクの心が、理性が、それを許さなかった。
「アナタが心の底から信頼出来て、誰よりも、……誰よりも好きだ、って思えるような……」
ボクは、影人さんの「友達」。彼の過去を知り、抱えてきた傷を知り――誰も知らない、本当の彼の姿を傍で見てきた。
誰かにまっすぐ愛してもらえることのなかった彼に、幸せになってほしいと願った。
ボクに降りかかる「幸せ」を全て彼に振り替えてでも、これからの人生は幸せいっぱいのものであってほしい。
「そんな素敵な人と……ちゃんと、してほしいんです……」
本当の彼を知り、理解し……その上で彼を深く愛し、彼に愛される素晴らしい女性。
そんな人と巡り会って、心の底から笑えるくらいの幸せを手にする──その時まで影人さんを傍で守るのが、友達の役目だ。
……そのはず、なのに。
(……どうして)
影人さんの幸せを心から願っていること、キスをすべき相手はボクではないこと、いつか心の底から愛し合える人と出会って欲しい──全部、本心だ。
大切な友達には幸せになってほしい、友達として当たり前の願いのはずなのに。
(苦しい、痛い、)
「誰よりも好きだと思える人と」──そんな言葉を口にしてから、心臓が酷く痛む。
嘘をつく時に感じる罪悪感と似たような痛みが、ボクを苛む。言ってはいけないことを言ってるかのような、ボク自身を責める「何か」が鼓動を激しく鳴らして。
……視界が滲む。喉の奥がツンと痛くなって、謎の感情がどんどん膨れ上がっていく。
影人さんの顔をまともに見られなくなってきたボクは、思い切り顔を俯かせた。
心が落ち着かなくて、いたたまれない。どうしたら良いのだろう。
一旦、トイレにでも逃げて少し落ち着かせるべきだろうか。それとも、適当な理由をつけて外に出た方が良いだろうか。
再び訪れた静寂の中、整理しきれない思考をぐるぐると巡らせていると──
「その存在が、お前だったら?」
──耳を疑うような言葉が、静寂を破った。
「……なに、言って……」
「……お前の言う「俺にとって素敵な人」が、お前だったら? って聞いてるんだけど」
──思考回路が、一瞬止まる。
この人は何を言ってるんだろう。
それとも、ただ単に都合のいい幻聴でも耳にしてしまったのだろうか?
イマイチ状況が掴めない。影人さんの顔でも見れば冗談か否か分かるかもしれないが、今のボクにそれはできない。
きっと、今のボクは情けない顔をしているはずだ。
声だってガチガチに震えていて、上手く喋れない。目尻から溢れ出そうになっているものを必死に堪えて、表情筋も強ばっている。
……そんな顔を見せようだなんて、到底思えない。
「……そんなの、ありえないでしょう……変な冗談はやめてください」
「冗談じゃないよ」
そう言い切るなり、ボクの両頬に手を添える。「こっちを見ろ」と言わんばかりにボクの顔の角度を上げさせ、向かい合わせの形になった。
どうして、と言いながら震えるボクの姿を、紅い瞳がじっと見据える。
「お前って結構可愛いし、体の相性もいいし……」
「…………」
「俺に集ってくる馬鹿な女どもと付き合うくらいなら、俺は蛍と付き合うよ」
……その紅に、濁りはなかった。
恐らく、今の言葉は本心なのだろう。長い付き合いの中で培われた直感が、そう確信した。
「……ッ!!」
そんな理由で、ボクを──
必死に抑え込んでいた感情が氾濫し、目尻から涙がとめどなく溢れていく。
感情のままに影人さんの体を勢いよく突き飛ばし、ボクは彼に言葉をぶつけた。
誰よりも近い位置にいて、誰よりも彼を理解している──そんなボクの立ち位置が仇となり、こうしてまた痛みを加速させていく。
「……ボクは、アナタの「友達」でしょう!? たったそれだけの適当な理由でボクを選んだところで、アナタは幸せになれるんですか!?」
「…………」
「第一、ボクは男ですよ!? アナタは女の子が好きなんでしょう!? アナタが今まで知り合った人達がたまたまクソだっただけで、これからもっと可愛くて性格もいい、文句なしの子に出会えるかもしれないじゃないですか!!」
──痛い、苦しい、息が出来ない。
言葉を吐けば吐くほど痛んでいく胸を抑え、ひたすらに叫ぶ。
感情が、言葉が、もう止められない。我慢だの忍耐だの、そんな言葉ももう通用しない。
リミッターが外れたボクの心は、思うままに言葉を吐き出していく。
「ボクは、アナタには誰よりも幸せになって欲しいと願ってます……だから、いつかアナタを心の底から笑わせてくれるような素敵な女性が現れるまで、友達として傍で守ろうと決めたんです!」
影人さんに向けていた顔を、再度俯かせる。ぽたぽたと絨毯につけられていく小さなシミが、今のボクの表情を物語っていた。
溢れ出る雫、喉を襲う突き刺すような痛み、締め付けられていく胸。こんなにも大きな感情を抱いたのは、きっと人生で初めてだ。
「ボクはアナタと同じ男だから、アナタに出来ることなんて、それしかない……。
……ボクじゃ、アナタを幸せになんて──」
──はっ、と口が止まる。
ボクは今、何を言おうとしたのだろう。自分が吐こうとした言葉に、疑問を抱く。
ボクは、彼に対して確かに言ったはずだった。
「アナタを心の底から笑わせてくれるような素敵な女性が現れるまで」と。
影人さんにとっての「運命の人」が現れて、影人さんがその人と幸せになるまで……と、主張していたはずなのに。
(”ボクじゃ、アナタを幸せになんて”……?)
一体、いつからそこに自分を入れるようになったのだろう?
ボクは影人さんの幸せに、関係ないはずだ。ボクが何かをしたところで、彼を幸せにすることなんて出来るはずがない。
だって、ボクは「友達」で、同じ「男」で──
「……男だから、何?」
言葉が止まったボクに、影人さんが歩み寄る。そっと撫でるように髪の毛に触れる手の感触に、とくんと胸が鳴った。
「別に同性でも、俺はお前と一緒に過ごした時間はすごく幸せだったよ。……まぁ、たまに口うるさい時は鬱陶しいって思う事もあるけどさ……」
そこを除けばね、と髪を撫でる。
自分と過ごした時間は幸せだった──その言葉を聞いたボクの心は、嬉しさでふわりと舞い上がりそうになる。
あぁ、でも……でも、きっと。
影人さんの発言に期待をしかけた自分を振り切るように、首を横に振る。
何を期待しているのだろう、ボクは。
その言葉に、大した意味なんてきっと……。
「……それは、ボクが友達だからでしょう? 友達と過ごす時間は、ボクだって幸せだって思」
「前まではそうだった」
遮るように言葉を被せた影人さんが、ボクの手首を掴む。そのままぐいっと引き寄せられ、お互いの距離がまた近くなる。
「けど、昨日蛍の叔父さんと話した時に気づいちゃったんだよ」
いつもの平坦な、でもどこか真剣みを帯びた声色で。
「……お前のこと、好きなんだって」
僕に向かって、まっすぐに投げかける。
あまりにも衝撃的な告白に、思わずひっくり返ったような声で「へ!?」と返事をしてしまった。
今聞いた言葉こそ、都合のいい幻聴……ではないだろうか。
これは夢なんじゃないかと、自分の頬を殴りたくなる。
影人さんが? ボクを? 好き?
でも「友達」としてだよね? 「そういう意味」だなんてさすがにありえないよね?
……と、思考回路が目まぐるしいほど混乱して、上手く言葉が出ない。
「あ、あの、それは……」
「この期に及んで「友達としてですよね?」はナシだよ? 俺が言ってんのは恋だのなんだのの”好き”なんだけど」
「……そんな、だって……ボクは女の子じゃ……」
「好きになった奴がたまたま同性だったってだけの話。それで納得してくれたら嬉しいよ、俺は」
「恋愛として」「たまたま相手が同性だった」──そう言い切る影人さんの目は、未だ濁りのない紅だった。
すぐ切り返すことのできないボクは、影人さんが吐き出した言葉を咀嚼し、上手く回らない思考をどうにか動かしてみる。
影人さんは、”恋”という意味合いでボクを「好き」。
「たまたま」そういう感情を抱いたのが同性ってだけ……と言うあたり、好きになった相手に対して性別のこだわりはない…ということなのだろうか。
同性であるボクに「あんなこと」も出来たのだから、完全に女の子じゃないと無理っていうわけではない……と、捉えるべきなのだろうか。
そうして混乱と戸惑いが頭を占める中、ボクの中にはもう一つの感情がある。
影人さんに「好き」と言われた瞬間に感じた鼓動と、沈んでいた気持ちが一気に舞い上がったような多幸感── 一言で言えば「嬉しい」に似た感情だ。
……ボクは、影人さんに「好き」と言われて嬉しいのだろうか。ますます、自分の感情がわからなくなってくる。
そんなボクの顔を、影人さんはどこかにやにやしたような表情で見つめていた。
「……蛍自身は気づいてないだろうけど、結構顔とか態度に出てたよ。蛍だって、俺と同じ気持ちなんじゃないの?」
「……え? そ、それはどういう……」
「……俺の事、好き?」
……囁くように尋ねるその声に、心臓が跳ねる。
ボクが? 影人さんを? 好き? 鼓動が早まる中、頭の中に疑問符が増えていく。
「な、なな、何言ってるんですか!? そんな、ボクが影人さんに恋愛感情、なんて……」
同性で友達であるアナタに、恋愛感情を抱くなんてありえない──そう言いかけたところで、ハッとあることを思い出す。
──【自覚してんだかどうだか分かんないけど、とっととどうにかなんなさいよ 美影より】
数日前、黒葛原さんからいただいた恋愛成就のお守りに、そんな文面の手紙があった。
まるで、ボクが誰かに恋をしていると断定するかのような文章。
「自覚してんだかどうだか」という文面が魚の小骨のように引っかかり、取れないまま今日まで来た。
黒葛原さんからの手紙には、肝心の「誰に」を記載していない。だからこそ、ずっともやもやしていたけれど。
(今まで、影人さんにずっと抱いてた変な感情……不整脈か何かかと思ってた動悸って……)
影人さんの言う「たまたま相手が同性」──それさえ当てはめてしまえば、合点のいくことばかりだった。
影人さんの顔を、真正面から直視できなくなっていたこと。
他の女子と絡む影人さんを想像して、不愉快な気持ちになること。
影人さんに触れられて、なんとなく幸せな気分になってしまうこと。
会えない間、ずっと影人さんのことを考えてしまっていたこと。
ボクの胸の内にあった彼への気持ちは全て、ボク自身が知らなかった感情に辿り着くものだった。
(……きっと、黒葛原さんはそれが言いたかったんだろうな)
数ヶ月間ボクの心を覆っていた曇りが、一気に晴れていく。
ボクにとって、正体不明の化け物だったこの感情を……今日、ようやく理解した。
(……ボク……ボクは……)
頭の中に、一つの映像が流れる。いつか来る可能性のある、一つの未来。
白を基調とした教会の中、タキシードを着た影人さんの隣にはドレスを着た知らない女性がいて。二人が幸せそうに笑い合っている姿を、ボクは客席からじっと見ているだけ。
──そんな想像をしてみれば、心に暗雲が立ち込める。
(……影人さんの隣に、知らない誰かがいるのは嫌で)
影人さんと見知らぬ女の結婚式をかき消し、違う風景を描く。
晴れ渡った春空の下で今と変わらず隣り合う、大人のボクらの姿。
何の変哲もない日常を過ごしながら、二人で幸せそうに微笑み合う。特別なことなんて何もなくとも、二人で手を繋ぐだけで幸せなひとときを過ごせるような、ささやかな生活を送っている。
そんな想像をすれば、この胸は期待と喜びで大きく弾み──
(……ボクが、ずっと彼の隣にいたいんだ)
──そんな未来が欲しいと、奥底から叫んでいる。
影人さんを幸せにしてくれる誰かを、二人で一緒に待つことじゃない。自分がその存在になりたいんだ。
知らず知らずのうちにここまで育っていた感情に、ボクはようやく追いついた。
自分のことなのに、今更理解するなんて。ボクはなんて情けない男なのだろうか。
「何泣いてんの、お前……」
「だ、だって……」
やっと、分かったんです。
震える唇を必死に動かすボクに、影人さんが「うん」と静かに頷く。
「ボクは、ずっとアナタの隣にいたい。ボクが今いる場所を、誰にも譲りたくない」
「……うん」
「誰とも知らない女の子じゃなくて……ボクが、アナタと幸せになりたい」
俯かせていた顔を上げて、影人さんと向き合う。
「……アナタが好きです、影人さん」
元々近かった距離を自ら縮め、唇を触れ合わせる。
抱きしめた影人さんの体温は、いつもより少しだけ暖かい気がした。
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