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恐怖心への対抗(※)
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── 5月某日。
日本人の大半が待ちわびていたであろう大型連休が、ついにやってきた。
「潮風って結構寒いんですね……上着持ってきておいてよかった」
「うん」
ひんやりと肌を包む風、穏やかに響く波の音。いつもの街から飛び出したボクらは、薄縹色の海へと訪れていた。
ボクは浅瀬で水を蹴り、影人さんは砂浜でぼーっと何かを描いている。
こうして二人で旅に出るなんて、いつぶりだろう。二年に上がりたての頃、日帰り温泉に行ったきりかもしれない。
あの時はすぐに帰ってしまったけれど、今回は一泊二日の県外旅行だ。
二人で全く知らない土地で思いっきり羽を伸ばす。そんな特別な二日間に、ボクは胸を弾ませていた。
(影人さん、楽しんでくれるといいんだけどな……)
この旅について計画したのは殆どがボクである。
面倒くさがりな影人さんが言及してくれたことといえば、
「海行きたい」
……の、一言だけ。
それ以外の宿泊先やら他の行き先やらの手配は、先述した通り全てボク。
まぁ、彼の性格を理解しつつあるボクからしたら、想定内のことではある。
だから、ついてきてくれただけよし。そう思うことにしていた。
「蛍」
「ん?」
「見て、採れたてぴちぴちのワカメ」
「え、いや、何です?」
浜辺に打ち上げられていたであろうワカメを木の枝の先につけ、ボクに向かってぐいぐいと押し付けてくる。
「採れたてだから栄養満点だよ、多分」
「食えってか! 生のまま食えってか!!」
「言ってたじゃん、蛍……ワカメは食物繊維? がたっぷりだとかなんとか」
「いやまあ確かに言いましたけど! 言いましたけど~~~!! やめろ!! 磯臭い!!」
食え、と言わんばかりに顔に押し付けてきた影人さん。頬に軽く刺さった木の枝を押し退け、ツッコミを入れる。
影人さんは、どこに行っても影人さんだ。気がつくとこうして変なことを始めて、僕がツッコミに回る羽目になる。
まあ、これはこれで何となく……安定している感じはあるのだが。
「とりあえず、元の場所に返してきなさい」
「普段の蛍なら食えって言うのに……」
「それはご飯として出した時の話です! 自然のものは自然に返しなさい!」
ボクが言うと、影人さんは渋々と言った様子でワカメをその辺に放り投げた。そうしてまた元の位置についてはしゃがみ、木の棒で落書きを始める。
影人さんの絵柄はピカソの如く独特な雰囲気のあるもので、今も人のような何かを描いてはいるけれど、誰を描いているのかは分からない。
(あれはあれで楽しんでるのかな……)
そんな影人さんを後目に、ボクもまた波と戯れる。泳ぐのは苦手だからあまり深入りは出来ないけれど、波を蹴り上げるだけでも十分楽しい。
いつもと違う風景、いつもと違う風、いつもと違う音。そして、いつも一緒にいる友達との二人旅。
こんな自由気ままな時間さえ、彼と一緒なら最高の思い出になりそうだ。黙々と砂浜で遊ぶ彼を見るボクの頬は、嬉しさで緩みきっていた。
◇ ◇ ◇
……そうして遊び尽くした日の夜。
入浴や食事を終えたボクらは浴衣を身に纏い、二組の布団が敷かれた客室でのんびりと過ごしている。
窓から浜辺の景色が一望でき、そのうえ夕食と朝食のバイキング付き。他のホテルなら一人三万弱はかかるところを、ここは二人で二万弱とかなりお安めだ。
あちこちの予約サイトを転々とし、ようやく見つけた優良物件。我ながら良いところに目をつけたな、なんてちょっと誇らしくなってしまう。
(それにしても珍しい、今日は「一緒に寝よう」って言ってこないんだ……)
二人で寝泊まりをする時、いつもなら「一緒に寝よう」って誘ってきた影人さんが、今日は何も言ってこない。
一人で布団に潜り込み、黙々とスマホの画面をじっと見ている。
『……抱き枕が無いからさ。代わりに蛍が俺の抱き枕になってよ』
夏休みのある日、ボクの部屋で寝泊まりした時の影人さんの言葉を思い出す。
抱き枕がないと寝られない、みたいなことを言っていたのに……もしかして、今日は一人で寝たい気分なのだろうか。
影人さんに抱かれながら寝ることに慣れすぎたのか、なんだか期待しているような自分がとても恥ずかしい。
「影人さん、そろそろ電気消しますよ?」
「あー……うん、分かった」
影人さんの返事を聞いたのち、消灯。
影人さんはそのままスマホとにらめっこを続けていたけれど、ボクは目を閉じて夢の中へ行く準備をしていた。
明日の朝食バイキングは7:30から9:00まで。休みだからと夜更かししていると、朝ご飯を食べ損ねてしまう。
恐らく影人さんはいつも通り起きられないだろうから、ボクだけでもしっかりしていなきゃいけない。
そうとなったら、まずは早いうちに眠りについて──
(!?)
──静寂の中、窓が揺れる音が響く。
「影人さん、もう少し静かに……」
「……俺、何もしてないけど」
目を瞑ったまま聞いた返事に、目を覚ます。
え、と声を漏らしながら慌てて真横を見ると、影人さんは布団を被ったままスマホの画面を見つめていた。
窓は部屋の段差を越えた先にあり、手を伸ばして届くほど近くではない。瞬間移動でもしなければ影人さんがすぐ元の位置に戻るのも不可能で、彼の仕業でないのはすぐに分かる。
(風の音か何かかな……)
もしかしたら今の時間から天気が急激に変わった、のかもしれない。
そう思いながら再度目を閉じ──
「ひぃっ!?」
「あー……これがポルターガイストってやつ? すごいね」
──ガタガタッ、と客のドアが揺れる音がした。
「い、今のって絶対風の音じゃないですよね!? もしかして影人さん……」
「だから、俺じゃないよ。超能力者じゃあるまいし、布団の中からドアも窓も動かせないって」
いつも通り抑揚のない、淡々とした声で言う。どちらかというとドアに近い位置にいるのはボクだが、ボクは布団から一歩も出ていない。
ついでに言えばドアの向こうは廊下だ。廊下には窓なんて無かったし、外から風が入る隙もない。空調だって、そんなに強い風は吹かせないだろう。
廊下の向こうに誰かがいるんじゃ……なんて考えも過ぎったが、他の客やホテルのスタッフがいたずらにドアをいじるとも考えられない。
……だとしたら、今の音は何だったのだろう。謎の怪奇現象に、ざわつきが止まらない。
「……そういえば、蛍は知らないよね」
「な、何がです……?」
「これ」
影人さんがボクにスマホの画面を向ける。
黒地の背景に赤い文字と白い文字。配色だけでもどこかゾッとするような、恐怖心を煽るWebサイト。
「……これって」
「心霊・オカルト掲示板ってやつ。事故物件とか心霊スポットに関する書き込みが結構あるんだけど」
何事も無いかのような、何も感じていないかのような。揺らぎのない平坦な声で影人さんが語る。
心霊だのオカルトだの、正直言ってボクは得意ではない。特にこんな夜中にそういった類いの情報や映像を見るのなんて、以ての外だ。
けれど、影人さんが今この状況でボクに見せるということは、このサイトに何か答えがあるのだろう。恐る恐る、スマホの画面に目を向ける。
「あの……見間違いでなければ、これ……」
「うん」
「ボクらが泊まってるホテルの名前……ですよね……」
心霊・オカルト掲示板――掲示板のタイトルの下には、『ホテル ニュー鳥遊里のウワサ』と書かれていた。
知りたい気持ちと目を背けたい気持ちがせめぎ合う中、ゆっくりとスクロールを進める……。
【ホテル ニュー鳥遊里って昔客同士で殺人事件あったよな 痴情のもつれで女がカップル殺したっていう】
【近所で自殺騒ぎもなかったっけwww 俺行った時丁度噂になってたwww】
【>2 あったあった。なんか噂じゃ一人で泊まりに来た受験生が将来を悲観して死んだんだっけか?】
【なんか条件の割に安いから変だなって思ったらそういうことだったのか 泊まった奴マジ乙(笑)】
「……。冗談ですよね? ね?」
「マジだと思うよ、こんだけ噂があればね」
スクロールを進めるたびに入ってくる情報に、どんどん血の気が引いていく。膨らんでいく恐怖心で、体もガタガタと震え始めた。
このページのスクロールバーはかなり短く、それだけでもこのホテルの噂の多さを物語っている。
つまり、このホテルは知る人ぞ知る心霊スポットだった……というわけで。
「っていうか影人さんもしかして知ってたんですか!? なんで黙ってたんですかコンチクショウ!!」
「黙ってた方がいざ知った時の反応面白いかなと思って……」
「人の反応で遊ぶんじゃない!! うぅ……ボクだって知ってたらこんなとこキャンセルしたのに……」
お互いまだ学生で、バイトもしていない。あまり高いところには泊まれない。けれど、安いからといってケチな旅館にも泊まりたくはなかった。
そんな中見つけた、この「ホテル ニュー鳥遊里」。値段の割に客室からの景色やサービスもいい、そんな理由でこのホテルを予約したのだけれど……まさか、こんな裏があっただなんて。
格安で好条件なホテル、なんて物件に釣られたボクがバカだった。裏の裏までちゃんと下調べをしなかった自分の甘さに、後悔が寄せてくる。
もしかして、先ほどの怪奇現象も幽霊によるもの……? そう考えた瞬間、凍ったように寒気が走る。
男子高校生たるもの幽霊に怯えるなんて情けないとは思いつつ、男としてのプライドだけで眠れるほどボクは強くない。
このままじゃ、怖くて眠れない――そう思ったボクはスクロールの手を止め、影人さんに尋ねる。
「……あの、影人さん……そっち、行ってもいいですか?」
「……一緒に寝る?」
「え、えぇ……ちょっと、怖くて……」
ボクが言うと、影人さんは布団をめくって「いいよ」と手招きをした。すぐさま布団の中に入り、影人さんにぴったりとくっつく。
テレビやクラスメイトの噂で心霊的な話は何度か聞いたことはあるが、その中でもかなり頭にこびりついているのは、
【寝てる間に手足を掴まれた感覚がして、起きたら誰かに握られた痕がついていた】
……という、個人的にめちゃくちゃ怖い怪談だ。
この部屋での怪奇現象と怖い噂で唐突にそんな話を思い出してしまったボクにとって、こんな部屋で一人で寝るのは拷問以外の何でもない。
寧ろ、怖さのあまり寝不足になりそうだ。こんな状況下でも平気そうな影人さんが一緒で良かった、とため息を漏らす。
(……本当、影人さんが一緒で良かった)
影人さんがすぐ近くにいる──服越しに感じる体温に、安心感と胸の高鳴りを覚える。
未だ怪奇現象への恐怖心は消えていないけれど、これならそのうち眠れるかもしれない。
そう思い、目を閉じると――
「……蛍、知ってる?」
「な、何がです?」
うつ伏せになっていた影人さんが横を向き、ボクとの距離を詰める。
何をするつもりだろう。そう思ったボクは目を開け、影人さんに顔を向ける。
「幽霊ってさ、下ネタとかエロい話とかすると逃げるらしいんだよね……」
急に少し涼しくなった胸元、ひやりとした柔らかい感触が服の中に入り込む。
体のラインをなぞるように這う指にぴくりと体が震え、咄嗟にその手首を掴んだ。
「い、いや、あの、それと今の状況ってなんの関係があるんですか!?」
「俺と蛍でエロいことすれば多分幽霊も逃げると思う……」
「はいぃ!? 科学的根拠ないでしょそんなの!! ぶっちゃけその噂にこじつけてアナタがシたいだけじゃ……っ!」
ないんですか――そう言いかけたところで、耳に吐息がかかる。そのまま影人さんがボクの耳に顔を寄せ、ちゅっとわざとらしく音を立てた。
ぬるっとした生温い何かが耳に触れ、形をなぞるように這う。そのうちに耳孔に舌が侵入し、ぐちゅぐちゅと音を立てられる。
体中に響くほどの水音に、脳髄まで侵されそうだ。
「んんっ、や、……ッ、あっ」
ぞくぞくと震える体からは段々と力が抜け、影人さんの手首を掴んでいた手も緩んでしまう。
自由になった影人さんの手はボクの浴衣に手を入れ、胸元に触れる。下から上へ持ち上げるようにやんわりと揉んだり、胸の頂を指で捏ねたりと、好き放題弄られる。
影人さん、と名を呼ぶ暇すら与えてくれないいやらしい手つきと耳への強い刺激に、体中が熱くなる。
「もう顔が蕩けてる……」
「はッ、……だ、だっていきなり、こんな……激しく、する、から……」
「ほんと、蛍ってすごい敏感だよね」
僅かに、にやりと口角を上げる。耳孔を刺激していた舌を離すと、今度は頬に唇を寄せる。
そのまま耳裏、首筋、鎖骨、胸元……と、ゆっくりと口付けを落としていく。その合間に感じる僅かな息遣いにもこの体は反応し、もっと熱を上げて。
先ほどまで指で遊んでいた胸の頂きにもキスをし、ちゅう……と影人さんが吸い付く。
「あッ……や、やめっ、そこ、は、ひッ……あんっ」
赤子のように吸い付かれ、ボクの体がびくんびくんと震える。いくら吸ったって何も出てこないのに、影人さんはいつもこうしてボクの胸を嬲っている。
ボクがここを攻められるのが弱いと知っての行動だろう。実際、影人さんの手でここを触れられると気持ち良すぎて狂ってしまいそうで。
まだ触れられてもいない下半身にも熱が集中し、触ってほしいと本能が疼いている。
「む、胸ばっか、やッ、あぁっ」
「……何? どうしてほしいの?」
「ッ、あっ、それは……ひっ」
「言ってくれなきゃ分からないよ? 蛍」
そんな意地悪な言葉を投げつつ、ボクの体を線に沿って撫でる。やがてその手が内腿に辿り着くと、つぅ……と指を這わせる。
ボクの昂りにも僅かに触れる手つきに、体の震えが止まらない。触れて欲しいところにわざと触れようとしない、意地悪なその手に切なさが増していく。
「し、下……も、……触って……」
「そう……蛍のコレ、もう凄い硬くなってるもんね」
「ひゃっ!」
下着越しに、きゅっと陽物を摘む。待ってましたと言わんばかりに反応するソレに、ぐわっと羞恥心が湧き出てくる。
ぴんと立った胸の頂きから口を離すと、する……とボクの浴衣を開き、下着を降ろす。身を隠すものがなくなった陽物はもう既に反り返って、先が少しだけ濡れていた。
「……蛍、今日はいつもと違うことしよっか」
「え? ……な、……何です……?」
そう言うなり影人さんは前を開き、自らの下着を下ろす。露わになった白い肌にどきりと胸が鳴る。
昔彼が受けた虐待の傷跡がそこかしこに残っているけれど、ボクの目にはそれすらも芸術の一つのように見えて。整った顔立ちに見合ったその肉体に、目が離せなかった。
「俺のも、そろそろ限界だからさ……」
ボクに体を寄せ、ぴたりとくっつく。ゼロ距離になった美顔に胸を鳴らしていると、下半身に違和感が走る。
影人さんの勃ち上がった陽物がボクのソレとくっついたようで、僅かに擦れた感覚に小さく肩が震える。
何をするのかと待ってみると、影人さんの手がボクの陽物に触れる。包み込むように触れては、ゆっくりと扱き始めた。
「ッ、あっ!? か、かげ、ひっ、」
「は、ッ……たまには、いいでしょ……こういうのも……」
吐息を漏らしながら、影人さんが笑む。僅かに朱色に染まった頬に、またとくんと胸が鳴る。
普段表情が揺るがない影人さんの、こういう顔は大好きだ。もちろんいつもの顔も好きなのだけれど、ボクとのことに揺らいでくれてると思うと、心の底から満たされた気持ちになる。
二人分の陽物を扱く影人さんの手に、腰が揺れる。
「蛍も」
「えっ……ッ、な、……なん、です……ッ……?」
「……手、貸して」
空いた手でボクの手を取ると、その上から重ねられる。もしかして、ボクにも触れということなのだろうか。
襲い来る快楽に耐えつつ、ボクも彼と同じように手を動かした。
二人分の手が触れる感覚とお互いの陽物が擦れる感覚に、体の奥から熱が上がっていく。
目の前を見れば息が荒くなり始めた影人さんの顔があり、目を瞑れば更に快楽が集中的にボクを苛む。
幽霊が怖い、怪奇現象が怖い──そんな気持ちは、もうこの遊戯の中ですっかり消えて無くなっていた。
今あるのは影人さんへの胸の高鳴りと、ボク自身を満たそうとする快楽の波だけ。
「ッ、あっ、影人、さ、……出そ、……」
「うん、俺も……」
先端から根元まで余すことなく襲う刺激に限界を感じ、ボクのモノは溜め込んでいた感情をどくどくと吐き出した。影人さんのモノからも同じものが吐き出され、お互いの体をいやらしく染めていった──。
◇ ◇ ◇
──そうしてお互いの体を慰めあった、その翌朝。
「確かに途中から幽霊の気配は無くなったように思いましたけど……」
「……うん」
「朝食バイキングの入場時間!!!! とっくに過ぎてるじゃないですか!!!!」
夜通し快楽に溺れた代償か、起床時間は9:25。バイキングどころか、チェックアウトの時間が刻一刻と迫っている。
昨夜の余韻に浸る暇なく、ボクは急いで荷物をまとめるのだった……。
日本人の大半が待ちわびていたであろう大型連休が、ついにやってきた。
「潮風って結構寒いんですね……上着持ってきておいてよかった」
「うん」
ひんやりと肌を包む風、穏やかに響く波の音。いつもの街から飛び出したボクらは、薄縹色の海へと訪れていた。
ボクは浅瀬で水を蹴り、影人さんは砂浜でぼーっと何かを描いている。
こうして二人で旅に出るなんて、いつぶりだろう。二年に上がりたての頃、日帰り温泉に行ったきりかもしれない。
あの時はすぐに帰ってしまったけれど、今回は一泊二日の県外旅行だ。
二人で全く知らない土地で思いっきり羽を伸ばす。そんな特別な二日間に、ボクは胸を弾ませていた。
(影人さん、楽しんでくれるといいんだけどな……)
この旅について計画したのは殆どがボクである。
面倒くさがりな影人さんが言及してくれたことといえば、
「海行きたい」
……の、一言だけ。
それ以外の宿泊先やら他の行き先やらの手配は、先述した通り全てボク。
まぁ、彼の性格を理解しつつあるボクからしたら、想定内のことではある。
だから、ついてきてくれただけよし。そう思うことにしていた。
「蛍」
「ん?」
「見て、採れたてぴちぴちのワカメ」
「え、いや、何です?」
浜辺に打ち上げられていたであろうワカメを木の枝の先につけ、ボクに向かってぐいぐいと押し付けてくる。
「採れたてだから栄養満点だよ、多分」
「食えってか! 生のまま食えってか!!」
「言ってたじゃん、蛍……ワカメは食物繊維? がたっぷりだとかなんとか」
「いやまあ確かに言いましたけど! 言いましたけど~~~!! やめろ!! 磯臭い!!」
食え、と言わんばかりに顔に押し付けてきた影人さん。頬に軽く刺さった木の枝を押し退け、ツッコミを入れる。
影人さんは、どこに行っても影人さんだ。気がつくとこうして変なことを始めて、僕がツッコミに回る羽目になる。
まあ、これはこれで何となく……安定している感じはあるのだが。
「とりあえず、元の場所に返してきなさい」
「普段の蛍なら食えって言うのに……」
「それはご飯として出した時の話です! 自然のものは自然に返しなさい!」
ボクが言うと、影人さんは渋々と言った様子でワカメをその辺に放り投げた。そうしてまた元の位置についてはしゃがみ、木の棒で落書きを始める。
影人さんの絵柄はピカソの如く独特な雰囲気のあるもので、今も人のような何かを描いてはいるけれど、誰を描いているのかは分からない。
(あれはあれで楽しんでるのかな……)
そんな影人さんを後目に、ボクもまた波と戯れる。泳ぐのは苦手だからあまり深入りは出来ないけれど、波を蹴り上げるだけでも十分楽しい。
いつもと違う風景、いつもと違う風、いつもと違う音。そして、いつも一緒にいる友達との二人旅。
こんな自由気ままな時間さえ、彼と一緒なら最高の思い出になりそうだ。黙々と砂浜で遊ぶ彼を見るボクの頬は、嬉しさで緩みきっていた。
◇ ◇ ◇
……そうして遊び尽くした日の夜。
入浴や食事を終えたボクらは浴衣を身に纏い、二組の布団が敷かれた客室でのんびりと過ごしている。
窓から浜辺の景色が一望でき、そのうえ夕食と朝食のバイキング付き。他のホテルなら一人三万弱はかかるところを、ここは二人で二万弱とかなりお安めだ。
あちこちの予約サイトを転々とし、ようやく見つけた優良物件。我ながら良いところに目をつけたな、なんてちょっと誇らしくなってしまう。
(それにしても珍しい、今日は「一緒に寝よう」って言ってこないんだ……)
二人で寝泊まりをする時、いつもなら「一緒に寝よう」って誘ってきた影人さんが、今日は何も言ってこない。
一人で布団に潜り込み、黙々とスマホの画面をじっと見ている。
『……抱き枕が無いからさ。代わりに蛍が俺の抱き枕になってよ』
夏休みのある日、ボクの部屋で寝泊まりした時の影人さんの言葉を思い出す。
抱き枕がないと寝られない、みたいなことを言っていたのに……もしかして、今日は一人で寝たい気分なのだろうか。
影人さんに抱かれながら寝ることに慣れすぎたのか、なんだか期待しているような自分がとても恥ずかしい。
「影人さん、そろそろ電気消しますよ?」
「あー……うん、分かった」
影人さんの返事を聞いたのち、消灯。
影人さんはそのままスマホとにらめっこを続けていたけれど、ボクは目を閉じて夢の中へ行く準備をしていた。
明日の朝食バイキングは7:30から9:00まで。休みだからと夜更かししていると、朝ご飯を食べ損ねてしまう。
恐らく影人さんはいつも通り起きられないだろうから、ボクだけでもしっかりしていなきゃいけない。
そうとなったら、まずは早いうちに眠りについて──
(!?)
──静寂の中、窓が揺れる音が響く。
「影人さん、もう少し静かに……」
「……俺、何もしてないけど」
目を瞑ったまま聞いた返事に、目を覚ます。
え、と声を漏らしながら慌てて真横を見ると、影人さんは布団を被ったままスマホの画面を見つめていた。
窓は部屋の段差を越えた先にあり、手を伸ばして届くほど近くではない。瞬間移動でもしなければ影人さんがすぐ元の位置に戻るのも不可能で、彼の仕業でないのはすぐに分かる。
(風の音か何かかな……)
もしかしたら今の時間から天気が急激に変わった、のかもしれない。
そう思いながら再度目を閉じ──
「ひぃっ!?」
「あー……これがポルターガイストってやつ? すごいね」
──ガタガタッ、と客のドアが揺れる音がした。
「い、今のって絶対風の音じゃないですよね!? もしかして影人さん……」
「だから、俺じゃないよ。超能力者じゃあるまいし、布団の中からドアも窓も動かせないって」
いつも通り抑揚のない、淡々とした声で言う。どちらかというとドアに近い位置にいるのはボクだが、ボクは布団から一歩も出ていない。
ついでに言えばドアの向こうは廊下だ。廊下には窓なんて無かったし、外から風が入る隙もない。空調だって、そんなに強い風は吹かせないだろう。
廊下の向こうに誰かがいるんじゃ……なんて考えも過ぎったが、他の客やホテルのスタッフがいたずらにドアをいじるとも考えられない。
……だとしたら、今の音は何だったのだろう。謎の怪奇現象に、ざわつきが止まらない。
「……そういえば、蛍は知らないよね」
「な、何がです……?」
「これ」
影人さんがボクにスマホの画面を向ける。
黒地の背景に赤い文字と白い文字。配色だけでもどこかゾッとするような、恐怖心を煽るWebサイト。
「……これって」
「心霊・オカルト掲示板ってやつ。事故物件とか心霊スポットに関する書き込みが結構あるんだけど」
何事も無いかのような、何も感じていないかのような。揺らぎのない平坦な声で影人さんが語る。
心霊だのオカルトだの、正直言ってボクは得意ではない。特にこんな夜中にそういった類いの情報や映像を見るのなんて、以ての外だ。
けれど、影人さんが今この状況でボクに見せるということは、このサイトに何か答えがあるのだろう。恐る恐る、スマホの画面に目を向ける。
「あの……見間違いでなければ、これ……」
「うん」
「ボクらが泊まってるホテルの名前……ですよね……」
心霊・オカルト掲示板――掲示板のタイトルの下には、『ホテル ニュー鳥遊里のウワサ』と書かれていた。
知りたい気持ちと目を背けたい気持ちがせめぎ合う中、ゆっくりとスクロールを進める……。
【ホテル ニュー鳥遊里って昔客同士で殺人事件あったよな 痴情のもつれで女がカップル殺したっていう】
【近所で自殺騒ぎもなかったっけwww 俺行った時丁度噂になってたwww】
【>2 あったあった。なんか噂じゃ一人で泊まりに来た受験生が将来を悲観して死んだんだっけか?】
【なんか条件の割に安いから変だなって思ったらそういうことだったのか 泊まった奴マジ乙(笑)】
「……。冗談ですよね? ね?」
「マジだと思うよ、こんだけ噂があればね」
スクロールを進めるたびに入ってくる情報に、どんどん血の気が引いていく。膨らんでいく恐怖心で、体もガタガタと震え始めた。
このページのスクロールバーはかなり短く、それだけでもこのホテルの噂の多さを物語っている。
つまり、このホテルは知る人ぞ知る心霊スポットだった……というわけで。
「っていうか影人さんもしかして知ってたんですか!? なんで黙ってたんですかコンチクショウ!!」
「黙ってた方がいざ知った時の反応面白いかなと思って……」
「人の反応で遊ぶんじゃない!! うぅ……ボクだって知ってたらこんなとこキャンセルしたのに……」
お互いまだ学生で、バイトもしていない。あまり高いところには泊まれない。けれど、安いからといってケチな旅館にも泊まりたくはなかった。
そんな中見つけた、この「ホテル ニュー鳥遊里」。値段の割に客室からの景色やサービスもいい、そんな理由でこのホテルを予約したのだけれど……まさか、こんな裏があっただなんて。
格安で好条件なホテル、なんて物件に釣られたボクがバカだった。裏の裏までちゃんと下調べをしなかった自分の甘さに、後悔が寄せてくる。
もしかして、先ほどの怪奇現象も幽霊によるもの……? そう考えた瞬間、凍ったように寒気が走る。
男子高校生たるもの幽霊に怯えるなんて情けないとは思いつつ、男としてのプライドだけで眠れるほどボクは強くない。
このままじゃ、怖くて眠れない――そう思ったボクはスクロールの手を止め、影人さんに尋ねる。
「……あの、影人さん……そっち、行ってもいいですか?」
「……一緒に寝る?」
「え、えぇ……ちょっと、怖くて……」
ボクが言うと、影人さんは布団をめくって「いいよ」と手招きをした。すぐさま布団の中に入り、影人さんにぴったりとくっつく。
テレビやクラスメイトの噂で心霊的な話は何度か聞いたことはあるが、その中でもかなり頭にこびりついているのは、
【寝てる間に手足を掴まれた感覚がして、起きたら誰かに握られた痕がついていた】
……という、個人的にめちゃくちゃ怖い怪談だ。
この部屋での怪奇現象と怖い噂で唐突にそんな話を思い出してしまったボクにとって、こんな部屋で一人で寝るのは拷問以外の何でもない。
寧ろ、怖さのあまり寝不足になりそうだ。こんな状況下でも平気そうな影人さんが一緒で良かった、とため息を漏らす。
(……本当、影人さんが一緒で良かった)
影人さんがすぐ近くにいる──服越しに感じる体温に、安心感と胸の高鳴りを覚える。
未だ怪奇現象への恐怖心は消えていないけれど、これならそのうち眠れるかもしれない。
そう思い、目を閉じると――
「……蛍、知ってる?」
「な、何がです?」
うつ伏せになっていた影人さんが横を向き、ボクとの距離を詰める。
何をするつもりだろう。そう思ったボクは目を開け、影人さんに顔を向ける。
「幽霊ってさ、下ネタとかエロい話とかすると逃げるらしいんだよね……」
急に少し涼しくなった胸元、ひやりとした柔らかい感触が服の中に入り込む。
体のラインをなぞるように這う指にぴくりと体が震え、咄嗟にその手首を掴んだ。
「い、いや、あの、それと今の状況ってなんの関係があるんですか!?」
「俺と蛍でエロいことすれば多分幽霊も逃げると思う……」
「はいぃ!? 科学的根拠ないでしょそんなの!! ぶっちゃけその噂にこじつけてアナタがシたいだけじゃ……っ!」
ないんですか――そう言いかけたところで、耳に吐息がかかる。そのまま影人さんがボクの耳に顔を寄せ、ちゅっとわざとらしく音を立てた。
ぬるっとした生温い何かが耳に触れ、形をなぞるように這う。そのうちに耳孔に舌が侵入し、ぐちゅぐちゅと音を立てられる。
体中に響くほどの水音に、脳髄まで侵されそうだ。
「んんっ、や、……ッ、あっ」
ぞくぞくと震える体からは段々と力が抜け、影人さんの手首を掴んでいた手も緩んでしまう。
自由になった影人さんの手はボクの浴衣に手を入れ、胸元に触れる。下から上へ持ち上げるようにやんわりと揉んだり、胸の頂を指で捏ねたりと、好き放題弄られる。
影人さん、と名を呼ぶ暇すら与えてくれないいやらしい手つきと耳への強い刺激に、体中が熱くなる。
「もう顔が蕩けてる……」
「はッ、……だ、だっていきなり、こんな……激しく、する、から……」
「ほんと、蛍ってすごい敏感だよね」
僅かに、にやりと口角を上げる。耳孔を刺激していた舌を離すと、今度は頬に唇を寄せる。
そのまま耳裏、首筋、鎖骨、胸元……と、ゆっくりと口付けを落としていく。その合間に感じる僅かな息遣いにもこの体は反応し、もっと熱を上げて。
先ほどまで指で遊んでいた胸の頂きにもキスをし、ちゅう……と影人さんが吸い付く。
「あッ……や、やめっ、そこ、は、ひッ……あんっ」
赤子のように吸い付かれ、ボクの体がびくんびくんと震える。いくら吸ったって何も出てこないのに、影人さんはいつもこうしてボクの胸を嬲っている。
ボクがここを攻められるのが弱いと知っての行動だろう。実際、影人さんの手でここを触れられると気持ち良すぎて狂ってしまいそうで。
まだ触れられてもいない下半身にも熱が集中し、触ってほしいと本能が疼いている。
「む、胸ばっか、やッ、あぁっ」
「……何? どうしてほしいの?」
「ッ、あっ、それは……ひっ」
「言ってくれなきゃ分からないよ? 蛍」
そんな意地悪な言葉を投げつつ、ボクの体を線に沿って撫でる。やがてその手が内腿に辿り着くと、つぅ……と指を這わせる。
ボクの昂りにも僅かに触れる手つきに、体の震えが止まらない。触れて欲しいところにわざと触れようとしない、意地悪なその手に切なさが増していく。
「し、下……も、……触って……」
「そう……蛍のコレ、もう凄い硬くなってるもんね」
「ひゃっ!」
下着越しに、きゅっと陽物を摘む。待ってましたと言わんばかりに反応するソレに、ぐわっと羞恥心が湧き出てくる。
ぴんと立った胸の頂きから口を離すと、する……とボクの浴衣を開き、下着を降ろす。身を隠すものがなくなった陽物はもう既に反り返って、先が少しだけ濡れていた。
「……蛍、今日はいつもと違うことしよっか」
「え? ……な、……何です……?」
そう言うなり影人さんは前を開き、自らの下着を下ろす。露わになった白い肌にどきりと胸が鳴る。
昔彼が受けた虐待の傷跡がそこかしこに残っているけれど、ボクの目にはそれすらも芸術の一つのように見えて。整った顔立ちに見合ったその肉体に、目が離せなかった。
「俺のも、そろそろ限界だからさ……」
ボクに体を寄せ、ぴたりとくっつく。ゼロ距離になった美顔に胸を鳴らしていると、下半身に違和感が走る。
影人さんの勃ち上がった陽物がボクのソレとくっついたようで、僅かに擦れた感覚に小さく肩が震える。
何をするのかと待ってみると、影人さんの手がボクの陽物に触れる。包み込むように触れては、ゆっくりと扱き始めた。
「ッ、あっ!? か、かげ、ひっ、」
「は、ッ……たまには、いいでしょ……こういうのも……」
吐息を漏らしながら、影人さんが笑む。僅かに朱色に染まった頬に、またとくんと胸が鳴る。
普段表情が揺るがない影人さんの、こういう顔は大好きだ。もちろんいつもの顔も好きなのだけれど、ボクとのことに揺らいでくれてると思うと、心の底から満たされた気持ちになる。
二人分の陽物を扱く影人さんの手に、腰が揺れる。
「蛍も」
「えっ……ッ、な、……なん、です……ッ……?」
「……手、貸して」
空いた手でボクの手を取ると、その上から重ねられる。もしかして、ボクにも触れということなのだろうか。
襲い来る快楽に耐えつつ、ボクも彼と同じように手を動かした。
二人分の手が触れる感覚とお互いの陽物が擦れる感覚に、体の奥から熱が上がっていく。
目の前を見れば息が荒くなり始めた影人さんの顔があり、目を瞑れば更に快楽が集中的にボクを苛む。
幽霊が怖い、怪奇現象が怖い──そんな気持ちは、もうこの遊戯の中ですっかり消えて無くなっていた。
今あるのは影人さんへの胸の高鳴りと、ボク自身を満たそうとする快楽の波だけ。
「ッ、あっ、影人、さ、……出そ、……」
「うん、俺も……」
先端から根元まで余すことなく襲う刺激に限界を感じ、ボクのモノは溜め込んでいた感情をどくどくと吐き出した。影人さんのモノからも同じものが吐き出され、お互いの体をいやらしく染めていった──。
◇ ◇ ◇
──そうしてお互いの体を慰めあった、その翌朝。
「確かに途中から幽霊の気配は無くなったように思いましたけど……」
「……うん」
「朝食バイキングの入場時間!!!! とっくに過ぎてるじゃないですか!!!!」
夜通し快楽に溺れた代償か、起床時間は9:25。バイキングどころか、チェックアウトの時間が刻一刻と迫っている。
昨夜の余韻に浸る暇なく、ボクは急いで荷物をまとめるのだった……。
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