夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第五章

第八話 抱えた想い

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 懐かしいな、と複雑な笑みを浮かべながら語り終える。
自分と形は違えど、母親から非道な扱いを受けていた。そんな蛍の話に、影人は一瞬だけ目を逸らした。

 実の親からちゃんとした愛情をもらっていなかったのは、あいつも一緒か――なんて。

「母親も、父親も、実の兄も信じられなくなった蛍だ。こっちで一緒に住むようになってからもずっと心配で……いつか、蛍のことをちゃんと分かってくれる人に出会えればと、俺達は願ってた」
「………………」

「けど、俺の心配は、どうやら杞憂に終わりそうだ。俺が思った以上に、影人君は蛍にとっていい友達で安心したし、何より……」

 優しい笑みを浮かべながら、頭を撫でようと手を伸ばす……が、すぐに手を引っ込める。
いつの日か、自分が触れたことでおかしな様子を見せた影人を思い出したからだ。


「そのままの蛍でいいと言ってくれたことが、俺は自分の事のように嬉しい」

 ――それが一番聞きたかった。
そう言いながら行き場のない手をテーブルの上で組み直し、再度影人を見つめる。

 実の息子のように可愛い甥は、ずっと劣等感をくすぶらせていた。
不出来な面ばかり母親に責められ、父親にも守ってもらえず、そして兄を見るたびにコンプレックスを刺激されて。

 ずっと苦しかった人生の中、こんな風に蛍をまっすぐ見つめてくれる「友人」が出来ていた──叔父さんにとってそれは何より愛おしく、喜ばしい事実だった。


「……影人君」
「……?」
「落ち着くまで、しばらくうちにいなさい。今までと同じように、自分の家のように寛いでくれていい。蛍にとって大事な友達である君のことも、おじさんは大人として全力で守るよ」

 きっとおばさんもそのつもりだろうし、とビールを一口含む。
両親を始め、大人から純粋な好意を向けられたことに不慣れな影人は戸惑いを覚え、視線を落としてしまった。

 こんな時、どう反応したらいいのだろう。
返す言葉も見つからず、ただ投げられた言葉を咀嚼することしか出来ない。


「……蛍と友達になってくれてありがとう、影人君」

 そんな風に黙り込んでしまった影人の気持ちを、何となく察したのだろうか。特に言及をすることはせず、叔父さんは穏やかな笑みを浮かべて影人に告げる。

 誰かと比べられてばかりの苦しみを、ずっと味わってきた蛍。その蛍が、影人の存在によって救われる日も近いかもしれない。
……否、もう救われているだろう。叔父さんはそんな想いを胸に、心の中でそっと影人の頭を撫でていた。






(……とも、だち…………?)


 その言葉に影人が違和感を抱いたことなど、露も知らずに。






◇ ◇ ◇






 ──その夜。
 同じ布団の中ですやすやと寝息を立てる蛍を抱きしめたまま、影人は思考を巡らせていた。

「…………」

 自分に向けられた、蛍の背中を見つめる。
いつからか、彼はかたくなに自分に背を向けて寝るようになっていた。
こっち向けばいいじゃん、と言ったところで「恥ずかしいから嫌です」なんて拒否されて。



(……分かりやすい奴)

 文化祭でメイクを施していた時、自分と長時間目を合わせることが出来なくなっていた蛍。
思えば、あの時からだ。自分と目が合うたびに頬を染め、ひとたび触れれば緊張した様子を見せ。自分と誰かの話をすれば、どことなく不機嫌な雰囲気を醸し出す。

 そんな彼の行動を思い出せば、すぐ納得のいく行動だ。
自分のことが本当に嫌ならば、こうして同じ布団に入ることだってしないだろう。

 何気なく人のことをよく観察している影人にとって、いつも傍にいる蛍のことなどすぐ分かる。
きっと、照れて顔を向けることが出来ないのだろう──そう思うと、自然と心の中に火が灯るような暖かさが湧き出ていた。

(…………蛍)

 肩を上下させて寝息を立てる蛍の髪にそっと触れる。
前までなら「初心ウブで面白い」──なんて思っていたのだが、今の自分は違う。
今まで誰に対しても抱いたことのなかった感情を、自分は蛍に向けている。

 からかう意味でなく、心の底から「可愛い」と。



『……蛍と友達になってくれてありがとう、影人君』

 叔父さんからの言葉を脳内で繰り返し再生する。
「友達」という言葉に、影人の中の違和感はどんどん膨れ上がっていくばかりだった。


(……違う)

(今までだったら、それで頷けただろうけど)


 ──叔父さんの言葉には、心の底から頷くことが出来なかった。

 本当にただの「友達」だったら、こんなふうに触れていたいと思うだろうか。
この温もりを、感触を、独り占めしていたいと思うだろうか。

 あの時黒葛原つづらはらにされたように、他の誰かに蛍を取られたくない──そんな風に、誰かを激しく妬むだろうか。


 "友達"という言葉で片付けるには、この感情は重すぎる。
今まで誰にも興味を示さず、誰とも深く関わらず生きてきた影人にとって、初めて抱えた大荷物だった。

 ぎゅっと強く抱き寄せて、顔を埋める。ほどよい温かさと心地いい柔らかさが、芽生えてしまった感情を刺激する。
母親から逃れるために咄嗟にしたキスの瞬間を思い出しては、また蛍を焦がれてしまう。

(…………)

 あの時触れ合わせた自分の唇に、指で触れる。
未だに鮮明に思い出せるあの柔らかな感触を、自分は彼に求めている。
自覚をしてしまったが最後、欲しくて欲しくてたまらなくなってしまっていた。




『俺は、あのままの蛍が――』

 叔父さんと対談した時、自分が言いかけた言葉が、一体何だったのか。あの時は戸惑いが勝って、その先を言うことが出来なかった。
けれど、今なら理解出来る。そして、胸を張って彼に告げることだって出来る。


(あのままの蛍が―― "好き"なんだ)



 無防備に晒された蛍のうなじに、そっと唇を寄せる。
ちゅ、と音を立てて吸い付くと、蛍は「んっ……」と小さな声を漏らし、身じろぐ。
漏れた甘い響きに刺激された心臓は小さく鼓動を鳴らし、内に秘めていた独占欲を更に煽っていく。

(……蛍)

 もう一度、蛍とキスをしたい。
男としての欲求を満たすためじゃなく、乾いた心を満たすため。

 ──愛おしいと思ってしまった彼の存在を、誰よりも近くに感じるため。



「……俺だけのものになってよ、蛍」

 うなじにうっすらと咲いた赤い花を指でなぞり、夢の中にいる愛おしい存在に、影人は乞う。
その声に返ってきたのは、時を刻む針の音だけだった。
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