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風邪を引いた日の話
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週末の連休が明けた月曜日、鳴り響くアラーム。眠い目を擦りながら音を止め、もぞもぞと動き始める。
銀髪紅目の美少年・黒崎 影人は、とにかく朝に弱い。ふわふわと温かな温度で包み込む布団から抜け出す、その第一段階すら突破するまで数十分はかかるほどだ。
(だる……)
朝早く起きて、したくもない勉強をして、したくもない運動をさせられて、別に興味のない奴ら(一部除く)と集団行動などとクソかったるい一日を過ごす。影人にとって、そんなことばかりの毎週五日は憂鬱でしかない。
特に誰にも心を開いていなかった高校一年の頃は、とにかくサボってばかりだった。
今は唯一信頼できる友人が傍におり、そこそこ楽しい時間を過ごせている。学校に来なければ彼が口うるさく色々言ってくることもあり、おかげで今は(体調不良を除けば)ほぼ皆勤賞だ。
彼の協力により、今はどうにか留年も免れている。
「そろそろ出ないと……」
額の傷跡を隠すためのファンデーションを塗り、誕生日にもらったヘアピンを留め、スクールバッグを肩に背負う。
堅苦しい革靴を履いて、いざ出陣──といったところで、ある音が影人の足を止めた。
(蛍?)
どうにかやる気を出したところで鳴り響いた着信音。スマホの画面を開けば、「蛍」の字。
こんな朝早くから電話とは、一体何なのだろう。影人は通話開始ボタンをタップし、聞こえてくる声に耳を傾けた。
『もしもし、影人さん……けほっ、すみません朝から……』
「……どしたの」
『ボク、今日学校お休みします……』
けほけほ、と咳き込みながら話をする友人──不破 蛍の声。男子にしては少し高めなはずの声色が今日は低く、喉の奥に何かが引っかかっているかのように皺枯れている。
(もしかして……)
その声を聞いた影人は、友人が学校を休む理由をすぐに理解した。彼から直接理由を聞くよりも、早く。
「お前、風邪引いた?」
『けほっ……そうなんですよ。熱あるし、喉痛いし、だるいし……もしかしたらって思って熱計ったら、37.4もありまして』
「健康ガチ勢のお前が風邪なんて珍しいね」
『昨日雨降ってたでしょう? その時、傘持ってなかったんで走って帰ったんですよ。そしたら見事に……それなんで、今日は一緒に行けません』
蛍の言葉に、影人は「あー……」と何となく納得したように返事をした。そういえば、昨日の休みは雨だったっけ……と、昨日の空模様を回想しながら。
雨降る休日など、特に用が無ければ家から一歩も出ることはない。その日も影人は家に籠りっぱなしで、蛍とは一切関わっていないのだ。
あくまで影人の想像であるが、男子高校生にしては家庭的な蛍のことだ。もしかしたら、買い出しか何かの時に雨に降られてしまったのかもしれない。
「お前ん家、叔父さんと叔母さんは?」
『平日なんでお仕事です。叔父さんは繁忙期だし、叔母さんも欠勤者が出ちゃったから、駆り出されちゃったんですよ……』
「じゃあ一人? 大丈夫なの?」
『大丈夫です、今日のところは安静にして寝てれば……多分、よくなります。小さい子じゃあるまいし、忙しい二人を休ませるなんて出来ませんよ』
「……そう」
蛍の口から出た言葉に、ため息を吐く。相変わらず蛍は蛍だな、と。
他人に対して自分よりもずっと気遣いのできる彼だ、仕事が忙しい叔父や叔母に対し「自分はもう高校生だから」と一人で耐える道を選んだのかもしれない。
ふと、影人は少し前のことを思い出す。自分が風邪を引いた時、蛍はどうしていただろうか。
学校帰りにわざわざ自分の家まで来て、料理をしたりご飯を作ったり、汗ばんだ体を拭いてくれたり……と、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていた。
都合のいい時にしか相手にされない自分に、あそこまで尽くしてくれた人間は今までいなかったのだ。
今度は逆の立場になっている今、自分はどうするべきか──そうして導き出した答えは、一つ。
「分かった……今からお前ん家行く」
『え!? だ、ダメですよ影人さん!! 学校は……』
「いいから、病人は大人しく寝て待ってて」
『ちょっと影人さ……』
電話越しに投げられる蛍の反論を無視し、強制的に電話を切る。
財布とスマホと鍵、最低限の荷物だけ持って影人は家を出た。
◇ ◇ ◇
電話から30分後……コンビニ袋を片手に蛍の家に着いた影人は、玄関のチャイムを鳴らす。
叔父さんと叔母さんの車がないところを見ると、この時間から蛍は本当に一人なのだろう。チャイムを鳴らして2分ほど経ったところで、ようやくドアが開けられる。
「えぇ、本当に来たんですか……どうするんですか、学校は」
影人を出迎えたのは、パジャマにマスク姿の弱々しい蛍だった。
いつものピン留めも無く、跳ねていた髪の毛はストンと真っ直ぐ下ろされている。
真っ赤に染まった頬、前屈み気味の体。どう見てもいつもより弱った様子なのに、こんな状況下でもこの友人は他人の内申を気にしているらしい。
どこまでお節介なのだろう。そんな友人に、影人は再度ため息を吐く。
「行くわけないでしょ、お前が休むなら俺も休むよ」
「なーーに言ってるんですか! こんなことで欠席なんてしてアナタの内申に響いたら……けほっ、けほっ……」
「あー……ほら、大きな声出すから」
どうするんですか、と言いかけたところで蛍が咳き込む。
このまま言葉の応酬を続けても、きっと同じ言葉を返してくるだろう。
いつまで経っても埒が明かないと思った影人は無言で家に上がり、蛍の手を取って「行くよ」と部屋へ誘導した。
◇ ◇ ◇
「何がいいか分かんないけど、とりあえずよさげなの買ってきた」
「こんなに買ってきてくれたんですか……」
どうにか蛍を部屋に誘導できた影人が、テーブルの上に買ってきたものをずらりと並べる。
スポーツドリンク、カットフルーツ、ゼリー、プリン、レトルトのおかゆ……と、風邪を引いた時に食べる定番のものばかりだ。
普段の影人ならここまで大量に物は買わないし、これらを選ぶこともしないだろう。普段の様子を知っている蛍は、思わず「わぁ……」と声を出していた。
「俺、人の看病とかしたことないし、クソ野郎もクソババアも俺の事ほっといてたからね……何をどうしたらいいか分からなくて」
「……そう、なんですか」
「うん。だから、お前が俺にしてくれたこととか、スマホで調べて出てきたものとか……そういうので適当に見繕った。食える?」
そう言いながらアイスをスプーンで掬い、蛍の口元へ持っていく。
所謂、「あーん」というやつだ。すぐに察した蛍は目を丸くしながら、いやいや!と手を振る。
「た、食べられます! 自分で食べられますから! 大丈夫ですよ!」
「そう? 遠慮しなくていいのに……」
「遠慮じゃなくて、恥ずかしいんですよ……」
熱で火照った顔が、更に赤く染まる。
影人からアイスとスプーンを奪い取ると、「あーん」をする隙も与えまいとするかのようにがつがつと食べ始めた。
(怠そうなのに、食欲は普通にあるんだ……流石健康優良児)
そんな蛍を、影人は感心するように眺めていた。
「お気持ちはありがたいですけど、学校には行った方がいいですよ……夕方には叔父さんと叔母さんも帰ってきますし、ボクは大丈夫です」
5分と経たずアイスを食べ終えた蛍はマスクを再び装着し、再度影人に告げる。
時刻は8:30。この時間に行けば多少遅刻にはなるものの、欠席をするよりは内申的にはマシだろう。そんな考えから、蛍は再び登校を勧めるのだが。
「……それなら、二人が帰ってくるまで俺いるよ。お前がいないんじゃ、学校行ったってつまんないし」
「えっ……。……こ、こほん、そうじゃなくて! さっきも言ったでしょう、ただでさえアナタ居眠りやらサボりやらが多いんだから、こういう時くらい……」
行かないと答える影人、行けという蛍。またもや平行線オチになりそうな戦いの火蓋が切って落とされそうだ。
いい加減このやりとりにもうんざりしてきた影人は、今日何度目かのため息を再び吐く。
「……蛍って本当真面目すぎるよね、生き辛くない?」
「誰のせいだと思っとんだこのや……げほっ」
この野郎、と言いかけたところで再び咳き込む蛍。そんな彼に、言わんこっちゃないと言いたそうに少しだけ眉を顰める。
面倒くさがって遅刻や欠席、居眠りを繰り返してきた自分が悪いのは分かるものの、こんな状況でもなお他人の内申を気にする友人にはありがたみを感じるどころか呆れて物も言えなかった。
「……風邪は引き始めが肝心なんでしょ? 俺のことはいいから」
「でも……」
「お前だって、俺が一人だからって世話してくれたじゃん。俺には同じことさせないのは不公平だよ」
ここまで言わないとこいつは引き下がらないだろう──面倒くさいと思いつつ、影人は思いつく限りの言葉をぶつける。
「不公平」という言葉が胸に刺さったのだろう、蛍はそこで言葉に詰まり、降参した様子で黙り込む。
「……すみません。アナタにうつしたくない気持ちもあって、つい……。ありがとうございます、影人さん」
「いいよ、別に。とりあえず体でも拭いとく?」
「い、いやそれはまだ良いです……とりあえずちょっとだるいんで、今は横になりたいかな~なんて……」
「だから適当に寛いでてください」と言いながら、蛍がロフトベッドで横になる。すると影人も後に続いて階段を登り、蛍の隣で寝転がり始めた。
「蛍、もっと端に寄ってよ」
「は!? ちょっと、何しようとしてるんですか影人さん!!」
「何って、お前で暖取ろうかなって……」
「だーめーでーすー!! ボク風邪引いてるんだから!! うつりますよ!!」
蛍の抗議も聞かず布団をめくり、ずいずいと布団に潜り込もうとする影人。精一杯の力で布団を引っ張る蛍は、どうにか入り込ませまいと抵抗を試みていた。
しかし、風邪で弱った体はいつもより力が出ない。細身な影人が少し力を入れて引っ張っただけで簡単に布団を奪われてしまう。
「別にいいよ、休めるから」
「よくなーい!!」
マスクの下から声を上げ続ける蛍を無理やりどかし、影人もベッドの中へ収まる。
一人用のはずであるシングルベッドの中に、175cmの男子高校生が二人。肩と肩が密着するほどの距離の近さに、蛍の顔が余計に熱くなる。
あまりの近さに、心臓はどくんどくんと大きな音を立てて落ち着かない。たまらず、蛍はふいっと影人に背を向けた。
「あー……暖かい」
そんな彼の様子も構わず、影人は熱で火照った蛍の体を抱き寄せる。
男子高校生にしては柔らかく、自分より体温が高い蛍の体はまさに至高の抱き枕だ。今まで抱いてきたどの金蔓どもよりも、抱き心地がいい。
感触を楽しむようにぎゅっと少しだけ腕に力を入れ、肩に顔を埋める。
「も、もしかして寒いんですか? だったら暖房つけてもいいのに……」
「暖房って乾燥するじゃん。それに、今のお前めちゃくちゃ暖かいからこっちの方が早い」
「人をカイロ代わりにすん……けほっ……」
抗議の途中で、またも咳き込む蛍。大切な友人に風邪をうつしたくない――そんな気持ちもあるのに、これ以上の抵抗が出来ない。
今日は会えないと諦めていた影人が自分の近くにいて、こうして自分に触れている。そんな現状に、心のどこかでは喜びを感じてしまっていたからだ。
服越しに感じる影人の感触に、心臓はまだ鳴り止まない。嬉しさと恥ずかしさと緊張で、蛍の体の熱はどんどん上がる一方だった。
「……そういえばさ」
「は、はい?」
添い寝をして少し経ったあと、何かを思いついたように影人がもぞもぞと動き始める。
マスクを取りながらゆっくりと体を起こし、覆い被さるように蛍の体に跨がった。
「風邪ってさ、キスしたらうつるかな」
「は!?」
「近くにいるだけじゃうつらないかもしれないけど、粘膜接触の一つすれば流石にうつるでしょ」
「ななな、何言ってんですかこのクソ怠惰ナイスガイ!! うつるに決まってるでしょうが!!」
じりじりと顔を近づける影人の両肩を押しながら、蛍は顔を背けた。
蛍の気持ちや本能としては、影人とキスはしたい。影人と唇を触れあわせる瞬間は何より心地良くて、心臓が壊れそうなほどドキドキするような幸福感がある。
一度してしまったら最後、何度でも、いつまでもしていたい――そう思ってしまうほど好きな瞬間だ、蛍としてもキスをしたいのは山々なのだ。
しかし、今は状況が状況だ。自分は風邪っぴきの病人で、友人に同じような苦しみは味わわせたくない。
近くにいるだけでも感染させかねないのに、キスだなんて肉体的な接触をしてしまったら完全にうつしてしまうだろう。
後のことを考えて、キスをするわけにはいかない。今はまだ本能より理性が勝っている蛍は、力いっぱい影人に抵抗を続けていた。
「俺は風邪で学校休めるし、お前は元気になれる。一石二鳥じゃない?」
「体良くサボりたいだけでしょうが!」
「あー……あと、アレだね。キスしたら気持ち良くもなるし、一石三鳥……?」
「馬鹿なこと言ってんじゃ……あ、ちょっと……!!」
いつもより弱っている蛍の腕力などものともせず、その顔からマスクを奪い取る。
蛍の顔に両手を添え、向きを変える。自分と向かい合わせたまま固定し、唇を触れあわせた――。
◇ ◇ ◇
――翌日。
「あれだけしたのに、何で俺元気なの……」
「知りませんよ、ウイルスに嫌われてるんじゃないですか?」
いつも通り、通学路を歩く影人と蛍。
キスまでしたのに風邪がうつらなかった――そう項垂れる影人に、気合いで完治させた蛍は呆れたように毒を吐いていた。
銀髪紅目の美少年・黒崎 影人は、とにかく朝に弱い。ふわふわと温かな温度で包み込む布団から抜け出す、その第一段階すら突破するまで数十分はかかるほどだ。
(だる……)
朝早く起きて、したくもない勉強をして、したくもない運動をさせられて、別に興味のない奴ら(一部除く)と集団行動などとクソかったるい一日を過ごす。影人にとって、そんなことばかりの毎週五日は憂鬱でしかない。
特に誰にも心を開いていなかった高校一年の頃は、とにかくサボってばかりだった。
今は唯一信頼できる友人が傍におり、そこそこ楽しい時間を過ごせている。学校に来なければ彼が口うるさく色々言ってくることもあり、おかげで今は(体調不良を除けば)ほぼ皆勤賞だ。
彼の協力により、今はどうにか留年も免れている。
「そろそろ出ないと……」
額の傷跡を隠すためのファンデーションを塗り、誕生日にもらったヘアピンを留め、スクールバッグを肩に背負う。
堅苦しい革靴を履いて、いざ出陣──といったところで、ある音が影人の足を止めた。
(蛍?)
どうにかやる気を出したところで鳴り響いた着信音。スマホの画面を開けば、「蛍」の字。
こんな朝早くから電話とは、一体何なのだろう。影人は通話開始ボタンをタップし、聞こえてくる声に耳を傾けた。
『もしもし、影人さん……けほっ、すみません朝から……』
「……どしたの」
『ボク、今日学校お休みします……』
けほけほ、と咳き込みながら話をする友人──不破 蛍の声。男子にしては少し高めなはずの声色が今日は低く、喉の奥に何かが引っかかっているかのように皺枯れている。
(もしかして……)
その声を聞いた影人は、友人が学校を休む理由をすぐに理解した。彼から直接理由を聞くよりも、早く。
「お前、風邪引いた?」
『けほっ……そうなんですよ。熱あるし、喉痛いし、だるいし……もしかしたらって思って熱計ったら、37.4もありまして』
「健康ガチ勢のお前が風邪なんて珍しいね」
『昨日雨降ってたでしょう? その時、傘持ってなかったんで走って帰ったんですよ。そしたら見事に……それなんで、今日は一緒に行けません』
蛍の言葉に、影人は「あー……」と何となく納得したように返事をした。そういえば、昨日の休みは雨だったっけ……と、昨日の空模様を回想しながら。
雨降る休日など、特に用が無ければ家から一歩も出ることはない。その日も影人は家に籠りっぱなしで、蛍とは一切関わっていないのだ。
あくまで影人の想像であるが、男子高校生にしては家庭的な蛍のことだ。もしかしたら、買い出しか何かの時に雨に降られてしまったのかもしれない。
「お前ん家、叔父さんと叔母さんは?」
『平日なんでお仕事です。叔父さんは繁忙期だし、叔母さんも欠勤者が出ちゃったから、駆り出されちゃったんですよ……』
「じゃあ一人? 大丈夫なの?」
『大丈夫です、今日のところは安静にして寝てれば……多分、よくなります。小さい子じゃあるまいし、忙しい二人を休ませるなんて出来ませんよ』
「……そう」
蛍の口から出た言葉に、ため息を吐く。相変わらず蛍は蛍だな、と。
他人に対して自分よりもずっと気遣いのできる彼だ、仕事が忙しい叔父や叔母に対し「自分はもう高校生だから」と一人で耐える道を選んだのかもしれない。
ふと、影人は少し前のことを思い出す。自分が風邪を引いた時、蛍はどうしていただろうか。
学校帰りにわざわざ自分の家まで来て、料理をしたりご飯を作ったり、汗ばんだ体を拭いてくれたり……と、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていた。
都合のいい時にしか相手にされない自分に、あそこまで尽くしてくれた人間は今までいなかったのだ。
今度は逆の立場になっている今、自分はどうするべきか──そうして導き出した答えは、一つ。
「分かった……今からお前ん家行く」
『え!? だ、ダメですよ影人さん!! 学校は……』
「いいから、病人は大人しく寝て待ってて」
『ちょっと影人さ……』
電話越しに投げられる蛍の反論を無視し、強制的に電話を切る。
財布とスマホと鍵、最低限の荷物だけ持って影人は家を出た。
◇ ◇ ◇
電話から30分後……コンビニ袋を片手に蛍の家に着いた影人は、玄関のチャイムを鳴らす。
叔父さんと叔母さんの車がないところを見ると、この時間から蛍は本当に一人なのだろう。チャイムを鳴らして2分ほど経ったところで、ようやくドアが開けられる。
「えぇ、本当に来たんですか……どうするんですか、学校は」
影人を出迎えたのは、パジャマにマスク姿の弱々しい蛍だった。
いつものピン留めも無く、跳ねていた髪の毛はストンと真っ直ぐ下ろされている。
真っ赤に染まった頬、前屈み気味の体。どう見てもいつもより弱った様子なのに、こんな状況下でもこの友人は他人の内申を気にしているらしい。
どこまでお節介なのだろう。そんな友人に、影人は再度ため息を吐く。
「行くわけないでしょ、お前が休むなら俺も休むよ」
「なーーに言ってるんですか! こんなことで欠席なんてしてアナタの内申に響いたら……けほっ、けほっ……」
「あー……ほら、大きな声出すから」
どうするんですか、と言いかけたところで蛍が咳き込む。
このまま言葉の応酬を続けても、きっと同じ言葉を返してくるだろう。
いつまで経っても埒が明かないと思った影人は無言で家に上がり、蛍の手を取って「行くよ」と部屋へ誘導した。
◇ ◇ ◇
「何がいいか分かんないけど、とりあえずよさげなの買ってきた」
「こんなに買ってきてくれたんですか……」
どうにか蛍を部屋に誘導できた影人が、テーブルの上に買ってきたものをずらりと並べる。
スポーツドリンク、カットフルーツ、ゼリー、プリン、レトルトのおかゆ……と、風邪を引いた時に食べる定番のものばかりだ。
普段の影人ならここまで大量に物は買わないし、これらを選ぶこともしないだろう。普段の様子を知っている蛍は、思わず「わぁ……」と声を出していた。
「俺、人の看病とかしたことないし、クソ野郎もクソババアも俺の事ほっといてたからね……何をどうしたらいいか分からなくて」
「……そう、なんですか」
「うん。だから、お前が俺にしてくれたこととか、スマホで調べて出てきたものとか……そういうので適当に見繕った。食える?」
そう言いながらアイスをスプーンで掬い、蛍の口元へ持っていく。
所謂、「あーん」というやつだ。すぐに察した蛍は目を丸くしながら、いやいや!と手を振る。
「た、食べられます! 自分で食べられますから! 大丈夫ですよ!」
「そう? 遠慮しなくていいのに……」
「遠慮じゃなくて、恥ずかしいんですよ……」
熱で火照った顔が、更に赤く染まる。
影人からアイスとスプーンを奪い取ると、「あーん」をする隙も与えまいとするかのようにがつがつと食べ始めた。
(怠そうなのに、食欲は普通にあるんだ……流石健康優良児)
そんな蛍を、影人は感心するように眺めていた。
「お気持ちはありがたいですけど、学校には行った方がいいですよ……夕方には叔父さんと叔母さんも帰ってきますし、ボクは大丈夫です」
5分と経たずアイスを食べ終えた蛍はマスクを再び装着し、再度影人に告げる。
時刻は8:30。この時間に行けば多少遅刻にはなるものの、欠席をするよりは内申的にはマシだろう。そんな考えから、蛍は再び登校を勧めるのだが。
「……それなら、二人が帰ってくるまで俺いるよ。お前がいないんじゃ、学校行ったってつまんないし」
「えっ……。……こ、こほん、そうじゃなくて! さっきも言ったでしょう、ただでさえアナタ居眠りやらサボりやらが多いんだから、こういう時くらい……」
行かないと答える影人、行けという蛍。またもや平行線オチになりそうな戦いの火蓋が切って落とされそうだ。
いい加減このやりとりにもうんざりしてきた影人は、今日何度目かのため息を再び吐く。
「……蛍って本当真面目すぎるよね、生き辛くない?」
「誰のせいだと思っとんだこのや……げほっ」
この野郎、と言いかけたところで再び咳き込む蛍。そんな彼に、言わんこっちゃないと言いたそうに少しだけ眉を顰める。
面倒くさがって遅刻や欠席、居眠りを繰り返してきた自分が悪いのは分かるものの、こんな状況でもなお他人の内申を気にする友人にはありがたみを感じるどころか呆れて物も言えなかった。
「……風邪は引き始めが肝心なんでしょ? 俺のことはいいから」
「でも……」
「お前だって、俺が一人だからって世話してくれたじゃん。俺には同じことさせないのは不公平だよ」
ここまで言わないとこいつは引き下がらないだろう──面倒くさいと思いつつ、影人は思いつく限りの言葉をぶつける。
「不公平」という言葉が胸に刺さったのだろう、蛍はそこで言葉に詰まり、降参した様子で黙り込む。
「……すみません。アナタにうつしたくない気持ちもあって、つい……。ありがとうございます、影人さん」
「いいよ、別に。とりあえず体でも拭いとく?」
「い、いやそれはまだ良いです……とりあえずちょっとだるいんで、今は横になりたいかな~なんて……」
「だから適当に寛いでてください」と言いながら、蛍がロフトベッドで横になる。すると影人も後に続いて階段を登り、蛍の隣で寝転がり始めた。
「蛍、もっと端に寄ってよ」
「は!? ちょっと、何しようとしてるんですか影人さん!!」
「何って、お前で暖取ろうかなって……」
「だーめーでーすー!! ボク風邪引いてるんだから!! うつりますよ!!」
蛍の抗議も聞かず布団をめくり、ずいずいと布団に潜り込もうとする影人。精一杯の力で布団を引っ張る蛍は、どうにか入り込ませまいと抵抗を試みていた。
しかし、風邪で弱った体はいつもより力が出ない。細身な影人が少し力を入れて引っ張っただけで簡単に布団を奪われてしまう。
「別にいいよ、休めるから」
「よくなーい!!」
マスクの下から声を上げ続ける蛍を無理やりどかし、影人もベッドの中へ収まる。
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あまりの近さに、心臓はどくんどくんと大きな音を立てて落ち着かない。たまらず、蛍はふいっと影人に背を向けた。
「あー……暖かい」
そんな彼の様子も構わず、影人は熱で火照った蛍の体を抱き寄せる。
男子高校生にしては柔らかく、自分より体温が高い蛍の体はまさに至高の抱き枕だ。今まで抱いてきたどの金蔓どもよりも、抱き心地がいい。
感触を楽しむようにぎゅっと少しだけ腕に力を入れ、肩に顔を埋める。
「も、もしかして寒いんですか? だったら暖房つけてもいいのに……」
「暖房って乾燥するじゃん。それに、今のお前めちゃくちゃ暖かいからこっちの方が早い」
「人をカイロ代わりにすん……けほっ……」
抗議の途中で、またも咳き込む蛍。大切な友人に風邪をうつしたくない――そんな気持ちもあるのに、これ以上の抵抗が出来ない。
今日は会えないと諦めていた影人が自分の近くにいて、こうして自分に触れている。そんな現状に、心のどこかでは喜びを感じてしまっていたからだ。
服越しに感じる影人の感触に、心臓はまだ鳴り止まない。嬉しさと恥ずかしさと緊張で、蛍の体の熱はどんどん上がる一方だった。
「……そういえばさ」
「は、はい?」
添い寝をして少し経ったあと、何かを思いついたように影人がもぞもぞと動き始める。
マスクを取りながらゆっくりと体を起こし、覆い被さるように蛍の体に跨がった。
「風邪ってさ、キスしたらうつるかな」
「は!?」
「近くにいるだけじゃうつらないかもしれないけど、粘膜接触の一つすれば流石にうつるでしょ」
「ななな、何言ってんですかこのクソ怠惰ナイスガイ!! うつるに決まってるでしょうが!!」
じりじりと顔を近づける影人の両肩を押しながら、蛍は顔を背けた。
蛍の気持ちや本能としては、影人とキスはしたい。影人と唇を触れあわせる瞬間は何より心地良くて、心臓が壊れそうなほどドキドキするような幸福感がある。
一度してしまったら最後、何度でも、いつまでもしていたい――そう思ってしまうほど好きな瞬間だ、蛍としてもキスをしたいのは山々なのだ。
しかし、今は状況が状況だ。自分は風邪っぴきの病人で、友人に同じような苦しみは味わわせたくない。
近くにいるだけでも感染させかねないのに、キスだなんて肉体的な接触をしてしまったら完全にうつしてしまうだろう。
後のことを考えて、キスをするわけにはいかない。今はまだ本能より理性が勝っている蛍は、力いっぱい影人に抵抗を続けていた。
「俺は風邪で学校休めるし、お前は元気になれる。一石二鳥じゃない?」
「体良くサボりたいだけでしょうが!」
「あー……あと、アレだね。キスしたら気持ち良くもなるし、一石三鳥……?」
「馬鹿なこと言ってんじゃ……あ、ちょっと……!!」
いつもより弱っている蛍の腕力などものともせず、その顔からマスクを奪い取る。
蛍の顔に両手を添え、向きを変える。自分と向かい合わせたまま固定し、唇を触れあわせた――。
◇ ◇ ◇
――翌日。
「あれだけしたのに、何で俺元気なの……」
「知りませんよ、ウイルスに嫌われてるんじゃないですか?」
いつも通り、通学路を歩く影人と蛍。
キスまでしたのに風邪がうつらなかった――そう項垂れる影人に、気合いで完治させた蛍は呆れたように毒を吐いていた。
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