夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第四章

番外編 闕乏(※)

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 馬鹿馬鹿しい。満たすはずの行為を繰り返すほど、逆に虚しくなっていく。



「あっ、あぁんっ、影人ぉ、あっ、んんっ」

 柔らかく豊満な胸に舌を這わせ、空いた手で秘部を刺激する。影人から与えられる刺激に、女は甘ったるい声を上げて体を震わせていた。
影人の部屋の壁が防音加工されてるのもあってか、声を抑える気配はない。影人への好意や高ぶりを、包み隠さず部屋中に響かせている。


 だが、そんなふうに激しい熱の篭もった瞳で見つめてくる女に対し、影人の目にはひと欠片の光も宿っていなかった。

(……なんか、違う)

 不破兄弟のいざこざにピリオドが打たれ、元に戻ったはずの日常。一人暮らしに戻った影人の生活には、言い表せない違和感なにかが現れていた。

 金稼ぎのため、欲を満たすため、空っぽの心を少しでも埋めるため──そんな理由で始めた金蔓おんなたちとの行為に、全く身が入らない。
柔らかな肢体に触れ、女の嬌声を聞き、自身の欲をその中にぶつける。今までなら、その流れの中でこの体も熱くなっていた。

 金蔓おんなたちとこうして淫楽に浸ることで、灰色の人生に一瞬だけ色がついていたというのに。

(……つまんない、何も感じない、……うるさい)

 甲高い女の嬌声は、ただの雑音に。柔らかな肢体は、ただのクッションの様に思えてしまっている。
気持ちが入らない影人の手つきは、正解を探し当てるだけの事務的なものになっていた。

 影人の目は、確かに目の前の女を映している。
ただ……あくまで映している"だけ"に過ぎない。


『ひぁっ、あっ、かげ、ひ、さっ……んゃっ、あっ』
『ひッ……!? か、影人さん、だ、ダメッ、……っ、その中、触っ、ちゃ……ッ!』

 ──あの夜、初めて抱いた友人のことばかりが頭を過ぎる。

 セックスをしている間は、確実に嫌なことを忘れられる。恐怖で涙を流していた友人を慰める、ただそれだけのために始めた何気ない行為だった。
常日頃から興味本位で彼にちょっかいを出していた影人としては、もちろん友人の反応を見てみたい……そんな好奇心もあったわけだが。

 だが、その「興味本位」が予想外の方向に捻じ曲がってしまった。

(……蛍の時は、もっとヤバかったのに)

 何人もの女と体を重ね続けた影人にとって、これ以上ないほどの昂りを感じる蜜夜になろうとは。
影人本人でさえ、その事実には戸惑わずにいられなかった。


「ねぇ、影人……あたし、そろそろ欲しいなぁ」

 媚びを売るような猫撫で声でねだる。影人の下肢にちらちらと目配せをしながら、潤んだ瞳で彼を見つめていた。

 艶のある黒髪、マシュマロを思わせる豊満な乳房、桜色の潤った唇、そして子猫のような可愛らしい顔つき。
こんな美少女に欲しがられれば、大体の男は涎を垂らしながらガンガン奥を突きたくなるだろう。
 事実、この女は今までも言い寄ってきた数々の男どもを蹴飛ばしている。その屍を振り返ることもせず、札束とともに何度も影人の元へ足を運んでいるリピーターなのだ。

 ただ……相手が"ただの男"であったなら、落ちたかもしれないが。



「……。ごめん、無理」
「……はぁ?」

 さぁここからが本番よと期待に胸を膨らませる女に降ってきたのは、思いがけない言葉だった。
「ごめん」「無理」──たった二つの言葉で彩られた、拒否の言葉。予想外の流れに、女は目を見開きながら叫ぶ。

「なんでよ!? あたし、もう濡れてんだけど!?」
「いや……お前はいいかもしれないけど、俺がダメ。全然勃たないし」
「はぁぁぁあ!? マジで言ってんの!?」

 虚ろな口から淡々と述べられる言葉に、ぎゃんぎゃん騒ぐ。自分だけが気持ちよくなっていたという事実に、赤恥をかかずにいられなかった。
しかし、よくよく見れば……と、女はすぐに悟った。影人の顔は明らかにつまらなそうな表情を浮かべているし、下半身もよく見れば普段通り。
断りもなく触れてみれば、影人の陽物は大きくも硬くもなっていない。……つまり、自分との行為に何も感じていなかったことになる。

 論より証拠。女はその"証拠"をしっかりと目と手で理解してしまったのだ。

「……何で? 今までだったら、もっと感じてくれてたのに……。……もしかして、あたしのこともう飽きた? あたしの何が悪いの!?」
「知らないよ……俺が聞きたいんだけど」
「ふざけないでくれる!? ……それとも何? あたしとシてる最中、違うこと考えてた? たとえば──他の女のこととか」

 「他の女のこと」……女がその言葉を吐いた途端、影人の口が閉ざされる。
意識的に閉ざしたわけではない。女に問われた瞬間、影人の思考がまた別の方向へ飛んでしまっただけなのだ。

(……まぁ、半分間違えちゃいないけど)

 影人の頭の中にいたのは、他の"女"ではなく……他の"男"だ。影人の頭をずっと巡っているのは、快楽に溺れる友人の姿ばかり。
ただ、影人は伏せる。そんなことを口にしようものなら、目の前の女はきっと発狂するに違いないのだから。

「……だんまりってことはそうなのね!? サイテー!! あたしが今まであんたにいくらつぎ込んだと思ってんのよ!!」
「はぁ……知るわけないでしょ、そもそも「お金あげるから」って言って勝手に来たのはお前じゃん。分かっててそれ言ってるんだったら本末転倒だよ」

 顔を赤くしながら激昂する女に怯むことなく、淡々と述べる。赤い瞳はもう「面倒くさい」という感情しか映さない。
女もそれを感じ取っているのだろう。目の前にいる男に、愛した分だけ増幅した攻撃的な感情を向けていた。

「あぁ、もう! ほんっとありえない!! 今日の分なんて払ってやらないし、これからだって一銭もやらないわよ!?」
「別に今そんなに金に困ってないからいいけど? ぎゃんぎゃん騒ぐならもう帰って」

「~~~~っ!!!! 無一文になって死ね!!!!!!」


──情もへったくれもない影人を思い切り殴り、女は影人宅を後にした。





◇ ◇ ◇



 

「……はぁ……そういう経緯だったんですね……」
「……うん。結構痛かったね」

 女と別れてから数日。学校で会った友人──蛍に事の経緯を説明した。

 影人の顔には思い切り殴られた痕が残っており、マスクをしてもギリギリ隠しきれず。
真っ先に見つけてパニックになった蛍には、正直に説明せざるを得なくなってしまったのだ。

「まぁ、少し痕が残った以外大きなケガはなくて良かったですけど……、……」
「……何」
「……い、いえ、何でもありません。それより、のんびりしてると次の体育に遅れちゃいますよ! 早く着替えなきゃ」

 手に持っていた巾着から体操着を取り、蛍が上衣を脱ぎ始めた。

 ──その瞬間。

(……あ……)

 影人の体の中で、どくんと音が響く。
ボタンを外してシャツを脱ぐ動作、露わになる白い肌──


『ん、……ぅ、ふぅ……』

『影人、さん……! ぁあッ、んぅっ、んっ!』

 ──ただそれだけの動作でも、あの日の夜が脳裏を過ぎる。
今目にしているあの肌に、この手で触れた。誰にも触れられたことのない純潔の友人を、この手で汚した。

 影人さん、と名を呼びながら自分を求めたあの姿が離れない。


「影人さん? どうしたんですか?」
「……ん? あぁ、いや……別に……」
「……調子でも悪いんですか?」

 自分を見つめたまま動きを止めた影人を、心配そうに覗き込む蛍。そんな彼の顔を一瞬見ては、目を逸らす。

『ッ、ごめん、蛍……出そ、うっ……』
『な、何が、ッ、んぁっ、あっ、やっ、あぁっ、あッ──!!』

 影人と交わる最中に見せた、蛍の蕩けた顔。影人の記憶の中には、今も鮮明に残っている。
そんなことを思い出している最中に蛍の顔を見ようものなら、その柔らかな唇に噛みついてしまうかもしれない。ボタンを引きちぎってでも服を脱がして、その身をひたすら貪り尽くしてしまうかもしれない。

 学びの場である学校にいるというのに、影人の体は実に正直だった。


「……ちょっと、腹痛いかも。トイレ行ってくる……」
「え? えぇ……何かあったら、連絡してくださいね」
「うん……」

 不思議そうに尋ねる蛍を背に、影人はそそくさとその場を後にした。









「……はぁ……」

 男子トイレの個室内。しっかりと鍵を閉め、ため息を付きながらドアに寄りかかる。
あともう少しで授業が始まる──そんな時に入ったものだから、影人以外の生徒は誰もいない。貸し切り状態である今、影人にとっては絶好のチャンスだった。


(……蛍……)

 心の中でそっと名前を呟き、ファスナーを開ける。回想によって膨れ上がった欲が下半身を苛み、彼の自身は今にもはち切れそうなほど膨張しきっていた。

 男を抱いたことに抵抗はない。蛍が女の子のように可愛い顔つきだったこともあり、影人自身もすんなりと彼に触れることはできていた。
たまたますごく気持ちよかった相手が男だったというだけで、彼自身同性愛者というわけでもない。

 ただ──まさかこんなにも自分を苛むことになろうとは、想像もし得なかったのだ。


(もう一回、シたい……)

 誰でもない、蛍と。影人は自身に手を添え、ひたすら扱き始める。
頭の中は蛍と過ごしたあの夜のことばかりで、今すぐにでもあの日に帰りたいと体中が嘆いていた。

 蛍を見ては思い出し、眠りについては夢に見る。男子高校生ならではの性欲の強さが仇となり、沸き上がっては処理に追われる毎日だ。
貪るようなキスをしたい、舌を這わせて啼かせたい。誰にも触れられないように痕をつけて、あいつの中をぐちゃぐちゃにしたい。

(蛍とヤッて……もう一回、満たされたい)

 蛍に交接を回避されるようになってから溜まっていくばかりの欲を、金蔓おんなどもにぶつけて発散しようと何度も試みてはいた。
けれど、あれほど満たされることは一度もなく──寧ろ、金蔓おんなどもの声や体に萎えていくばかりで。

 理解せざるを得なかった。……蛍相手じゃないと、この体はもう満たされないのだと。


「っ……ふっ……」

 声を抑えつつ、自身を扱き倒す。快楽に溶かされた蛍の顔、甘く声を上げる蛍の声を思い出しながら。
下手な女と繋がるよりは気持ちいい、けれど所詮は応急処置。満たされるのは、ほんの一瞬だけ。

 あの日蛍が自分を求めたように──今度は、自分が蛍を求めている。

 これが一体どういうことなのか、影人には理解できない。
もやもやとした気持ちと欲ばかりが溜まって、歯車が少しずつ狂い始めていた。



(……ねぇ、俺を満たしてよ……蛍)



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