夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第四章

第十四話 言伝

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「ただいま……」
「あ、おかえりなさい影人さん。寒かったでしょう?」

 買い出しを頼んでから約45分、どこか疲れた様子の影人さんが帰ってきた。
袋の中に菓子パンと好物の強炭酸水、そしてボクが頼んだパック入り白米と冷凍食品たち。写真付きで買い物メモを送っておいたお陰か、今回は間違いなく買ってきてくれたようだ。

 この中に入っている菓子パンは恐らく明日の昼にでも食べるつもりなのだろう。本当ならコンビニ弁当の方がまだマシなのだが、影人さんの胃袋はそこまで大きくはない。
弁当を作ってあげようにも、影人さんの家には弁当箱がない。わざわざ買って作ったとしても、食べきれないのは目に見えている。
昨今問題とされている食品ロスをここでも生むのは心が咎めるというものだ。

「……まぁね。今日は何作ったの?」
「ハンバーグですよ、今日はちょっと頑張ってみようかなって思ったので張り切っちゃいました」
「ふーん……」

 興味がないのか、はたまたその返事が精一杯なのか。倒れるようにベッドに寝転がり、ぼーっと天井を見上げる影人さん。
近所のコンビニに行く……という割には、随分時間がかかっていたようだけれど、途中で何かあったのだろうか。

 影人さんの体力が男子高校生の平均のそれより下回っているのは重々承知ではある。けれど、近所のコンビニに行くくらいでくたばる訳がない。
それなら毎日の登下校で既に死んでいるはずなのだ。

「影人さん、お疲れっぽいですけど……お風呂入れましょうか?」

 ハンバーグが焼き上がったところで火を止め、影人さんに振り返る。蓋を閉じて近づく間に「んー……」と、力ない返事をした。
普段からスローペースな彼が、今は(疲れのせいか)余計に動きがない。例えて言うなら動物園のナマケモノだ。

「いや……今はいいよ。着替えから体洗いまで蛍が全部やってくれるならいいけど」
「いやボク介護士じゃないんですが?」

 だらけていてもボケは発動するようで、相変わらずの彼に思わず突っ込みを入れる。影人さんの助けになることは喜んでやるが、そこまでやろうとは思っていない。
 しかし……ただ疲れてる、にしても随分とオーラが重たい気がする。どんよりしているというか、どこかピリピリしているというか……。

「……。……伝言、頼まれたんだよ。お前宛てに」
「伝言?」

 ふと出てきた言葉に、首を傾げる。ボク宛てに伝言とは、一体誰からなのだろうか。
 考えられるとすれば、叔父さんか叔母さん……もしくは、窓雪さんか黒葛原つづらはらさん辺りだ。
けれど、その四人はボクの連絡先を既に知っている。叔父さんも叔母さんも窓雪さんたちも、何かあれば真っ先にメールだ何だを送るはずだ。

 だとすれば学校の誰かか、それとも──


「……"俺はもうあの時のことは気にしてない。お前は何も悪くない"」

 ── 心臓が凍り付く音がした。


「"何があっても、俺はずっとお前のことを大切に想ってる"」


 影人さんの口から淡々と紡がれる言葉に、声を失う。
そんな意味深な内容を伝言なんて形で残していく人なんて、現状では一人しかいないのだ。

 その言葉の意味を、ほんの一瞬で理解してしまった自分が憎い。
言葉自体の意味、だけでなく。影人さんが伝言を受け取った……それが意味する事実に、体中の血が失われていくようだった。

「……影人、さん……それって……その伝言って……」
「……。お前としては、聞きたくなかっただろうけど……コンビニ行く途中、会ったんだよ。運悪く捕まって、お前に会わせてくれだなんだとまで言われた。

 不破 白夜おまえのあにきにね」


 ……嘘……嘘だ。信じたくない。
 でも伝言を残したってことは、やっぱり──。

(……あのまま諦めてくれれば、それで良かったのに)

 あの野郎、どうして彼を巻き込んでまでボクと接触したがるんだ。
ようやくお前と離れて、ボクは……ただの「不破 蛍」として生きていけると思っていたのに。

 せっかく、何もかも忘れて……ボクだけの人生を歩いていける、そう思ってたのに。

「……直接、お話したんですか……白夜にいさんと」
「うん……俺が先に気付けば避けられたんだけど、先手打たれてさ。まぁでも、今俺が言ったことを伝えてさえくれれば「もう来ない」とは言ってたよ。……本当かどうかはさておき、ね」

 影人さんの口から出た言葉に、心の中はぐちゃぐちゃだった。
もちろん、彼のせいじゃない。ボクが恨んでいるのは、彼に接触してご丁寧に伝言まで残した──あの男だ。

「……ボクと彼の間に何があったか、とか……聞いてない、ですよね」
「うん、別にそこまでは。……あいつも「ここじゃ話せない」とは言ってたし、俺も深入りする気はなかったから」

 影人さんはその"伝言"を伝えたきり、何も言わない……否、あえて聞かないでいてくれる。
けれど、もう隠し通すのも限界かもしれない。

 図らずも白夜にいさんと接触し、ボクにしか通じない伝言を残された。
それは影人さん本人からしたらこれ以上とないくらい、面倒な状況でしか無いだろう。


 本当のことを、言わなきゃいけない。
ボクにとって忌々しい記憶を、ボクの一番醜い姿を、……誰よりも大切な彼に、全て晒さなければいけなくなるのだ。

 嫌われたらどうしよう。
幻滅されたらどうしよう。

 そんな思いが深くなるほど、高まっていく心拍数。
ボクを見つめる赤い双眸から逃げたくて、目を逸らしてしまう。

 きっと、ボクの本当の姿を知ってしまえば彼だって――。





『……影人ともを大事に想うならば、もっとあやつを信じても良いのではないか?』

『醜いと思う自らの姿を思い切って打ち明けるということは……主があやつを強く信じている証明にもなる』


(……影人さんを、信じる……)

 真っ黒なのか真っ白なのかわからない、乱れきった思考の中。
ボクの脳裏を過ぎったのは、三栗谷先生の言葉だった。

 ボクが誰にも見せたくない姿、誰にも打ち明けることのできない感情。……誰にも告白することのできない、忌々しい罪。
それらを全て曝け出すことは、影人さんを信じるがゆえの行動となる……そう、三栗谷先生は言っていたけれど。

(……あの時の影人さんも、こんな気持ちで全てを吐き出してくれたのかな)

 全てを打ち明けてくれた、いつかの影人さんに思いを馳せる。……彼も、ボクを信じて話してくれたのだろうか。

 嫌われるかもしれない、離れていってしまうかもしれない。
――そんな風に、不安になりながら。



「……。……影人さん」
「何?」

 ベッドで寝転がる彼のすぐ隣、寄り添うように横になる。
彼の顔を、まっすぐ見ることは出来ない。喉の奥が痛む今、背を向けたまま話すのが精一杯だった。

 不安で高鳴る鼓動を抱え、ぽつり、ぽつり……小さく言葉を零していく。


「……つまらない昔話を、してもいいでしょうか。」


 ずっと隠してきた姿を、アナタへの醜い想いを、兄さんとの忌まわしい過去を――。
そんなボクの問いに、後ろから小さく頷く声がした。
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