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第四章
第十一話 面談
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── 影人さんとの同居生活、約八日目。
あの夢以降のボクらは、特に変わったことなくいつも通りの生活を送っている。
「ねぇ、蛍」
「だぁぁぁあ!! ちょ、や、やめてくださいってば!!」
首に触れてきたり、ズボン越しにボクの自身を触れようとしたり、影人さんが時々それっぽいちょっかいを出しては来ていたけれど。
それに流されないよう、ボクは必死に回避をし続けている。
なにせ、二度とするまいと自ら誓った手前だ。
最悪、影人さんの分身を蹴り上げてでも逃げ続けるつもりだ。
(……うずうずする……)
── いやダメだ、自分に負けてはいけない。
彼を見るたび湧いてくる雑念を振り払うように、必死に頭を横に振る。
体の奥底では、まだあの繋がりを求めている。もう一度したくて仕方ない、なんて気持ちも正直言えばある。
……けど、ボクではダメなのだ。
ボクはあくまで影人さんの「友達」……ひどく醜くて、汚い人間だ。
誰かと幸せになるべき彼が、そんなボクと何度も繋がる訳にはいかない。
(……もっと、いい人がいるはずだ)
……ちゃんと彼を幸せにしてくれるような、良い人と繋がってほしい。
ボクがすべきことは、その時が来るまで彼を傍で守ることだ──。
「……おぉ、不破に影人じゃないか」
「あっ……こ、こんにちは、三栗谷先生」
そんなことをもやもやと考えていた下校時。
会議の帰りか何かだろうか……資料らしき紙の束を抱えた三栗谷先生と、廊下で鉢合わせをした。
見るだけで安心感を覚えるような、穏やかな微笑みは相変わらずだ。さすが養護教諭……というべきか。
見た目の良さも相まってか、学校内でもそこそこ人気のある先生だ。こうして少し話すだけでも、人気であることに何となく頷けるものがある。
「主と直接話すのも久方ぶりな気がするが……息災であったか?」
「は、はい! 特に体に異常はありませんよ。影人さんも…………」
影人さんも元気です──そう伝えようと隣に目を向けると、平然とスマホをいじっている目も向けようとしない影人さんの姿があった。
……"先生"とはいえど、影人さんにとっては「関わりたくない」と思っている身内の人間だ。彼とも、なるべく関わりたくはないのだろう。
「……ええと、すみません。メールか何か来たみたいで。とりあえず、影人さんも変わらず元気ですよ」
「はっはっは、まぁそこは気にせずとも良い。いつものことじゃ、主らが元気なだけでわしは十分だ」
「お前と話す気はない」──そんな非言語コミュニケーションを取る影人さんに、三栗谷先生は軽く笑った。
本当に気にしてなさそうなところを見る限り、きっといつもこんな感じなのだろう。
『……両親が傷をつけ続けた結果、あやつはやがて壊れ。同じ血の通う家族に、心を閉ざした。……もちろん、わしにもな』
……自分が避けられている理由を、影人さんの心を、三栗谷先生は、ちゃんと理解している。
寂しくとも、手を差し伸べたくとも、無理に距離を詰めようとはしない。
近くにいる身内がそんな先生だから、影人さんも無駄な傷を負うことなく生活できているのだろう。
「……して、不破。突然だが、この後、空いてるか?」
「え? いえ、特に予定はありませんが……」
「そうか。……主さえ良ければ、少々話したいことがあるのじゃが」
突然の話に、ボクは「えっ」と声を漏らした。
体調不良でもない限りお世話になることのない養護教諭から呼びだしなんて、一体何なのだろう。
普段の接点が薄いだけに何の検討もつかず、頭の中は疑問符だらけだ。
しかも、この話の流れだと……多分、呼び出し相手はボク単体。
もし影人さんも一緒なら、「二人とも」か「不破に黒崎」と呼ぶはずなのだ。
「……あの、影人さん」
「何」
「三栗谷先生とちょっと面談しなきゃなんですけど……」
少し悩みつつ、影人さんに声をかけた。
今までなら「先に帰っててください」と言えたのだが、今は白夜から逃げている身。そう言いたくても言えずにいる。
かといって、「待っててください」とも言えない。話の内容によっては、かなり待たせてしまいそうな気がするからだ。
ひとまず、どうするかを影人さんに委ねるしかない。彼の返事を、じっと待つことにした。
「……いいよ、行ってくれば? 適当に待ってるから」
「あ、ありがとうございます……終わったら連絡しますから」
「うん」
ボクと話している間だけ、スマホをいじる手を止めた影人さん。
三栗谷先生を視界に入れないようにするためか、首は動かさず目線だけをボクに送りながら……だったけれど。
とりあえず承諾とともに「待ってる」と明確な答えももらえたことだし……と、再度三栗谷先生に目を向ける。
三栗谷先生は「ならば行こうか」と微笑み、ついてこいと言わんばかりに歩き出した。
「じゃあ、影人さん。また後で」
「……うん」
◇ ◇ ◇
三栗谷先生と校内を歩き、辿り着いたのは保健室。養護教諭たる三栗谷先生のテリトリーだ。
生徒のいる教室から離れた場所にあるそこは、放課後ということも相まって余計静かな場所となっていた。
(なんか、こういうのも随分久しぶりだなぁ……)
以前、ここで彼と話をしたことを思い出す。
そのきっかけとなったのは小野田先輩と影人さんの暴力沙汰なのだけれど、それもなんだか昔のことのようだ。
……まぁ、今年の初夏辺りに起こったことだから、そうそう昔のことでもないのだけれど。
「あの、三栗谷先生。それで、ボクに話したいことって?」
「……あぁ、そうじゃな。主にとっては、「余計なお世話」になるかもしれんが……」
椅子に座るボクの後ろで、カチャッと鍵が閉まる音がした。
内側から鍵を閉め、部外者が入れないようにする――完全に密室になったこの状況に、少しだけ緊張感が走った。
どんな話を切り出されるかは分からないが、他人には聞かれたくない話をするつもりなのかもしれない。
もしかして、影人さんに関する何かだろうか。向かい合わせになるように座った先生の口が開かれるのを、ボクはじっと待った。
「わしの気のせいなら良いのじゃが……」
「は、はい」
「……影人と、何かあったか?」
──影人さんと同じ色の瞳が、ボクの胸を刺す。
「あ、……べ、別に、喧嘩とかはしてないです。いつも通り、ですよ」
「……本当にそうか?」
思わず目を逸らしてしまったボクに、三栗谷先生が再度問いかけた。
「いつも通りです、彼とは何もありません」と答えればいい、それで済む話だ。
頭ではそう理解しているのに、唇が上手く動かない。三栗谷先生に言葉を返せない。
見透かしたように、じっとこちらを見つめる視線──影人さんが時々ボクに向けてくる目を、彼もそっくりそのまま向けている。
こんなちょっとしたところが、影人さんと似ていて。影人さんは嫌がるだろうが、さすが彼の血縁者だと言わざるを得ない。
そんな目を向けられて怯んだボクは、三栗谷先生と目を合わせられず……そっと、視線を逸らしてしまう。
「……どうして、そう思うのですか」
「主のことを、時々見かけることがあったのじゃが……ここ最近の主は、影人と一緒にいてもどこか影が差しているように見えたのだ。いつもなら、爛々と輝く笑顔を浮かべていたはずなのだが」
優しい微笑みを浮かべながらボクを見つめる、三栗谷先生。けれど、その瞳は真剣そのものだった。
ボクに対して、寄り添おうとしてくれているような……誰にも言えないこの気持ちを解そうとしてくれているような、そんな気がして。
「……言いたくなければ、無理に話せとは言わん。わしの気のせいならばそれで良い。ただ……」
「ただ……?」
「……主は、影人にとってかけがえのない存在のはずだ。あやつを助けることの出来ぬわしにとっての希望。……だからこそ、放っておけぬだけなのじゃ」
教師という立場で一生徒を優遇するわけではないが──苦笑混じりに笑みながら、三栗谷先生が言う。
話そうか、話すまいか……そう迷っていた心が、不思議な温かさに包み込まれる。包容力のある年上男性の魔力とは、こういうものなのかもしれない。
全てを話すことは出来ないけれど、ほんの少しなら相談してみてもいいだろうか。
──そう思った時には、ボクの口も自然と開かれていた。
「……影人さんに、いつかはお話しなきゃいけないことがあるんです」
保健室の床に目を向けたまま、ボクはぽつぽつと語る。
先生は「ふむ」と一言だけ声を出し、じっとボクの話に耳を傾けていた。
「それがどんな話かという具体的な内容は、訳あってお話しすることはできませんが……。……いつかは話さなきゃと思う反面、話した時にどう思われるのかが怖くて……ずっと、隠しているままなんです」
内容をかなり濁してしまっているが、先生は理解してくれるだろうか。
そう思いながら先生に目を向けると……そこには、先程よりも柔らかな目を向けた先生の顔があって。
嫌な顔をせず聞いてくれる先生の姿に安堵しながら、ボクは話を続けた。
「……ボクの醜い心を、最低な姿を、大切な友達に晒け出さなければいけなくなる。……それが、出来ない」
「……うむ」
「……ボクが話して、彼がそれを知って……。……彼に軽蔑されたらと思うと、怖いんです」
自分が恐れていることを想像しながら、言葉を紡ぐ。
喉の奥が痛むような、心の底から震えるような感覚がボクに襲いかかってくる。
「……「最低だ」「見損なった」「そんな奴だと思わなかった」……そんな風に言われたら、そうして彼に嫌われたら、……ボクは……」
誰よりも大切な友達に、そんなことを言われながら冷たい目で見下ろされる。そんな想像をしては、何度胸が重くなったことだろう。
影人さんは誰より大切な人で、守りたくて、……叶うことならずっと、……。
……いや。違う。"ずっと"じゃない。
"影人さんが心の底から幸せを感じられるようになるまで"傍にいたい。
けど、そんなことを言っているボクが……本当は、とても醜い人間だとしたら。
他人に興味のない彼でも、きっとボクのことを否定することだろう。
考えれば考えるほど、居たたまれないほどの強い不安に襲われていた。
「……そうか」
ボクが話すのをやめてから数秒、三栗谷先生が手を組みながら返事をした。
何かを慈しむかのように、見てるこっちが安心するような──優しい微笑みを浮かべている。
「出来ることなら、綺麗な姿だけを見てもらいたい。他者が忌むような姿は隠していたい。……誰しもそういう感情はあるものじゃの。特に、大好きな友人や恋人……自らが愛おしいと思う存在には、な」
「……はい」
その通りです、と言うように頷く。
自らが愛おしいと思う存在──大好きな友達である影人さんは、まさにそんな存在で。
できることなら、「純粋」だと言われる姿だけを見せていたかった。
けれど、それもいつまでも隠し続けていられそうにない。
彼をここまで巻き込んでしまった以上、いつかは……そう、思っているのだけれど。
彼の傍にいたい、彼を大切だと想う気持ちが仇になって──自分を晒け出すことに臆病になっている。
……もしかしたら、三栗谷先生はお見通しなのかもしれない。
具体的な内容こそ話してはいないものの……ボクが、どういう気持ちなのか。
「ただ一つ──主には、過ちがあるようにも思えるが」
「……過ち?」
意味深に微笑む三栗谷先生に、首を傾げる。
ボクの解釈が間違いでなければ、ボクが話したことの中に何か間違いがあった……ということになるのかもしれないが。
その"過ち"とやらが何なのか──検討がつかないボクの脳内は、疑問符だらけだ。
「一つ問おう。……主は、影人のことをどこまで知っている?」
「え、どこまで……とは」
「……主が知っていることなら、些細なことでも何でも良い。以前わしが話した過去のこと以外に、何か新たに知ったことはあるか?」
「過去のこと……も?」
「あぁ、その辺りについてはもちろん細かな内容までは話さんで良い。あやつの父親から、ある程度のことは聞いておるからの」
三栗谷先生からの問いに、ボクはゆっくりと考えながら話し始めた。
「そうですね……うーんと……まず、普段ボクと一緒にいる時は……」
知っている限りの生活ぶり、好きなもの、嫌いなもの、趣味嗜好、三栗谷先生から聞いた話、一緒にいる時に聞いた何でもない話。
そして、あの日三栗谷先生から聞きそびれていた話題──影人さんが実家を出たきっかけ。
さすがにプライベートな内容やデリケートな部分は少し言葉を濁したが──ボクが話す言葉一つ一つに、三栗谷先生は「うむ」「あぁ」と静かに頷いてくれていた。
「主は、あやつのことをよく知っているようじゃな。あやつを産んだ両親とて、そこまでは理解っていなかっただろう……」
そう言いながら呟く三栗谷先生の目は、どこか寂しそうな……憂いの色を漂わせていた。
彼を想えど、理解をしたくとも、心の扉に歩み寄ることすらできない──そんな三栗谷先生だからこその、切なげな表情。
全ては「影人の母のきょうだい」という立場が邪魔をしている故。……そう考えるボクの胸に、ちくりと痛みが走った。
「……あやつのことをそこまで知っているのは、恐らく主だけじゃ。血縁者にすら心を閉ざすあやつが、そこまで自らのことを明かしているということは……それだけ、主に心を開いている何よりの証拠とも言えよう」
「……そう、でしょうか……」
「あやつがどれだけ守備の固い男か、主が一番よく知っておるだろう? あやつにとって本当に主が"ただの他人"であるならば、そこまで自身のことを教えぬはずじゃよ」
三栗谷先生が、そっとボクと距離を縮める。
「……影人を大事に想うならば、もっとあやつを信じても良いのではないか?」
右腕をそっと伸ばし──ぽんぽん、とボクの頭を撫でるように軽く叩いた。
ほっと心が軽くなるような感触に心地よさを感じつつ、ボクは三栗谷先生の目をじっと見る。
……ボクを優しく見つめてくれる叔父さんや叔母さんと同じような、慈愛に満ちた目をしていた。
「……影人さんを、信じる……?」
「あぁ、そうじゃ。……自分の醜い姿を、出来ることなら人に知られたくない姿を、大切な誰かに晒す。それはとても勇気の要ることで……自身にとって、大いなる賭けとも言えよう。……だが、それらは逆に考えてみれば、だ」
目線はそのままに、ボクの頭から手を離して三栗谷先生が続ける。
「醜いと思う自らの姿を思い切って打ち明けるということは……主があやつを強く信じている証明にもなる」
「……ボクが、影人さんを信じている証明……?」
「うむ。……勇気が出たら、思い切って打ち明けてみるがよか。そこまで心を開いた相手を簡単に手放すほど、影人も薄情ではなかろうよ」
微笑みながらそう言った言葉の意味は、なんとなく理解は出来る。
いっそのこと、思い切って影人さんに全てを話してみればいいのかもしれない。
もしかしたら、影人さんならボクの全てを受け入れてくれる──そんな可能性もあるかもしれない、けれど。
ただ、やはり怖いのだ。
大切な友達相手だからこそ、そういう姿を見せるまでの勇気が今は無い。
嫌われたくない、幻滅されたくない。
──ボクの傍から、離れて行ってほしくなくて。
「……。……少し、考えてみます」
「あぁ。……今日はすまなかったな、不破。何かあれば、いつでも相談には乗ろう」
「えぇ、ありがとうございます」
ただ、三栗谷先生に話して多少スッキリはしたのだろうか……今は、少し胸が軽くなっている気がして。
微笑みを絶やさないまま見送る三栗谷先生に一礼し、ボクは保健室を後にした。
あの夢以降のボクらは、特に変わったことなくいつも通りの生活を送っている。
「ねぇ、蛍」
「だぁぁぁあ!! ちょ、や、やめてくださいってば!!」
首に触れてきたり、ズボン越しにボクの自身を触れようとしたり、影人さんが時々それっぽいちょっかいを出しては来ていたけれど。
それに流されないよう、ボクは必死に回避をし続けている。
なにせ、二度とするまいと自ら誓った手前だ。
最悪、影人さんの分身を蹴り上げてでも逃げ続けるつもりだ。
(……うずうずする……)
── いやダメだ、自分に負けてはいけない。
彼を見るたび湧いてくる雑念を振り払うように、必死に頭を横に振る。
体の奥底では、まだあの繋がりを求めている。もう一度したくて仕方ない、なんて気持ちも正直言えばある。
……けど、ボクではダメなのだ。
ボクはあくまで影人さんの「友達」……ひどく醜くて、汚い人間だ。
誰かと幸せになるべき彼が、そんなボクと何度も繋がる訳にはいかない。
(……もっと、いい人がいるはずだ)
……ちゃんと彼を幸せにしてくれるような、良い人と繋がってほしい。
ボクがすべきことは、その時が来るまで彼を傍で守ることだ──。
「……おぉ、不破に影人じゃないか」
「あっ……こ、こんにちは、三栗谷先生」
そんなことをもやもやと考えていた下校時。
会議の帰りか何かだろうか……資料らしき紙の束を抱えた三栗谷先生と、廊下で鉢合わせをした。
見るだけで安心感を覚えるような、穏やかな微笑みは相変わらずだ。さすが養護教諭……というべきか。
見た目の良さも相まってか、学校内でもそこそこ人気のある先生だ。こうして少し話すだけでも、人気であることに何となく頷けるものがある。
「主と直接話すのも久方ぶりな気がするが……息災であったか?」
「は、はい! 特に体に異常はありませんよ。影人さんも…………」
影人さんも元気です──そう伝えようと隣に目を向けると、平然とスマホをいじっている目も向けようとしない影人さんの姿があった。
……"先生"とはいえど、影人さんにとっては「関わりたくない」と思っている身内の人間だ。彼とも、なるべく関わりたくはないのだろう。
「……ええと、すみません。メールか何か来たみたいで。とりあえず、影人さんも変わらず元気ですよ」
「はっはっは、まぁそこは気にせずとも良い。いつものことじゃ、主らが元気なだけでわしは十分だ」
「お前と話す気はない」──そんな非言語コミュニケーションを取る影人さんに、三栗谷先生は軽く笑った。
本当に気にしてなさそうなところを見る限り、きっといつもこんな感じなのだろう。
『……両親が傷をつけ続けた結果、あやつはやがて壊れ。同じ血の通う家族に、心を閉ざした。……もちろん、わしにもな』
……自分が避けられている理由を、影人さんの心を、三栗谷先生は、ちゃんと理解している。
寂しくとも、手を差し伸べたくとも、無理に距離を詰めようとはしない。
近くにいる身内がそんな先生だから、影人さんも無駄な傷を負うことなく生活できているのだろう。
「……して、不破。突然だが、この後、空いてるか?」
「え? いえ、特に予定はありませんが……」
「そうか。……主さえ良ければ、少々話したいことがあるのじゃが」
突然の話に、ボクは「えっ」と声を漏らした。
体調不良でもない限りお世話になることのない養護教諭から呼びだしなんて、一体何なのだろう。
普段の接点が薄いだけに何の検討もつかず、頭の中は疑問符だらけだ。
しかも、この話の流れだと……多分、呼び出し相手はボク単体。
もし影人さんも一緒なら、「二人とも」か「不破に黒崎」と呼ぶはずなのだ。
「……あの、影人さん」
「何」
「三栗谷先生とちょっと面談しなきゃなんですけど……」
少し悩みつつ、影人さんに声をかけた。
今までなら「先に帰っててください」と言えたのだが、今は白夜から逃げている身。そう言いたくても言えずにいる。
かといって、「待っててください」とも言えない。話の内容によっては、かなり待たせてしまいそうな気がするからだ。
ひとまず、どうするかを影人さんに委ねるしかない。彼の返事を、じっと待つことにした。
「……いいよ、行ってくれば? 適当に待ってるから」
「あ、ありがとうございます……終わったら連絡しますから」
「うん」
ボクと話している間だけ、スマホをいじる手を止めた影人さん。
三栗谷先生を視界に入れないようにするためか、首は動かさず目線だけをボクに送りながら……だったけれど。
とりあえず承諾とともに「待ってる」と明確な答えももらえたことだし……と、再度三栗谷先生に目を向ける。
三栗谷先生は「ならば行こうか」と微笑み、ついてこいと言わんばかりに歩き出した。
「じゃあ、影人さん。また後で」
「……うん」
◇ ◇ ◇
三栗谷先生と校内を歩き、辿り着いたのは保健室。養護教諭たる三栗谷先生のテリトリーだ。
生徒のいる教室から離れた場所にあるそこは、放課後ということも相まって余計静かな場所となっていた。
(なんか、こういうのも随分久しぶりだなぁ……)
以前、ここで彼と話をしたことを思い出す。
そのきっかけとなったのは小野田先輩と影人さんの暴力沙汰なのだけれど、それもなんだか昔のことのようだ。
……まぁ、今年の初夏辺りに起こったことだから、そうそう昔のことでもないのだけれど。
「あの、三栗谷先生。それで、ボクに話したいことって?」
「……あぁ、そうじゃな。主にとっては、「余計なお世話」になるかもしれんが……」
椅子に座るボクの後ろで、カチャッと鍵が閉まる音がした。
内側から鍵を閉め、部外者が入れないようにする――完全に密室になったこの状況に、少しだけ緊張感が走った。
どんな話を切り出されるかは分からないが、他人には聞かれたくない話をするつもりなのかもしれない。
もしかして、影人さんに関する何かだろうか。向かい合わせになるように座った先生の口が開かれるのを、ボクはじっと待った。
「わしの気のせいなら良いのじゃが……」
「は、はい」
「……影人と、何かあったか?」
──影人さんと同じ色の瞳が、ボクの胸を刺す。
「あ、……べ、別に、喧嘩とかはしてないです。いつも通り、ですよ」
「……本当にそうか?」
思わず目を逸らしてしまったボクに、三栗谷先生が再度問いかけた。
「いつも通りです、彼とは何もありません」と答えればいい、それで済む話だ。
頭ではそう理解しているのに、唇が上手く動かない。三栗谷先生に言葉を返せない。
見透かしたように、じっとこちらを見つめる視線──影人さんが時々ボクに向けてくる目を、彼もそっくりそのまま向けている。
こんなちょっとしたところが、影人さんと似ていて。影人さんは嫌がるだろうが、さすが彼の血縁者だと言わざるを得ない。
そんな目を向けられて怯んだボクは、三栗谷先生と目を合わせられず……そっと、視線を逸らしてしまう。
「……どうして、そう思うのですか」
「主のことを、時々見かけることがあったのじゃが……ここ最近の主は、影人と一緒にいてもどこか影が差しているように見えたのだ。いつもなら、爛々と輝く笑顔を浮かべていたはずなのだが」
優しい微笑みを浮かべながらボクを見つめる、三栗谷先生。けれど、その瞳は真剣そのものだった。
ボクに対して、寄り添おうとしてくれているような……誰にも言えないこの気持ちを解そうとしてくれているような、そんな気がして。
「……言いたくなければ、無理に話せとは言わん。わしの気のせいならばそれで良い。ただ……」
「ただ……?」
「……主は、影人にとってかけがえのない存在のはずだ。あやつを助けることの出来ぬわしにとっての希望。……だからこそ、放っておけぬだけなのじゃ」
教師という立場で一生徒を優遇するわけではないが──苦笑混じりに笑みながら、三栗谷先生が言う。
話そうか、話すまいか……そう迷っていた心が、不思議な温かさに包み込まれる。包容力のある年上男性の魔力とは、こういうものなのかもしれない。
全てを話すことは出来ないけれど、ほんの少しなら相談してみてもいいだろうか。
──そう思った時には、ボクの口も自然と開かれていた。
「……影人さんに、いつかはお話しなきゃいけないことがあるんです」
保健室の床に目を向けたまま、ボクはぽつぽつと語る。
先生は「ふむ」と一言だけ声を出し、じっとボクの話に耳を傾けていた。
「それがどんな話かという具体的な内容は、訳あってお話しすることはできませんが……。……いつかは話さなきゃと思う反面、話した時にどう思われるのかが怖くて……ずっと、隠しているままなんです」
内容をかなり濁してしまっているが、先生は理解してくれるだろうか。
そう思いながら先生に目を向けると……そこには、先程よりも柔らかな目を向けた先生の顔があって。
嫌な顔をせず聞いてくれる先生の姿に安堵しながら、ボクは話を続けた。
「……ボクの醜い心を、最低な姿を、大切な友達に晒け出さなければいけなくなる。……それが、出来ない」
「……うむ」
「……ボクが話して、彼がそれを知って……。……彼に軽蔑されたらと思うと、怖いんです」
自分が恐れていることを想像しながら、言葉を紡ぐ。
喉の奥が痛むような、心の底から震えるような感覚がボクに襲いかかってくる。
「……「最低だ」「見損なった」「そんな奴だと思わなかった」……そんな風に言われたら、そうして彼に嫌われたら、……ボクは……」
誰よりも大切な友達に、そんなことを言われながら冷たい目で見下ろされる。そんな想像をしては、何度胸が重くなったことだろう。
影人さんは誰より大切な人で、守りたくて、……叶うことならずっと、……。
……いや。違う。"ずっと"じゃない。
"影人さんが心の底から幸せを感じられるようになるまで"傍にいたい。
けど、そんなことを言っているボクが……本当は、とても醜い人間だとしたら。
他人に興味のない彼でも、きっとボクのことを否定することだろう。
考えれば考えるほど、居たたまれないほどの強い不安に襲われていた。
「……そうか」
ボクが話すのをやめてから数秒、三栗谷先生が手を組みながら返事をした。
何かを慈しむかのように、見てるこっちが安心するような──優しい微笑みを浮かべている。
「出来ることなら、綺麗な姿だけを見てもらいたい。他者が忌むような姿は隠していたい。……誰しもそういう感情はあるものじゃの。特に、大好きな友人や恋人……自らが愛おしいと思う存在には、な」
「……はい」
その通りです、と言うように頷く。
自らが愛おしいと思う存在──大好きな友達である影人さんは、まさにそんな存在で。
できることなら、「純粋」だと言われる姿だけを見せていたかった。
けれど、それもいつまでも隠し続けていられそうにない。
彼をここまで巻き込んでしまった以上、いつかは……そう、思っているのだけれど。
彼の傍にいたい、彼を大切だと想う気持ちが仇になって──自分を晒け出すことに臆病になっている。
……もしかしたら、三栗谷先生はお見通しなのかもしれない。
具体的な内容こそ話してはいないものの……ボクが、どういう気持ちなのか。
「ただ一つ──主には、過ちがあるようにも思えるが」
「……過ち?」
意味深に微笑む三栗谷先生に、首を傾げる。
ボクの解釈が間違いでなければ、ボクが話したことの中に何か間違いがあった……ということになるのかもしれないが。
その"過ち"とやらが何なのか──検討がつかないボクの脳内は、疑問符だらけだ。
「一つ問おう。……主は、影人のことをどこまで知っている?」
「え、どこまで……とは」
「……主が知っていることなら、些細なことでも何でも良い。以前わしが話した過去のこと以外に、何か新たに知ったことはあるか?」
「過去のこと……も?」
「あぁ、その辺りについてはもちろん細かな内容までは話さんで良い。あやつの父親から、ある程度のことは聞いておるからの」
三栗谷先生からの問いに、ボクはゆっくりと考えながら話し始めた。
「そうですね……うーんと……まず、普段ボクと一緒にいる時は……」
知っている限りの生活ぶり、好きなもの、嫌いなもの、趣味嗜好、三栗谷先生から聞いた話、一緒にいる時に聞いた何でもない話。
そして、あの日三栗谷先生から聞きそびれていた話題──影人さんが実家を出たきっかけ。
さすがにプライベートな内容やデリケートな部分は少し言葉を濁したが──ボクが話す言葉一つ一つに、三栗谷先生は「うむ」「あぁ」と静かに頷いてくれていた。
「主は、あやつのことをよく知っているようじゃな。あやつを産んだ両親とて、そこまでは理解っていなかっただろう……」
そう言いながら呟く三栗谷先生の目は、どこか寂しそうな……憂いの色を漂わせていた。
彼を想えど、理解をしたくとも、心の扉に歩み寄ることすらできない──そんな三栗谷先生だからこその、切なげな表情。
全ては「影人の母のきょうだい」という立場が邪魔をしている故。……そう考えるボクの胸に、ちくりと痛みが走った。
「……あやつのことをそこまで知っているのは、恐らく主だけじゃ。血縁者にすら心を閉ざすあやつが、そこまで自らのことを明かしているということは……それだけ、主に心を開いている何よりの証拠とも言えよう」
「……そう、でしょうか……」
「あやつがどれだけ守備の固い男か、主が一番よく知っておるだろう? あやつにとって本当に主が"ただの他人"であるならば、そこまで自身のことを教えぬはずじゃよ」
三栗谷先生が、そっとボクと距離を縮める。
「……影人を大事に想うならば、もっとあやつを信じても良いのではないか?」
右腕をそっと伸ばし──ぽんぽん、とボクの頭を撫でるように軽く叩いた。
ほっと心が軽くなるような感触に心地よさを感じつつ、ボクは三栗谷先生の目をじっと見る。
……ボクを優しく見つめてくれる叔父さんや叔母さんと同じような、慈愛に満ちた目をしていた。
「……影人さんを、信じる……?」
「あぁ、そうじゃ。……自分の醜い姿を、出来ることなら人に知られたくない姿を、大切な誰かに晒す。それはとても勇気の要ることで……自身にとって、大いなる賭けとも言えよう。……だが、それらは逆に考えてみれば、だ」
目線はそのままに、ボクの頭から手を離して三栗谷先生が続ける。
「醜いと思う自らの姿を思い切って打ち明けるということは……主があやつを強く信じている証明にもなる」
「……ボクが、影人さんを信じている証明……?」
「うむ。……勇気が出たら、思い切って打ち明けてみるがよか。そこまで心を開いた相手を簡単に手放すほど、影人も薄情ではなかろうよ」
微笑みながらそう言った言葉の意味は、なんとなく理解は出来る。
いっそのこと、思い切って影人さんに全てを話してみればいいのかもしれない。
もしかしたら、影人さんならボクの全てを受け入れてくれる──そんな可能性もあるかもしれない、けれど。
ただ、やはり怖いのだ。
大切な友達相手だからこそ、そういう姿を見せるまでの勇気が今は無い。
嫌われたくない、幻滅されたくない。
──ボクの傍から、離れて行ってほしくなくて。
「……。……少し、考えてみます」
「あぁ。……今日はすまなかったな、不破。何かあれば、いつでも相談には乗ろう」
「えぇ、ありがとうございます」
ただ、三栗谷先生に話して多少スッキリはしたのだろうか……今は、少し胸が軽くなっている気がして。
微笑みを絶やさないまま見送る三栗谷先生に一礼し、ボクは保健室を後にした。
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※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件
水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて──
※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。
※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。
※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。
聖也と千尋の深い事情
フロイライン
BL
中学二年の奥田聖也と一条千尋はクラス替えで同じ組になる。
取り柄もなく凡庸な聖也と、イケメンで勉強もスポーツも出来て女子にモテモテの千尋という、まさに対照的な二人だったが、何故か気が合い、あっという間に仲良しになるが…
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
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