66 / 190
第三.五章 文化祭編
第十三話 あの日、再び
しおりを挟む── 一方、その頃。
「……全然戻って来ないわね、あの二人」
影人と蛍不在の、客足が少し落ち着いた女装男装喫茶。
少々苛立っているような、呆れているような。重いため息を吐きながら、窓の外を見ていた。
影人が蛍を探しに出て行ってから、優に四時間は経っている。
現時刻、14時30分。文化祭の終了時刻は15時、女装男装喫茶もそろそろ終わりのムードに入りつつあった。
あれだけ周りをざわざわさせていたマジデスのメンバーも、謎の青年たちも、女装男装喫茶からとうに去っており──他のクラスの出し物を満喫しているようだ。
そんな二組が出て行った後の女装男装喫茶は嵐が去った後のように静かで──終了時間手前まで客足が途絶えずとも、その時ほどの賑わいはなく穏やかなものだった。
「黒崎は「トイレじゃない?」なんて言ってたけどさ。トイレっていう割には長いよなー」
「こんな数時間もふんばらなきゃ出ないうんこなら相当やべぇだろ。もしかしたら、二人してどっかでサボってたりしてな」
影人達がいない空間で、クラスメイトはあれこれと憶測を交えた推理話を始める。
「不破は最初から女装を嫌がっていたからサボったんじゃないか」「いや、急に具合悪くしただけじゃないか」「黒崎も蛍を探すフリをしてサボったんじゃないか」……次から次へ、クラスメイトの想像は膨らんでいく。
そんなクラスメイトたちの話を聞きながら黒葛原は「あぁ、もう!」と尖り声をあげた。
「あたし、あいつら探してくる! せめて片づけくらい手伝ってくんなきゃ困るっつーのよ……!」
ドアの方へと歩き出す黒葛原。何も言わず無断外出をした蛍と彼を探したまま戻らぬ影人に、完全に業を煮やしていた。
周りのクラスメイトも、彼女を止める素振りはない。「怒る気持ちも分からなくはない」と共感する者と「今の黒葛原に逆らったら絶対怖い」と恐怖する者……二つの勢力に分かれていた。
──ただ、一部を除いては。
「……? 何、ケイちゃん」
立ち去ろうとする黒葛原の腕を、小さな温もりが止める。
彼女の歩みを止めたのは、彼ら二人を応援している一人の女子──窓雪だった。
「……美影ちゃん、お願い。二人のことはそっとしておいてあげて」
「はぁ!? 何言ってんのよケイちゃん!! 二人して二時間も三時間もここ空けてんのよ!? いい加減、連れ戻しておかないと──」
「だったら私が二人の分も働くから!!」
152cmの小さな体から振り上げられた、力強い音。
普段の柔らかな表情からはあまり見られない、重々しい表情。感情を一点集中させたかのような、鋭くまっすぐな視線を黒葛原に向けている。
「……ケイちゃん、それ本気で言ってる? 捨てなきゃいけないゴミとか、結構あって大変だよ?」
「本気も本気、超本気だよ! 陸上部の朝練とかに比べれば軽いし! それに……」
「それに?」
「ほんの一瞬見ただけだったけど……不破君、なんか凄くやばそうだった。もちろん理由はわからないけど、今は二人きりにしてあげたい」
──不破君に必要なのは、黒崎君と静かに過ごす時間だって確信してる。
そう語る窓雪の瞳は、一毫の揺れもなく力強い火が灯っていた。
窓雪の喉から発せられた力強い声に一瞬怯んだ黒葛原は、一ヶ月前のあの出来事を思い出す。
『後のことは私がどうにかするから、不破君はすぐ黒崎君の傍に行って』
『いいから行って!!』
蛍と影人を想う気持ちが「声」という形になり、窓雪の全身から溢れて出ていた──あの時の姿とそっくりだった。
(──あたしが黒崎を追いつめようとしたあの時も、ケイちゃんはあんな姿見せてたっけ)
当時は影人を貶めたくて必死だった黒葛原自身にとっても、今となってはあの時の出来事も半分黒歴史と化している。思い出すと、あらゆる意味で胸や胃がキリキリと痛むようだった。
「……はぁ……」
声と表情から感じ取れる窓雪の力強い意志も相まって、段々と下火になる黒葛原の苛立ち。
時が経つにつれ諦念を抱き始めた黒葛原は自身の前髪をぐしゃっと掴み、重々しくため息を吐く。
「ほんっっと、ケイちゃんあの二人が大好きだよねー……分かった。そこまで言うならあたしは追いかけないわ。クラスのみんなと一緒に、黙々と片づけだけする」
「本当!?」
「嘘なんてつかないわよ、ケイちゃんキレたらめっちゃ怖いし」
──ただ、クラス全員に缶ジュース一本の約束はさせるけど。
微苦笑を浮かべる黒葛原から出た言葉に、窓雪は「えぇ……鬼だぁ」と密かに漏らしていた。
◇ ◇ ◇
── 体育科校舎 屋上前。
「……落ち着いた?」
文化祭の喧騒もすっかり落ち着いてきた頃。未だボクの手を握ったままの影人さんが、そっとボクに語りかける。
つかえがまだ取れきれていないボクの喉は、いつもよりも小さな声でしか頷けなかった。
時計も見ずに泣き続けていたボクに、正確な時間の流れは掴めていない。
けれど、文化祭の会場たる校舎内が少し静かになったという要素一つで、そろそろ終了の時間が迫っていることはなんとなく理解していた。
誰も追いかけて来る様子はないけれど、きっと怒ってる人もいるんだろうな。今更になって沸き始めた罪悪感に、また体が震えそうになる。
「……そういえば、お前のこと探してるらしい奴に会ったんだけど。お前の知り合い?」
ボクの顔を見ないまま、影人さんは尋ねるように呟く。
──その「奴」が誰か瞬時に理解したボクの脳は、堪えていた感情を一瞬にして解き放つ。
聞かれたくない。
話したくない。
思い出したくない。
──知られたくない。
否定の言葉が、ただひたすらキャンバスを埋め尽くす。
「……そんな人、……知らない……」
世界一下手くそな嘘を吐いた。
こんな調子で「知らない」なんて言ったところで、説得力が無いのも分かってる。
だが、溢れ出す感情でオーバーヒートしまくった思考回路では、こんな言葉しか振り絞れなかった。
きっと、黒葛原さんや他の人なら「嘘つけ」なんて反論していたに違いない。
──けれど、彼は違う。
「……じゃあ、ただのストーカー?」
「っ、……えぇ。そう、理解して……いい、です……」
「ふーん……。ヤバそうな奴だと思ったから、お前のことは知らないフリしておいたけど……正解だったかもね」
問い詰めることもせず、否定をすることもせず。深入りをしないままに、頷いてくれていた。
元々他人に興味のない彼だから、ボクの事情にも興味はないのかもしれない。けれど、今はそんな彼の性分に助けられているのも事実だ。
幼い頃からたくさんの傷を追い続けてきた彼だからこそ出来ること──平々凡々のほほんと生きてきた人ならば、きっと理解し得ない領域だろう。
ボクを追いかけ回しているヤバい奴がいる。ただ、そう理解してくれればいい。
あんな人がボクの■■だなんて、絶対に知られたくない──。
「……ねぇ、蛍。今何時?」
「え? 今ですか? ……あ、スマホはカバンの中に置いてきたんだった……えぇと、時計時計……」
唐突に時間を聞かれたボクは、辺りを見渡す。
真後ろにある屋上入り口の窓からちょうど見える場所に、時計があるのが見えた。
──15:25。文化祭終了の時刻を過ぎている。
「……終わりの時間過ぎてるんだ……はぁ……」
「? 文化祭終わったら、晴れて自由じゃないですか……まぁ、片づけとか残ってますけど。何かあるんですか?」
文化祭が終わりは女装男装喫茶も終わりと同意──女装という地獄から解放される、めでたい時間のはずだ。
けれど、影人さんの表情にはまだ重い何かが残っていた。
「……アレだよ……」
「アレ、とは」
「……後夜祭ってあるじゃん……その時間、メインイベントで軽音部のライブやることになってるんだよ……」
やだ。面倒。だるい。鬱だ。サボりたい。帰りたい。
流暢にネガティブワードを繋げる影人さんの体から、ずうんと重々しいオーラが放たれる。
――後夜祭。
文化祭終了後、残った生徒たちで行われるイベントの一つ。祭の後の祭……なんてヤツだ。
文化祭が終わった後の、生徒同士の親睦会的なノリで行われるようだけれど――まさか、そんな最後の最後に影人さんの晴れ舞台、しかも彼が得意なベースが輝くであろうステージライブだなんて。
けれど、彼の纏うオーラは重く、暗く、そして深い。
音楽好きなんでしょう、何故そんなに乗り気じゃないんですか?
……そう問いかけようと思ったところで、ふとこの間のことを思い出す。
『あいつらと音楽の方向性合わないから行く気しなくて行ってなかったんだけど、今年の文化祭のステージだけでも出てくれってうるさくてさ……』
──あの時も、こんな風に真っ暗なオーラを漂わせていたっけ。
マジデスのライブも行ったことがないボクからしたら、どういった感じで方向性が違うのかはわからないけれど……やりたいジャンルとは真逆なのだろう、というのは何となく分かる。
ボクでいえば、庶民派料理を作るのが好きなのに高級フランス料理ばかり作らされる……みたいな感じかもしれない。多分だが。
そっとボクの手を離し、重々しくため息を吐きながら立ち上がる。
面倒くさがりで嫌なことを避ける影人さんが(渋々でも)行ってあげるあたり、きっと軽音部のメンバーは相当うるさく言ったのだろう。
「……来なかったら毎日教室に押し掛けてやるからなって部長に言われてるからさ……」
「あぁなるほど、それはウザい」
しかし見事な誘い出し方だ、とも感心する。面倒事を避けたがる影人さんの性分を理解してか否かは分からないが、上手い策略とは思う。
影人さんなら……というより、ボクだって毎日ウザいのが続くくらいなら、一発で終わるウザさを選ぶことだろう。
「……ええと、一応頑張ってくださいね……見に行きますから……」
「……いいよ、見に来なくて……」
今までで一番重苦しく背を曲げながら、影人さんはとぼとぼ階段を下りていった……。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
エレベーターで一緒になった男の子がやけにモジモジしているので
こじらせた処女
BL
大学生になり、一人暮らしを始めた荒井は、今日も今日とて買い物を済ませて、下宿先のエレベーターを待っていた。そこに偶然居合わせた中学生になりたての男の子。やけにソワソワしていて、我慢しているというのは明白だった。
とてつもなく短いエレベーターの移動時間に繰り広げられる、激しいおしっこダンス。果たして彼は間に合うのだろうか…
部室強制監獄
裕光
BL
夜8時に毎日更新します!
高校2年生サッカー部所属の祐介。
先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。
ある日の夜。
剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう
気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた
現れたのは蓮ともう1人。
1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。
そして大野は裕介に向かって言った。
大野「お前も肉便器に改造してやる」
大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
うさキロク
雲古
BL
サイコパス鬼畜サボり魔風紀委員長に馬車馬の如く働かされながらも生徒会長のお兄ちゃんに安らぎを得ながらまぁまぁ平和に暮らしていた。
そこに転校生が来て平和な日常がちょっとずつ崩れていくーーーーーーーー
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる