夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第三.五章 文化祭編

第四話 事前披露

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「ちょっと、マジでやるんですか!?」
「だーから、マジだっつってんでしょ。ほら、動かないで。石になりきんなさいよ」
「無茶言わないでください……」

 ── 現在地、社会科準備室。
地図やら資料集やら、物だけが溢れた無人の密室にいるのはボクと黒葛原つづらはらさんの二人だけ。

 男女が密室で二人きり、といえば聞こえはいい。聞こえ「だけ」はいい。
たとえるなら、少女マンガ。ラブロマンスの小説。物語の一ページを描く、青春のようなひととき。
ボクとしても、そうであったらかなり幸せではあったかもしれないが。

「とりあえずこれ付けて、前髪上げて。そしたら始めるから」
「はぁ……逃げられないんですね、ボク……」
「当たり前でしょ」

 ── これが、ボクと黒葛原つづらはらさんでなければ、本当に。
しかも、シチュエーションは「ボクの顔に化粧を施す」だ。甘いもへったくれもない、地獄のシチュエーション。
引っ張るわけではないが──一応、何だかんだ色々あった相手と二人きりだ。流石に、前ほどドキドキすることは無い。

 黒葛原つづらはらさんに渡されたヘアゴムで前髪を縛り上げ、額を晒す。
何か水気のあるものを含ませたコットンを手にするなり、黒葛原つづらはらさんがボクの顔をトントンと優しく叩いた。
化粧をしないボクからしたら、一体全体何をしているのかよくは分からないが……とりあえず、今は彼女に従うしかない。

「……あんた、案外肌の状態良いよね。そこらの女よりもち肌かもしんない」
「はぁ、何言ってるんですか黒葛原つづらはらさん……」
「やっぱ素質あるわよ、あんた。悔しいけどね」

 コットンを使い終えると、今度は肌色の液体を手に出すなりボクの肌にそれを塗り始めた。
黒葛原つづらはらさんの手によるボクの顔面改造計画が、本格的に動き始めている。
今まで何も塗ったことのないこの顔に初めて手が加えられていることに、少しだけ緊張していた。


 (多少指示は出せど)黙々とボクの顔に化粧を施していく、黒葛原つづらはらさん。あれだけ「蛍君、蛍君」って言っていた彼女の態度も、今はすっかり変わっている。
流石にクラスメイトの前では少し自重をしているらしいが、ボクや影人さんの前では以前のような可愛らしさを見せることが一切ない。

 以前より砕けた言葉遣い、「あんた」という二人称、時々グサッと来るようなきつい物言い。
そして、ボクの呼び方も今では「蛍君」ではなく、「不破君」という呼び方になっている。距離を感じる呼び方ではあるけれど、ボクらの間柄を考えればそれくらいが丁度いい。

 必要以上に仲良しこよしするのをやめた結果だ。お互いに、それが落ち着く距離なのだ。
……事実、ボクも完全に恨みを消したわけではないのだから。


「……あんたってさ、本当に好きだよね。黒崎あいつのこと」
「え? ……まあ、好きですよ。大事な友達ですから」
「ふーん。大事な友達、ね」

 ボクの顔にファンデーションを塗りながら、黒葛原つづらはらさんが言う。二人きりしかいないこの状況で言われると、なんだか意味深さを感じてしまう……ような気がするのは、気のせいだろうか。

 影人さんのことがどれだけ大切かというのは、散々彼女には語った気がする。彼女は、嫌でも分かっているはずなのに。
改めてそんな風に言ってくるなんて、彼女は何を考えているんだろう。

「……何となく、気になるから聞くけど。黒崎あいつとのこと」
「何ですか」
黒崎あいつのどこが良くて、友達続けてんの?」

 ……真意の読めない笑みを浮かべながら、黒葛原つづらはらさんが問いかける。
何が良くて、だなんて。あの一件が終わってからも、この人はまだ影人さんとのことを引きずっているのだろうか。

 ボクの周りの空気が、少しだけぴりっと張りつめる。

「……。どういう意味ですか、黒葛原つづらはらさん」
「やだ、そんな怖い顔しないでよ。黒崎あいつとのことはもう引きずってるつもりない。……忘れてもいないけど」

 淡々と化粧を続けていく、黒葛原つづらはらさん。今度はボクの睫毛をいじり始めた。
睫毛の神経を刺激されるような、慣れない感触に思わず身を強ばらせてしまう。女子はいつもこんな感覚と戦いながら顔を綺麗に飾っているのか……。そう思うと、その毎日の努力に賞賛の言葉を贈りたくなってしまう。

「ま、言っちゃえばただの知的好奇心。中学の頃のあいつはマジで誰とも関わらないぼっちだったから、あいつの内面とか全然知らないの。だから、何が良かったんだろうなぁって思っただけ」
「……それ聞いてどうするんです?」
「どうもしないわよ、あたしが聞きたいだけだけなんだから。ケイちゃんたちに他言するつもりだってないし、それに……」

 ──今さらあいつの話なんて、中学の友達も聞きたくないだろうから言わない。
そう口にした黒葛原つづらはらさんのは、眉をハの字にして苦笑していた。

 今はもう、そんな話もなかったかのように機能しているクラスの中にいる。だから、時々あの張りつめた空気の中にいたことを忘れかけてしまいそうになるのだけれど。
……こんな風に語る今、彼女も少しは前を向けてきてはいるのだろうか。
「前を向くことにする」とあの時彼女は影人さんに宣言していたのだ、それを信じてはいるのだが。


「……まぁ、何が良かったのって言われても……ちょっと、答え方には悩みますね」
「はぁ? スッパリ言えないってわけ? たとえばこう……顔が良いとか、顔が良いとか、顔が良いとか」
「顔が良いしか言ってないじゃないですか……」
「だってそれしか知らないもん。まぁあたしの好みじゃないけどね、あいつの顔面は」

 はぁ、とため息をつきながら言う。
影人さんの顔面は、別に見た女子全員をストライクゾーンに引き込むものでもない、みたいだ。
流石に好みは人それぞれ、と言ったところだろうか。別に黒葛原つづらはらさんの好みなど知ったことではないが。


「……。今さら、どこからどう説明すればいいんだろうって感じです」
「ふーん、整理しきってないってわけ」
「まぁ……今ほど仲良くなるまで、色々ありましたから。黒葛原つづらはらさんとの一件も含めて、ですけど」

 深くは語るつもりはない。けれど、そういったことを乗り越えてきたから、今のボクらがある。
今まであったことをしみじみと思い出しながら語れば、黒葛原つづらはらさんはボクの頬に何かを塗りながら「そう」と短く言葉を返した。

 彼の顔面も確かに嫌いではない(寧ろ羨ましいレベル)だし、服のセンスもめちゃくちゃ良くてかっこいい。
時々度肝を抜くようなことをすることがあるけれど、それもまたユーモアの一つであると思えば楽しい。
個性的な分、欠点も多々あるけれど──それらも全部含めて、ボクは影人さんが大切で、大好きだ。

「……どういうところが好きとか、そういうの……もう、飛び越えてる気がするんですよね」
「うん?」
「アナタはもう分かってると思いますけど……ボクにとって影人さんは人生初の友達で──誰よりも近い場所で守って、幸せになるまで傍で支えていたい。自分ボクが人生で受ける幸せの回数を全部彼に振り分けてでも、いつか心から笑えるくらい幸せになってほしい。……そんな存在ですから、あの人は」

 だから、こうしてずっと一緒にいます。そう語り終えれば、黒葛原つづらはらさんが手を止めて黙り込む。



──これは全て、ボクの本心だ。初めて影人さんが涙を見せてくれた時からずっと心の中にある"決意"。
 もう、ボクは「自分の幸せ」なんてどうでもいいのだ。影人さんがいつか幸せになってくれれば、それで。


(だって、ボクには幸せになる資格なんて──)


 そんな風に考えながら目線を下に向けると、黙り込んでいた黒葛原つづらはらさんが「へぇ……」と、小さく漏らす。

「……友達、ねぇ」
「はい?」
「何でもない。まぁ、大体わかったけど……なーんか、デート(笑)した時もそうだったんだけど、惚気話聞いてる気分だったわ。あーあ、熱いあつーい」
「はぁ!? 自分から聞いておいてなんなんですかそれ!!」

 確かに、我ながら臭いことを言ってしまった……ような気もするけれど。改めて茶化されると、なんだか恥ずかしい。

「はいはい、とりあえずあともう少しで終わりだよ。あとはリップ塗って、ウィッグ被って衣装着れば完成」
「まーーーじで本格的な女装じゃないですか、事前の合わせだってのに」
「何言ってんの、どうせなら黒崎あいつの度肝抜くくらい本格的にやってやるってのよ! ほら、顔貸せ顔!」

 黒葛原つづらはらさんが片手で思い切りボクの両頬を抑え、自分と向き合わせるなりボクの唇にリップを塗っていく。
ほんのり淡い桃色、というのか……そこまで主張の強くない色だ。派手な色でなかっただけ、まだ良かったというべきか。

「……ほんと、何をどうしたらこんな化粧ノリの良い肌になるってんのよ。男のくせに」
「知りませんよ、健康的な生活を心がけているだけですって」

 ぶつくさと文句?を言いながらも塗り終えたのか、黒葛原つづらはらさんがリップに蓋を閉める。
それをポーチの中に入れるなり、次に手にしたのは──最後の仕上げになるであろう、ツインテールのウィッグとミニスカートのメイド服。

「はい、あとこれだけだから。さっさと着てくれる?」
「マジで着なきゃいけないんですかこれ」
「マジに決まってんでしょ、ここまでメイクしといて髪型と服はいつも通りとかギャグのつもり? 何だったらあたしが着せてやるけど」
「ぎゃぁぁ!! しれっと何言ってんですかこの女!! ボクにだって恥じらいというものがありましてねぇ!!」
「あんたみたいなクソ童貞脱がすなんて屁でもないわよこっちは! ほら、やられたくなかったらさっさと自分で着なさい!!」

 ばさっ、とウィッグとメイド服を投げられる。反射的にキャッチしてしまったボクに、「逃げる」という選択肢はもはや存在しなかった──。



◇ ◇ ◇



 ── 数分後。
渋々メイド服と着てウィッグを被ったボクは今、黒葛原つづらはらさんの後についていく形で廊下を歩き、教室に向かっている。
放課後ということもあってか、生徒とすれ違うことも滅多になく。あまり多くの生徒に見られないだけでも、よしと思っておくことにした。

(まぁ、少人数の人でも見られただけめっちゃ恥ずかしいんですけど……)

 目立つ格好だからか、やはりすれ違うたびにチラチラと視線を感じる。多分、「何だあいつ、めっちゃ似合ってねぇ」みたいな視線だったと思うのだけれど……。
一歩一歩、歩くたびに近づく教室に嫌な意味で心臓がドキドキと鼓動を早めていた。


「みんなの反応が楽しみだね、不破君」
「楽しみなのはアナタだけでしょうよ」

 ボクの心境を知ってか知らずか、黒葛原つづらはらさんが楽しそうに笑う。まるでいたずらっ子のような笑みを浮かべている彼女の姿に、少しだけ毒を吐いた。

 特に影人さんに見られた日には……いや、もう見られることはほぼ確定なのだけれど、あまりの似合わなさに「なにそれ」なんて冷笑されるんじゃないかと信じてやまない。
他のクラスメイトもそうだ。みんなに笑い物にされる可能性もある、そんな風になったとしたらそれこそもう不登校になりたくなるくらいだ……。




「みんな! 不破君、大変身したよ!」

 そんなボクの不安などお構いなしに、黒葛原つづらはらさんが意気揚々に教室のドアを開ける。
ガラッ、という音と共に振り返るクラスメイト。28人中28人、全員の視線がボクに突き刺さる……。

「ど、……どうも……不破です……」

 あまりにも、気まずい。なんて言えばいいのかわからず、口から出てきた言葉は今さらなただの自己紹介になっていた。
ざっとクラスメイトの顔を見渡すと……みんなして目を見開いて、ぽかんと口を開けている。

これは確実に呆気にとられている……としか思えない。やはり、驚異的な美顔を持っているわけでもないボクが女装なんてただの見世物――



「お前本当に不破か!?」
「ちょっと待って、めっちゃ可愛くない!?」
「俺のクラスにこんな逸材がいたとは……何で気付かなかったんだぁ~!!」

 ざわざわ……と、何故か知らないが口々に「可愛い」と言い始めるクラスメイト。
いや、ちょっと待ってほしい。一体全体、何をどう見てボクの女装を「可愛い」などと評しているのだろうか。
別に驚くほどの美顔でもなければスタイルが特別良いわけでもない、ただの非モテ男子だぞ?

「不破君、メイクするとこんなに可愛くなるんだね!! 私びっくりしちゃった……ほら、あなたも自分の顔見て!!」
「えっ、……あ、えぇ……?」

 窓雪さんが鏡をずいっと目の前に出し、ボクに向ける。
そこに映っていたのは――まさにボクの女の子バージョン、といったツインテールの少女の顔だった。

 薄く塗られたファンデーションに、ほんのりと色づいている程度の桃色をしたリップと頬。心なしか、いつもよりくっきり大きく見える目元。
……僅かにボクだということが分かる顔ではあるが、化粧一つでこんなにも変わろうものとは。化粧とは恐ろしい。
今時の女子はこれに加えてプリクラだのスマホのカメラだので加工まで施すくらいだ、きっと今のご時世可愛く見せることも昔よりは容易いだろう……。

「どうしよう、不破の女装姿めっちゃタイプなんだけど僕……」
「俺も!! あ~~不破が女子だったらなぁ~~!!」
「すみません、そこのお二人はちょっと頭を冷やした方が良いと思います……」

 クラスメイトの男子二人が、何やら訳の分からないことを口走っている。ボクは男とお付き合いをするつもりはない。
「似合ってねーじゃん(笑)」と言われるよりは良い(かもしれない)けれど、これはこれで……戸惑いを覚えるほかないわけだが。


(そういえば影人さんは……)

 ―― 一番反応が気になる人からまだ反応をもらえていない。
別に「似合ってるよ」とか「可愛いよ」とか言われたいわけではないが、ボクにとっては唯一の友達。どんな反応をしようものか、気になってしまう。
結構ハッキリ言う人だから、似合わなければ「不細工だね」とか「ダサい」の一言でもぶつけてくれるとは思うのだが……。

(似合ってないとか言われたら正直死にたくなるな、これ)

 恥ずかしいやら、引かれたんじゃないだろうかと思うやら、そんな意味合いで。


「ほら黒崎、あんたも見てんでしょ? なんか言ってやんなさいよ」
「……」

 黒葛原つづらはらさんが、影人さんに向かって得意げな笑みを浮かべる。
「あんたの親友可愛いでしょ?」なんて言っているけれど……この人、自分の化粧の腕前に相当自信があるのだろうか。
とはいえ、案の定影人さんは何も言い返してこないのだが。逆にそれがなんだか怖い。

(絶対呆れてるよなぁ……なんか、冷たい目向けられてるような気がする……)

 気のせいだと良いのだけれど。マスクで表情が見えない分、余計に考えが読みづらいのが怖い。
表情が見えないのはいつものことなのだが、今は状況が状況だ。もしこれでドン引きされてたのだとしたら、ある意味ボクは生きていけない。


「……似合ってるよ、蛍」
「そ、そうで――ってぎゃあああ!!!! 何してんだクソイケメン!!!!」

 あれ、褒めてくれた……と思った矢先、影人さんのスマホからパシャパシャとシャッター音が鳴り響く。
そう、それも――寝転がりながらカメラを上に向け、スカートの中を盗撮でもするかのような体勢で。

「何って、撮影」
「そりゃあ見ればわかりますけど何なんですかその体勢とカメラの向き!! どういうつもりですかコンチクショウ!!」
「え、ただの好奇心」
「何の!?」

 ただの好奇心でそんな痴漢がやるようなことするか! と叫ぶボクなどお構いなしに、影人さんはまだシャッター音を鳴らし続けている。
この野郎、さては楽しんでいるな……? (多分だけど)スカートを抑えてどうにか中が見えないように努力してるボクをからかって楽しんでいるな!?
ボクが恥じらいのない男だったら、多分踏んでいたかもしれない。覗かれたら流石に恥ずかしいから、それは出来ないけれど。

 この行動にはさすがに引いているのかなんなのか、また違う意味でざわつき始めるクラスメイトたち。
「何やってんだあいつ」「え、もしかして黒崎君って意外と変態?」とかなんか色々言っているけれど、聞いているのかいないのか……影人さんは全く気にする素振りがない。

「つかそれだったら真正面から撮ればいいじゃないですか!! なんでわざわざローアングルから……」
「短いスカート履いてるのが悪い」
「そんな変態痴漢クソ親父みたいなこと言うなモデル顔負けクソ野郎!! 色んな意味で将来が心配になるわ友達として!!」
「大丈夫、興味ある奴にしかやらないから」
「そういう問題じゃねぇえぇぇ!!!!」


 ボクの叫びが、教室中に木霊する。
後ろにいる黒葛原つづらはらさんが、ぼそりと「何なのこいつら……」と呟いていた。
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