夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第三章

第十二話 やるべきこと

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「……これが全てだよ」

 黒葛原さんによる語りが終わると、教室内はしん……と、また静まりかえっていた。
あまりの衝撃的な内容に、誰もが言葉を失ったのだろう。事実、ボクもそうだ。傍に居る窓雪さんも、目を見開きながら俯いている。

「証拠不十分、動機も不明、それであいつは上手いこと逃げられたけど……あたしは、今でも黒崎あいつがやったんだって思ってる。どう考えたって、あいつ以外ありえないもの。あんな風にこの場から逃げた時点で――あたしの中ではもう確定だよ」

 黒葛原つづらはらさんが、ボクに一歩歩み寄る。

「……だからさ、蛍君。あんな奴と付き合うのやめて、あたしと一緒にいようよ。あたし、今なら友達いっぱいいるし……あんな奴と二人きりで閉じこもるより、ずっと楽しいよ?」

 ね? と、微笑む黒葛原つづらはらさん。彼女からしたら、悪魔からボクを救うかのような気持ちになっている、のかもしれないが――ボクの目には、そうには見えなかった。
寧ろ、彼女の目にはどす黒い何かが渦巻いているように見えていて――彼女の申し出を、受け入れる気にはなれない。

 彼女がその身に受けた苦しみは、確かに時間が解決してくれるような穏やかなものじゃない。

「……お断りします」

 ボクの言葉に、クラスが少しだけざわつきを取り戻す。

「嘘だろ? 黒葛原つづらはらからの告白? を断ったぞあいつ……」
「あんな怖い人といるより、絶対いいはずなのに……」
「つか、不破って黒葛原つづらはらさんとちょっといい感じの時なかったか?」

 "良い感じの時"、というのは恐らく――ボクが黒葛原つづらはらさんに振り回されっぱなしだった、あの週間の話だろう。確かに、他人からしたら黒葛原つづらはらさんに好かれているように見えていたかもしれない。ボクも、満更ではないように見えたかもしれない。

(……実際、確かに期待しかけた自分はいましたけど)

 けれど、そんな感情も今はない。
寧ろ――今ここで抱いている感情は、全く逆の感情だ。


 ……冷静に考えれば、おかしいとすぐに気付くべきだった。
大したことしてないのに、初対面の時からやたらと好意的にぐいぐい迫ってきた押しの強さ。
近くにいた影人さんをあからさまにいない者扱いしているかのような、彼を無視した対応。
彼に話しかけた時にすぐ声を被せてきたのも――それ以上関わらせず、黒葛原つづらはらさんに目を向けさせるようにわざと仕向けた、彼女なりのずるいやり方だったのだ。

「……黒葛原つづらはらさん、正直にお答え願います」

 ボクも覚悟を決め……黒葛原つづらはらさんに一歩、歩み寄る。
こんなこと、考えたくはない。ボクの推測がアタリだとしたら、ボクとしても少しショックの大きい話であるが――もう、腹を括るしかない。

「ボクのことを知りたい、ボクのことを独占したい、影人さんに嫉妬をしている――全部、嘘でしょう?」


 クラス中が「えぇっ!?」「そんなこと言われたの!?」と、またざわつき始める。
……自分でも、言ってて少し恥ずかしい。けれど、これだって確認しなければいけない事項だ。

あの言葉たちが黒葛原つづらはらさんにとって本心なのだとしたら――それは喜ぶべきだろうし、友達としてなら少しくらいお話してもいい……と思えるかもしれない。
……けれど、今ではそうとも思えない。正直、ボクの心は彼女を疑っている。

 少しばかりの緊張を胸に、ボクは彼女の返答を待つ。



「――そうだね、全部嘘」

 不敵な笑みを浮かべながら、悪びれる様子もなく彼女は語る。

「あいつにとって、キミは大事な友達なんでしょ? ……初めて出会った時、何となく確信したの。あいつが誰かを隣に置くなんて、よほどの子じゃなければありえないはずだもん。

 あいつからキミを奪えば、あいつはまた独りぼっちに逆戻り。――あいつの何もかもを奪って、地獄に突き落としてやりたかった」

 ボクが傍で見ていた太陽のような笑顔は、もうそこには存在していなかった。
ボクの目の前にいるのは、太陽なんかじゃない――過去の苦しみと憎しみに溺れて汚い手に走った、悪魔のような女だ。

「まぁ、笑っちゃうくらい女の子慣れしてないキミを可愛いと思ったのは本当だけど――彼氏にする気なんてこれっぽっちもないよ、全然。ぶっちゃけ、好みでもないしね?」

 もしかしたら、そうかもしれない。そんな風に、予想も覚悟もしていたはず……なのに。
その言葉たちには、想像以上の破壊力があったのだろう――ボクの心に、ざっくりと大きなヒビが入る音がした。

「……はは。そう、でしたか。……ははは」

 今にも割れそうになった心を抱えたボクから出たのは……乾いた笑いだけだった。



(結局ボクが女子に寄られるのなんて、結局そんなもんか)
(都合の良い理由がなければ、あんな風に近寄ってくるわけがないのか)

 自分でも、今抱えている感情が掴めなかった。
怒っているのか、憎いのか、呆れたのか、悲しいのか、なんなのか。

(ほんの僅かでも期待なんてするもんじゃなかった)

何がなんだか分からないくらい、ぐちゃぐちゃで、真っ黒で。

(下心もなくボクを好いてくれる人なんて、やっぱり――だぁれもいないんだ)


 黒葛原さんかのじょも結局、他の女子たちと同じだ。
目的はボク自身じゃなくて、影人さん。ボクを通して、影人さんを見ていた。
──影人さん報復したいがために、良い顔をしてボクに近づく、しょうもないクソ女だったに過ぎない。


(……ボク自身を愛してくれる人なんて、……結局……)


 がらり、がらりと、心に瓦礫が溜まっていく。どこもかしこも崩れて崩れて、薄汚いもので埋まっていく。
真っ黒くなっていく心と連動して震える体を押して動き出したボクは――

「……楽しかったですか?」

 ――気付けば、黒葛原つづらはらさんの胸倉を掴んでいた。

「ボクのこと好きじゃなかったなら見抜いてましたよね?ボクがアナタの迫り具合にどれだけ緊張してテンパってたかくらい分かってましたよね?女子慣れしてないボクの態度を見て嗤ってたんでしょう?見下ろしてたんでしょう?影人さんへの復讐だなんてしょうもない目的のためにボクを弄んでた時のアナタはさぞかし良い気分だったでしょうね?だってアナタはボクを影人さんに復讐するための駒として見てたんでしょう?ねぇ?」

 息継ぎを忘れたかのように、次から次へと口から言葉が飛び出る。自分でも分かる、今のボクはまともに思考回路が動いていない。
先ほどまでの強気な姿勢はどこへ行ったのか――黒葛原つづらはらさんは、化け物を見るかのような目でボクを見つめている。

「証拠不十分、動機不明、影人さんがやったっていう確実な証拠はなく終わったんでしょう?ならそれでいいじゃないですか。まぁたとえ本当に影人さんが犯人だったとしてもボクは影人さんから離れる気なんてありませんけどね。人なんて過ちの一つや二つ犯すもんじゃないですか、ねぇ?変なもん食わされてすごく苦しかったのは十二分に分かりましたし同情はしますけど、それをこの教室にまで持ち出してみんなを味方につけてクラスの雰囲気ぶち壊して影人さんの居場所を無くそうって魂胆だったならボクはアナタを一生許しませんよ」

 胸倉を掴む手に、自然と力が入る。
黒葛原つづらはらさんの目が段々と気弱な色に変わっていく。……そんなのはお構いなしだった。

「アナタが影人さんを地獄に堕とそうってんなら――ボクはそれよりもっと深いところにアナタを堕としてやる」

 感情が止まらない。
怒りが、憎しみが、悲しみが、全ての負の感情が一点に集中しているかのように、思考回路と冷静さを奪っていく。
言葉を投げつけるだけじゃ済まされず、空いた右腕は爆発した感情のままに勝手に動き出そうとしていた。



「――不破君」

 空いた右腕に突然伝わってきたのは、ほんのりと温かな体温。
ちらりと目をやれば、その腕を握っていたのは――先ほどまでボクらを傍で見ていた窓雪さんだった。

「もう、いいよ。それくらいにしよう? 不破君の気持ち、美影ちゃんやみんなに伝わったと思う」

 冷静に語りかけてくる窓雪さん。その目は揺らがず、しっかりとボクを見つめている。
影人さんとボクを気に掛けてくれていた彼女の目には、和やかで温かな優しさが灯っているように見えて――ボクの心と思考回路を覆っていた真っ黒い何かが、じわじわと剥がれていく。

「それに、不破君にはもっと大事なことが……やるべきことがあるはずだよ」

 黒葛原つづらはらさんの胸倉を掴んでいたボクの手を解き、ボクと黒葛原つづらはらさんを離す。
そして、ボクの背を軽く押し――ボクに、言葉を投げ続ける。

「――行って。後のことは私がどうにかするから、不破君はすぐ黒崎君の傍に行って」
「窓雪さん、……でも、アナタまでボクの方に巻き込むわけには」
「いいから行って!!」

 ボクの言葉を遮り、窓雪さんが叫ぶ。
窓雪さんには窓雪さんの立場がある、彼女にはボクらとあまり関わりのない友達が傍にいる。
そこまで深い関係にない彼女を、ボクらのためにこちら側に立たせるわけにはいかない。そうして彼女まで居づらくさせるわけにはいかなかったのに。

「こんなことしてる間も、黒崎君は独りでいるんでしょ。こんなことになって、あんな風に出てって、普通にしてられるわけないじゃない。だったら、早く傍に行ってあげないと。……それが出来るのは、誰でもない不破君だけだよ」

 ―― きっと、黒崎君には不破君が必要だと思う。
まっすぐ投げられた窓雪さんからの言葉に、ようやく冷静さを取り戻した。

 あぁ、そうだ。これ以上、こんなところで油を売ってる場合じゃない。
影人さんを傷つけようと、そのためにボクを利用しようとした黒葛原つづらはらさんのことは正直許せないし……きっと、一生根に持つことになるだろう。
けれど、今は私怨に溺れている場合じゃない。頭に血が上ると、本当にろくなことにならないものだ。

「……ありがとうございます、窓雪さん。先生には上手く言っておいてください!」
「オッケー! 二人の分もノートは取っておくからね!」

 カバンを背負い、窓雪さんの見送りを受けてボクは教室を出た。
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