夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第二章

第四話 未知の世界(※)

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『……影人さん、ここには一人で暮らしてるんですか?』
『―― 一人だよ。ずっとね』

 愕然とした。こういうのをカルチャーショックというのか何なのか分からないけれど。
けれど、ボクが持つ価値観の全てをひっくり返されたような、……それくらい、衝撃を受ける言葉だった。

(三栗谷先生の言う、「独りぼっち」って……)

 ……もしかして、そういうことなのだろうか。
誰かが傍にいても存在感が無いとか、そういう意味合いではなくて。
――物理的にも、精神的にも"独りぼっち"?

「……ご家族様は、……いない、んですか。影人さん、こんなに大変な思いしてるのに」

 念のために聞いてみたが、これに関しては何も答えない。
表情こそいつもと変わりないが、だんまりを決め込んでいる感じだ。答える気配はない。

 ……。聞く方が野暮だったのだ、きっと。
高校生で一人暮らし、なんて。
ボクだって、こっちに移住してからもうずっと実の家族の顔など見ていない。

 ―― 思い出したくもない。何もかも。

「……なーんて、すみません。それより、食欲はあります? 今のその感じだと、プリンかゼリーが良さそうですね」
「……無くはないけど……別にいいよ、食べるのも面……あ」
「はい?」

「蛍が食べさせてくれるなら全部食べられるかも」
「こんな時まで何言ってんだクソイケメン野郎」

 何を思いついたかのように言うかと思えば。体を起こしながら言う影人さんに、秒で突っ込みを入れた。
こんな時でも影人さんクオリティは相変わらずだ。ほっとするような、気が抜けるような。

「だってだるいし……食べるの面倒くさい……」
「普段から食事もまともに取ってなさそうなのに、ここで栄養取らないでいたら余計死にますよ……ほら、スプーンありますから食べてください」
「手動かすのだるい……」
「子どもか! わがまま言うな顔がいいからって!」
「うん、顔はいいよ」

 どこまで面倒くさがりなんだ、この男は。呆れながらも動いてくれるのを待ってみるが、どうもその気配が微塵も感じられない。
自分で食え、食わせろ、自分で食え、食わせろ。お互い黙っていても続く、水面下の攻防戦。

 時間だけが過ぎていく、世界一くだらなくて不毛な戦争に終止符が打たれたのは数分後のことだ。

「あ~~もう!! わっっかりましたよ! やりゃあいいんでしょう!!」

 ヤケクソというのはこういうことなのだろう。スプーンでゼリーを一口分すくい、ほら!と言いながら差し出した。
邪魔になっている前髪を手で掻き上げながら、スプーン上のゼリーを口に入れる。元々素材のいい国宝級のイケメンだからか、そんなちょっとした仕草でさえ様になってしまう。
この数秒だけでも動画にしたら、視聴率がアホほど稼げそうだ……軽くそう思うくらいには、憎い。

「……初めてこういうことする相手が男っていうのが悲しい……しかも自分より数百倍顔がいい相手っていうのがまた悲しい……」
「ふーん……じゃ、俺が初めてをもらっちゃったってわけかぁ……良かったじゃん、俺で」
「前々からいつか殴ってやろうと思ってたんですけど、このタイミングが一番いいですかねもしかして」

 初めてをもらっちゃったとか訳分からないことまで抜かし始めた影人さん。
全世界の非モテ男子を代表して本気で殴っていいだろうか、この超特級の美男子を。
ちょっとした苛立ちを抱えつつ、ボクはゼリーを食べさせていた。飽きるくらい、「口開けてください」を繰り返して。

「……。俺、ここには越してきたんだよ。叔父叔母のとこに来たっていう蛍と同じでさ……」

 ゼリーを完食したところで、影人さんがぽつぽつと語る。突然何かと思ったが、多分ボクが先ほど問いかけたことに関する答えだろう。

「引っ越してきた? ……お一人で?」
「うん。……あの高校から近いの、このアパートしか無かったから……。……。……蛍みたいに、親戚……も、いないしね。この辺には」
「へぇ……だから一人で暮らしてるんですか。大変でしょう、色々一人でやらなきゃいけないし。……お金のこともあるでしょうし」

 散らかった部屋をちらっと見つつ、話す。それにしても生活力なさ過ぎだろとかこの辺りに転がっている酒の缶とかタバコの箱とかは何だよ、と色々気になる点が出てきたが……今の影人さんに、そこまで問い詰める気にはなれない。
ただ、いくら一人でいて咎める人がいないとはいえ、未成年で飲酒だの喫煙だのやっているようであれば、ますます心配になってくる。この人、多分早死にするな……。

「金? ……あぁ、大丈夫。結構稼いでるから、どうにかなってる……」
「稼いでる? ……アナタ、バイトとかしてないですよね」
「うん、してない」

 ――違和感を感じるセリフだ。稼いでるといっても、「いつ、どうして、どうやって?」という疑問が残る。
ボクと一緒に高校に通っている以上、昼間に働くことは不可能だ。もしかしたら休日に、という可能性もあるかもしれないが……彼が寝ていない限り、電話をかけると昼でも夜でも彼は応対してくれる。
夕方、夜は基本空いているかもしれないが、この時も電話をかけると大体は出てくれて。

それに、そもそも未成年は夜10時以降の外出は禁止されている。夜のバイトなど不可能だ。
……失礼ながら、彼がどこかしらのファミレスやコンビニでバイトをしている画が浮かばないというのもあるが。

「……勝手に寄ってくる女がね……結構、払いが良くて。この間の電話の時いた女も結構くれた」
「え? ……え?」
「……蛍。まさか、「援助交際」って言葉も知らないわけじゃないよね……?」

 じぃ、とボクの顔を見据えて言う。マスクの外れた口元は、僅かにだが弧を描いていて――ボクの反応を伺っている、ようにも見えた。
流石に援助交際という言葉くらいは聞いたことがある。とはいっても、ニュースで聞いた限りのことだが……確か、女子高生や女子大生が、大人の男の人からお金をもらってカラオケだかなんだかに行く、ということだっただろうか。

 けれど、ボクにとっては遠い世界で、他人事のように思っていた。

「……大人からお金をもらって、遊ぶことですかね。影人さん、まさか本当に夜遅くまで遊んでたんですか?」
「……まぁ、ね。ただ、……蛍の言う「遊ぶ」は、意味が違うと思うけど。」
「???」
「……まぁ、蛍も一応「お年頃」だし。丁度いい機会だね」

 そう言うなり、枕元に置いていたスマホを取ってはいじり始める。
文字の入力とタップを数回、そんな指の動きを見せたところで、ボクにスマホを渡し始める。
画面を見ると、男女が二人映っている。動いているのを見るに、何かの動画だろう。

「……これは一体何で、…………っ!?」

 端末内の二人の動きを見た瞬間、大きな精神的ショックと体が一気に熱くなる感覚を覚えた。

 一糸纏わぬ姿の男女が、ベッドの上で抱き合いながらキスをしている。ただ、ボクの知っているソレではない。
何度も何度も唇を重ねて、……唇の隙間から出した舌を触れあわせて。聴いたことのない水音を響かせながら「んっ」「はぁ……」と言った、吐息混じりの声を出している。
唇を離したかと思えば男が女の首や胸に舌を這わせたり、ボクより大きそうな手でゆっくりと女の胸を揉みしだいたり。男が触れるたび、女が「あっ」と声を出している。

「……っ、………」
「……もしかして、こういうの見るのも初めてだった……?」

 僅かにだが、にや……と笑ったような顔で、ボクを見る。ボクの反応を見て、面白がっているのだろうか。
今目にしているものは、ボクにとっては未知の世界で……羞恥心から目を背けたい気持ちと、何故か目を向けてしまう好奇心とで、心がせめぎ合っている。
全身に湧き上がるような「何か」も合わさって、内心パニック状態だ。どうしたらいいのか、わからない。

「……一回こういうことするだけで、ウン万は軽くもらえるんだよね。お互い気持ち良くなれるし、自分ちで出来るし……まぁ、面倒な女が相手になると後々面倒くさいけどさ、稼ぎには結構いいよ」

 動画を見進めるにつれて、二人の行為が段々と過激になっていくのが見える。
男が女に覆いかぶさり、水音を立てながら大きな声と共に腰を動かしているところで、ボクは限界を迎えた。

「……う、……わぁあぁああ!!!」

 ベッドの横の壁に向かって、スマホを思い切り投げつける。大きな音を立ててぶつかり、ぽすんとベッドに落下する。
影人さんは「あーあ……」と言いながらスマホを拾い、画面を見る。動画はまだ流れたまま、男女の声を響かせている。

「……スマホ壊れたら弁償してよ……」
「……っ、……お、……お邪魔しました!!」

 ばくばくと落ち着かない心臓を押さえながら慌てて自分の荷物をまとめ、逃げるように影人さんの家を後にした。
影人さんは、ボーッとしながらボクの背を見つめるだけ。追いかけることも、呼び止めることもしなかった。

「……ホント、純粋ウブだね」






 ―― そのままどこに寄ることもなく、ボクはまっすぐ帰宅した。
どうしたの、と呼び止める叔母さんの声も無視して、自分の部屋に篭る。

 ……色々と、ショックが大きかったのかもしれない。
ああいう過激な世界があること。それを影人さんはボクの知らないところで普通にしていること。――そして、それでお金を稼いでいるということ。

 女子と裸で絡み合うなんて、考えたこともない。こうだったらいいな、と考えたことはあるけれど、精々ハグやキスくらいで。
そもそもキスをする時に舌を触れ合わせるなんて発想すらなかったのだ。……カルチャーショックというべきなのか、こういうのも。
ぐちゃぐちゃな心を抱えたまま、天井を見上げる。どう整理したらいいのか、分からない。

「蛍、入っていいか……?」

 コンコン、とドアを叩く音と共に聞こえた叔父さんの声。多分、ボクを心配して声をかけに来てくれたのだろう。
……叔父さんは、ボクと同じ男だ。流石に今日見たことは叔母さんには言えないが……同じ男である叔父さんなら、分かってくれるかもしれない。
ボクは叔父さんに「どうぞ」と返す。ゆっくりドアを開けて、叔父さんは部屋に入った。

「……ボクも、叔父さんにちょっと相談したいことが……」
「ん? ……珍しいな、蛍が俺に相談なんて。どうした?」

 ベッド脇に座り、叔父さんが声をかける。
少し恥ずかしいけれど、ボクは影人さんの部屋で見たことを正直に話した。
……叔母さんには内緒にしてくれという条件付きで、あの部屋で見た動画のことも。それで、影人さんがお金を稼いでいることも。
 色々と訳がわからなすぎて理解が追いつかず、パニック状態なボクの話を叔父さんはうんうんと頷きながら聞いてくれた。

「……なるほど、蛍はAV見るの初めてだったのかぁ」
「えーぶい?」
「アダルトビデオの略だ、蛍が影人君に見せられたものはそういうジャンルの動画なんだよ。そういう、裸で交わるものを性行為と言うんだが……」

 叔父さんは笑いながら、未知の世界のことを教えてくれた。
ボクくらいの年齢になると、そういったこと……いわゆる「エッチなこと」に興味を持つのは自然なことらしく、ボクが動画を見て異様に気持ちが高ぶってしまったのもおかしいことではないらしい。
「保健体育や性教育の授業でやったろ」と言われたが、何のことだか理解できなかったボクにとっては興味の対象外になっていた。
だから全く知らなかったわけで……。それが窓雪さんに「将来が心配」と言われた原因なのかもしれないが。

「……ただな、蛍。俺としては、少し心配だ」
「何がです?」
「影人君がそういうことして稼いでいるのも、未成年の一人暮らしなのに酒や煙草が転がっているのも……本当なら、良くないことだ。……蛍がもし、そっちに引きずり込まれたらと思うと……な。お前は、俺とあいつにとって実の息子同然なんだ」

 いつも笑顔を絶やさない叔父さんが、いつになく真剣な顔でボクを見る。言いたいことは、何となく分かる気がする。
……一般的に見たら、影人さんの行動は常識から外れている。男子高校生としては、かなり逸脱した生活の仕方をしているのだ。
援助交際、飲酒、喫煙。この三コンボだけでも、健全とは言えない。世間的に見たら、「悪い友達」だ。

 ボクはその三つのうちどれもしていなくて、……叔父さんが言うには「純粋な子」だと言う。
叔父さんや叔母さんには子どもがいない。だから、実の子のよくに可愛がっているボクがその「悪い友達」に、「悪い道」に引きずり込まれるのが心配。世間一般的な考え方なら、そうなるだろう。

 ……しかし。
ボクはその言葉に理解はすれど、頷くことはできなかった。

「心配かけてすみません、叔父さん。けど、……ボクは周りになんと言われようと、影人さんと友達をやめるつもりはありません」

 この気持ちもまた、今日の影人さんを見て考えた結果だ。
 誰も傍にいない、「独りぼっち」の空間。風邪をひいていても、苦しんでいても、誰かが来ないかぎり一人で苦しむしかない。
おまけに、あの生活力の無さだ。誰かがいなければ、彼はきっとそのうちに野垂れ死んでしまうかもしれない。
それを見捨てられるほど、ボクも無情にはなれないし、……何より、彼を失いたくはない。

「……彼は、ボクにとって初めて出来た友達ですから。大切にしたいんです。」

 「悪い友達」と言われても。そう宣言すると、叔父さんは諦めたように苦笑した。

「そうか……。……蛍がそこまで影人君を大切にしたいなら、俺は同じ男としてその気持ちを尊重するよ、今の話は男同士の秘密だ。俺も、友達は大事にするタチだからな。……ただ、蛍」
「はい」
「……何か変なことに巻き込まれそうになったら、隠さずすぐに相談しなさい。それだけは、約束してくれよ」

 叔父さんは再び真面目な表情を浮かべ、ボクの肩をつかむ。
実の親より、「親」らしい――と、いうべきなのか。ボクを想ってくれているのが、ひしひしと伝わる。

「……もちろんです。叔父さんの気持ちを裏切る気も、ボクはありませんから」

 ボクが答えると、叔父さんは安心したように笑った。

 本当に、叔父さんは優しい人だ。もちろん、叔母さんも。
彼らの愛情を裏切ることなく――影人さんとも、向き合いたい。友達として、彼の傍にいたい。
たとえ、彼の裏にこの先どんなことがあろうとも。



――ボクを████してくれそうなのは、彼しかいない のだ。
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