夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第二章

第三話 訪問

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 友達の家に行くなんて、17年生きてきて初めてのことだった。
今までろくに友達もできず「ぼっち」だったボクにとって初めての体験。先生に届け物を頼まれて……なんてシチュエーションなのが、少々残念ではあるが。

 三栗谷先生の描いためちゃくちゃ大ざっぱな地図を頼りに、ボクは足を進める。
感覚としては、ボクが学校から家に帰るまでの距離と変わらない。地図を見て想像した通りだ。

 住宅街であるボクの家の周りと違って、一軒家ではなくアパートが多い。それこそ俗に言う「ボロアパート」から、金のかかってそうな真新しいアパートまで。
ご近所付き合いがそこそこあるボクの近所はいつでも誰かしらが道端で世間話をしているのだけれど、彼が住んでいるであろうこの地域にはそれがない。時々この辺りに住んでいると思われる誰かとすれ違うことはあれど、皆それぞれ関わり合うことなく通り過ぎていく。
 この辺りの人たちは、自分たちの世界を生きるのに忙しいのだろうか……なんて思いながら、歩みを進めていた。


(他の人は、友達の家とか普通に知ってたりするのかなぁ……)

 ぼっちだったボクには分からない。けど、友達であるボクより彼女でもない女の子たちの方が知っているという事実は、少しだけ寂しさを感じる。
この静かな空気も、住んでいる人たちの纏う雰囲気も。影人さんが家に連れ込んでいるという女の子たちは、既に知っているのだろう。
もしかしたら、ボクよりずっと良く知っている女の子だっていたのかもしれない。

(……。仲の良い友達って、お互いのことをどこまで知ってるものなんだろう)

友達――互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。辞書にはそう記されている。
ボクらは対等に交わってはいる、と思う。一緒にいてなんとなく落ち着く存在ではあるし、なんだかんだで楽しい気持ちにはなる。

 けれど、これはどうなんだろう。――「互いに心を許し合って」。
知り合って一年は経つが、彼の全てを知ったわけではない。むしろ、知らないことの方がたくさんあると最近は改めて思うくらいだ。

 「友達」というのは、相手のことをどこまで知っていたら「友達」なんだろう。
何一つ知らないまま一緒にいるなら、「ただの他人」と変わらないような気もしている……が、知られたくないことまで知ろうとするほどボクも野暮ではない。
それに、そういうことの一つ二つ、ボクにだって――。

 ……「友達になりませんか」と言ったのはボクなのに、友達というのが何なのかよく理解できていない。
そんな自分に、呆れと嘲笑しか出てこなかった。


「……ここかぁ」

 変な事を考えながら歩くこと数分、ボクが辿り着いたのは真新しそうな二階建てのアパートだった。
全体的に黒に近い茶色の外壁で、暗闇に紛れられそうなアパートだ。昼間は目立ちそうだが、夜となると見つけられるかすら怪しい。
アパートの壁にもし照明がついてなかったら、見つけることは困難かもしれない。

『……あやつはワケあって独りぼっちなのじゃよ、不破』

 ふと、三栗谷先生の言葉を思い出す。

 ──アパート暮らし、ワケあって独りぼっち。
まさか、ここに彼は独りで、…………。

(……いやいや、流石にないでしょ。ボクら、高校生ですよ?)

 高校生の一人暮らし、なんて少し現実的じゃない。バイトなどしたことないボクには詳しいことなど分からないが、学校終わりと休みの日を全部バイトに費やしたとしても、家賃や食費は賄えるのだろうか?
 学費、食費、水道光熱費、家賃。これらを高校生のバイトだけで賄えるとは思えない。
叔母さんが家計簿をつけている時にちらっと見たが、電気と水道だけでもウン千円は持っていかれてのを見たことがある。
 一軒家とアパートの違いもあるかもしれない、にしても……まさかそんなわけないよな、という考えばかりが頭を巡る。

(……考えても仕方ないか。とりあえず、影人さんの家に向かえばわかるだろう)

 階段を上り、影人さんの家の前へと向かう。影人さんの家は二階の角部屋……かなりひっそりとしているところだ。
あまり多くの人と関わりたくない人であれば、かなり落ち着く場所だろう。
ボクもいずれは……と考えているけれど、もしも一人暮らしをするなら、こういうところで静かに暮らしたい。

「突然申し訳ありません、影人君の友達の不破 蛍といいます。先生からのお届け物がありまして、お訪ねさせていただきました」

 インターホンを鳴らし、声をかける。話を聞いているかは分からないが、影人さんのご家族様がもしいるとしたら初めてお目にかかるかもしれないのだ。礼儀はきちんとしておかなければ。
少しばかり緊張しつつ待つと、ゆっくりとドアが開かれる。



 そこに立っていたのは少し顔が赤くいつもよりだるそうな影人さん。……あれ?と思いつつ、封筒を差し出して話を続ける。

「え、と……影人さん。これ、三栗谷先生からです。黒崎に渡してくれって」
「……。……ふーん、そう」
「あの、影人さん。今、もしかして家族の方は留――」

 留守ですか? と言いかけたところで影人さんの体がふらついた。前へ倒れそうになったところを慌てて支える。

「……熱、結構あるじゃないですか。早く休みましょう、影人さん」
「…………」
「あの、すみません。影人君が……。……あれ?」

 ――ボクの声だけが室内に木霊する、ような感覚に襲われる。人の声が聞こえない。
もしかして、マジで誰もいないのだろうか。……もしそうなのだとしたら、仕方ない。

「…影人さん、すみません。お邪魔しますね」

 影人さんをこのまま玄関に放置するのも心苦しい。何も言わない影人さんの様子をいいことに、ボクは彼の体を支えながら家の中へとお邪魔させてもらった。

 玄関と部屋の中を少し……くらいしか見ていないが、もしも一人で暮らしているのだとしたら、十分な広さの室内だ。

 ボクが訪ねて最初に見えた玄関にはすぐ右手にキッチンと冷蔵庫。買い物から帰ってきてすぐに食材を片付けられるのは便利だなぁ、なんて少しだけ考えてしまった。
そこからまっすぐ歩いてドアを開けると、影人さんが主に居るであろう洋室。真ん中にテーブルと椅子、入って左側にはベースだとかコンポだとかの音楽関係の道具が置いてあり、それ以外の娯楽用品は特に見当たらない。
入って左奥にはベッドと……何故か積まれた衣服の山。反対側にはタンスがある。

 他の部屋に通ずるドアらしきものは見当たらず、あるとしてもバルコニーへの出入り口とクローゼットにあるような扉のみだ。玄関にもドアはあったが、普通に考えるとトイレだのお風呂だの……かもしれない。

「……影人さん、横になってください。少し休みましょう」
「……うん」

 手を離さないように、勢いよくベッドに倒さないように……気をつけながら、ゆっくりと影人さんをベッドに降ろした。
影人さんはボクと同じ体格で、且つボクはそこまで腕力がない。情けないながら、少しの距離でも運ぶのが少々困難だった。

 部屋の中には、色々と気になるものが散乱していた。タバコの箱や細長い水風船?のようなもの……お酒らしき飲み物の缶。水風船のようなものが何かは分からないが、もしも高校生の一人暮らしであれば普通転がってるはずのないものばかりだ。
随分汚い感じが見受けられるが、父親のものだろうか。それとも、母親の?

 ……けれど、今はそれを気にしている場合ではない。影人さんの体が優先だ。

 休んでいる影人さんには悪いが、緊急事態だ。失礼しますと一言付けて、冷蔵庫を開ける。ボクの家のより一際小さく、家族で使うには少し不十分じゃないか? と思うくらいの小ささだ。一人暮らし用ならば、まだしもだが。
 冷蔵庫の中は二段。上段には手軽に食べられる冷凍食品が一、二個。下段には手作りのものらしきタッパー入りのおかずに、お酒とエナジードリンクの缶が数本。

 ……無粋ながら中を細かく漁ってみたけれど、熱冷ましに使えそうなものは何一つない。強いていうなら缶は一番冷たいかもしれないが、缶を頭の上に……なんて、そりゃただのギャグでしかない。
ついでに言うと水分補給に使えそうなスポーツドリンクもなければ、プリンとかゼリーのようなつるっと食べられそうな軽い食べ物もない。

(……この家、普段どういう生活してるんだ?)

 タッパーの中身は作り置き……かもしれないとして。普通に食事としてまともに食べられるものが少なすぎる。突っ込みどころが多すぎて、追いつかない。
とりあえず、必要なものを早急に調達しなければ。ここに来る途中、コンビニがあったはずだ。
幸い財布の中もそれなりに潤ってはいる、少し多めに買い物をしても差し支えはないだろう。

「……少し待っててください、影人さん。ちょっと色々、買い出し行ってきますんで」
「……じゃあ、これ……」

 ボクの言葉に返事をしながら、影人さんはすっと腕を上げた。その手に握られていたのは――家の物と思われる鍵。
この状態では、ベッドから動くのも難しいだろう。その間、もし何かがあったら……。
……そう考えると、血の気が引く。ボクはすぐにその鍵を受け取った。

「……わかりました。すぐ、戻りますから」





 ……幸い、コンビニは歩いて5分もかからない場所にあった。
熱冷ましの道具やちょっとした食材、体温計、スポーツドリンク、フルーツの入ったゼリーや糖分補給のプリンを買い揃えて帰宅した。
……いや、帰宅したというのも変な話だけれど。ここ、影人さんちだし。

 ベッドに横たわる影人さんの額に熱冷まし用のシートを貼り、脇に体温計を挟む。あれだけ生活力を感じられない家だから、こういうのも無いかと思って買ってみたが……正解だったようだ。影人さんに聞けば案の定、「無い」の一言で。
 食器も見当たらない、食材もない、まともな飲み物もない、洗い物の道具も見当たらない。無い、無い、無いのオンパレード。この家大丈夫か?

「……36.8。ボクの平熱と近いくらいなのに、ここまでになっちゃうんですね」
「まぁ……俺、体温低いしね」
「なるほど、そういうことですか。……影人さん、差し支えなければ一つお伺いしても?」
「……何?」

「……影人さん、ここには一人で暮らしてるんですか?」

 力なく横たわったまま、影人さんがボクに目を向ける。
表情は変えず、ただ一言。一言だけ、ボクに言葉を投げ返した。


「―― 一人だよ。ずっとね」
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