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第三章
第二十五話 震え
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「あれ? ヘムカ?」
朝の五時頃。イツキはいつもの癖ですっかり目を覚ましていた。まだ薄暗いとはいえ、すぐに夜が明ける。洗面所で顔を洗い、ダイニングでコップに注いだ水道水で喉を潤す。
「そういえば雨ひどかったな……。庭大丈夫かな……」
庭は最初こそ苔と雑草に覆われていたが、一日中暇を持て余しているヘムカのおかげですっかりと美しい庭へと様変わりしていた。水捌けが悪く庭が池になってしまっていたらいろいろ影響は出るだろうし、何よりヘムカの努力が無駄になってしまうからだ。
イツキは濡れ縁へと向かうべくリビングを通るのだが、なぜか電気が点けっぱなしだった。昨日消し忘れたのかもと思ったが、昨日ヘムカは先に寝ている。となれば、考えられるのがトイレか何かでヘムカが一時的に電気を点けたものの、すっかり忘れてしまったということだ。
イツキはリビングの電気を消し、ヘムカの寝ている寝室を開ける。
ヘムカは、日没に就寝し日の出で起床していたため、五時頃に起きることも少なくなかったからだ。
「ヘムカ?」
しかし、イツキが見たものはどこかに出かけるために、捲られたままになっている布団だった。
「ヘムカ? どこだ?」
イツキが声を出すも、返事は返ってこない。布団を確認するが、全くといっていいほど温かくない。トイレで布団を出たのであれば、まだ温かさが残っているはずである。
庭のことなどすっかり忘れ、イツキはヘムカの捜索を開始した。
家の中を隈なく探し、庭も確認したがどこにもいない。
丁度玄関にさし当たった頃、ふと呟いた。
「まさか……気づいた……?」
あくまでも可能性の話だったが、呟いてしまい骨伝導で頭の中に響き渡り張り付いてしまう。そうなれば、それ以外のことを考えるというのは難しかった。
「そんな、まさか……」
頭を抱え、怖気が全身を襲った。
◇
ヘムカが家に戻った頃には夜が明け始めていた。
あれだけ沢山降り注いでいた雨は、まるで嘘だったかのようだった。日光が差し込んだこともあり、視界はすっかり晴れて雨の痕跡は地面の泥濘に少々見られる程度だ。
とはいっても、まだ五時頃。人通りは少ないため、ヘムカも無事に誰にも見られることはなく家の玄関前へと到着した。イツキは寝ているだろうと考え、起きてから話をしようと決心し扉を開ける。
「ただいま……」
小声で呟きながら玄関ドアを開けるが、玄関に誰かが立っているのがわかった。及び腰でその人物の姿を確認する。
「ヘムカ……? ヘムカなのか?」
立っていたのは、イツキだったのだがどうもいつものイツキらしくはない。
何やら深刻そうな顔をして、ヘムカを見つけるなり間髪を入れずその場に泣き崩れてしまった。
わけもわからず嗚咽を漏らすイツキに、ヘムカはどうしていいかわからなかった。
「わ、私だけど……。どうしたの?」
とりあえず、イツキの側まで来て質問の返答をする。
背中を擦ったりして宥めようとするが、イツキはヘムカを抱きしめた。
イツキは歔欷の声を出しつつ、どんどんヘムカを締め付ける力が強くなっていく。
「ちょ、ちょっと!?」
ヘムカは当然動揺した。元男だったとはいえ、八年も前のこと。
父親を除いて異性に抱かれたことなど、現世では初めてだった。抵抗もできそうになく、ただヘムカはイツキのなすがままにされる。
とはいえ、ヘムカがイツキに感じるのは親愛や家族愛に近いものであり、ヘムカとて嫌なものではなかった。
やがてイツキが落ち着きを取り戻すと、ヘムカも落ち着きを取り戻す。
ヘムカには、イツキが何を思ったのかはわからない。けれども、この慌てよう。きっとイツキは何か過去に何かあったのだと強く悟る。
今までお互い不干渉だったが、今回はどうしてもヘムカの過去を話さねばならない。そうなればその不干渉の協定は崩れ去る。もし、イツキの過去を知れば何か役に立つのかもしれない。今までヘムカはイツキにいろいろと助けられていた。だからこそ、ヘムカはイツキのことを強く知りたいと思えたし力になりたいと思えた。
手を伸ばすと、頭上にある蓬髪を丁寧に撫でる。
「大丈夫?」
イツキは感極まったような顔のままヘムカ見下ろした。
さすがのヘムカもそんな顔で見られるとは思ってなかったようでイツキのことを心配する。
「ありがとう」
わけもわからず感謝され、困惑し首を傾げた。
「なら、よかった?」
イツキはヘムカから離れると、その場に座り込んだ。泣きつかれたのもあるし、何よりこのようすだとイツキは寝ていない。ヘムカがいないとわかってからずっと探していたのだろう。
「ごめん、どうかしてた。とりあえず、ダイニング行こう」
イツキは呼吸を整えるとそのままダイニングへと向かいヘムカも同様に向かう。コップに水道水を注ぐと、そのまま一気飲み。そして、イツキとヘムカはダイニングにある互いに反対の位置の椅子へと座った。
「ごめんね。僕と一緒の生活、嫌だったのかなって」
「そんなことない。私は、佐藤さんと一緒に居たい」
誰と一緒であれ、この姿では碌に外出すらできない。それを同居人に言っても仕方のないことである。
それに、ヘムカの居場所なんてない。居場所を探すとは言ったが、ヘムカはずっとイツキの側が良かった。まだ全てを明かせてはいないが、世界で一番信頼できるからだ。
「本当?」
いつも物怖じしているイツキだが、このときばかりはとても弱って見えた。ヘムカは優しい言葉をかけることにする。
「うん、本当だよ。そして、ごめんなさい」
ヘムカはイツキに向かって頭を下げた。夜中に外出はあまり褒められたものでないのは理解しているし、何より今の自分は見つかると大変なことになるかもしれない存在で八歳なのだ。
前世があったことをイツキに伝えてはいないが、心配されるのは当然だろう。
「でもまあ、ヘムカが無事でよかったよ。で、どこ行ってたんだ?」
安堵の言葉を告げると、イツキはテーブルに両肘をついて本題に入る。
「その前に、一ついい?」
ヘムカも本題には入りたいが、その前に一度自分のことを話さなければならない。
「何だ?」
「羽黒市で起こってる殺人事件や不審者」
その言葉を聞きイツキは息を呑む。
「私が原因かもしれない」
「どういうことだ!?」
イツキは思わず椅子を蹴飛ばすように立ち上がり両手で強くテーブルを叩いた。
一応ヘムカは驚くのを避けて冷静な話し合いをするために遠回しに言ったつもりだったが、驚くのは避けられないようだった。
ヘムカは手のひらを見せその場で優しく押すようにし、イツキを落ち着かせる。
「落ち着いて聞いて。まず、私は人間じゃなくて亜人っていうのは以前言ったよね」
ヘムカとイツキが本格的に話し始めた初日に、ヘムカは亜人について簡単に語っていた。それはイツキも覚えているらしく「ああ」と答えた。
「で、亜人はこの世界にはいない。別の世界に住んでいるの。で、私も元々そこの世界にいたけどあるとき、歪からこっちの世界に来たの。羽黒市を騒がせている不審者も、みんな私のことを探しに来ているんだと思う」
イツキには信じられない話ばかりであり、頭を抱える。しかし、ヘムカからすれば予定通りの反応だ。いきなりそんなこと言われて素直に受け入れられる人などいるわけないのだから。
「あんな大掛かりで? となると、ヘムカは王女とかそういう立ち位置なのか?」
大人数が必死にヘムカのことを探している。庶民の子であっても家族は探そうとするだろうが、大人数の動員は不可能である。そうなれば、金や権力のある家庭を想像するのは仕方のないことだ。
「その逆、底辺中の底辺。奴隷なの。ある人に買われたけど逃げ出したから、いろいろ探しているんだと思う」
ヘムカは表面上は乾いているとはいえ、夜間ずっと雨を吸収し続けた重たいパーカーを緩めて首枷を見せつける。
イツキも首枷のことは理解していたが、最近はすっかり見慣れてしまっていたのだった。
朝の五時頃。イツキはいつもの癖ですっかり目を覚ましていた。まだ薄暗いとはいえ、すぐに夜が明ける。洗面所で顔を洗い、ダイニングでコップに注いだ水道水で喉を潤す。
「そういえば雨ひどかったな……。庭大丈夫かな……」
庭は最初こそ苔と雑草に覆われていたが、一日中暇を持て余しているヘムカのおかげですっかりと美しい庭へと様変わりしていた。水捌けが悪く庭が池になってしまっていたらいろいろ影響は出るだろうし、何よりヘムカの努力が無駄になってしまうからだ。
イツキは濡れ縁へと向かうべくリビングを通るのだが、なぜか電気が点けっぱなしだった。昨日消し忘れたのかもと思ったが、昨日ヘムカは先に寝ている。となれば、考えられるのがトイレか何かでヘムカが一時的に電気を点けたものの、すっかり忘れてしまったということだ。
イツキはリビングの電気を消し、ヘムカの寝ている寝室を開ける。
ヘムカは、日没に就寝し日の出で起床していたため、五時頃に起きることも少なくなかったからだ。
「ヘムカ?」
しかし、イツキが見たものはどこかに出かけるために、捲られたままになっている布団だった。
「ヘムカ? どこだ?」
イツキが声を出すも、返事は返ってこない。布団を確認するが、全くといっていいほど温かくない。トイレで布団を出たのであれば、まだ温かさが残っているはずである。
庭のことなどすっかり忘れ、イツキはヘムカの捜索を開始した。
家の中を隈なく探し、庭も確認したがどこにもいない。
丁度玄関にさし当たった頃、ふと呟いた。
「まさか……気づいた……?」
あくまでも可能性の話だったが、呟いてしまい骨伝導で頭の中に響き渡り張り付いてしまう。そうなれば、それ以外のことを考えるというのは難しかった。
「そんな、まさか……」
頭を抱え、怖気が全身を襲った。
◇
ヘムカが家に戻った頃には夜が明け始めていた。
あれだけ沢山降り注いでいた雨は、まるで嘘だったかのようだった。日光が差し込んだこともあり、視界はすっかり晴れて雨の痕跡は地面の泥濘に少々見られる程度だ。
とはいっても、まだ五時頃。人通りは少ないため、ヘムカも無事に誰にも見られることはなく家の玄関前へと到着した。イツキは寝ているだろうと考え、起きてから話をしようと決心し扉を開ける。
「ただいま……」
小声で呟きながら玄関ドアを開けるが、玄関に誰かが立っているのがわかった。及び腰でその人物の姿を確認する。
「ヘムカ……? ヘムカなのか?」
立っていたのは、イツキだったのだがどうもいつものイツキらしくはない。
何やら深刻そうな顔をして、ヘムカを見つけるなり間髪を入れずその場に泣き崩れてしまった。
わけもわからず嗚咽を漏らすイツキに、ヘムカはどうしていいかわからなかった。
「わ、私だけど……。どうしたの?」
とりあえず、イツキの側まで来て質問の返答をする。
背中を擦ったりして宥めようとするが、イツキはヘムカを抱きしめた。
イツキは歔欷の声を出しつつ、どんどんヘムカを締め付ける力が強くなっていく。
「ちょ、ちょっと!?」
ヘムカは当然動揺した。元男だったとはいえ、八年も前のこと。
父親を除いて異性に抱かれたことなど、現世では初めてだった。抵抗もできそうになく、ただヘムカはイツキのなすがままにされる。
とはいえ、ヘムカがイツキに感じるのは親愛や家族愛に近いものであり、ヘムカとて嫌なものではなかった。
やがてイツキが落ち着きを取り戻すと、ヘムカも落ち着きを取り戻す。
ヘムカには、イツキが何を思ったのかはわからない。けれども、この慌てよう。きっとイツキは何か過去に何かあったのだと強く悟る。
今までお互い不干渉だったが、今回はどうしてもヘムカの過去を話さねばならない。そうなればその不干渉の協定は崩れ去る。もし、イツキの過去を知れば何か役に立つのかもしれない。今までヘムカはイツキにいろいろと助けられていた。だからこそ、ヘムカはイツキのことを強く知りたいと思えたし力になりたいと思えた。
手を伸ばすと、頭上にある蓬髪を丁寧に撫でる。
「大丈夫?」
イツキは感極まったような顔のままヘムカ見下ろした。
さすがのヘムカもそんな顔で見られるとは思ってなかったようでイツキのことを心配する。
「ありがとう」
わけもわからず感謝され、困惑し首を傾げた。
「なら、よかった?」
イツキはヘムカから離れると、その場に座り込んだ。泣きつかれたのもあるし、何よりこのようすだとイツキは寝ていない。ヘムカがいないとわかってからずっと探していたのだろう。
「ごめん、どうかしてた。とりあえず、ダイニング行こう」
イツキは呼吸を整えるとそのままダイニングへと向かいヘムカも同様に向かう。コップに水道水を注ぐと、そのまま一気飲み。そして、イツキとヘムカはダイニングにある互いに反対の位置の椅子へと座った。
「ごめんね。僕と一緒の生活、嫌だったのかなって」
「そんなことない。私は、佐藤さんと一緒に居たい」
誰と一緒であれ、この姿では碌に外出すらできない。それを同居人に言っても仕方のないことである。
それに、ヘムカの居場所なんてない。居場所を探すとは言ったが、ヘムカはずっとイツキの側が良かった。まだ全てを明かせてはいないが、世界で一番信頼できるからだ。
「本当?」
いつも物怖じしているイツキだが、このときばかりはとても弱って見えた。ヘムカは優しい言葉をかけることにする。
「うん、本当だよ。そして、ごめんなさい」
ヘムカはイツキに向かって頭を下げた。夜中に外出はあまり褒められたものでないのは理解しているし、何より今の自分は見つかると大変なことになるかもしれない存在で八歳なのだ。
前世があったことをイツキに伝えてはいないが、心配されるのは当然だろう。
「でもまあ、ヘムカが無事でよかったよ。で、どこ行ってたんだ?」
安堵の言葉を告げると、イツキはテーブルに両肘をついて本題に入る。
「その前に、一ついい?」
ヘムカも本題には入りたいが、その前に一度自分のことを話さなければならない。
「何だ?」
「羽黒市で起こってる殺人事件や不審者」
その言葉を聞きイツキは息を呑む。
「私が原因かもしれない」
「どういうことだ!?」
イツキは思わず椅子を蹴飛ばすように立ち上がり両手で強くテーブルを叩いた。
一応ヘムカは驚くのを避けて冷静な話し合いをするために遠回しに言ったつもりだったが、驚くのは避けられないようだった。
ヘムカは手のひらを見せその場で優しく押すようにし、イツキを落ち着かせる。
「落ち着いて聞いて。まず、私は人間じゃなくて亜人っていうのは以前言ったよね」
ヘムカとイツキが本格的に話し始めた初日に、ヘムカは亜人について簡単に語っていた。それはイツキも覚えているらしく「ああ」と答えた。
「で、亜人はこの世界にはいない。別の世界に住んでいるの。で、私も元々そこの世界にいたけどあるとき、歪からこっちの世界に来たの。羽黒市を騒がせている不審者も、みんな私のことを探しに来ているんだと思う」
イツキには信じられない話ばかりであり、頭を抱える。しかし、ヘムカからすれば予定通りの反応だ。いきなりそんなこと言われて素直に受け入れられる人などいるわけないのだから。
「あんな大掛かりで? となると、ヘムカは王女とかそういう立ち位置なのか?」
大人数が必死にヘムカのことを探している。庶民の子であっても家族は探そうとするだろうが、大人数の動員は不可能である。そうなれば、金や権力のある家庭を想像するのは仕方のないことだ。
「その逆、底辺中の底辺。奴隷なの。ある人に買われたけど逃げ出したから、いろいろ探しているんだと思う」
ヘムカは表面上は乾いているとはいえ、夜間ずっと雨を吸収し続けた重たいパーカーを緩めて首枷を見せつける。
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