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第一章
第五話 手を伸ばしても
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「た、大変です。大勢の人間がこの村に来ているんです。何かしないと」
理性的な言葉を喋る若い幹部に急いで駆け寄ると、ヘムカは事態を説明する。「そうか……」の言葉の後、しばし沈黙が訪れた。楽観視していた若い幹部といえども、この状況はさすがにおかしいと考えたのだろう。
「こんな夜中にか。交易目的なら絶対こんな時間に来ないだろう。すると、この村を襲うのが目的か」
喋ったのは二人のいずれかではない。落ち着いたヘムカの父親の声だった。父親もまた、会話をする二人の方へと近づいた。
「こいつらは酒を浴びるように飲んでたからな、当分は起きんぞ。とりあえず若い衆らをどうにかしないと。ところで──」
よりにもよってこんな日に襲われたことに絶望を感じながらも、父親は若者の避難を優先すべきと説く。しかし、その言葉は途中で止まった。誰かを探しているかのようだった。
ヘムカにはすぐに誰を探しているかわかった。ヘムカの母親のことだと。
「お母さんなら、私と同じくみんなを起こしているはずだよ?」
この声が聞こえないということは、遠くへ行ってしまったのだろう。しかし、大声を出せる状況ではない。三人はどうしたものかと考え込む。
父親は考え、そして一つの決断を下した。
「俺が行く。お前は若い衆らを叩き起こせ。ヘムカは……隠れていろ」
若い幹部はすぐに若者たちを起こしに向かった。父親はヘムカを安全な場所に隠れるように移動させるつもりだったのだが、ヘムカは動かなかった。
なぜ動かないのか。父親が訝しげにヘムカを見るが、ヘムカは喋った。
「私も行く」
「駄目だ。ヘムカ、危ない。ここにいろ」
ヘムカの決断を、父親は尽く拒否した。
父親とて、ヘムカが大切なのだ。危険な場所へは連れていけない。
「いや、行くよ。だって私──大人だから!」
父親は、初めて自分が子に気圧される感覚を覚えた。生半可な決意ではない。ただならぬ決意であることがひしひしと父親にも伝わった。
「……わかった。一緒に探そう」
父親はヘムカのことを愛娘としてしか見られなかった。先入観を捨てて、改めてヘムカの方を見る。
家族のために全力を尽くす。立派な大人だと父親は思えた。
「了解!」
ヘムカたちは小声で呼びかけながら、三人一緒に近くを探索する。家に中にいないのは確認済みだ。となると、別の家で探している可能性が高い。
「どこ行ったんだろう」
外に出て、見渡すも人影はない。落胆のため息をつくが、近くの家の影から一人の人影が出てくる。瞬時に警戒するが、松明を持っていないため恐らくは村人なのだろう。そして、近くまで来るとその姿を識別できた。
「あ、ヘムカ?」
そこにいたのは、母親だった。炎の近くにいたためか少し汗ばんでいるようにも見える。
「お母さん!」
母親はヘムカの声に反応し、ヘムカは母親の元まで駆けていく。
「無事でよかった。お父さんも」
家族全員、無事に再会できたことに強面の父親の顔も少なからず解れる。
しかし、その瞬間ヘムカたちが見たのは、こんな真夜中では絶対に見ることのできない光炎だった。
「何……あれ?」
三人はただ何も喋ることも動くこともなく、悍ましい風景に立ち竦んでいた。特に母親に至っては、思わず腰を抜かしていた。
炬火が家に当たろうものなら、村にある易燃性の茅葺き屋根は容易にその火の粉を貰い受ける。そして、瞬く間に猛火となっていた。
そして父親は歯を全力で食いしばった。わずかばかり歯茎から生えている歯のバランスが崩れる。だが、そんなことどうでもよかった。一体何の理由で襲われなければならないのかと。
「お父さん、大丈夫?」
愛娘の心配そうな音色。父親にとって家族は大切な存在だ。心配は絶対にかけまいとヘムカの方を向いた。
「二人ともよく聞いてくれ。俺はみんなを助けに行ってくる。ここでじっとしていろよ」
先程、大人だからとヘムカの同行を認めたのに。やっぱり危険だからついてくるななんて、なんて自分勝手な父親だと父親は自認する。
けれども、家族全員一人も欠けてはいけないと思っている。今回は、先程とは違って危険も大きい火の粉が降り注ぎ人間も近くにいるかもしれない。火が明かりになって先ほどと比べても大幅に人間に見つかりやすいのだ。
父親は覚悟を決めると、火が燃え盛っている方へと向かった。
しかし、ヘムカは父親の静止に聞く耳を持たずに父親に付いて行く。
「ヘムカ、付いてくるな。危ないぞ」
父親は諭すような優しい声でヘムカを退けた。
「いや、私も行く。だって私も大人だもん! それに、二人の方がもっと多くの人を助けられるかもしれない!」
ヘムカは、大人しい少女だという自覚はあった。両親の言うことには常に従った。だからこそ、両親から愛されていると思っていた。しかし、あろうことか父親はヘムカの頬を引っ叩いた。
痛みよりも、父親がヘムカを叩いたことに対する衝撃のほうが大きくヘムカは何かしらの反応をするわけでもなくただ頬に手を当てながら呆然と父親を見ていた。
「落ち着け、ヘムカ。大人が取り乱してどうする」
ヘムカは大人になったからこそ、大人の責務を全うしようと頑張りすぎた。今回の事件も、頑張って助けようとするがあまり慌てすぎたのだ。
「二人行って、もし二人とも亡くなったらお母さんはどうなる!?」
父親はきつく拳を握りしめると、打って変わって声を荒げた。
「あっ」
一人よりも二人。火の手が上がったことを寝ている人たちに伝えれば助かる可能性は上がっただろう。ヘムカもそう信じていた。
だからこそ、多数の命を優先するがあまり家族のことを考えていなかった。先程は母親のために全力を尽くしていたのに。
一人の命より複数人の命が大切というのは、間違ってはいない。けれども、そんな重大な判決をすぐに行うのは大人としても家族としても倫理的にも駄目だと、少なくとも父親は強く思えたのだ。
「すまんな、ヘムカ。早速矛盾しているな」
父親だって、ヘムカの思いを無碍にはしたくない。父親のただのエゴであった。
父親は渋々了承したヘムカを慰めてやりたい気持ちでいっぱいだ。けれども、時間はもうない。助け向かうことは、人間と遭遇する可能性が高い。すなわち、危険が大きすぎるのだ。今生の別れになるかもしれないのに、愛娘たちを怒鳴りつけたくはなかった。
「ヘムカ、これは大人としての命令じゃない。家族としての命令だ。強く生きろよ。じゃあな」
いつものように朗らかな笑みを浮かべた、ヘムカの父親がそこにいた。
「お父さん!」
ヘムカは咄嗟に父親に向けて手を伸ばす。しかし、父親は全速力で火の手が上がっている方へと向かって行き、母親は二度とヘムカが向かってしまわないようにと後ろから抱きしめていた。
理性的な言葉を喋る若い幹部に急いで駆け寄ると、ヘムカは事態を説明する。「そうか……」の言葉の後、しばし沈黙が訪れた。楽観視していた若い幹部といえども、この状況はさすがにおかしいと考えたのだろう。
「こんな夜中にか。交易目的なら絶対こんな時間に来ないだろう。すると、この村を襲うのが目的か」
喋ったのは二人のいずれかではない。落ち着いたヘムカの父親の声だった。父親もまた、会話をする二人の方へと近づいた。
「こいつらは酒を浴びるように飲んでたからな、当分は起きんぞ。とりあえず若い衆らをどうにかしないと。ところで──」
よりにもよってこんな日に襲われたことに絶望を感じながらも、父親は若者の避難を優先すべきと説く。しかし、その言葉は途中で止まった。誰かを探しているかのようだった。
ヘムカにはすぐに誰を探しているかわかった。ヘムカの母親のことだと。
「お母さんなら、私と同じくみんなを起こしているはずだよ?」
この声が聞こえないということは、遠くへ行ってしまったのだろう。しかし、大声を出せる状況ではない。三人はどうしたものかと考え込む。
父親は考え、そして一つの決断を下した。
「俺が行く。お前は若い衆らを叩き起こせ。ヘムカは……隠れていろ」
若い幹部はすぐに若者たちを起こしに向かった。父親はヘムカを安全な場所に隠れるように移動させるつもりだったのだが、ヘムカは動かなかった。
なぜ動かないのか。父親が訝しげにヘムカを見るが、ヘムカは喋った。
「私も行く」
「駄目だ。ヘムカ、危ない。ここにいろ」
ヘムカの決断を、父親は尽く拒否した。
父親とて、ヘムカが大切なのだ。危険な場所へは連れていけない。
「いや、行くよ。だって私──大人だから!」
父親は、初めて自分が子に気圧される感覚を覚えた。生半可な決意ではない。ただならぬ決意であることがひしひしと父親にも伝わった。
「……わかった。一緒に探そう」
父親はヘムカのことを愛娘としてしか見られなかった。先入観を捨てて、改めてヘムカの方を見る。
家族のために全力を尽くす。立派な大人だと父親は思えた。
「了解!」
ヘムカたちは小声で呼びかけながら、三人一緒に近くを探索する。家に中にいないのは確認済みだ。となると、別の家で探している可能性が高い。
「どこ行ったんだろう」
外に出て、見渡すも人影はない。落胆のため息をつくが、近くの家の影から一人の人影が出てくる。瞬時に警戒するが、松明を持っていないため恐らくは村人なのだろう。そして、近くまで来るとその姿を識別できた。
「あ、ヘムカ?」
そこにいたのは、母親だった。炎の近くにいたためか少し汗ばんでいるようにも見える。
「お母さん!」
母親はヘムカの声に反応し、ヘムカは母親の元まで駆けていく。
「無事でよかった。お父さんも」
家族全員、無事に再会できたことに強面の父親の顔も少なからず解れる。
しかし、その瞬間ヘムカたちが見たのは、こんな真夜中では絶対に見ることのできない光炎だった。
「何……あれ?」
三人はただ何も喋ることも動くこともなく、悍ましい風景に立ち竦んでいた。特に母親に至っては、思わず腰を抜かしていた。
炬火が家に当たろうものなら、村にある易燃性の茅葺き屋根は容易にその火の粉を貰い受ける。そして、瞬く間に猛火となっていた。
そして父親は歯を全力で食いしばった。わずかばかり歯茎から生えている歯のバランスが崩れる。だが、そんなことどうでもよかった。一体何の理由で襲われなければならないのかと。
「お父さん、大丈夫?」
愛娘の心配そうな音色。父親にとって家族は大切な存在だ。心配は絶対にかけまいとヘムカの方を向いた。
「二人ともよく聞いてくれ。俺はみんなを助けに行ってくる。ここでじっとしていろよ」
先程、大人だからとヘムカの同行を認めたのに。やっぱり危険だからついてくるななんて、なんて自分勝手な父親だと父親は自認する。
けれども、家族全員一人も欠けてはいけないと思っている。今回は、先程とは違って危険も大きい火の粉が降り注ぎ人間も近くにいるかもしれない。火が明かりになって先ほどと比べても大幅に人間に見つかりやすいのだ。
父親は覚悟を決めると、火が燃え盛っている方へと向かった。
しかし、ヘムカは父親の静止に聞く耳を持たずに父親に付いて行く。
「ヘムカ、付いてくるな。危ないぞ」
父親は諭すような優しい声でヘムカを退けた。
「いや、私も行く。だって私も大人だもん! それに、二人の方がもっと多くの人を助けられるかもしれない!」
ヘムカは、大人しい少女だという自覚はあった。両親の言うことには常に従った。だからこそ、両親から愛されていると思っていた。しかし、あろうことか父親はヘムカの頬を引っ叩いた。
痛みよりも、父親がヘムカを叩いたことに対する衝撃のほうが大きくヘムカは何かしらの反応をするわけでもなくただ頬に手を当てながら呆然と父親を見ていた。
「落ち着け、ヘムカ。大人が取り乱してどうする」
ヘムカは大人になったからこそ、大人の責務を全うしようと頑張りすぎた。今回の事件も、頑張って助けようとするがあまり慌てすぎたのだ。
「二人行って、もし二人とも亡くなったらお母さんはどうなる!?」
父親はきつく拳を握りしめると、打って変わって声を荒げた。
「あっ」
一人よりも二人。火の手が上がったことを寝ている人たちに伝えれば助かる可能性は上がっただろう。ヘムカもそう信じていた。
だからこそ、多数の命を優先するがあまり家族のことを考えていなかった。先程は母親のために全力を尽くしていたのに。
一人の命より複数人の命が大切というのは、間違ってはいない。けれども、そんな重大な判決をすぐに行うのは大人としても家族としても倫理的にも駄目だと、少なくとも父親は強く思えたのだ。
「すまんな、ヘムカ。早速矛盾しているな」
父親だって、ヘムカの思いを無碍にはしたくない。父親のただのエゴであった。
父親は渋々了承したヘムカを慰めてやりたい気持ちでいっぱいだ。けれども、時間はもうない。助け向かうことは、人間と遭遇する可能性が高い。すなわち、危険が大きすぎるのだ。今生の別れになるかもしれないのに、愛娘たちを怒鳴りつけたくはなかった。
「ヘムカ、これは大人としての命令じゃない。家族としての命令だ。強く生きろよ。じゃあな」
いつものように朗らかな笑みを浮かべた、ヘムカの父親がそこにいた。
「お父さん!」
ヘムカは咄嗟に父親に向けて手を伸ばす。しかし、父親は全速力で火の手が上がっている方へと向かって行き、母親は二度とヘムカが向かってしまわないようにと後ろから抱きしめていた。
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