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後編 対トロール

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 次の日、日が昇ると同時に出発した二人は、二時間ほどで目的地に到着した。

 そこは穏やかな川の近くにある、旅人のための野営地。

 森の中に開けた広場ができていて、あちこちに野営の痕跡が残っていた。

 だが今は一人の姿も見えないどころか、テントや生活用品が散らばっている。

 おそらくトロールが現れたので、みんな慌てて避難したのだろう。

 ツカサはしゃがんで、地面の痕跡を調べる。

「トロールは……近くにはいないみたいだね。足跡から推測するに、森の中に潜んでいるみたいだ」

 そこには人よりも大きな、裸足の足跡が残されていた。

「数は一匹。大きさは……250cmってところかな。良かったよ」

「うん? ギルドでトロールの数は一匹だって言ってたよね?」

「信じていないわけじゃないけど、予想外の事態もなくはないからね」

「ふぅーん。あと、『良かった』っていうのは?」

「……魔物は獲物を喰うと成長して、大きく賢くなる。この大きさなら、まだそれほど成長していないはずだから」

 ツカサは立ち上がり、森の一角を指差す。

「おそらくトロールは、あっちの方角にいるはずだ。ルリ、頼んだよ」

「はーい♪ それじゃ呼んできまーすっ」

 あっという間に、音もなく飛んでいくルリを見送ってから、ツカサはおもむろに地面に向かって魔法を唱えた。

「まずは……<クレイ><ウォーター>!」

 地面のほんの一部を泥に変える魔法と、真水を空中から生み出す魔法。

 どちらも初級魔法で大した効果は無いが、合成されると効果が増強される。

 一瞬でマンホール大の幅の地面が、腰ほどの深さのある泥地へと変化した。

 ツカサは満足げに頷くと、そこを中心に同じ魔法を何度も唱えていった。


「お次は……<バインド><プラント>!」

 粘着性の糸を出して拘束する魔法と、植物を操る、どちらも初級魔法。

 その効果によって、野営地の地面上を目に見える速度で蔦が伸びていき、這い回る。

「これで準備は大丈夫かな。そうそう、肝心のアレを出しておかないと」

 <インベントリ>から、幾つかの陶器でできた小瓶を取り出し、懐へ仕舞う。

 ちょうどその時、ツカサが指差した方角の森の中から、大地を揺るがすような雄叫びが響き渡った。

「ツカサー、呼んできたよー」

 いつの間に戻ったのか、隣に浮いているルリがニッコリ笑顔でそう伝える。

「今回はどんな手を使ったんだい?」

「えっとね、気持ちよさそうに寝てたから、コレでプスッっと刺したんだ」

 そう言って、腰に付けた爪楊枝ほどの長さの針をポンポンと叩く。

「ははっ、そりゃあ怒るってもんだよね」

 まもなく森の方から、藪をかき分ける大きな音が聞こえてくる。

 姿を表したのは、全身が毛だらけの巨人トロールだった。

 ズタ袋を身にまとい、筋肉が肥大した腕には棍棒を持っている。

 殺意に満ちた眼光は、自分に危害を加えた者を探しているようだった。

「よし、方向もバッチリ。それじゃ行くぞ! <ストーン><ショット>!」

 こぶし大の石ころを生み出す初級土魔法<ストーン>を、風魔法<ショット>の力で撃ち出す。

 山なりに打ち出された石は、動きを止めていたトロールの体に命中した。

「グオオオオオオオッ!!」

 その明らかな敵対行動に、トロールは再度怒りの咆哮を上げた。

 そしてダメージなど無いかのごとく、こちらに突撃してくる。

「うわー、おっきな声。ツカサー、大丈夫?」

「やっぱりこんな石ころじゃ、効かないよね。まあこれで敵意ヘイトはこちらに向いた」

 巨大な化け物が向かってくるのに、ツカサは冷静な目でタイミングをうかがう。

 トロールが森を抜け、広場に入り、蔦が地面を覆う場所へ来たその時。

「いまだ! ”縛れ”!」

 そのツカサの声と共に、先ほど魔法で生み出された無数の蔦が、蛇が鎌首をもたげるかのように持ち上がり、トロールの足に絡みつく。

「グオッ!? グオオオッ!」

 粘着質の蔦が絡みつくも、そこは怪力に自慢のあるトロール。

 若干バランスを崩しながらも、力任せに蔦を引き千切りながら、こちらに向かう足は止めなかった。

 だが蔦に気を取られ過ぎたのが、トロールの運の尽き。

 もう一つの、目の前のトラップには気付かなかったようだ。

 泥で満たされた落とし穴に、勢いよく突っ込むトロール。

 人ならばヘソまで泥に浸かるところだが、背が高いため、股下止まりだった。

「よし、落ちたー♪」

「ここで、<ファースト・ディスペルマジック>!」

 永続的な効果の魔法を打ち消す、初級魔法。

 これは同じ初級の魔法しか打ち消す効果は無いが、それで十分だった。

 トロールの足元の泥は魔法の力を失い、元の堅固な地面へと成り代わる。

「グオオオッ! グオッ! グオオッ!」

 渾身の力でトロールは大地から抜け出そうとし、地面には亀裂が入り始めるが、脱出するのをツカサたちが待っている訳がなかった。

 ツカサは胸元から、先ほどの陶器の小瓶を取り出す。

「行くぞ、ルリ! <ショット>! <ショット>! <ショット>!!」

「分かったわ! ……大気よ、アタシ、ルリが命ずる、無形の力よ……」

 ルリの詠唱が聞こえる中、ツカサの<ショット>で飛ばされた小瓶たちが、トロールに全弾命中する。

 小瓶は砕けて、中のドロッとした液体がトロールの全身に降り注ぐ。

 その正体は、可燃性の高い油だった。

「燃えちまえ! <ティンダー><ショット>!」

「……全てのモノより防ぐ盾となれ! <エア・シールド>!」

 飛ばされた火種がトロールに着火すると同時に、ルリの、対象を飛来物から守る風の中級魔法が”トロールに”掛けられる。

「グオオォォオオオオオッ!?」

 油まみれの毛むくじゃらのトロールは、勢いよく燃え上がり始めた。

 <エア・シールド>の効果で、トロールの周りには、上空に向けて筒状に風の壁ができている。

 密閉されているそこに、新鮮な空気を送り込むとどうなるのか。

「<ウィンド>! <ウィンド>!」

 矢継ぎ早に飛ばされる、ツカサの魔法。

 突風を生み出す程度の初級風魔法によって、<エア・シールド>の真下、地面スレスレの場所から、中へと空気が送り込まれると、煙突効果によって、炎はさらに猛々しく燃え盛る。

 ツカサは赤々と燃えるトロールに注意しながら横目に見つつ、大回りして背後へと回り込む。

「いまだ、ルリ! 解除してくれ! <インベントリ>!」

「はーい。<エア・シールド>解除!」

 燃える火の勢いに陰りがでた頃合いで、ツカサはルリに魔法の解除を叫びながら、現れた虚空へと手を突っ込み、中から戦斧を取り出す。

 風の壁が消えて無くなった中から現れたのは、全身を燻ぶらせて黒焦げになり、立ち尽くすトロールだった。

「止めだ! <ストーン>!」

 トロールの背後からツカサは駆けより、直前に石を生み出す魔法で足元に20cmほどの足場を作り、それを踏んで飛びかかる。

「ツカサー! いっけぇー!」

「どりゃあああぁぁあ!!」

 戦斧の重さと助走とジャンプに体重を載せ、ツカサはトロールの首を一撃のもとに刎ね飛ばしたのだった。


◇ ◇ ◇


「……はぁー、上手くいってよかった」

「ツカサー、大丈夫?」

「ああ、何とかね」

 その場にへたり込むツカサに、ルリが飛びよってくる。

 息絶えたトロールは徐々に、その体が散り散りになって風に散らばっていく。

 数十秒後には、鈍く光る一つの魔石を残して消えていった。

「はい、どうぞっ」

「ありがとう、ルリ」

 スイッと魔石を抱えて拾い上げたルリは、それをツカサに渡す。

 見た目よりも重いそれをじっと確認したあと、<インベントリ>にしまい込んだツカサは、大きくため息をついた。

「しかし毎度まいど、神経がすり減っちゃうよ」

「うん。ちょっとでも間違ったら、大変なことになるもんね」

「そうだね。あーあ、俺はそんなに強さに興味があるわけじゃないけどさ、こういうときに『魔法封じの呪い』がかかってなければって、つくづく思う」

 そしたら、あんなトロールなんて一撃だったのにな。とツカサは笑った。

 ツカサのどこか寂しげな笑みを吹き飛ばすかのように、ルリはツカサの懐に勢いよく飛び込んだ。

「わっ、ルリ?」

 慌てながらも、ツカサはそっと片手でルリを抱きしめる。

 腕の中で、ルリのか細い肢体が、フルフルと震えていた。

「アタシね、今がとっても楽しいんだ。こうやって、ツカサと一緒に旅をして、いろんな場所に行って、いろんなものを見れることが」

「そうだね、俺もとても楽しいよ」

「でも心配なの。呪いが解けたら、ツカサがどっか行っちゃうんじゃないかって」

「……そっか」

 ツカサは別の世界からきた転生者だ。

 いつか用が済んだら、元の世界に帰ってしまうと思っているんだろうか。

 もしくは、呪いを解くまでだけの関係だと思っていたのかも知れない。

「大丈夫、俺はいなくならないよ」

「ほんとー? ほんとうに?」

「ああ。約束だ。指切りしよう」

「指切りって?」

「俺の世界に伝わる、約束のおまじないだよ。小指を出してみて」

 ツカサの指と、小枝のように細く小さなルリの指が絡み合う……には小さすぎて無理なので、小指と小指をくっつけた。

「指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます、指切った!」

 指が離れると、ルリは笑顔を浮かべた。

「嘘ついたら、針を千本飲むだなんて、へーんなの!」

「あははっ。針千本を飲みたくないからね、約束はちゃんと守るよ」

「うん!」


◇ ◇ ◇


「はい、確認いたしました。間違いなくトロールの魔石ですね」

 受付嬢シトリは鑑定台から魔石を外し、カウンターの上に置いた。

 ツカサとルリの二人は野営地で少し休憩したあと、アンゼリカの街の冒険者ギルドに戻って来ていた。

 奇しくも到着はお昼過ぎで、昨日依頼を受けてから、ちょうど丸一日でクエストをこなしたことになる。

「それではこちらが、今回の報酬になりますね。ご確認ください」

 カウンターに積まれていく銀貨。

 数を確認したツカサは、それを手持ちの皮袋に詰めていく。

「確かに受け取った。それでは失礼する」

「あ、あの。ツカサ様はもう街を立たれますか? まだでしたら、他にも受けていただきたい依頼が――」

「悪いが、急ぐ旅なんだ。世話になったな」

「じゃあね、お姉ーさん♪」

 ぶっきらぼうに去っていくツカサと、愛嬌を振りまきながら飛んでいくルリ。

 入り口のスィングドアが閉まると、隣から同僚の笑い声が聞こえてきた。

「あーあ。シトリ、振られちゃったわね」

「もう! そういうのじゃないから! それにしても、不思議な人だったなぁ」

 一級品のステータスでありながら、初級魔法しか使えない青年。

 それに付き従う、とても珍しい水晶妖精。

 そんな二人はいったい、何を求めて旅をしているのだろうか。

 物思いにふけるシトリだが、そのとき、再びドアが開き、新しい冒険者がギルドを訪れていた。

 彼女は背筋を正して、いつものように笑顔で冒険者を出迎える。

「いらっしゃいませ、冒険者ギルドへようこそ!」
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