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忘れてしまったお弁当箱
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3分前、1分前、30秒前……。
「やあ、一郎くん。こんなところで奇遇だね」
私はよく見慣れた、彼の後ろ姿に声をかけた。
「ん? 誰かと思ったら、司くんか」
食券売り場の前にいた彼は、こちらを振り向き軽く手を挙げる。
紺色の背広に、無地のワインカラーのネクタイ。
彼のいつもと変わらない服装は、どことなく安心感を覚えさせてくれる。
「いつもはお弁当を持ってきているのに、学食にくるなんて珍しいこともあるものだ。さしずめ、持ってくるのを忘れたといったところかな?」
「その通りだよ、今朝はウチの飼い犬がカーペットに粗相してね。その後片付けにドタバタしていたら、つい、ね」
「ほう、一郎くんの家では犬を飼っているのか。とても興味深い話だが、後が閊えてしまうし、先に食券を買ってしまおうか」
「司くん、こっちだ」
「悪いね、席取りさせた上に待たせてしまって」
「こっちの注文したのが早くできただけさ。さあ、食べようか」
「「いただきます」」
彼が選んだのは、お揚げが乗ったキツネうどん。
ちなみに私はA定食で、今日は唐揚げだった。
「それで話は戻るが、どんな犬を飼っているんだい?」
「名前はコロコロといってね、雑種のメスだよ」
「ずいぶんと転がりそうな名前をしているんだね」
つんつんと、皿の上の丸い唐揚げを突く。
「ああ、そんなに太っている訳では無いけど、父が『コロコロしているからコロコロだ!』の一声で決まったんだ」
「ふふっ、私も犬が好きでね。昔は飼っていたんだが……たまにあのモフモフな温もりが恋しくなるのさ」
「なら今度、ウチに来ないかい? あ、でも確か司くんの家は電車で逆方こ――」
「ぜひ伺わせてもらおう」
「そうかい? ならあとで日程を打ち合わせようか」
「そうだね。ああ、キミの家に伺う日が実に楽しみだよ」
「しかし一郎くんも食事をするんだね。てっきり、霞でも食べて生きているのかと思っていたよ」
「ボクは仙人か」
「いや、キミが食事を必要とする人類なのは知っているよ。だがたまに希薄に感じることがあるからさ」
「確かに、食事をするのが面倒に感じるときはあるかも知れない」
彼の前には、キツネうどんだけが置いてある。副菜は無い。
「育ちざかりが、ずいぶん淡白な食事だね。仙人というのも、あながち間違いじゃないだろう」
「つい楽に、素早く食べられるものを選んでしまうんだよな」
その時間を執筆に充てたいから、と彼は言う。
本当に彼は、重度の活字中毒者だな。
「もっとたんぱく質を摂った方がいい。例えば唐揚げとか、ね。よかったら、一つ進呈しよう」
私は唐揚げを一つ摘まんで、彼の方に差し出す。
「悪いね、だけどありがとう。じゃあここに入れ――」
彼がうどんの丼を指さすが、私は首を振る。
「ダメだよ。うどんの汁に浸ったら、せっかくの唐揚げの旨味が汁に逃げてしまうじゃないか」
「なら――」
「それもダメだ。箸渡しはマナー違反だよ。はい、あーん」
口元に差し出された唐揚げを、彼は困惑の表情で見つめる。
「早くしてくれないか、これでも結構恥ずかしいんだけどね」
横目で周囲を見ると、何人かの視線が確認できた。
彼もそれに気付いたのか、意を決して唐揚げを口にする。
しばらく咀嚼して飲み込んだのを確認してから、私はしたり顔で尋ねる。
「美味しいかい?」
「……ああ、とても」
「「ご馳走さまでした」」
二人で手を合わせて、トレーを持って席を立つ。
食器を指定の場所に返却して、一緒に食堂を出ようとした彼が、急にこちらを振り向いた。
「そういえば、ボクの記憶違いじゃないなら、司くんも普段はお弁当じゃなかったっけ? 今日は忘れてしまったのかい?」
「ああ」
私はいつもより少し重たいバックの口が締まっているか確認して、何食わぬ顔で答える。
「今日は私も忘れてしまったんだ」
「やあ、一郎くん。こんなところで奇遇だね」
私はよく見慣れた、彼の後ろ姿に声をかけた。
「ん? 誰かと思ったら、司くんか」
食券売り場の前にいた彼は、こちらを振り向き軽く手を挙げる。
紺色の背広に、無地のワインカラーのネクタイ。
彼のいつもと変わらない服装は、どことなく安心感を覚えさせてくれる。
「いつもはお弁当を持ってきているのに、学食にくるなんて珍しいこともあるものだ。さしずめ、持ってくるのを忘れたといったところかな?」
「その通りだよ、今朝はウチの飼い犬がカーペットに粗相してね。その後片付けにドタバタしていたら、つい、ね」
「ほう、一郎くんの家では犬を飼っているのか。とても興味深い話だが、後が閊えてしまうし、先に食券を買ってしまおうか」
「司くん、こっちだ」
「悪いね、席取りさせた上に待たせてしまって」
「こっちの注文したのが早くできただけさ。さあ、食べようか」
「「いただきます」」
彼が選んだのは、お揚げが乗ったキツネうどん。
ちなみに私はA定食で、今日は唐揚げだった。
「それで話は戻るが、どんな犬を飼っているんだい?」
「名前はコロコロといってね、雑種のメスだよ」
「ずいぶんと転がりそうな名前をしているんだね」
つんつんと、皿の上の丸い唐揚げを突く。
「ああ、そんなに太っている訳では無いけど、父が『コロコロしているからコロコロだ!』の一声で決まったんだ」
「ふふっ、私も犬が好きでね。昔は飼っていたんだが……たまにあのモフモフな温もりが恋しくなるのさ」
「なら今度、ウチに来ないかい? あ、でも確か司くんの家は電車で逆方こ――」
「ぜひ伺わせてもらおう」
「そうかい? ならあとで日程を打ち合わせようか」
「そうだね。ああ、キミの家に伺う日が実に楽しみだよ」
「しかし一郎くんも食事をするんだね。てっきり、霞でも食べて生きているのかと思っていたよ」
「ボクは仙人か」
「いや、キミが食事を必要とする人類なのは知っているよ。だがたまに希薄に感じることがあるからさ」
「確かに、食事をするのが面倒に感じるときはあるかも知れない」
彼の前には、キツネうどんだけが置いてある。副菜は無い。
「育ちざかりが、ずいぶん淡白な食事だね。仙人というのも、あながち間違いじゃないだろう」
「つい楽に、素早く食べられるものを選んでしまうんだよな」
その時間を執筆に充てたいから、と彼は言う。
本当に彼は、重度の活字中毒者だな。
「もっとたんぱく質を摂った方がいい。例えば唐揚げとか、ね。よかったら、一つ進呈しよう」
私は唐揚げを一つ摘まんで、彼の方に差し出す。
「悪いね、だけどありがとう。じゃあここに入れ――」
彼がうどんの丼を指さすが、私は首を振る。
「ダメだよ。うどんの汁に浸ったら、せっかくの唐揚げの旨味が汁に逃げてしまうじゃないか」
「なら――」
「それもダメだ。箸渡しはマナー違反だよ。はい、あーん」
口元に差し出された唐揚げを、彼は困惑の表情で見つめる。
「早くしてくれないか、これでも結構恥ずかしいんだけどね」
横目で周囲を見ると、何人かの視線が確認できた。
彼もそれに気付いたのか、意を決して唐揚げを口にする。
しばらく咀嚼して飲み込んだのを確認してから、私はしたり顔で尋ねる。
「美味しいかい?」
「……ああ、とても」
「「ご馳走さまでした」」
二人で手を合わせて、トレーを持って席を立つ。
食器を指定の場所に返却して、一緒に食堂を出ようとした彼が、急にこちらを振り向いた。
「そういえば、ボクの記憶違いじゃないなら、司くんも普段はお弁当じゃなかったっけ? 今日は忘れてしまったのかい?」
「ああ」
私はいつもより少し重たいバックの口が締まっているか確認して、何食わぬ顔で答える。
「今日は私も忘れてしまったんだ」
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