活字中毒な一郎くんだけど、それさえも魅力的だと思うのさ

夏に降る雪華

文字の大きさ
上 下
2 / 2

忘れてしまったお弁当箱

しおりを挟む
 3分前、1分前、30秒前……。

「やあ、一郎くん。こんなところで奇遇だね」

 私はよく見慣れた、彼の後ろ姿に声をかけた。

「ん? 誰かと思ったら、司くんか」

 食券売り場の前にいた彼は、こちらを振り向き軽く手を挙げる。
 紺色の背広に、無地のワインカラーのネクタイ。 
 彼のいつもと変わらない服装は、どことなく安心感を覚えさせてくれる。

「いつもはお弁当を持ってきているのに、学食にくるなんて珍しいこともあるものだ。さしずめ、持ってくるのを忘れたといったところかな?」

「その通りだよ、今朝はウチの飼い犬がカーペットに粗相してね。その後片付けにドタバタしていたら、つい、ね」

「ほう、一郎くんの家では犬を飼っているのか。とても興味深い話だが、後が閊えてしまうし、先に食券を買ってしまおうか」




「司くん、こっちだ」

「悪いね、席取りさせた上に待たせてしまって」

「こっちの注文したのが早くできただけさ。さあ、食べようか」

「「いただきます」」

 彼が選んだのは、お揚げが乗ったキツネうどん。
 ちなみに私はA定食で、今日は唐揚げだった。

「それで話は戻るが、どんな犬を飼っているんだい?」

「名前はコロコロといってね、雑種のメスだよ」

「ずいぶんと転がりそうな名前をしているんだね」

 つんつんと、皿の上の丸い唐揚げを突く。

「ああ、そんなに太っている訳では無いけど、父が『コロコロしているからコロコロだ!』の一声で決まったんだ」

「ふふっ、私も犬が好きでね。昔は飼っていたんだが……たまにあのモフモフな温もりが恋しくなるのさ」

「なら今度、ウチに来ないかい? あ、でも確か司くんの家は電車で逆方こ――」

「ぜひ伺わせてもらおう」

「そうかい? ならあとで日程を打ち合わせようか」

「そうだね。ああ、キミの家に伺う日が実に楽しみだよ」




「しかし一郎くんも食事をするんだね。てっきり、霞でも食べて生きているのかと思っていたよ」

「ボクは仙人か」

「いや、キミが食事を必要とする人類なのは知っているよ。だがたまに希薄に感じることがあるからさ」

「確かに、食事をするのが面倒に感じるときはあるかも知れない」

 彼の前には、キツネうどんだけが置いてある。副菜は無い。

「育ちざかりが、ずいぶん淡白な食事だね。仙人というのも、あながち間違いじゃないだろう」

「つい楽に、素早く食べられるものを選んでしまうんだよな」

 その時間を執筆に充てたいから、と彼は言う。
 本当に彼は、重度の活字中毒者だな。

「もっとたんぱく質を摂った方がいい。例えば唐揚げとか、ね。よかったら、一つ進呈しよう」

 私は唐揚げを一つ摘まんで、彼の方に差し出す。

「悪いね、だけどありがとう。じゃあここに入れ――」

 彼がうどんの丼を指さすが、私は首を振る。

「ダメだよ。うどんの汁に浸ったら、せっかくの唐揚げの旨味が汁に逃げてしまうじゃないか」

「なら――」

「それもダメだ。箸渡しはマナー違反だよ。はい、あーん」

 口元に差し出された唐揚げを、彼は困惑の表情で見つめる。

「早くしてくれないか、これでも結構恥ずかしいんだけどね」

 横目で周囲を見ると、何人かの視線が確認できた。
 彼もそれに気付いたのか、意を決して唐揚げを口にする。
 しばらく咀嚼して飲み込んだのを確認してから、私はしたり顔で尋ねる。

「美味しいかい?」

「……ああ、とても」




「「ご馳走さまでした」」

 二人で手を合わせて、トレーを持って席を立つ。
 食器を指定の場所に返却して、一緒に食堂を出ようとした彼が、急にこちらを振り向いた。

「そういえば、ボクの記憶違いじゃないなら、司くんも普段はお弁当じゃなかったっけ? 今日は忘れてしまったのかい?」

「ああ」

 私はいつもより少し重たいバックの口が締まっているか確認して、何食わぬ顔で答える。

「今日は私も忘れてしまったんだ」
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

一夜の男

詩織
恋愛
ドラマとかの出来事かと思ってた。 まさか自分にもこんなことが起きるとは... そして相手の顔を見ることなく逃げたので、知ってる人かも全く知らない人かもわからない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

振られた私

詩織
恋愛
告白をして振られた。 そして再会。 毎日が気まづい。

処理中です...