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間隙① ファージ・ローシュ・レイラルドにとって
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ファージ・ローシュ・レイラルドは、日々の生活の中で、ふとするたびに彼女の事を思い返す――いや、嘘だ。
彼女の事はずっと頭の中にある。心の中にある。魂に刻まれている。
迷いなく断言できる。
彼女――黒須所縁の存在は、彼にとってそれほどに大きなものだった。
ファージが彼女と出会ったのは十数年前。
正直、良い出会いとは言えず、きっと互いにとって最悪の部類の遭遇だっただろう。
当時のファージは、今よりもはるかに異世界人を嫌悪していた。
こちらが助けを乞うている立場なのは重々承知している。
彼らの膨大な魔力こそが世界を良くしていく鍵である事も。
だが、それゆえに丁重に扱った結果、彼らの多くは増長していった。
彼らがこの世界を訪れる際に手に入れた、神の力の一端たる力もその一因であった。
恐るべき魔力と想像を絶する異能。
それらが組み合わさった異世界人は、条件が噛み合えばこちらの世界の有数の腕利きさえも簡単に圧倒出来る存在だ。
こちらの世界に非がある時もあった。
自分達の権威を、実力を、事情も知らない彼らに誇示しようと、手段を選ばなかったものもいた。
それを撃退する為に、解決する為に、力を振るう彼らが悪かったとは一概には言えないだろう。
だが、それはほんの一例、一部にすぎなかった――
と、するのは、こちらの世界の人間であるがゆえの贔屓目なのだろうか。
少なくとも、目に見える形で他者を傷つける、無遠慮な振る舞いが多かったのは間違いなく異世界人の方であったとファージは調査し、見て、感じていた。
愛すべき領民が彼らの横暴に振り回される姿を目の当たりにしてきた。
その頃のファージは、彼の父・グラント・アリーサ・レイラルドが病に掛かり、動き難い状況であった事から、若輩ながらも領主代行を引き受けて、奮闘している最中だった。
そんな中で召喚された異世界人達――レートヴァ教の後ろ盾を得て好き放題に振舞う彼らの所為で、ファージの仕事は増加する一方だった。
彼の中での異世界人への悪感情は、当然のように日増しに高まっていった。
そんな折だった。
彼らの一族が代々治めるレイラルド領の一角に、高位魔族による魔物が住まう洞窟――異世界人のいう所のダンジョンが『造られた』のは。
魔族――人間と敵対する、高い魔力と基本的なヒトの姿に翼や角を持って生まれた存在。
彼らと人は滅ぼし合う存在だという認識を互いに抱いていた。
何故そうなのかは明確には分からない。
本能的なものなのか、長い歴史の積み重ねでそうとしか思えなくなっているのか。
いずれにしても、今現在人と魔族は対立していて、魔物の住処の制作などはそれゆえの準備、工作であることは間違いない。
少なくともファージたち、レイラルド領の人々はそういう認識をしていた。
そして、人として、そんな場所を放置する事など出来る筈もない。
それゆえに、ファージはレートヴァ教の聖導師長を通じて、赤竜王との交信を経て、許可を得る事にした。
洞窟に住まう魔物の討伐について、だ。
――この頃はまだ赤竜王が健在で、交信手段が幾つか存在していたからこそ可能な事だった。
他種族間の敵対、互いを滅ぼし合うかのような対立は、世界を見守る守護神獣達の干渉対象である。
下手な行動で人類へ干渉される――最悪世界への敵対行為と見なされるのは避けねばならなかったからだ。
そんな誤解を与えないよう、
ファージは高原に降り立った赤竜王との接見で、
ここまでに至る状況について懇切丁寧に調べ上げた内容を語った上で、
討伐許可を得るべく頭を深く下げた。
『――いささか思想的に偏ってはいるが、汝が平等であろうというしている努力は伝わった。
それに人の住まう地に魔窟を作り上げるのが、魔族による過干渉であるのは紛れもない事実だ。
魔窟の処分、そこに住まう魔物の討伐を恒久的に許可しよう』
赤竜王はファージを見下ろしながら、厳かに告げた。
恒久的というのは、魔族は一度そうした拠点を作り上げると、定期的に干渉し魔物を発生させる為である。
その度に呼び出されるのは赤竜王としては手間でしかないので、そういう許可の形となったのである。
ともあれ、そうして許可を得られたことにファージは安堵の息を小さく吐いた。
神に最も近い存在であり、世界最高峰のドラゴンである存在との接見は、人という矮小な存在からすれば緊張以外の何者でもなかったからだ。
とは言え無事に済んだのだからと、
次は魔窟をどう処理するかを考えねばと思考を巡らそうとして、
流石に赤竜王の前でそれは不敬かと中断した、その時だった。
『ただ、その討伐に一つ条件を出す』
――赤竜王が唐突にそんな事を言い出したのは。
レイラルド領に作られた『魔窟』の処分・討伐許可を出した赤竜王が、領主代行たるファージ・ローシュ・レイラルドに許可の代わりに出した条件。
それは――領主、レートヴァ教、冒険者、異世界人……それぞれの立ち位置にいる人間達から協力者を募り、その者達で協力し合って討伐を行うように、というものだった。
『このところ、この地のマナの流れが若干濁っている。
汝らヒトの対立による澱みが、様々なものに影響を与えているようだ。
ヒトとは、同種であるにもかかわらず理解し合えない生き物……
分かり合う事が困難なのは理解しているが、このまま汝らの対立が進めば世界はますます滅びに向かう――』
世界が緩やかに滅びに向かっている事は、異世界人召喚について関わっている人間達の周知の事実だ。
所詮は余所者である、信用など出来る筈もない異世界人にさえ頼らねばならない――それは、事情を知る王や領主、高位の冒険者など誇り高いものこそ受け入れがたい状況であった。
いや、そういう者達が受け入れ難いと思っている事が回り回って、対立を生んでいるのかもしれない。
後のファージはそんな考えに至る様になっていたが、この時点の、異世界人に苛立ちを覚え、ままならない世界に唇を噛み締めるファージにはその思考に辿り着く事さえできなかった。
『ゆえに、汝らの歩み寄りによる解決を我は条件として出す。
それが叶わぬ時は――人の存在意義について改めて考え、相応の決断をさせてもらう。
そうさせたくなければ、条件を満たした上で魔窟の処分を成し遂げて見せよ』
だからファージには赤竜王の告げた難題が、神に近しい存在の、人への不理解による理不尽に思えて仕方なかった。
だが、それを口にしてしまえばそれこそ不敬であり、彼の人への不信を加速させるだけだと、ファージは理解していた。
「―――は、このファージ、身命を賭して成し遂げます」
だからファージは、不平や不満を全て押し殺し、まるで見通しも立たないのに、その言葉を受け入れるしかなかった。
不確かなものばかりの中で何かを引き受ける事など、基本的に完璧主義者たるファージには受け入れ難い事なのに。
『……汝は、もう少し柔軟になるべきだな』
そんなファージを見透かしたように赤竜王はそう呟いてから悠々と空の彼方へと去っていった。
そうして去っていく赤竜王は威厳に溢れ美しかった――が残した問題は、それで埋め合わせになるようなものではない。
実際、当時の領主一族やその配下、レートヴァ教の上位者達、冒険者、異世界人はそれぞれの都合や事情で反目する事が殆どだった。
魔物退治でさえも互いの縄張り争いの主張の道具として使われる有様は、全く関係のない領民達からすれば不安や恐怖の対象でしかないのは明らかだ。
ファージ自身、愛すべき領民達の為に一刻も早く解決すべき問題だと理解していたが、実際にそれが可能かどうかは別問題だ。
せめて秩序を乱す異世界人さえいなければ、今回の問題ももう少し円滑に行えるものを。
そうして頭を抱えるファージではあったが『赤竜王からの命令』という大義名分が得られた自体はありがたい事だと考えようと思考を切り替えた。
実際これを契機にそれぞれの陣営の関係改善が出来る可能性も僅かだがある――と、強引かつ前向きに。
ファージは、その為の前準備として現地の――魔族が作り上げた魔物の住処たる魔窟の調査に自ら赴く事にした。
と言っても、実際に魔窟に入るわけではない。
魔窟に住まう魔物達が周辺をどの程度警戒しているか、
魔物退治している冒険者達がどの程度まで魔窟に近付けているのか、
それらを踏まえて実際討伐に向かう際、最低限どの程度の戦力が必要になるのか――そういう見極めを行いたかったのだ。
幸いにもというべきか、赤竜王には参加する人間の数や期日を設定されてはいない。
なので、赤竜王の機嫌を損なわないよう気を付けつつも、入念な準備と確実な手段で魔窟の処分を行おう……ファージはそう考えていた。
そんな決意の下、ファージはしっかりと準備をした上で単独で魔窟近くの様子を探索に向かった。
領主代行が単独で探索など愚かにも程かある、と先のファージからすれば自分の愚かさ加減を罰したい思いであった。
だが、当時のファージは魔窟の処分には領主代行たる自身こそが赴かねばならないと、それこそが代行として恥ずかしくない行いだと考えていた。
そこには、レートヴァ教や冒険者、異世界人へ領主代行としての誇りを見せねばならないという意地も含まれていた。
勿論、ファージもまったく考えなしだったわけではない。
そもそもファージは領主として領民に恥ずかしくない存在たろうと、魔術や戦闘術の数々をしっかりと学んでいた。
魔物討伐経験もあり――護衛騎士に見守られてはいたが――それなりの強さを持っている自負があり、それが過信ではないと理解していたのだ。
それにいざとなれば周辺の冒険者と協力する事も出来るだろうという算段もあった。
領主代行たる責任を思えば可能な限り単独で探索・調査を行いたいが、いずれは冒険者の協力を得なければならないのだ。
その際の交渉、実際に協力を仰いだ時への経験として、助けを借りるのは恥ずかしくはあるが悪くはないだろうと妥協するつもりであった。
――ただ、それでも現段階では異世界人の力だけは借りたくないとも思っていたりもした。
だが、魔窟の周辺の魔物は想像以上に……それなりに強かったのだ。
それなりゆえに楽に稼ぎたい冒険者達はあまり近付かず、大きな稼ぎを求める一定以上の強さの冒険者達はより効率よく稼げる依頼を取っていて、魔窟近くで魔物退治を行う冒険者はそう多くなかった。
それゆえに、警戒十全に行っていたはずのファージは徐々に追い詰められ、いざという時の助けを求めようと思っていた冒険者もその日に限っては周辺に居らず、
気が付けば周囲を囲まれた絶体絶命の状況となっていた。
勿論レートヴァ教での蘇生契約は交わしているので復活は出来るが――蘇生にどれほどの時間が掛かるかは、死んだ事がなかったので未知数だ。
ゆえにそんな無駄な時間を割いている以上、ここは生きて切り抜けたかった。
だというのに、魔力は尽き、剣は折れ、疲労は困憊で。
ついには目に涙が滲み、口や鼻から体液を無様に撒き散らし――最早これまでかとファージが息を呑んだ時。
「――――――あなた、馬鹿なの?!」
そんな怒りの籠った声と共に、自分に飛び掛かってきたゴブリンが槍の一突きで貫かれて絶命したのは。
それを為したのは――誰かに届くかもしれないと空へと打ち上げた救難を知らせる光の魔術で駆けつけたのだろう一人の少女。
「戦い慣れてない人が、こんな危険な場所で魔物退治なんて――!」
黒く長い髪を振り乱しながら戦い、自分へと叫ぶ少女の顔立ちは――この世界の人間のものではなかった。
普通の領民であれば変わった顔立ち程度に思うだろうが、ファージには即座に理解出来ていた。
無様に座り込む自分を庇うように立つ少女が、よりにもよって異世界人であった事は。
「自分の命くらい、大切にしなさいっ!」
そう叫ぶ少女が自分の命の恩人である事は理解していた。
だけれども、その言葉に――ファージは思わず、そして訳も分からず反感を覚え、叫んでしまっていた。
彼らしからぬ事に、感情的になって。
「――き、貴様らみたいな異世界人に何が分かる――!!」
「なんですって――?!」
そうして視線が絡み合い、二人は改めて互いを認識する。
これこそが異世界人冒険者・黒須所縁と当時の領主代行・ファージ・ローシュ・レイラルドの出会いであった。
彼女の事はずっと頭の中にある。心の中にある。魂に刻まれている。
迷いなく断言できる。
彼女――黒須所縁の存在は、彼にとってそれほどに大きなものだった。
ファージが彼女と出会ったのは十数年前。
正直、良い出会いとは言えず、きっと互いにとって最悪の部類の遭遇だっただろう。
当時のファージは、今よりもはるかに異世界人を嫌悪していた。
こちらが助けを乞うている立場なのは重々承知している。
彼らの膨大な魔力こそが世界を良くしていく鍵である事も。
だが、それゆえに丁重に扱った結果、彼らの多くは増長していった。
彼らがこの世界を訪れる際に手に入れた、神の力の一端たる力もその一因であった。
恐るべき魔力と想像を絶する異能。
それらが組み合わさった異世界人は、条件が噛み合えばこちらの世界の有数の腕利きさえも簡単に圧倒出来る存在だ。
こちらの世界に非がある時もあった。
自分達の権威を、実力を、事情も知らない彼らに誇示しようと、手段を選ばなかったものもいた。
それを撃退する為に、解決する為に、力を振るう彼らが悪かったとは一概には言えないだろう。
だが、それはほんの一例、一部にすぎなかった――
と、するのは、こちらの世界の人間であるがゆえの贔屓目なのだろうか。
少なくとも、目に見える形で他者を傷つける、無遠慮な振る舞いが多かったのは間違いなく異世界人の方であったとファージは調査し、見て、感じていた。
愛すべき領民が彼らの横暴に振り回される姿を目の当たりにしてきた。
その頃のファージは、彼の父・グラント・アリーサ・レイラルドが病に掛かり、動き難い状況であった事から、若輩ながらも領主代行を引き受けて、奮闘している最中だった。
そんな中で召喚された異世界人達――レートヴァ教の後ろ盾を得て好き放題に振舞う彼らの所為で、ファージの仕事は増加する一方だった。
彼の中での異世界人への悪感情は、当然のように日増しに高まっていった。
そんな折だった。
彼らの一族が代々治めるレイラルド領の一角に、高位魔族による魔物が住まう洞窟――異世界人のいう所のダンジョンが『造られた』のは。
魔族――人間と敵対する、高い魔力と基本的なヒトの姿に翼や角を持って生まれた存在。
彼らと人は滅ぼし合う存在だという認識を互いに抱いていた。
何故そうなのかは明確には分からない。
本能的なものなのか、長い歴史の積み重ねでそうとしか思えなくなっているのか。
いずれにしても、今現在人と魔族は対立していて、魔物の住処の制作などはそれゆえの準備、工作であることは間違いない。
少なくともファージたち、レイラルド領の人々はそういう認識をしていた。
そして、人として、そんな場所を放置する事など出来る筈もない。
それゆえに、ファージはレートヴァ教の聖導師長を通じて、赤竜王との交信を経て、許可を得る事にした。
洞窟に住まう魔物の討伐について、だ。
――この頃はまだ赤竜王が健在で、交信手段が幾つか存在していたからこそ可能な事だった。
他種族間の敵対、互いを滅ぼし合うかのような対立は、世界を見守る守護神獣達の干渉対象である。
下手な行動で人類へ干渉される――最悪世界への敵対行為と見なされるのは避けねばならなかったからだ。
そんな誤解を与えないよう、
ファージは高原に降り立った赤竜王との接見で、
ここまでに至る状況について懇切丁寧に調べ上げた内容を語った上で、
討伐許可を得るべく頭を深く下げた。
『――いささか思想的に偏ってはいるが、汝が平等であろうというしている努力は伝わった。
それに人の住まう地に魔窟を作り上げるのが、魔族による過干渉であるのは紛れもない事実だ。
魔窟の処分、そこに住まう魔物の討伐を恒久的に許可しよう』
赤竜王はファージを見下ろしながら、厳かに告げた。
恒久的というのは、魔族は一度そうした拠点を作り上げると、定期的に干渉し魔物を発生させる為である。
その度に呼び出されるのは赤竜王としては手間でしかないので、そういう許可の形となったのである。
ともあれ、そうして許可を得られたことにファージは安堵の息を小さく吐いた。
神に最も近い存在であり、世界最高峰のドラゴンである存在との接見は、人という矮小な存在からすれば緊張以外の何者でもなかったからだ。
とは言え無事に済んだのだからと、
次は魔窟をどう処理するかを考えねばと思考を巡らそうとして、
流石に赤竜王の前でそれは不敬かと中断した、その時だった。
『ただ、その討伐に一つ条件を出す』
――赤竜王が唐突にそんな事を言い出したのは。
レイラルド領に作られた『魔窟』の処分・討伐許可を出した赤竜王が、領主代行たるファージ・ローシュ・レイラルドに許可の代わりに出した条件。
それは――領主、レートヴァ教、冒険者、異世界人……それぞれの立ち位置にいる人間達から協力者を募り、その者達で協力し合って討伐を行うように、というものだった。
『このところ、この地のマナの流れが若干濁っている。
汝らヒトの対立による澱みが、様々なものに影響を与えているようだ。
ヒトとは、同種であるにもかかわらず理解し合えない生き物……
分かり合う事が困難なのは理解しているが、このまま汝らの対立が進めば世界はますます滅びに向かう――』
世界が緩やかに滅びに向かっている事は、異世界人召喚について関わっている人間達の周知の事実だ。
所詮は余所者である、信用など出来る筈もない異世界人にさえ頼らねばならない――それは、事情を知る王や領主、高位の冒険者など誇り高いものこそ受け入れがたい状況であった。
いや、そういう者達が受け入れ難いと思っている事が回り回って、対立を生んでいるのかもしれない。
後のファージはそんな考えに至る様になっていたが、この時点の、異世界人に苛立ちを覚え、ままならない世界に唇を噛み締めるファージにはその思考に辿り着く事さえできなかった。
『ゆえに、汝らの歩み寄りによる解決を我は条件として出す。
それが叶わぬ時は――人の存在意義について改めて考え、相応の決断をさせてもらう。
そうさせたくなければ、条件を満たした上で魔窟の処分を成し遂げて見せよ』
だからファージには赤竜王の告げた難題が、神に近しい存在の、人への不理解による理不尽に思えて仕方なかった。
だが、それを口にしてしまえばそれこそ不敬であり、彼の人への不信を加速させるだけだと、ファージは理解していた。
「―――は、このファージ、身命を賭して成し遂げます」
だからファージは、不平や不満を全て押し殺し、まるで見通しも立たないのに、その言葉を受け入れるしかなかった。
不確かなものばかりの中で何かを引き受ける事など、基本的に完璧主義者たるファージには受け入れ難い事なのに。
『……汝は、もう少し柔軟になるべきだな』
そんなファージを見透かしたように赤竜王はそう呟いてから悠々と空の彼方へと去っていった。
そうして去っていく赤竜王は威厳に溢れ美しかった――が残した問題は、それで埋め合わせになるようなものではない。
実際、当時の領主一族やその配下、レートヴァ教の上位者達、冒険者、異世界人はそれぞれの都合や事情で反目する事が殆どだった。
魔物退治でさえも互いの縄張り争いの主張の道具として使われる有様は、全く関係のない領民達からすれば不安や恐怖の対象でしかないのは明らかだ。
ファージ自身、愛すべき領民達の為に一刻も早く解決すべき問題だと理解していたが、実際にそれが可能かどうかは別問題だ。
せめて秩序を乱す異世界人さえいなければ、今回の問題ももう少し円滑に行えるものを。
そうして頭を抱えるファージではあったが『赤竜王からの命令』という大義名分が得られた自体はありがたい事だと考えようと思考を切り替えた。
実際これを契機にそれぞれの陣営の関係改善が出来る可能性も僅かだがある――と、強引かつ前向きに。
ファージは、その為の前準備として現地の――魔族が作り上げた魔物の住処たる魔窟の調査に自ら赴く事にした。
と言っても、実際に魔窟に入るわけではない。
魔窟に住まう魔物達が周辺をどの程度警戒しているか、
魔物退治している冒険者達がどの程度まで魔窟に近付けているのか、
それらを踏まえて実際討伐に向かう際、最低限どの程度の戦力が必要になるのか――そういう見極めを行いたかったのだ。
幸いにもというべきか、赤竜王には参加する人間の数や期日を設定されてはいない。
なので、赤竜王の機嫌を損なわないよう気を付けつつも、入念な準備と確実な手段で魔窟の処分を行おう……ファージはそう考えていた。
そんな決意の下、ファージはしっかりと準備をした上で単独で魔窟近くの様子を探索に向かった。
領主代行が単独で探索など愚かにも程かある、と先のファージからすれば自分の愚かさ加減を罰したい思いであった。
だが、当時のファージは魔窟の処分には領主代行たる自身こそが赴かねばならないと、それこそが代行として恥ずかしくない行いだと考えていた。
そこには、レートヴァ教や冒険者、異世界人へ領主代行としての誇りを見せねばならないという意地も含まれていた。
勿論、ファージもまったく考えなしだったわけではない。
そもそもファージは領主として領民に恥ずかしくない存在たろうと、魔術や戦闘術の数々をしっかりと学んでいた。
魔物討伐経験もあり――護衛騎士に見守られてはいたが――それなりの強さを持っている自負があり、それが過信ではないと理解していたのだ。
それにいざとなれば周辺の冒険者と協力する事も出来るだろうという算段もあった。
領主代行たる責任を思えば可能な限り単独で探索・調査を行いたいが、いずれは冒険者の協力を得なければならないのだ。
その際の交渉、実際に協力を仰いだ時への経験として、助けを借りるのは恥ずかしくはあるが悪くはないだろうと妥協するつもりであった。
――ただ、それでも現段階では異世界人の力だけは借りたくないとも思っていたりもした。
だが、魔窟の周辺の魔物は想像以上に……それなりに強かったのだ。
それなりゆえに楽に稼ぎたい冒険者達はあまり近付かず、大きな稼ぎを求める一定以上の強さの冒険者達はより効率よく稼げる依頼を取っていて、魔窟近くで魔物退治を行う冒険者はそう多くなかった。
それゆえに、警戒十全に行っていたはずのファージは徐々に追い詰められ、いざという時の助けを求めようと思っていた冒険者もその日に限っては周辺に居らず、
気が付けば周囲を囲まれた絶体絶命の状況となっていた。
勿論レートヴァ教での蘇生契約は交わしているので復活は出来るが――蘇生にどれほどの時間が掛かるかは、死んだ事がなかったので未知数だ。
ゆえにそんな無駄な時間を割いている以上、ここは生きて切り抜けたかった。
だというのに、魔力は尽き、剣は折れ、疲労は困憊で。
ついには目に涙が滲み、口や鼻から体液を無様に撒き散らし――最早これまでかとファージが息を呑んだ時。
「――――――あなた、馬鹿なの?!」
そんな怒りの籠った声と共に、自分に飛び掛かってきたゴブリンが槍の一突きで貫かれて絶命したのは。
それを為したのは――誰かに届くかもしれないと空へと打ち上げた救難を知らせる光の魔術で駆けつけたのだろう一人の少女。
「戦い慣れてない人が、こんな危険な場所で魔物退治なんて――!」
黒く長い髪を振り乱しながら戦い、自分へと叫ぶ少女の顔立ちは――この世界の人間のものではなかった。
普通の領民であれば変わった顔立ち程度に思うだろうが、ファージには即座に理解出来ていた。
無様に座り込む自分を庇うように立つ少女が、よりにもよって異世界人であった事は。
「自分の命くらい、大切にしなさいっ!」
そう叫ぶ少女が自分の命の恩人である事は理解していた。
だけれども、その言葉に――ファージは思わず、そして訳も分からず反感を覚え、叫んでしまっていた。
彼らしからぬ事に、感情的になって。
「――き、貴様らみたいな異世界人に何が分かる――!!」
「なんですって――?!」
そうして視線が絡み合い、二人は改めて互いを認識する。
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しかしこの話はそこから始まりを告げる。殺された主人公がなんと、ゴブリンに転生してしまったのだ。普通ならパニックになる所だろうがしかし切り替えが非常に早い主人公はそれでも生きていく事を決意。そして何故か持ち越してしまった能力と知識を駆使し、弱肉強食な世界で力強く生きていくのであった。
しかし彼はまだ知らない。全てはとある存在によって監視されているという事を……。
◆ ◆ ◆
今回は召喚から転生モノに挑戦。普通とはちょっと違った物語を目指します。主人公の能力は基本チート性能ですが、前作程では無いと思われます。
あと日記帳風? で気楽に書かせてもらうので、説明不足な所も多々あるでしょうが納得して下さい。
不定期更新、更新遅進です。
話数は少ないですが、その割には文量が多いので暇なら読んでやって下さい。
※ダイジェ禁止に伴いなろうでは本編を削除し、外伝を掲載しています。
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