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第九章 悪意

四節 匿う

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 聖国に戻ると一日置いてから、神殿に出向いていた。ラジエラと双子は宿でお留守番しているか、買い物の別行動で、神殿に来ているのはルシフェルとイネスだけである。
 イネスに気付いた修道女が笑みを浮かべて奥に消えてゆくと、しばらくしてからレイモンとガエル枢機卿、リアム聖騎士長が出迎えに来てくれた。
 彼らが出てくるだけでもただ事ではないのだが、教皇や聖母自ら出てくるようではなかった。それでも巡礼者や礼拝者が何事かと注目を集めることになったのだが。
 そんなざわつきは余所に奥へと案内された。

「お久しぶりでございますね」
「肩の力を抜いてください。ただの神殿付き傭兵ですよ」
「無茶を仰らないで下さい」

 と言いつつも、ガエルの表情がほぐれた。それを見たリアムとレイモンが静かに、小さく噴き出している。
 正体を知っているのだ。自分たちの信仰の対象がいるのに肩の力を抜けと言われても無理な話である。
 対外的には神殿付き傭兵としているのである。ガッチガチに対応されるとそれはそれで問題が起こる。
 応接間の前に着くとガエルが他の入室を促し、彼はと言うと、さらに奥へと消えていった。
 リアムの案内で着席すると、修道女が紅茶を出した。

「先にお祝いを述べるべきなのですが、教皇がすぐ来るはずなので、その時にいたします」

 と断りを入れた。

「教皇が来るまでは、王国のことについて、我々で得ている情報を伝えさせていただきます」
「お願いします」

 彼の話を聞いて、あの強行軍は正解だったと思い直した。
 話をまとめると、イネスもしくは双子を攫って人質に取り、ルシフェルとラジエラに言うことを聞かせようと画策する貴族派閥と、何とかとどまってもらって接触の機会を作って謝罪を通そうとする王系派閥があったと言う。
 で、神殿が抗議したことで執政派閥が大激怒、静観していた中立派を除いて大粛清を行ったのだとか。
 これを聞いてイネスはほっとしたが、ルシフェルは声に出して笑った。その笑い声にリアムとレイモンは驚いてしまった。
 その笑い声は、まさに人を馬鹿にする笑い方だったのだ。

「どうされたのですが?」
「え?単純に馬鹿だなあ、と」

 リアムとレイモンは顔を合わせてようやくわかったのか声に出して笑った。

「確かに馬鹿ですなぁ」
「ひー、神殿どころかユンカースに喧嘩を売るとか、あっはははは」

 その様子にイネスは口を開けて呆けてしまった。

「あの、笑い事では・・・」
「万が一にも、双子とイネスを攫うようなことはできないんだよ」
「そうですよ、イネス。今は我々を信頼して下さっているのか、いくつかの魔法をお切りになっておられますが、ある程度神殿の奥に入られるまで、とんでもない数の常駐魔法を起動されておられます」

 ある程度魔法に熟練してくると、気にしなくても魔法が使われていることは分かるようになる。
 また、外にいる時は双子がルシフェルかラジエラかイネスの誰かと必ず一緒におり、空にはフラメンファルケの目、傍にはアイスボルフと突破すべき壁がでかく、戦闘はルシフェルが手を抜かないので長引かず、隙が無いのである。
 戻ってきた理由は、わざわざ面倒事が起こるとわかっていてそこに身をおく必要性がなかったからである。また、双子に対して、面倒事を避ける為に有効な手段を教える為でもある。

「それに、ユンカース様はルシフェル様です。彼らは天使様に喧嘩を売ろうとしていたのです。他の天使様も黙っておりませんよ」
「半日戦争がいい例でしょう?」

 これはレイモンの言う通り、半日戦争がまさにそうだったのである。
 事情は違うものの、天使を軽んじてわがものにしようとしたことは同じで、その時はたまたま降臨していた主天使を狙った。
 その主天使の巫を人質に要求を行い、挙句に巫を殺害、巫も守れぬと罵ったのが原因である。当の主天使は溜息を付いただけにする為に怒りを抑えたのだが、周りが激怒して戦争に発展したのだった。
 因みに、巫にした人種にあまり執着しないのだが、こなす仕事によっては重要性が非常に高い場合があり、妨害とも取れるのである。

「今回の場合、イネスなら俺が、双子なら俺ら含めて動ける天族全員が王国を消しにかかっただろうな」
「えっと、まさか単独でできるのですか?」
「私はできますよ。あなたを救い出した後、小一時間もせずに地図上から消すでしょうね」

 驚きを隠せないイネスが方法を聞くとさらに驚いた。
 最もコストが安く効果的な『Carpetカーペット Bombingボンビング』(絨毯爆撃)を連続起動させると言うだけなのだが、これは聞くだけなら力業が過ぎる方法だ。
 他にも、津波を発生させて沿岸部を全破壊する方法や、地面を隆起、あるいは陥没させて町と言う町を破壊する方法等、再起不能に追い込む方法を際限なく上げた。

「北の空の色が容易に想像できるな」
「だから天使を敵に回すなと再三警告するのです」

 リアムとレイモンは同時に頭を抱えた。

「広さに限界はありますか?」
「惑星一個が最大ですね」
「わくせい・・・惑星!」

 聞いて置きながら、イネスは何かを思い出したように納得した。

「ええ」

 惑星は自転によって衛星を重力で振り回しており、これによって衛星は惑星の周りを公転することができる。自転速度と公転速度が釣り合っているので、衛星は遠ざかりもしなければ、近づきもしない。
 その衛星の公転速度を遅くするということは、振り回す力を消すことになり、重力はなくならないので惑星に向かっていく。
 これは恒星と惑星の関係にも言えることである。
 重力を発生する物体が自転していなければ、影響を受ける物質はまっすぐに重力を発する物質に向かう。自転していれば、回転力の影響を受けて、重力を発する物質に対して渦を描きながら向かうことになる。これ自体は磁石と砂鉄を使えば簡単に証明できる。
 ただ、現在は当時の力が残っているだけなのだが。
 話を戻すと、ルシフェルは天の公転速度を変えられるだけの重力場を作り出すことが可能であり、理論上は可能なのである。
 それをやった後と言うのは、魔力がすっからかんになり、疲労で一時間以上の気絶を強いられ、助けがないと死ぬ可能性もある。あと、それをやると間違いなくユニゲイズに怒られる。
 一国、一種族滅ぼしたところで、ユニゲイズは何も言わない。寧ろ、それを含めた上で観察を行っているからだ。その方が、対抗手段を生み出そうとする意識が生まれ、自分たちと同じところまでくる人族のその過程を比較観察したいからでもある。
 勿論、天使を一切かかわらせていない世界も比較対象として生み出してあり、並行して観察が行われている。

「天を落とすのですか」

 リアムとレイモンがいるので詳しい原理など説明していない。イネスに伝える時は地上との関わり、その一切を断つ日以降になるが。

「やってみなければ分からない部分もあるが、俺の魔力量だと不可能ではない。だが、やる利点がない」
「利点がないとはどういうことですか?」

 リアムは恐ろしいと思う反面、やらない理由が分からない。天族に対して全種族が一斉に敵対するのならありうるシナリオだからだ。

「天族には存在事由があることはご存じですよね」
「ええ、経典にも載っています。詳しいことはかかれておりませんが」
「つまり、そういうことですよ」
「詳しいことを伝えることはできないが、天族が存在する理由において、惑星を滅ぼす行為には利点がない。そういうことだな」

 察したレイモンの言葉にルシフェルは同意を示した。
 そもそも、天を落とせるほどの力があることは経典に乗っている事であり、それをやらない理由も乗っていることだ。
 聖職者であっても騎士職である二人には、経典の丸暗記など求められない。
 イネスが広さの限界を聞いたのは、単純にルシフェルの力を確認がしたかったのである。聞いてから丸暗記したはずの経典を思い出すと言う、抜けた性格を極稀に披露することがある。こういうところがあるから第三聖女と次期外交官争いをしていたのだ。
 ルシフェルはルシフェルで、経典を丸暗記しているので、載っている情報以上の情報は渡していない。

「これ以上物騒な話はやめましょうか」

 全員で苦笑し頷きあった。
 そうして話の流れを変えるとイネスののろけが止まらないこと、止まらないこと。ただ、リアムは彼女を守る側にいた所為で、レイモンは恩人である所為で、彼女幸せそうなところがうれしく思い、一切苦笑するどころか話に食いつく素振りまで見せた。
 それだけ大切で大事な存在にされていたのだ。
 天族に嫁ぐことを歓迎された一方で、文献がほぼないのでその後の生活の心配もされていた。
 無論、この話が後世に残ることはない。
 むしろ、表向きは『天使に導かれた者と恋仲になり、天使に導かれた者の目的の為、聖国政府の無知によって、聖女を辞めてまでその恋を貫いた』と言う美談に挿げ替えが行われているくらいだ。
 その挿げ替えを行った本人がようやくやってきた。そこには聖母、第一、第三、第四聖女、そして、イネスによく似た女性もいた。

「イネス」
「お母様」

 イネスによく似た女性と言うのは、イネスの母親である。約一年半の再会で抱き合う二人だが、離れたと思うと母親が突然狂喜乱舞し、絞め殺してしまうのではないかと思うほどにイネスを抱きしめている。
 イネスが先んじて妊娠の報告をしてしまったからである。

「お母様、それ以上は」

 ルシフェルは技能を解除した上で注意して辞めさせた。イネスの身長は父親似らしく、顔が胸に埋まって息ができていなかったのである。
 元々二ゼンヤーツ(約十五センチメートル)の身長差があり、イネスが履く靴の底は平たく、母親の履く靴はヒールが高いために差がより広がってこうなってしまったのだ。
 ちなみに、イネスの母親であっても彼女は修道女ではない。今日の為に急いで用意したのであろうドレスを着ている。

「ルシフェル様、娘をどうかよろしくお願いします」
「もちろんです」

 妊娠の報告が一番の目的ではあるものの、本来ならば、イネスの母親はここには呼ばれない。
 大粛清が行われたと言えど、ゼレンツカヤ王国はまだ信用にならず、妊娠が知れ渡れば第二、第三の王国が現れないとも限らない。
 その為、今日から母親は神殿で匿われることになる。
 当のルシフェル達も明日から天に帰り、一年を目途に天で過ごすことにしている。一年としているのは、赤ちゃんの首が座る頃がその時であろうとみているからである。
 イネスに気を使って男性陣は別室に向かえば、女子会の始まりである。

「ルシフェル様もそうお考えなのですね」
「ええ、なので、こちらに戻った時には各国の情報をお願いしたいのです」
「心得ました」

 いない間のことを神殿に任せ、その間の情報をもらう約束を取り付け、残りは雑談をして過ごしたのだった。
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