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第九章 悪意
三節 逃走
しおりを挟むゼレンツカヤ王国の滞在は三ヶ月ほど、王国の貴族の様子がおかしいと言う報告が教会経由で神殿から届き、すぐにペシュコヴァ伯爵領を後にした。
神殿付きの旅団として活動していて本当に良かった。
バック付きの旅団や傭兵団に対して指名の依頼を出したい場合、必ずそのバックに対して事前に申し立てを行う必要がある。ルシフェル達の場合は教会ではなく神殿に行う必要がある。
必ずしも、と言うわけではないのだが、バックがあることは実力の証明であり、バックから人が派遣されている場合がある。過去に引き抜きや、バックの面目を潰す偽りの依頼を出す等の問題がたびたび起きており、余計な摩擦を生まない為の習慣でもある。
今回は短期間で異常な数の申し立てが、王国の貴族から行われたので、神殿の指示ということにして王国から離れることにしたのだ。
素早く王国を離れる為に、来た道を戻ることにした。
国境で足止めされそうになったが、神殿からの指示を伝えると、摩擦を起こしたくないのかあっさりと引き下がってくれた。
公国に入って、貿易港のある街で宿を取ったところでようやく落ち着いて睡眠をとることができた。
かなり無理をした、強行軍のような移動をしたので、双子の体力が限界近くにあった為、三日滞在することにしている。
「王国の貴族たちは何がしたかったのでしょう?」
宿の部屋でイネスと二人きり、寝具の上で彼女はルシフェルに抱かれるように座っている。ラジエラと双子がいるので夫婦の時間を取ることもままならないので、こんなことになっている。
「神殿から王国に対して行った通達が裏目に出たんだろう。依頼で引き止めて搦め手で手中に収めようとでもしたんじゃないのか?」
「ありえなくはないですね」
見てわかるほど出てきたお腹を一緒にさすりながら幸せをかみしめる。ルシフェルは経験せずに死ぬのだろうなと思っていたからこそ、この時間は至福の時間であった。
「では、もう」
「ああ、見るもの見れたし、見せられたんだ。しばらくは王国にはいかないだろう」
「しばらく、ですか・・・」
「王国がやってることは分かってるし、どう変化するのかを見せたほうが効果的だ。わざわざ一年滞在する程はない。四季にしたって公国や聖国の方が今は、はっきりしてるわけで」
確かにそうだとイネスは思った。
去年までなら話が違うのだが、天族と精霊たちが死に物狂いで対応したおかげで、異常気象は収まりつつある今、王国は目先の政策を打ち出す時期ではなくなっている。
アウストリム大陸において、異常気象の被害が一番大きかったのが王国なのだが、同情はすれど、手を差し出す程のことではない。禁じ手として明確にしていたわけではないが、他世界から人を呼び出す禁じ手を行ったのだ。余計に救いの手などはない。
「そういえば、王国で行われた他世界からの拉致は三人だと聞いていますが、他の方はどうしているのでしょうか?」
「聞いた話だと、まだ、ウリエラが精神療法を施している最中だ。元の世界に帰れないことが分かってひどく落ち込んでいるのだとか」
「ご家族が気になっているのでしょうね」
驚くことに、あの二人はいなかったことになっているのではなく、理屈はもうわからないが、その穴が瓜二つの二人で埋められていたのだ。
療養に時間がかかっているのは、この事実から今ここにいる自分がなんなのか分からなくなる同一性障害を発症しているからだ。
「そりゃ、気になるだろうさ。俺はそれで八つ当たりしたぐらいだからな」
「そうでしたね」
婚約してしばらくして、王国の拉致の時に起きたことは話している。
こうして雑談をする時間は作れているのだが、デートをする時間は今の今まで作れなかった。とは言っても活発な方ではないので、これで満足してしまっているのだが。
「この状態を見たら、イムちゃんは何と言うのでしょうね」
「間違いなく自分もーとか、ずるいーだな。イムちゃんから話は聞いたのか?」
「ええ、聞きました。あなたが言ったことと同じように返しました。あと、お父さんからの許可もとるようにと。でも、あんなことを言っているのも今の内です。甘えん坊が勘違いを起こしているだけだと思いますし」
「そうであってほしい」
生憎、小児性愛の性癖は持ち合わせていないので、庇護の対象として見た時点で受け入れることはできない。
イネスに関しては庇護の対象にはしていなかった。だからこそ、その気持ちを受け止めることも、やることをやることもできたわけである。
イネス自身は一夫多妻に抵抗などない。血筋を考えていけばおのずとそうなるからである。王様の側室はそれなりにいるのが当たり前のこと、そんな王様よりも上の存在が相手なので、どこかそうあってほしいとまで思っている。
「あなたは私以外の女性を迎える気はあるのですか?」
「ないな。平等に愛することが俺には無理だ。それでもいいと言われても、女性同士の相性もあるだろうからめんどくさい」
「そうでしたか」
ルシフェルも抵抗はないが、嫁同士相性の合わない人が来るのは問題しかなく、巻き込まれたくもないのだ。
合わないだけならまだしも、生理的に無理だとうまくやっていける自信がイネスにはない。
ただ、自分だけを愛してくれると言っているようなものなのだ。こんなにうれしいことはない。
「道中急がせてしまってすまなかったな」
「仕方のないことです。私の妊娠は体型でばれているでしょうし、それも含めて考えれば無理を通した方が得策ですよ」
「本当にすまない。明後日からはゆっくり聖国に戻る。着いたら神殿で一通り挨拶をしよう」
「はい」
こうして二人の時間は過ぎて行くのだった。
翌々日
すっかり元気になった双子を連れて港町の外に出ると引き止めるものがいた。
「すみません、あなたがユンカース様ですよね」
「ええそうですが」
なりは教会関係者であろうか、司祭クラスの修道士と後ろに修道女が控えている。
「神殿が聖国に戻るのであれば使ってほしいと荷車とグリフォンを派遣しています」
サルミン侯爵領に留まった日数を除けば、ペシュコヴァ伯爵領までは十日の行程を必要する。それを五日に短縮した。神殿のある都市から港町まで十日かかるはず。空を飛行するグリフォンならどうとでもなるのだが、荷車は間に合わないはずである。
ペシュコヴァ伯爵領にある教会からの連絡にかかる日数は、通信魔法をうまく使えば、朝の連絡を夜には届けることはできるので、あまり考えなくてもよい。
しかし、向かう場所を伝えた覚えはない。
「荷車?」
「荷車は教会の物さ」
と懐かしい声が聞こえた。
声をかけてきた二人が懐かしい声の主の口ぶりにあっけに取られている。
「レイモン、久しぶりじゃないか」
あれから階級が上がったようで、装備が少し豪華になっている。
「あと、こいつもな。マリちゃん、挨拶してやってくれ」
と、グリフォンを指した。
名指しされてきょとんとしたラジエラだが、グリフォンを見た瞬間に分かったのか、駆け寄って抱き着くと声をかけている。そう、ラジエラが眷属にしてしまったグリフォンである。
「少し大きくなったか」
「ああ、並程度だった体格が一回り良くなった。今じゃ、グリフォンの群れの長だな」
初めて会ったときは、ラジエラが背伸びをするほどではなかった。それが、今では少し振り回されそうになっている。
「大変だったんじゃないのか?」
「いや、そうでもない。もともと長がいない関係性だから、寧ろ管理がしやすくなって万々歳ってところさ」
ずいぶん笑顔で言うということは、嘘ではないのだろう。
「それから、イネス様、おめでとうございます」
「ありがとうございます。あれから階級を上げたようですね」
手を組んだりしないが、それでも、恩と上官を忘れられないのか敬語である。
「この階級もイネス様のおかげでもありますから、今回は無理を通して私がやってきました」
「苦労を掛けましたね」
「この程度ではまだ」
期間は短かったが、それでも旅をした仲、元護衛騎士が来るよりも彼の方がイネスにとっても気が楽だった。
「セレちゃん、イムちゃん、おじちゃんのこと覚えているかな?」
「「?」」
二人して気付いていないが、隠れもしなければ手をつないでいない。その上で、レイモンに向かって首をかしげては二人で顔を見合わせている。
借家を案内してもらって以降は顔を合わせていないので、覚えていなくても仕方なくはある。
「ほら、俺たちと一緒に助けてくれた神殿の騎士の人だよ。一緒にお家探ししたでしょ?」
「「レイモンさん!」」
レイモンは覚えていたことに驚いてしまった。あの頃は四つから五つにかけてのことだったので、覚えていないだろうと思っていたのだ。
「よく覚えてたな、えらいぞ」
そう言ってレイモンに頭を撫でられると双子は嬉しそうにした。
騎士の装備の意匠は、威圧よりも美麗が意識されている。その為、装備から感じる恐怖が当時からなく、神殿いる頃は可愛がられてもいた。ルシフェルがよくレイモンと話をしていたのもあって、この人は大丈夫な人に無意識に分類していたのである。
あの時の抱っこは、単純に身長差と敬語抜きが威圧的に感じただけだった。
「それじゃ、行くか」
声をかけてきた二人に挨拶をすると、荷車に乗り込んで出発した。
御者席にレイモンとラジエラが座り、後部にイネスと双子、ルシフェルが乗っている。リールは荷車を引くグリフォンと並んで歩き、ニクスは幌の上に止まっている。
「よくそのグリフォンに乗れたな」
「マリちゃんに合えるぞ、つったら乗せてくれたんだよ。おかげで、ありえない速度でぶっ飛んでくれてな。覚悟はしてたんだが、死ぬかと思ったわ」
「ご愁傷さん」
この日の野営時、ラジエラがグリフォンと空の散歩をし、同じことをされた為、ラジエラが説教を食らわせて一回り小さく見えたのだった。
また、ラジエラの初めて見る剣幕に双子が怯えたのだが、ルシフェルとイネスがフォローを入れて事なきを得た。
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