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第八章 波紋

二節 結婚

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 天の神殿にて、イネスはすべての熾天使に好意的に受け入れられていた。
 イネスとの関係を正式に報告しに戻ると、そのまま七日ほど滞在することになり、祝いの席が設けられたのだ。人がいないので正式な結婚式を略式にしたのが今日の席である。

「やはり、まんざらでもありませんでしたね」
「好意を受け止めただけですよ」

 あっけらかんと返したルシフェルの様子にミカエラはいじり甲斐のない男だと辟易した。下手にいじって殺気を振り撒かれても困るので、これ以上はやめるのだが。

「翼がないのでボリュームに欠けますが、天使の羽衣がよく似合っていますね」

 天使の羽衣、この場合は所謂ウエディングドレスのことである。女性天使の正装で、普段使いに向かないので普段は思い思いの服を着ている。男性天使の正装はタキシードだ。主に降臨する場合や、祝いの席で着る。
 服が同じなので新郎と新婦は翼にベールと白金細工をつけることで他と分けられる。
 イネスはそれができないのでベールのついたティアラで代用している。ルシフェルは白金細工を翼全部に付けている所為で翼が重くてしょうがない。

「白い肌で引き立つ羽衣の透明感、ティアラに負けない輝きの金髪、翼の白金細工がないのが惜しまれます」
「重さの疲れがない分よろしいのではないでしょうか?」
「・・・一理ありますね」

 言われてみれば、と言う反応から経験者だとわかる。

「やはり、力天使の反応がよくありませんね」

 最低限仕事に必要な人数は残されているので、熾天使の御付として力天使が三人参加しているわけだが、表情を見る限りよい反応とは思えない。ただ、内一人は他二人を牽制していると言う様子で、イネスをかなり好意的に受け入れている。
 今はウリエラとラジエラに双子がイネスに付き添い、各熾天使たちとあいさつをしている。ルシフェルはミカエラと共に挨拶に来るのを待っていると言う状況である。
 新旧関係なく役職絶対なので、同級以上は挨拶を待ち、以下は挨拶に行くのが習わしである。挨拶の付き添いは例外扱いである。挨拶に行く場合、無用なトラブルを避ける為、上司たる熾天使が必ず付き添いを行う。
 今回の場合、イネスは天使でもないので、ミカエラの指名でウリエラが付き添い、イネスの挨拶が終わった熾天使がルシフェルに挨拶へと来るのである。
 ただ、これは今回のような席の話で、夫婦となった後は、高い方の役職が適応される。その為、今日の席に参加していない智天使以下は、どちらの用であっても挨拶に来なければならならず、呼びつけるようなことは当然できない。

「ルシフェル、おめでとう」
「ルシフェル様、おめでとうございます」
「ありがとうございます。ティアエル様、ハラリエラ様」

 お互い軽い会釈をして挨拶とするのも習わしである。
 ティアエルは時空間を権能とし、権能によってあらゆる攻撃を読み切ってしまうので全天使中最強と言われている。半面、体が弱いので非常に華奢な体と、目には消えない隈を称えている。
 ハラリエラはティアエルの娘で、普段はティアエルの連絡係をしている。役職は権天使、健康的でしなやかな体付きをしており、童顔で比較的低身長の所為で年齢が推察できないが、実際はルシフェルよりもはるかに年上。

「調子がよろしいように見えますが」
「ああ、今日のようなめでたいことが分かっていたからね。いつまでも崩したままではいられんよ。それに、今日を乗り切れば、しばらくは力天使もおとなしくなる」

 予め断っておくが、彼らにとってのしばらくは百年単位の話である。
 来る日と来る人、必ず『力天使』を口する。それほどひどいのかと頭を抱えたいが、ここは我慢するほかない。
 その上、今日を乗り切れば、と彼が断わりを入れたので、ミカエラの表情がこわばっている。

「今日を乗り切れば、ですか」
「あそこにいる力天使、カマエラに注意を。何なら、挨拶が終わったら追い出してもいい」
「では、そうしましょう」

 彼女については既に挨拶が終わっており、アルマエラによってことを告げられた上司の熾天使サリエルと共に去っていった。
 この場合、カマエラがいない時に改めて挨拶に来るか行くことになる。この繋ぎはハラリエラが行う。
 最後となったラファエルと主天使メルキセルの挨拶を終えて宴を興じる。
 メルキセルは正義の権能を持ち、ラファエルの良き相談役である。衰えから熾天使を退き、同時に仕事もラファエルに引きついで五百年になる。優し気な老人で杖がよく似合う。

「サリエルは特急の仕事か?」

 林檎の果実酒を片手にルシフェルへ声をかけたのはラファエルである。宴は立食形式で、アルマエラが主に給仕をこなしている。

「ええ、ガブリエラ様伝手でミカエラ様に連絡が入りまして」

 サリエルは号令の権能を持ち、普段は天使の軍団長であるが、今は異常気象対処の責任者となっている。それが幸いして、追い出すには安かった。

「正確にはカマエラ様です。」

 と耳打ちした。
 ラファエルは姿の見えないサリエルを追い出したのか聞きたかったのだ。そして、カマエラの名を聞いて納得した表情を一瞬見せた。

「もう少し、と言う話ですから、現場もかなり力が入っているのではないですか」
「だろうな。だとしたら、サリエルもさぞご立腹だ。あいつのことだ、祝いの席にムカムカしている自分いると、とでも考えたんだろうな」

 あいつらしいなとやれやれと言ったところだ。

「でしたら、後日、挨拶に伺わないとなりませんね」
「ああ、そうだな」

 宴の間、イネスはルシフェルを離れてはいけない。ウリエラがいつまでもお付きをしないからで、ラジエラは二人の時間の為にセレとイムを遠ざけている。イネスは立場も力も弱いからである。
 双子は天使の羽衣を気に入って、挨拶回りの前にラジエラに作ってほしいとせがみ、今はミカエラの所へ許可をもらいに行っている。挨拶回りの最中はヘイト分散の為にイネスと一緒にいた。

「だったら、元いた世界の美味しい食べ物を持っていくと良いさ。この世界のはダメだ。責任者として少し辟易してる節があるからな。ああ、酒が好きだから、塩見のあるやつが、ピリ辛のでもいいぞ」

 聞けば同じ年齢の幼馴染だと言う。
 酒好きなので、見聞きした世界の酒はあらかた知っているし、貯蔵しているので持って行っても形だけしか喜ばないのだとか。また、出されたつまみに合う酒を探すのが好きなのでその方が喜ぶらしい。
 なので、量は多めがよいとか、日持ちは冷凍するから気にするなとか。

「ありがとうございます」
「何、渦中の友の為、お前の為だ。セレもイムもすっかり家族になっているようだしな」

 要は、今度一緒に遊ばせろ、ということだ。ここまでくるとある意味ではロリコンだ。

「明日と今度イフリート様とセルシウス様と合わせた後ですね」
「約束だぞ」

 とグラスを合わせて鳴らし、去っていった。

「随分、子供好きな方なのですね」
「二人とも、ラファエル様と遊ぶのを楽しみにしてるみたいだな。この前はおじちゃんと言われてうれしそうにしてたな」
「まぁ」

 二人で笑い合い、ルシフェルはティアエルに感謝した。その後、数人の天使と談笑し、ルムエルの案内で部屋へと戻った。イネスは着替えの為、ルマエラに案内されて別室に向かっている。
 カマエラの件以外で大きなことは起きなかった。双子が間違えてお酒を口にしてしまい、桃の果実酒だったので甘さで気付かず、顔を真っ赤にして眠いと言って早めに退場した程度だろうか。
 翼の装飾をルムエルに外してもらう。
 軽くなった翼を羽ばたかせて凝りを取りつつ、装飾の意匠を改めて見てみる。

「翼用の鎧を模したものか」

 外された装飾を見てつぶやいたのだが、彼には聞こえていたらしい。

「いえ、元からある鎧を改造した物だそうです。重かったですか?」
「結構重かったですよ。普段着けてないので尚更そう感じたのでしょう」
「そうですか・・・」

 こういう機会でないとそう見るものでもなく、多くもないので興味は持っているようだ。
 そもそも、鎧自体は天族特有の物ではなく、これまで見てきた翼人種が付けていた鎧で最も意匠の良かったものを改造した物である。戦いにおいて翼は致命的な弱点であり、優位性を生み出すのだが、金属製の鎧では優位性がなくなってしまいかねない。その為、物理結界を展開する専用の装備を天族は持っている。

「着けてみたいですか?」
「え、あ、はい」

 十四になったルムエルの体付きは大人に引けを取らない。ルマエラと共に成長は早い方なのだろう。彼女も大人の女性と言ってもいいくらいである。まだ垢抜けない顔をしてはいるのだが。
 長命な分成長が遅いのではなく、二十歳までに体は大人になるのだ。ここから先の性質が違い、成長速度が極端に遅くなるが止まることはなく、老化が極端に遅いのである。また、そういう風に作られている。
 装飾を着けてあげると、光魔法で姿を複製する。

「このような感じになるのですね」

 複製された姿と付けた装飾を交互に見て感慨深げにしている。

「これ、結構ずっしり来るのですね」
「それを後四つですからね」

 一組しか翼を持っていないルムエルと、三組の翼を持っているルシフェルではわけが違うのである。そもそも、翼は羽ばたく以外の動作をしないので物を持つことはない。

「持った時は、これくらいかと思いましたが」

 一つが三キログラム弱、それを六つで約二十キログラムとなる。ルシフェルにしてみれば五つか六つの子供が翼にしがみついているようなものである。

「確かに重いです」

 笑いながらルムエルは言った。

「そうだ、この部屋は今後、天におけるお二人専用の部屋、住まいになります。そこの扉の先はルシフェル様の執務室となります」

 こちらに来た時から、いつもの客間とは違うように感じていたのはこれだった。

「二人と言うのは?」
「イネス様です。ラジエラ様はまだ所属が決まっていませんが、権能優先で必ずしも夫婦親兄弟姉妹が同じ所属になることはありません」
「ということは、私は決まっているのですね」
「はい」

 空席の技術部配属ということである。
 他にも空席はあるそうだ。今は智天使が代行しており、技術部の代行も智天使である。引継ぎに関しては双子の教育が終わってからを予定している。
 イネスに関してはルシフェルの秘書以外の選択肢はない。これは仕来りでもあり、引っ掻き回されないように、夫もしくは妻となる天使がしっかりと手綱を握る為である。
 伝えるべきことを伝え終わったルムエルが退出し、一風呂浴びようかと考えていた時だった。

「私もこちらなのですね」

 着替えが終わってやってきたイネスが扉を開けて言った言葉である。
 昨日まではルシフェルだけ別室だった。双子が片方いれば寝ることができるようになった時から地上にいる時も一人部屋なのだが、婚約したとはいえ二十七の男と二十二の女が同じ部屋で寝るのは外聞が良くない。
 同棲と言う言葉もあるのだが、それが通用するのは天族同士ならである。それこそ、天族からも『天使を誑かした』『天使に色目を使った』等のレッテル張りが待っている。
 しかし、今日やったのは略式とは言え結婚式である。大手を振ってよい。旅団用の借家の部屋数を減らせて安く借りることができるようになり、宿で双子にずるいなど言われなくて済む。
 とは言っても、彼女は戸惑っているのである。それなりに大きいが寝具も一つだけ、着替えの為の衝立はあるのだが、生まれてから一度も男と寝食をともしたことがない以上は仕方がない。
 それで、いよいよ寝具の縁に腰を下ろした彼女の顔は真っ赤になっていく。着替えの時にルマエラに質問攻めにされたことが蘇っているのである。

「恥ずかしい?」
「はい」
「少しずつ慣れていけばいい」

 と言いつつ、口づけをするあたり容赦はしないが、まんざらでもないのは自身が望んでいたからである。初夜は甘く過ぎていくのであった。
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