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二章
結びつき
しおりを挟むお礼と称して啓を食事に誘ったが、結局それっきりになった。
夏休みに入って日本選手権に出場し優勝、その一か月後のアジア大会にも出場したのだが、今年は世界選手権の切符は手に入らなかった。
と言うのも、輝に韓国の食べ物が合わず体調を崩してしまったのが原因だ。
そんな状態で実力も出せず、早くに落ちてしまって、謝り続ける輝に業を煮やした美優希は棄権を宣言した。
「美優希、野々華、ごめん」
「輝、私こそごめん」
「私も、ごめん」
輝は大丈夫だからと言って棄権させなかったのだが、それは仲間を思うあまりの暴走であり、リーダーである美優希の判断ミスである。
「輝、食べ物が合わないのはどうしようもないよ。事前に調べて用意すべきだったのに、そこをおろそかにしてしまった。それに、両親も知らなかったみたいだし、こればっかりは手の打ちようがないよ」
「美優希の言うとおりだ。韓国に旅行した経験がないのなら尚更だ。輝の上司たる美優希でもなければ、マネージャーたる父親でもない、すべては会社の、社長たる俺の責任だ。だから泣くな。これは経験だ。来年は同じことにならないように万全の手を打つ」
「はい」
「だから、もう自分自身を許しておくれ」
「はい」
輝の体調は芳しくなく即帰国、但し、野々華の父親と輝の父親は現地に残って、食べ物や飲み水を徹底的に調査した。
成績報告の配信では初めの方は荒れたのだが、韓国の食で当たってしまった、と言うと同情の声が上がり、次はどこであろうと会社が完全調達を行ってくれると言うと、次は世界選手権一位の奪還だという応援に変わった。
アンチの意見がなかったわけではない。過ぎると当たり前のように制裁を下して流してはもらえないので、アンチと言うよりは厳しい応援者と言った方がいいだろう。厳しい応援者たちは本物のアンチが嫌いでもあるので、美優希たちのチャンネルにアンチはいない。
「今日はここまでね。見てくれてありがとー、じゃぁねー」
配信を終えて溜息を付く美優希、輝の体調が戻るまで待った配信だったので、既にマンションに戻っており、通話を切ってしまうとそこは寂しい空間だった。
そろそろ夏服はしまってしまうかと考えるようになった頃、美優希は啓の講義への参加がまちまちで、やつれていることに気付いた。
「あなた、やつれたように見えるけど、どうしたの?」
次の講義が休講になっているので、声をかけてみることにした。もう自身の父親の変化に気付けない自分ではなくする為に。
「え、あ、そうかな」
あの時の元気も覇気もなく、一時期の父親を見ているような気がしてならない。
「話してみたら?協力することはできなくても、気は紛れるものよ」
周りが相当ざわついているが気にしたって何もならない。と言うか、そんなに他人を気にする暇があるのなら、自分のやるべきことをやったらどうだろうと思っている。
「助けてもらった恩もあるし、食事程度で返したとは思っていないわよ」
「そこまで言うのなら」
場所を学内の庭に移してベンチに座る。
最近、バイト先の先輩のあたりが強すぎてかなわないのだと言う。それだけ聞くと弱い男のようにも見えるのだが、内容を聞くと、一義なら証拠をそろえたら懲戒解雇を即日で言い渡してもおかしくなかった。
ミスはすべて押し付けられ、その罰で閉店作業を押し付けられ、時給はカット、今ではほぼ一人で五十人近くの客が入る居酒屋の厨房を回しているらしい。
先輩によるパワハラなんて当たり前、見目もいいので客受けがよく、バイトの女の子にセクハラまがいのこともしているらしい。先輩の父親がその居酒屋の経営者で、すべてが先輩の味方なので手の付けようがないのだとか。
そんな状態が三ヶ月、ミスをしない方がおかしく、更に時給カット、課題をする暇もなく、最近はバイトしに上京したのか、進学の為に上京したのか、分からなくなっているのだ。
「あとどれくらい頑張れそう?」
「辞めさせてもらえなさそうだし、死ぬまでかな?」
「馬鹿なことは考えないの。もういいわ、あなたは私の秘密に気づいているでしょ」
「え、あ、君がそんなプロゲーマーのミュウちゃんだと・・・あで!」
頭をはたいた美優希は冷たい目で啓を見下ろしていた。
「私、少し前から家政婦が欲しいと思ってたの」
「え、そんなっ、そんな時間ないです」
「は?そんな大きな声で言っといて、まだ言う?」
美優希の剣幕に啓は勝つことができず、一緒に帰る約束をしてその場を別れた。
夕方、クリステルとも合流し一緒に帰りながら、今日までは頑張ってこいと送り出した。ボイスレコーダーを持たせて。
スマートフォンの予備として持っていたのだが、一日ぐらいなら大丈夫だろう。
翌日、時間通りに来たのは良いのだが、目に隈ができており、眠そうにしていた。ボイスレコーダーに入った声を確認し、五月からの給与明細を確認、ニヤリと笑った美優希は啓を連れて労働基準監督署に向かった。
労働基準法十六条、労働基準法九十一条違反の告発とパワハラの相談及び、業務上負った怪我の労災申請の為である。
割とひどいやけどを左前腕部に負っており、これは通ればいいな程度で、問題はどのタイミングでバイトを辞められるのかである。
窓口で対応した女性は給与明細を見て言葉を失っており、なんとすぐに署長が出てくる事態だった。
と言うのも、労働基準法九十一条違反、ミスによる減給は計算しないと何とも言えないのだが、労働基準法十六条違反は、給与明細に機材破損による弁償代金とばっちり書かれており、言い逃れできない証拠なのだ。
ミスによる機材破損で弁償代金の請求、天引きが禁じられているからだ。
パワハラについても音声が十分な証拠となり、職員が間に立って即日退職が成立し、後日、啓が働いていた居酒屋には監査が入ることになった。
労災については、治療を受けた病院に明細を発行してもらって後日提出するか郵送するかとなった。
「ありがとう」
労働基準監督署の近くの公園、ベンチに腰を落ち着けて話をする。
「いいのよ。これで、助けてもらった件についてはちゃらね」
「勿論」
「家政婦の件なんだけど、貴方、何でバイトしてたの?」
「え、いや、その、学費は親に出してもらったんだけど、生活費は別でね」
普通はそうだよな、と美優希は思った。美優希も同じようなものだが、配信の所為で少し感覚がくるっている。
「それ、家賃も、よね」
「え、まぁ」
「家政婦やる?月給で二十万出すわよ」
「へ、二十万?」
源泉徴収まで行い、水曜の夜と土日の午前中、洗濯以外の家事全般をやってもらう。
美優希はこの男を踏み台にするつもり満々だった。これを機に、人を雇うことに慣れようと。
「悪い話じゃないと思うけど」
「悪い話じゃないけど、待遇が良すぎて、裏が。それに、雇用関係にあっても、女性の一人暮らしの部屋に男を上げるのは良くない」
「そ、じゃあ、この契約書にサインしてくれる」
「へ?」
要は秘密保持契約書だ。
ばらされると私生活とプロ活動に支障が出る。単なる口約束よりも、こうして書面に残した方が安心だ。
「NDA、秘密保持契約よ」
「ああ、こんなものなくても・・・」
「ダメよ、あなたが秘密をばらすと言って脅して来たら困るもの」
「あはは・・・」
サインをしている二枚の紙、一枚は啓へ、一枚は美優希へ、二枚に差異がないことを確認してバッグに直し込んだ。
「それと、雇用してたらもっとキツイNDAに契約書はいっぱいあったわよ」
「抜け目のないことで・・・契約書を交わした以上、約束は守るよ」
「当たり前ね。あ、生命の危険が迫ったら、ちゃんと生命を取りなさいよ。さすがに死なれたら目覚めが悪いわ」
「はい、はい」
そのあたりもちゃんと契約書には明記されていた。
「なぁ、片岡さん」
「なぁに?」
「どっちが素なんだ?」
「ひみつ」
家に帰り、美優希は少しだけ泣いていた。
「ふられちゃったな。接点は少ししかないから仕方ないよね。パパみたいには行かないかぁ」
それはそれ、洗濯乾燥機を回し、掃除機をかけて夕食を作る。
顔どころか正体まで知られたが、秘密保持契約書を突き付けるとあっさりサインするとは、啓の人柄は良いと言えるだろう。保身はこれで大丈夫だ。
数日後
あれから啓と接点ができ、挨拶するようになり、バイトの事で話をするようになった。今日も講義の後に少しだけ話をして別れた。
学食で食事をとる為に食券を買うと、ヤンキー上がりのような男たちが啓に絡んでいるのが目に入った。よく見るとナンパを仕掛けてきた男たち、見事に恨まれていたようで、落とし前がどうのと言っている。
「いつまで高校生気分でいるのよ」
暴力はまずいと思い、啓の胸倉をつかんだところで写真を撮って声をかけた。
「これで暴行罪成立かな、未遂として訴えることもできる。もう少年法は守ってくれないわよ」
「なんだと、この!」
「いいの?殴れば暴行罪に加えて傷害罪よ。私がそのこぶしで死んだら傷害致死、殺人罪ってところかしら」
「あー、そうか一発殴られて被害届出せばよかったな」
「ぐ」
よく分からない捨て台詞を吐きながら去っていった。
「叩けば埃が出そうね」
「出てくるんじゃない?興味ないけど」
後から教授に呼び出されて、学食の騒ぎで事情聴取を受ける羽目になったのだが、証拠の力と言うのは強力で、後日、男たちは余罪がわんさか出てきて退学処分となった。
聞いた話では警察にもお世話になったのだとか、大人しく大人になればいいものを、と美優希は心の中でほくそ笑んだ。
これによって、美優希の傍にいると安全だと思った女の子数人と、友達になることができ、クリステルとも友達になった。
陽でも陰でもない、陰寄りの女の子たち、要するに日和見女子、それはそれで、社会で生き抜くための知恵だから、美優希は否定しない。
誰がウイルス持っているか分からないのに、病気になって留年するのが嫌だから、と言うもっともらしい美優希のマスクをする理由に感化され、美優希を中心としたグループはマスク女子と呼ばれた。
美優希はただで侍らせるつもりはない。
白いだけのマスクの上に、デニム等の生地を張っておしゃれにする、所謂デザインマスクを提案し、デザインを任せた。
コンセプトを『おしゃれにしっかり予防、しっかり予防におしゃれを』とし、ジャストライフゲーミングの選手とつながりがある事を明かしてしっかりとやらせる。
インフルエンザが怖くなってくる十二月ということもあって、美優希は自身の拡散力と資金力、一義のアドバイスを使って、おしゃれマスクを近くのアパレルショップと生協に委託販売をするようになった。
そうすると飛ぶように売れ、遂には大手アパレルショップが動き、美優希とクリステル以外は一年生でありながら内定をもらって、本社でアルバイトするようになったのだった。
入社してきた人が幸せになれるように、一義がなぜそんなことをするのか、これでようやくわかった気がしている。そして、ブラック企業と言う存在がありがたいということも。
人はいずれ慣れが出てくる。幸せなことにも慣れてしまう。
しかし、比較できる人や物があると、慣れてしまってもその下がいることで、感じ直すことができる。ただ、それで傲慢になってはいけない。
「片岡さんはすげーな」
「私も就職先が決まってる身だから」
「だとしてもだよ。あの女の子たちはイキイキしてるじゃんか」
美優希と話すように、友達になった女の子たちは、美優希が来るのを待っているのか、食券を机に置いて話をしている。
「これは私のお父さんの教え、傲慢になるな、傲慢になること以上に、恥ずかしくて寒くてかっこ悪くてブスな人はいない」
「なるほど、この親有りてこの子有り、いい人じゃないか」
「お父さんを嫌いになった事なんて一度もないわ。昔から大好きなままね。ファザコンなんて言われても、その通りだから、昔から気にしてないわ。気にして遠ざけたら、損しかないもの」
食券を買い、待ってくれている人たちの下へ行こうとする。
「損しかない、か」
「そうよ、せめて家族は大切にしなさい。気付いたらいなくなってるのよ」
「そうだな。な、俺も一緒に食べちゃ、ダメか?」
「元陰キャがあの黄色い世界に入って耐えられるの?」
「意外といけるかもしれないだろ」
後悔しても知らないからね、と啓を茶化しつつも、美優希は彼を輪の中に入れた。
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