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【2】

6、朝の支度

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「うん、出来た」

 視界の下でふわふわと動いていた蜂蜜のような光沢こうたくをきらめかせる髪は、あっという間に頭上へ。
 あぁ、にくい。人によって違う成長期が、心の底から憎く思う。
 そしてなによりも、目の前の人物に確認したいことがある。

「・・・クリストフ。コレ、毎朝、する気なのか?」

 自分の制服のえりをつまんでみせる。
 どうやらクリストフは今日もまた、俺が着込んだ制服のネクタイやらの身嗜みが気になってしまったらしい。
 俺もつい、そのまま流れるように受け入れてしまったが、制服が整えられていくと同時に、段々と今の状況の違和感に気づいた。

「うん? 珍しく神妙しんみょうな顔して、どうしたの?」

 クリストフは鼻歌でも混じりそうなぐらいご機嫌な声で俺の問いかけに応えたが、答えになっていない。
 小さな頭痛とともに俺の口からは大きなため息がこぼれかけそうになるが、無理やり飲み込んだ。
 たしかに、クリストフは小さい頃から俺になにかと世話をやくことが、一つの遊びのようなところがあった。主人と従者が逆、でもそれは子どもだからであって許容されること。
 寮での生活がはじまった現在いまはむしろ、独り立ちができるようになる訓練のひとつとして、自分で身だしなみを整えることは寮生にせられた所作のひとつのはず。

「多少の曲がりは仕方がないだろ。どうせ、動いている内にまた曲がるだろし、そのたびに直すつもりかよ」

 ほら、面倒だろう?
 そう言うつもりで、両手を広げて肩をすくませ笑って見せる。
 これは”大人の余裕の笑み”ってやつだ。
 どうやっても落ち着いた行動を俺ができるワケはない。冷静に考えてみればわかることだ。これは”中身が大人”の俺だからこそ、冷静に指摘して実行できることである。

「それはたしかにそうだね」

 まさか、こんな完璧までの俺の返しが・・・世話焼きに拍車をかけることになるなんて、予想できるわけがない。

「そこまで考えていなかったけど、させてくれたら嬉しいな」
「んん!?」

 言葉にならい驚きの声が出る。
 目の前には陽射しを反射する水面みなものごとく、キラキラとしたまばゆい輝きを放つクリストフ。

「それに、他の誰かに直されるぐらいなら、僕は喜んで直すよ」
「よ、喜んで……?」

 ぐらりと地面が揺れる感覚、膝が崩れ落ちそうになる。
 完璧に墓穴を掘った。なにが、なにが悪かったんだ?
 なにをそんなに楽しそうなんだ、お前は。頭が痛くなってきたぞ。
 気のせいではない本格的な痛みとなってきた頭痛にひたいに手を当ててまぎらわす。

「あぁ、そうだ。アルード、一応、伝えとくけど」
「あ? なんだよ……」

 こうなってきたら、野となれ山となれという心持ちになってくる。
 俺は何度も重ねてきた諦めの境地という疲労感に覆われていた。

「これから学校内で、アルードに親切にしてくれる人に出会うと思うけど、悪い人もいるから気をつけてね?」
「はぁ? なに言ってんだよ」

 あらためて何を伝えたいのかと思っていれば、至極真面目な顔をしたクリストフ。
 わかりやすく怪訝けげんな顔をしているだろう俺の顔を見てもなお、クリストフは言葉を続ける。まるで子供に言い聞かせる親のように人差し指を立てているところがより気にくわない。

「もちろん、心根が正しい人もいるけど。すぐに信じちゃダメだよ」
「当たり前だろが」
「たとえ、珍しいお菓子とか、大好物のマンジュウをあげるって言われてもダメだからね」

 ダメ押しと言わんばかりの言葉にぷちん、と体の中で何が切れた。 

「おまっ! 俺のこと、いくつだと思ってんだよっ!!」

 朝一番で大きな声が出た。
 寮は王立で、王都の建物で、きっと作りは最高級に違いない。だから防音に優れているはずだ。いや、そんな周囲の影響よりも、なによりも伝えるべきことがあった。腹の底から声を出し切ってゼェゼェと息を切らしながら見上げる。
 クリストフは俺の大声にびくりともしていなかった。むしろ、無くなった酸素を取り込むように肩を上下させている俺を見て、不思議そうに俺の質問に応える。

「え? 今年で13歳、でしょ? 僕と同い年だもの」

 クリストフは目を何度も瞬かせて、こてんと首を傾げた。

「そうだけど、そうじゃねぇ!!」
「ふふっ。アルードは本当に朝から元気だね。あ、ほら、また乱れてるよ」
「え、あ、ありが……」

 クリストフからスッと伸ばされた手が俺の前髪をく。
 すこしこそばゆい感覚と、慣れきった距離感。

「はっ! だから・・・」
「うん?」

 またしても受け入れてしまった自分に苛立ちながらも、抗議の声をあげるために見上げ、口をひらいて・・・閉じた。

「もう、いい。勝手にやってろ」

 間近に見えるクリストフの最上級の笑みを見て、黙らずにいられる人間がいるなら、ぜひ、その極意を教えてほしい。

「もちろん、任せて」

 こうして、クリストフが毎朝、俺の身嗜みを整えることが決まった瞬間だった。
 子供の頃からはぐくまれてしまった世話焼きの性分がうずいて仕方がないのだろうと思いつつも、悪くないと思う自分がいる。

「あー。腹へった」
「今日の朝ごはん、なんだろうね」

 相変わらず静かに、でも楽しげなクリストフの声を聞きながら寮の部屋を出た。
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