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【2】

1、入学式

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 青々とした緑の香りが開け放たれた窓から室内に流れ込んでくる。

「王都はもっとホコリっぽいと思ったが、意外とそう変わらないのかもな」
「アルード。こっちに集中して」
「へいへい」

 王立試験直後に起きた襲撃事件により、俺の視力は著しく低下した。そのため王立学園に通うことについて、クリストフを除いて、周囲は難色を示していた。
 当然である、ただの使用人ならいざ知らず、主人の世話も護衛も満足にできない従者などを同伴させる意味はない。

 ハイマン家の心根の優しい部分を突けば、無理やり通うことはできるだろう。だが、それでは周囲を敵に回すだけで、俺自身もクリストフを守るどころか、お荷物になる。
 それは業と対価を気前よく払っただけで、俺は勝てていない。ここで負けを認めてしまえば、未来を変えるなどと運命に抗うことなど無理だと言っているも同然。
 ならば、どうすれば説得させることができるのか、まったく思いつかなかった。

 そんな時、異国出身であるタロ老師に巡り合えたことにより状況は一転する。
 タロ老師は、暗闇での活動を主とするシノビであった。それは視力をほぼ失った俺に最も適している武術。教えを乞わない理由がない。

 出会いから入学までの半年間、シノビの訓練を受けた。
 しかし、訓練は想像以上に難しく、容易なことではなかった。今まで主として使ってきた視覚を使わずに戦う。頭でわかっていても、身体が無意識に使おうとする。
 この使う感覚の切り替えを、意識的にできるようにならなければならなかった。

 血反吐が出ようともこの機会を逃してやるものか。
 手に入れれば未来を変える活路を見出すことに繋がり、クリストフから引き離されることもない。
 未来そしてクリストフのことだけを頭に思い描き、日常生活はもとより従者としての護衛力も鍛え上げたことで周囲を納得させ、ダディック様からも入学許可を得ることができた。
 クリストフの後押しもあったようだったが、本人から直接その言葉を聞いていないので、定かではない。

「うん、いい感じだね。似合っているよ」
「そうかぁ?」

 デザインの詳細はわからないが一般的な制服であるシャツとジャケットに、スラックスという組み合わせなので、一人で着替えることができた。
 しかしクリストフは、ネクタイが少し曲がっている、襟がずれているなどと小さいことが気になったらしく、こうして向かい合って整え直されていた。
 その間、頬にふわふわとしたクリストフの髪の毛が触れていた。何故ならクリストフがすこしかかんでネクタイを直していたからだ。

 ・・・なんで、みっちり訓練していた俺の身長が大して伸びなくて、こいつの身長の方がよく伸びてんだよ。と喉まで出かかった言葉は呑み込んだ。

「あっ。これ、けないと授業で困っちゃうでしょ?」

 そう渡されたのはギガネと言われる特殊な魔力加工がされた擬似ぎじ視力補助眼鏡。
 先天性はもちろん、俺のような後天的に視力を著しく低下してしまった者を対象に、現在ある視力の向上と視覚情報の補助を行う。
 これは魔道具科学が発展した他国のものなので、入手が難しい品物らしい。
 クリストフがこの半年の間にいろいろ調べて見つけてきた。実用化も国内ではじめたばかりらしく、かなりの貴重品。それを父であるダディック様に直談判して輸入させたものと聞けば、いつものように拒否の言葉を軽く口にするのは躊躇ためらわれた。ただーー。

「慣れねぇんだよ」

 ギガネを渋々つけると、ぼんやりとした朝霧の世界がクリアになった。近距離であれば、顔の判別も可能になる。視覚に頼らない訓練を受けたとは言え、いろいろある情報収集の中で、視覚情報が手に入れることができるなら使わない手はない。
 しかし、元は視力がよかっただけに目元にレンズが1枚あるへだたりに違和感がぬぐえず、いまだに慣れない。かと言って、レンズから視界が外れてしまえば本来の朝霧の中へと戻ってしまう。
 なんとも言えない葛藤が胸の中でゆらゆらとうごめく。

「ギガネがあると知的さが出るね」

 ほの暗い気持ちになる俺とは反対に、クリストフは楽しげ笑った。
 だが不思議と胸の内に溜まっていたものが消えて軽くなっていく。

「アホか」
「口を開くと、全然違うってバレちゃうけど」
「をい。てか俺で遊ぶな」
「ふふっ」
 
 なんにせよ。人物の顔立ちや所作などの情報収集はしとかねばならない。微々たるものにはなるが、嘘を吐くなどの通常とは異なる行動の有無を判断する材料となる。
 そのため出来うるかぎりの情報収集としては、学園初日は重要だ。

「あ? お前、なんか目が赤くないか?」

 朝霧の晴れた視界に飛び込んできた王立学園の制服を身につけたクリストフは学生とは言え、気品がある。きっと下町で王子様と噂されることだろう。ただ、同じ制服だと言うのに、自分との差が歴然としていて微妙な気持ちになるの致し方がないと言うものだ。
 そして、クリアになったことで気づく2つ目。
 クリストフの小さな異変だ。もし、体調が悪いなら問題である。こういった見た目の変化は隠されてしまえば、声や体温では判断できないから困りものである。

「アルード。近づきすぎだよ」

 考えに集中していた俺をクリストフは静かにひたいを指先で押して離した。体の重心が後ろにずれ、そのまま一歩下がる。

「なんだよ? 仕方がねぇだろ。よく診てやるんだから、文句を言うな」

 従者として当たり前のことを言ったのに、クリストフはため息をついた。そして俺を見ると、子供に言い聞かせるように優しく穏やかな声色で語りかけてくる。

「僕はいいけど。他の人にはその、探究心は控えてね」
「はぁ? これは探究心じゃなくて、俺はお前のことをしんぱ……なんでもねぇよ」

 思わず口走ってしまった言葉のかけらを散らばせるように、口早に別の言葉を投げる。
 クリストフは乱暴に投げた言葉をしっかりきっかり受け取ったようで、唇をゆるやかに上げて笑みをほころばせた。

「うん。誰彼かまわずに見つめすぎないでね」
「そういうことでもねぇだろっ!」

 鏡なんて見なくてもわかる。
 自分の顔全体に熱が一気に広がって熱い。きっと果実のように赤く染まっているに違いない。

 俺は大きな声を出すことしかできず、そのまま入学式へと向かうためにクリストフに背を向ける悪あがきをした。
 
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