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 薄雲のかかる月明かりの中、身を隠すように屋敷を出る一つの影。

「どこに行くつもりだ? クリストフ」
「あ、アルード! なんでここに!?」

 いつもの小綺麗な服ではなく、薄汚れた古い平民服を着たクリストフは俺がいることに驚いたようだった。

「その格好。その言葉。そのまま返すぞ」
「それは、その…」

 わかりやすく言いよどむクリストフに小さく息を吐く。

 忘れていたワケではない。俺はのか、知らなかったのだ。クリストフに起きた”誘拐未遂事件”を。

 継承争いの前に、幼いクリストフの身に起きた事件。
 ある夜、クリストフが屋敷から消えた。それが発覚したのは町の子供が大人たちに助けを求めたことだった。
『クリストフ様がさらわれた』
 民に慕われている領主の子だ、町の人々が協力を惜しむわけがない。数刻も経たずしてクリストフは見つかった。
 ーーその身体に大きな傷を残して。
 犯人は、人々の声と騒ぎで連れ去ること断念した。だが、そのままクリストフを解き放つことは腹立たしかったのだろう。
 事件の詳細は、クリストフが「もう終わったことだから」と言葉少ないに拒んだこともあり、内密にそして厳重に処理された。
 その時はまだ、俺はただの子供で、屋敷の者からもクリストフから聞くこともできなかった。俺にできたのは、知らないなりに、知らないままでいることだった。

 だけど、今回は違う。

「俺が行くから、クリストフは屋敷にいろ」

 理由や状況が分かる。
 クリストフは屋敷で襲われ拐われたのではない。

「でも、もしかしたら僕の勘違いかもしれないし…」
「じゃあ尚更、俺が適任だ。もし、何かが起きた時、誰が俺の言うことを信じてくれる?」

 自分の口角がかすかに上がった感覚があった。
 でも、笑うしかないだろ? こんな、わかりきったこと。

「アルードを疑う人なんていないよっ」

 クリストフの純粋さは、時に自分自身を傷つけてしまう。

「なら、お前の言葉と同等に周囲が信じてくれると思うか?」
「そ、れは…」
「ないよな?」

 どんなにお人好しのハイマン家でも、すんなり信じてはくれないだろう。
 それに、クリストフはただの貴族の坊ちゃんではない。

「周囲を動かす事はお前にしかできないことだ」
「…分かった。でも、絶対、無理しないでね」

 俺の主人は賢く、したたかで強いのだ。 

「あぁ」

 地を強く蹴り、でも軽やかに、風のように走り抜ける。
 向かうはーーー

「おい、早くしろ」
「うるせぇな。分かっている」

 月明かりも届かない夜闇の中、大きな麻袋を運ぶ男が2人。
 どうやら間に合ったようだ。

「よぉ、人攫ひとさらい。なにを急いでる?」

 馬車小屋の上から見下ろす。

「い、やぁ~やぁ! なんだ昼間の坊主じゃないか」
「昼ぶりだな、マカロン屋」

 そう、誘拐未遂事件の犯人はマカロン屋だ。

「こんな夜更よふけに冒険ごっこかい?」
「子供は早く帰った方がいい」
「へぇ?」

 行商人が少々怪しいのは、よくある事だ。ただ、マカロン屋は怪しかった。

 聖職者でもない人間が子供だけに無料で菓子を与える、そして姿を見せない相棒。その理由。
 菓子を与えるのは、子供たちを懐柔し、大人たちの信用を得るため。
 姿を見せないのは、もし疑われ御布令おふれが出たとしても、外に出る役を交代して同一としないため。

 拐うのは簡単だ。子供本人に来て貰えばいい。そっと子供に囁くのだ「君だけにこっそり家族の分もあげよう」「どうせなら驚かそう。そのために夜中、誰にも気付かれずに店まで来るように」と。
 過去のクリストフも、現在のクリストフも不審な動きをしているマカロン屋と子供に気づいたのだろう。だから、疑念の確認と、もし疑念の確信を得たら阻止するつもりだった。

「じゃあ、その麻袋に入った町の子供を返せよ。いまなら黙ってやっててもいいぞ」

 とんと木刀を自分の肩に置く。

「なんのことだか、わからないねぇ」

 へらりと笑った男の目が細められる。

「ガキ1人がなに出来るって言うんだ!」

 後ろに人の気配。
 くそっ反応が遅れた。背中に衝撃が走る。

「ぐっ」

 地面に転がるように降りる。
 前に飛んで身体にかかる負荷を減らしたが子供のやわな身体は、大人の攻撃に耐える事は難しい。たとえ鍛えていたとしても。

「随分、生意気なガキだっ!」

 にぶくなっていた身体はうまく動かせず、ドゴっと地面に上から叩きつけられる。痛みで息が詰まる。

「かっ」
「おい。売り物になるんだぞ。傷付けるな」
「別にいいだろっ見目がいいわけじゃない」

 言い争う男たちの声。

 …俺だって、あの頃のままの”何も知らない子供”じゃない。
 痛みに耐えながらズボンのポケットに手を入れて、目的の物を取り出す。そして爪ではじく。

「おい! なにしてるっ」

 男が荒く声を上げるのと同時に、ピューと甲高い音と赤い閃光せんこうが空に散らばる。

「閃光信号っ」
「クソガキがっ」
「そのクソガキに…もう少し、付き合ってもらうぜ?」

 絶対にこいつらを許したりしない。
 罰は受けてもらう。

 それからどれだけの時間、戦ったのか、正確にはわからない。
 現在いまの俺にできる事は限られている。
 相手に攻撃を与えるというより、足止めに近い無様ぶざまな戦い。ただただ無我夢中だった。


「アルードっ!?」


 気がつくと、目を真っ赤したクリストフがいた。
 いつかの再来である。
 あれから戦い続けた俺は、警備隊が来たこと認識したあと意識を失った、ようだ。それから俺はベットに寝かされて治療を受けたらしい。そのことは身体中から漂う消毒液の匂いで察することができた。

「無理しないでって言ったのに」
「…返事しただけで、約束は、していない」

 俺がそう言うと、クリストフは顔をくしゃりと崩した。泣いてるみたいな、笑っているみたいな。

「変な顔」
「…アルードは、意地悪だ」
「ふん」
「でも優しい…カーヤを、町のみんなを助けてくれてありがとう」

 ぐいっと袖で自分の顔拭ったクリストフは、いつもの落ち着いた顔を取り戻していた。

「…別に、俺は優しくない。クリストフが助けた子供を今回助けないなんて選択、するワケないだろう」
「え? 今回?」
「なんでもない、俺が勝手にやっただけだ」

 うっかり口がすべった。
 けど、怪我による熱の戯言たわごとだと思うだろう。過去、表情に出やすいと言われる自分の顔を隠すように、寝返りを打ってクリストフの視線から逃れる。

「っつー…」

 くそ、地味に痛い。どっか骨にひびが入っている。
 戦いの感覚が抜けないうちに鍛錬したかったが、これでは当分無理そうだ。

「あのね、アルード。僕、決めたんだ」

 痛みと傷の具合にうんざりしている俺の背に、クリストフが静かに語りかけてきた。

「強くなる。大切な、人を守れるように」
「…その前に自分を守れよ」
「うん、分かってる」

 だが少しずつ、未来を変えられているのは事実だ。
 そのことで気が抜けてそのまま深い眠りに落ちた俺は、クリストフがその時、どんな顔をしていたか知らない。
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