ツンデレΩは噛まれたい

齊藤るる

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出会い編

出会い

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ここは獣人保護区の一角、密林。

太陽を遮るように、鬱蒼と木々が生い茂っている。
聞き慣れない鳥の鳴き声。
猿の群れ。
シダ植物の影に隠れた虫。
倒れて朽ちた木にみっちりと生えた苔が、ジャングルの緑を一層深くしている。

そこに一筋、微かに人の踏み跡がある。

それを辿って歩く人間が、ふたり。


「ワーウルフの城まであと少しだ、ハルくん、頑張りたまえ」

「はい…!ぜえ…はぁ…!」

「さすがにそろそろ疲れたかね?」

「そうですね…モリキ教授、お城まであとどれ程の距離でしょうか」

「もうすぐ見えてくるはずだよ」


年齢と疲労を感じさせない、覇気を持つ声で話しているのはモリキ教授だ。
獣人研究の第一人者であるモリキ教授は、ワーウルフ獣人保護区への立ち入りが許されている数少ない人間である。

それに、ぜえ、はあ、と荒く息を吐きながら答えているのは、ハルである。
ハルは今回、モリキ教授の助手という形で調査隊に参加している、獣人類文化研究学部の大学院生だ。


獣人。
ワーウルフ。
姿形はヒトと似ていても、その生態はイヌやオオカミに近い。
進化のどの過程でヒトと道を違えたのか…
そのほか未知の部分が多く、獣人類文化研究学の第一人者であるモリキ教授を筆頭に、現代でも熱心な研究が続けられている。

ハルは幼い時からワーウルフに憧れており、大学院で専攻するほどその存在に魅了されている。その熱意が教授に買われて、今回の調査隊に参加していた。


(獣人…実際に会うのは初めてだ!)

(知識としては知っているけど…実際はどんな種族なんだろう)


やっと会えるんだという希望を胸に、森を進んでいく。


(噂では、ワーウルフの王は変わり者、
王子は美丈夫だけど、クールでとっつきにくい性格らしいけど…)

噂と言っても、テレビのニュース番組等を通じて得た情報だが…

(教授は王様たちと親密な交流があるって話だったな…)


「王様にも王子にもボクは何度かお会いしてるけどね、気さくな方々だよ」


ハルの緊張と疲労を払拭するように、モリキ教授は明るく声を掛けてくれた。


「城に着く前に、休憩をしていこうじゃないか。確かこの辺りに湖があったはずなんだが…」


ハルはあまりスポーツが得意なタイプではない。
身に着けたウィンドブレーカーも、防水登山靴も、今回の調査のために、研究費用から捻出した新品である。
普段は大学院に籠ってPCと睨めっこをしているため、体力は少ない方だ。

道なき道を、数時間以上歩き続けるのは精神的にも参ってくる。精神的にも肉体的にも身体に疲労が濃い。


(リュック重いな…)

(汗で全身びしょ濡れだ)

(カーラーの内側まで汗まみれだ……)


オメガの象徴とも言えるカーラーのベルトの内側に汗が溜まり、べたべたして気持ち悪い。

歩きながらTシャツの襟で額や首の汗を拭ってい内に…


「湖に着いたぞ!」

「わ、すごい…!!」


目の前に突如として現れた、美しい湖。

ジャングルのじっとりとした湿気や密度を跳ね返すような、爽やかな風と、キラキラと輝く水面。

久々に見上げる、どこまでも晴れ渡った青い空。

その湖の向こう側ーー

切り立った岩山の上に、美しい城が建っていた。

青空によく映える、白い石造りの壁、ブルーの三角屋根。童話やファンタジーの世界から抜け出たような芸術的でロマンチックな外観の城だ。

湖、青空、白亜の城。その光景に心が惹きつけられ、ハルは積もり積もっていた疲労が一瞬で吹き飛ぶのを感じた。


「…綺麗だ…」


人の手では到底作り出せない、自然のあるがままの美しさと生命力。それが、人為的建造物である白い城砦に生き生きとした彩りを添えている。

ハルは重いリュックを下ろすのも忘れて、しばし見惚れていた。


「都会に居ちゃ、こんな光景見られないだろ」


ハルの後ろで荷物を漁る教授は、どこか誇らしげだ。


「あれがワーウルフの城ですね?」

「そうだよ。この後、あの城でワーウルフの王に謁見する予定だ」

「そうでしたね。でもなんだか、まだ実感が湧かなくて…この光景は、まるでお伽話の世界のようじゃないですか?」

「はは。ワーウルフがお伽話や神話の世界にだけ住んでいるとでも思っていたのかね?」

「まさか」


ハルは、見晴らしの良い水辺に立ち、遠くにある城に思いを馳せた。

あそこに、自分が追い続けていた答えがある。


物心付いた時から、目指していたその場所。


『大きくなったらじゅうじんぞくのお嫁さんになる!』


幼稚園のアルバムに書いていたその夢が、あと数時間後には叶うのだ。


ーーふわりと頬を撫でる風が、まるで過去の自分を祝福しているかのようでーー


高鳴る胸の鼓動を感じながら、ハルは静かに微笑んだ。



「ハルくん、この容器に水を汲んできてくれ。ここの淡水は沸かせば飲める。景色を肴に、コーヒーでも一杯やろうじゃないか」

「はい!」

「僕はしばらく豆を挽くから、ハルくんは休憩がてら少し散策しておいで」


教授から空のウォータータンクを受け取り、ハルは水辺へ駆け寄った。

そして、透明度の高い水にそっと手を差し入れた。


「冷た…!」


よく見れば、小魚が泳いでいる。

童心に帰って魚影を追っているうちに、岩をひとつ越え、ふたつ越え……


「…なんだ、あれ?」


数十メートル離れた向こう側。

湖に立っている影のようなものがある。


(何かの動物かな…?)


ジャングルに住む野生動物が、水浴びをしているようだった。

小魚と遊んでいるかもしれない。生き生きと飛躍し、水を跳ね上げて遊ぶ巨大な獣。恐らく、頭から尾まで全長二、三メートルはある。

跳ね上がった水が獣の周りにキラキラと舞い上がり、まるで森の主と、水の精霊が戯れているかのような神秘的な光景であった。


(草食動物、では無さそうだ)

(かなりデカい…肉食だったらヤバいな)


見つかる前に、そっとこの場所を離れた方がいいかもしれない。


ハルが、じりじりと後ろに下がった時…


ひたり、と獣と目が合った。


(気付かれた…!?)


野生動物に見つかったら、背を向けて逃げるべきか、否か。


そんな一瞬の躊躇い。


そのたった一瞬で、それは距離を縮めてきた。


「…!!」


巨大な獣は湖水を蹴り上げて跳躍し、こちらを目掛けて駆けてきた。


「うわ……!!!」


ハルは咄嗟に頭部を庇い、顔を手で覆い……

弾丸のようなスピードで巨体にタックルされ…

どさりと、地面に押し倒された。


「…う…?」


頭がクラクラする。

辛うじて頭は地面にぶつけなかったが…
背中の下が硬い。
水辺の、ゴツゴツした小石と砂の感触。

そして…


柔らかいテノールの声。


「見つけた、おれの花嫁…!」
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