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「で、でん……キャッ!」


急に足が床から離れたと思ったと同時に体のバランスが崩れた、
殿下に抱き上げられているのだ。しかも軽々と、片腕で。

「殿下、なんでっ……」
「待ってて、って僕言ったのに、エリシアはどこに行こうとしていたの?」
「そ、れは……」
「まぁこの服と鞄を見たら、大体はわかるけどね。……あれ、手紙があるね」
「あっ」
「“楽しい時間をありがとうございました。お暇させていただきます”か。……ッハ!」

僅かに暴れる私の事など意に介さず片腕で抱き上げたまま手紙を読んだ殿下は乾いた笑みを浮かべた。
赤い瞳に宿る今まで見たことがない鋭さに、彼が怒っているのだと身に染みてわかる。



怖い。
殿下が怖い。



だけど殿下への純粋な恐怖じゃない。
テオファルド殿下に嫌われてしまったと、そう考えることすら、怖い。
出て行こうと身勝手なことをしたのは私自身なのに、殿下に嫌われることがこんなにも怖い。


じわりと涙が滲んだのを皮切りに、それは容易く溢れ返った。


「で、んかっ……ごめ、なさっ……」
「なにが、ごめんなさい、なのかな?」

初めて訪れた殿下の寝室へとたどり着き、殿下は私を抱えたままベッドの淵に腰かけ私を膝の上に置いた。


私に向ける声はいつもと変わらず優しい。
溢れる涙を拭う指先も優しい。
だけどその眼光だけは、ひどく冷たいものだった。


「わ、たし、黙って、ここを出て、いこうと、思って……」
「なんで、黙って出ていこうとしたのかな?」
「だって、殿下が……っ」
「うん、僕が?」
「マ、マイカちゃんに……選ばれ、たらって、思って……」

涙も、しゃくりあげながら思いを吐露することも、止められない。
拭う指先から逃げた涙が、顎先に溜まってポタリと落ちていく。
自分の感情なのに、自分の涙なのに、どうやって止めればいいのかわからなかった。

「僕があの女に選ばれたらって思って、出て行こうと思ったの?」
「っ、は、はいっ……」
「でもエリシアは、あの女に僕を選んでほしかったんでしょ?」
「……っそ、れは……」
「うん、それは?…………教えて?エリシア」


なんて優しく苦しい尋問なのだろう。
なんて甘く強い尋問なのだろう。



抗えない。
逆らえない。
歯向かえない。


この眩しい金髪を
この鋭い赤い瞳を
この優しい低声を
この強い腕の力を
この逞しい肉体を



――――……殿下、あなたを、




「好き、なんですっ……。テオファルド、殿下が……」




滲む視界に映る赤い瞳に柔らかさと、何か違う熱が灯ったのが見えた。


「マイカちゃんにも、誰にも……殿下を、取られたくない、って……思ってしまうん、です……」
「うん」
「私と、ずっと……これからも、ずっと、一緒に食事を摂って、ほしい……」
「うん」
「私にだけ、優しい目を、向けてほし、い……」
「うん」
「エリシアって、優しく、名前、呼ばれ続けたい……」
「うん」
「マイカちゃんと、殿下が、一緒にいるところなんて……見たく、なくて……」
「うん」
「でもっ……っでも殿下に、死んでほしく、なくて……この気持ち、抑えなきゃって、そう思って……だから、ここを出よう、って……」
「ねぇ、エリシア」

涙を拭いすぎて濡れている私の手を、殿下が恭しく持ち上げて自身の頬へと導いて、その手を覆うように自分の手を重ねた。
殿下の頬は滑らかで、手のひらが気持ちいい。
殿下の手の平はかさついていて、手の甲が気持ちいい。

「ヒロインが僕を選べばそれでいいんだよ」
「……っ、はい」
「だから僕のヒロインであるエリシアが、僕を選べばいい」
「え……ち、ちがっ……ヒロインはマイカちゃんで……」
「ううん、違わない。僕の体を育てて、僕の気持ちを奪って、僕の心を作った僕のヒロインはエリシア、君だよ」
「でも……殿下も私も、死んでしまうかも、なのに……」
「エリシア、僕を選んでよ。陳腐なその物語に書かれた筋書きよりも、今目の前にいるここまで育った僕を、エリシアが育ててくれたこの僕を選んで、信じて?」
「……っ」

少しずつ、本当に少しずつ距離を縮めていく。
先ほどの冷たい眼差しは消え失せ、その色の通り熱く私を見つめる殿下がいる。
その瞳に宿る強さが、私が憂うものを一掃してくれるようでコクンと大きく頷いた。

すると殿下は嬉しそうに破顔して頬に触れている私の手に擦り寄った。



「ちゃんと、育ってくれていたんだね……」



感嘆のように漏れたその言葉の後、殿下はさらに顔を近づけ、そうしてそっと唇が触れた。

「んっ……」

触れて、触れ合って、食んで、食み合って、舐めて、舐め合って、――そっと離れた。


「テオファルド様っ……愛してます……」
「僕も、エリシアよりもエリシアを、愛しているよ」


今行ったキスも、向けられる熱い眼差しも、触れられる手のひらの熱も、囁かれる声も、――すべてが私を法悦とさせる。
引き寄せられるようにテオファルド様の胸に顔を当て、その体の逞しさを全身で味わっていく。
それが本当に気持ち良くて、マイカちゃんが誰を選んだのかなんて頭の片隅にもよぎらなかった。




「エリシア。僕に、食べさせて?……………君のことを」




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