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母の呪い、父の呪い ‐レナードside‐②
しおりを挟むその日が訪れたのは、突然のことだった。
いつものように父と2人きりで朝食を食べているとき、普段だったら絶対にダイニングになどこない母が現れた。
歩けなくなった足を必死に動かし、覚束ない足取りで壁伝いしながら母は、笑っていた。
「母さん…」
「アマーリア!君の部屋以外で君の姿を見られるだなんて!今日はなんて幸福な朝なんだ!」
喜々としている父とは対照的に、俺はどんどん背筋が凍えるような思いとなった。―――母の穏やかな笑みを見るのは生まれて初めてだった。
「はじめから、こうしていればよかったのに……どうして思いつかなかったのかしら……」
独り言ちた母の手にはキッチンに置かれたままだったナイフが握られていた。それを見て「ヒッ」と喉から息が漏れ内臓が凍り、指先1つ動かせなくなってしまった。
――――母の穏やかな笑みがたまらなく恐ろしく映った。
「わたし、どうしてこんなに悍ましいところにずっといるのかしら……。悍ましい怪物といて……悍ましい怪物とそっくりなものを自分の腹から産むなんて………」
「あぁ、アマーリア…。ナイフを持つ姿も美しいけれどそれは危ないから私に渡しなさい。部屋まで抱きかかえて送ってあげよう。私がいつものように食事をその可愛らしい口まで運んであげるからね」
父の恍惚とした表情は見慣れたものだった。
母が握るナイフになど臆することなく父は母に揚々と近づいていく。
「帰りたいの。あんた達から逃げて、わたしは帰らないといけないの。……この地獄から逃げ出して、自分の家に……」
「君の家はここだよ。私のもとにいることこそが、君の居場所なんだ。アマーリア」
「わかってるの…。怪物から逃げられないことなんて…。―――だから」
「っ」
ナイフを構え父の胸に飛び込んだ母は勢いそのままに父にナイフを突き立てた。
父は一切の抵抗もせず、むしろそれを待っていたかのように腕を広げて母を迎え入れていた。
ドスッ、と塊肉に包丁を強く当てたときのような音がしたあと、2人はまるで抱き合った状態のまま動かない。――――否、父は確かに母を抱きしめていた。自分を刺した母のことを。
「初めて君から私に近づいてくれたね。嬉しいよ、アマーリア」
「死ね……死ね……死ねぇ…!!怪物め、死んでしまえぇぇ!」
「あぁ、君が私の死を望んでいるというのなら喜んで死ぬよ。しかも君が私の生を終わらす助力をしてくれるだなんて!本当に今日という日は素晴らしい…!!」
胸にナイフを突き立てられているというのに父は喜々として語った。
ヤカグの男は特に体が強靭だ。部屋に籠り切りのひ弱な母がキッチンナイフで刺したところで父にとってはかすり傷程度のものなのだろう。
実際に、床に放られた父の胸に刺さっていたナイフは切っ先が僅かに赤く濡れているだけだった。
まったく痛がる様子もない父のいつもの恍惚な姿に母は狼狽した。そしてその母をドロリとした目で見続ける父が母を抱きかかえた。
「離せ!離せ!わたしに触るな!!化け物!狂人!極悪人!殺してやる!死ねぇ!!」
「アマーリアの元気な姿を見れて嬉しいよ。大丈夫、君の願いは叶えてあげるよ」
暴れる母を容易く抱きかかえたままリビングへと移った父は片手で器用に薬箱を取り出した。
それを見て、父がこれから何をしようとしているのかがわかり、喉から絞り出すような声で父を呼んだ。
「と、父さ……」
1粒の薬を手に取った父は、母に向けるものとは違う穏やかな笑みを俺に向けてきた。
その表情に、母のときに感じたものとは違う怖気を瞬時に感じて、褐色の肌に鳥肌が立った。
「レナード。ヤカグの男にとって、世界はリィタとそれ以外なんだ」
母があげる叫喚の中、父の穏やかな声が恐ろしいほど耳に入ってくる。
「お前にもいつかきっとわかる。半分だがヤカグの血が入っているのだから」
――――……それは未来永劫自分を縛り付ける呪いの言葉だと、そう悟った。
瞠目した俺に一瞥をくれた父は、自分の腕の中で未だに暴れ続け罵詈雑言を浴びせる母のことを愛し気に見つめながら、薬を口に含んで母にだけ聞こえるように囁いた。
「アマ―リア、私と君はずっと一緒だ。あの世だろうとなんだろうと、………逃がしはしない」
嫌がる母の動きすら、もっともっとと求め愛し合っているのかと錯覚するほど、優しく激しいキスをした……―――
ヤカグの人間の墓は必ず人間2人が入る仕様となっている。
男が先に死んだ場合は棺を2つ用意し一緒の墓に埋めるが、女が先に死んだ場合は大きな棺は1つだけ用意する。
それはリィタを失った男が漏れなくすぐに後を追うからだ。
シングルベッドほどの大きさの棺に眠っているように両親が寄り添って横たわっている。
穏やかに寄り添う2人など見たことがなく、見れば2人は手を繋いでいた。
“鎖”だ。
そう思った。
―――……あぁ、母は父から逃れることなどできなかったのだな…。
2人の骸を見てそう思ったと同時に、自分の中に宿るヤカグの血への嫌悪が生まれた。
俺は父のようにヤカグの男のように女性を支配したくもないし、リィタに支配されたくもない。
父のような愛情とは名ばかりの歪んだ執着心など絶対に持ちたくない。
母のような不幸な女性を、少なくとも俺自身は作りたくない。
この先、万が一にも俺の前に俺のリィタが現れたとしても、絶対に自分のモノになどしない。
1人で棺の上に土をかぶせながら、固く固く心に誓ったのはまだ10にも満たない年の頃だった。
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