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「店主」③
しおりを挟む「おはようございま~す…」
「あぁ、おはよう。朝食できてるぞ。今朝はフレンチトーストだ」
「わーい!嬉しい!急いで顔洗ってきますね!」
「焦らなくていいからな。髪はあとで俺が梳かしてあげるからそのままでいいよ」
「はーい!」
レナード様との奇妙な同居が始まって数日が経った。
家族以外と住むのは初めてだが、レナード様との暮らしは快適以外のなにものでもなかった。
私は家事がそこまで得意ではない、というよりかなり苦手なのだが、レナード様はその屈強と妖艶さに似合わず家事がお得意のようだ。茶色のエプロンをつけて朝昼夕の食事の他におやつも作ってくれたり、掃除洗濯やたまに仕事の手伝いもしてくれるのだ。
無理に住まわせているのだからこんなことしなくていいと何度も言っているのだが、「好きでやっているんだ。むしろ何もしないほうがストレスが溜まってしまう」と言われてしまったら何も言えない。
しかもレナード様の作る料理がこれまた美味しい。
掃除も丁寧だし、洗濯を畳むのだって綺麗だ。いろいろ枯れ気味の私は下着を見られることもすぐに慣れてしまって、レナード様の圧倒的お母さん力に既に陥落したと言っていいだろう。
たった数日でレナード様がいなかった頃にもう戻れないとさえ思ってしまっている。
では、本来の目的のほうはというと……
「全っ然ダメだぁ……」
思わず1人きりとなった工房でひとりごちた。
そう、全然ダメなのだ。
レナード様の不眠治療は全く改善されていない。
レナード様用の枕ももちろん作ったし、それ以外にうちの快眠グッズを使ったり、睡眠に効果のある食材を使って食事をしたり、とにかくいろいろ試してみたけれど効果はまったくない。
それ以外にベッドも変えてみた。
初日はその日だけのお泊りとして私の部屋の広いベッドを貸したけれど、少しの間一緒に住むのであれば話は別。
早々に客室のベッドをマットレスも含めてすべて変えたが、結果としてそれも意味がなかった。
レナード様は相変わらず赤ちゃんプレイの悪夢に悩まされている。
隣の部屋でその苦しむ声は夜な夜な聞こえてきてしまう。
ただ呻き声をあげるだけのときもあるが、寝言は多種多様だ。
「よだれ掛けをつけるな」とか
「哺乳瓶などいらん」とか
「オムツなんて断固としてしない!」とか、本格的な赤ちゃんプレイを夢の中で強いられているとわかるときもある。
あるときは「ミルクなんて飲まないからおっぱいを仕舞え」と言っていて、レナード様から“おっぱい”というワードが出たことに表現し難い気持ちとなった。
そして思う。
―――夢の中でレナード様に赤ちゃんプレイを強いているのは誰なのだろう、と。
だけどそれを本人に聞いたとしても答えが返ってくるはずがない。だってレナード様は自分が赤ちゃんプレイの夢を見ていることすら知らないのだ。
レナード様に赤ちゃんプレイ悪夢のことは伝えていないし、伝えるつもりもない。
伝えたところでマイナスしかないからだ。
悪夢のほとんどは強いストレスから派生している。そんな人にさらなるストレスと羞恥心を与えるわけにはいかない。
何故悪夢が赤ちゃんプレイなのかは気になるところだが、それを私がいくら熟考しても意味がない。
悪夢を見ない方法とか、安眠のための策、ではなくてレナード様が抱える無意識のストレスをどうにかしてみようと考えた。
そう思ってレナード様の趣味を聞けば「強いて言うなら最近は料理」と言われてしまい、それは毎日やってもらっているし、適度な運動が良しとされているが仕事で運動は十二分に行っていただろう。読書や歌劇鑑賞などは嫌ではないが特段好きでもないという。
体の疲れを癒すために安直にマッサージに行ってもらったり、私もマッサージをしてみたりしたが結果はいつもと同じ、赤ちゃんプレイ悪夢だ。
完全に行き詰ってしまった…。
だけどレナード様は私を叱責することなど一切なく、1つ1つに付き合ってくれた。効果がまったくなかったことに私が落ち込む前に謝ってくれて、そのうえ私にお礼まで伝えてくれるのだ。
「ありがとう、店主。あなたが俺を思っていろいろ策を考えてくれているということだけでも俺は本当に嬉しいし、救われるような気持ちだ」――――…と。
レナード様は、いつの頃からか私のことを「妹君」から「店主」と呼ぶようになっていた。
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