第六監獄の看守長は、あんまり死なない天使らしい

白夢

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50 心ばかりの黙祷を

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 矯正長とは、そこまで深い関係があるわけではない。
 ずっと俺にとっては、ただの上司に過ぎなかった。

 その正体というか、官吏との関係を知ってからも、一緒に食事をとか、そこまで砕けた間柄ではない。

 というかちょっと怖かったし。


「……」

 思い出した。

 確かに矯正長は、「私を殺す気か」と。
 そう受話器越しに、俺に怒鳴った。


「……心中」

 そうだった。
 俺はいつも、官吏の手の平の上。

 つまりそう、俺の考えもその行動も、何もかも知られていて、理解されている。


 俺は把握していない。官吏のパイプも、その力の全容も。
 だがどうやら俺は、それを過小評価していたのかもしれない。

 比喩でもなんでもなく、この国全部と心中できるような力を、官吏は持っていたのかもしれない。


 俺は自らのデスクに眠るように伏した矯正長の首筋に触れて、すぅと小さく息を吸った。

 横向きの頭と視線が合った。
 虚ろな表情。半開きの目は濁り、口元から溢れた唾液が濡れている。

 争った形跡はない。
 足元にワイングラスの破片が転がっている。

 俺は瞼に指を添えて、まだ柔らかい皮膚を動かし、目を閉じさせた。
 眠っているように見えた方がいい。後から見つける奴の気持ちを考えれば。


「……お疲れ様でした、矯正長」

 帽子を胸に抱き、一礼する。せめて最期くらいは礼を尽くしたい。
 俺にその資格があるかどうか、分からないが。
 

 矯正長はどうやら俺の一挙手一投足を謎の方法で監視していた上に、敵か味方か分からない、というか、どっちかというと敵だと思っていたので、どちらにせよ殺すつもりだった。

 俺が死なない以上、俺に殺されないことは不可能なので、結末は同じだ。
 だが、経過は変わった。

 彼を手にかけることがなくて良かった。
 少なくとも、俺の気持ちは、そうしたであろう後よりはマシだ。
 


「……ヴァンプ」
「……」
「おいヴァンピール! 仕事だ!」

 天井の影が揺れる。


「恐らく要人が何人か死んでる。今、政府機関は大混乱してるはずだ。俺は今日退職届を叩きつけて、片っ端から囚人共の檻を開けて回る。お前ら、戦えるのは何人だ?」

「今は、学校一クラス分くらいかナ」
「人外同士の会話だ。人間の尺度を持ってくるな」
「ごめんなさイ」

 ヴァンピールは真摯に謝罪する。


「ヴァンプ、敵にヴァンピールはいるのか? 427以外にも、お前らを狙っている奴がいる、みたいなことを言ってたが」

「いるヨ。でも脅威にはならなイ」

「問題ないってことだな? なら、なるべく早く連合との国境に向かいたい。今は指揮系統が混乱してるはずだ。連合国との間の国境に近い関所がある。そこを落として、ヴァンピールを配置しろ。できることなら、秘密裏に落とせ」

「秘密裏ニ?」
「中にいる奴を噛めばいい。子供じゃないと嫌なのか?」
「……別に、そういうわけじゃないヨ。でも大人の方が、支配しづらいのは確かダ」

「なら殺してもいい。話し合いがしたいならそうしてもいいが、関所は絶対に抑える必要がある」

「連合に亡命するノ? 帝国の方が大きいし、そっちの方がいいんじゃなイ?」

「いや、連合には行かない。亡命するには、お前らは人数が多すぎる。用があるのは国境だ」

「国境?」
「ああ。闇の峡谷があるだろ。あの場所には遺跡がある」

「安全な拠点って、まさか闇の谷なノ?」
「そうだが?」
「えっ……嫌だなァ……」
「は?」

「……だって、あの場所って確かに安全だけど、怖いところだヨ? 暗いし、寒いし、人の住めるところじゃないヨ」

 ヴァンピールは顔をしかめて、もごもごと言い訳をしている。


「お前らは夜の闇に生きるヴァンピールじゃなかったのか?」

「ええ、それはそうだけド……あっ、ほら、お姫サマは人間でしょ、一緒に暮らせないヨ?」

 この野郎、余計な知恵をつけやがって。


 本体だったら軽く痛めつけて立場を分からせてやっても良かったが、影が相手ではどうしようもない。

 俺は矯正長の腰からマスターキーを盗んで、自分の鍵束に加えた。


「……安心しろ、少しは快適にできる方法がある。今は忙しいから、後で説明するが。とにかく、俺が監獄で暴れ回るから、お前らは静かに進んで、砦を落とせ。いいな?」

「分かったヨ。みんなにお願いしておくネ」


 俺は部屋を出ようとして、矯正長が何かを書きつけているところだったということに気が付いた。

 恐らく遺書だろう。
 隠すように倒れているところからして、もしかしたら俺に見られたくないものだったのかもしれない。


「……」

 だが、もしそうなら猶更確認しなければならない。
 俺は体の下から、奪い取るようにして書類を引っ張り出し、広げた。


 それは白い紙だった。
 とりあえず、正式な書類じゃないことに一度、安堵する。

 その紙には、小さな文字で、二言だけが書かれていた。





『兄さん

 会いたかった』




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