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26 ありふれたモノローグ(前編)

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 ……俺は、427を閉じ込めた独房に辿り着いた。

「……おい427」

 俺は低い声で言ったが、427は特に動揺を見せない。


「看守様、おかえりなさい」

 427は壁に体をもたせかけ、本を読んでいた。
 簡易な背表紙、『科学論文集』427がパタンと本を床に置く。『幻世における生命体の存在方法』ハラハラとページが捲れる。


「……何してる?」
「看守様にゆわれたから、本、読んでた」
「俺がいたときに借りたのとは違うだろ」
「うん」

「他の看守と外に出たのか?」
「うん。だめだった? ごめんなさい」

 別に咎めるようなことではない。
 新しい本が欲しくて、通りかかった看守に声をかけた。そしてその看守は427のために独房を開けてやって、再び戻した。


「……お前、新人の事務員に会ったか?」
「看守さん?」
「ああ。若い女だ」
「うん、会ったよ」
「何かあったか?」
「427に、アイスクリームをくれたの。看守様からだって」
「アイスクリーム?」
「うん。でも、本が汚れちゃうから、また後で持ってくるねって、それだけ」

「本当か?」
「なんで?」

 427は顔を上げて、俺の方を見た。
 不安そうな表情。そして彼は本をその場に残して立ち上がり、俺の手を握る。


「看守様、怒ってる?」
「俺が? そう見えるか?」
「……ごめんなさい」
「……」
「ごめんなさい、ごめんなさい看守様。嫌いにならないで、ごめんなさい、捨てないでください、悪い子でごめんなさい」
「……」

 死刑囚が精神を病むのは死刑囚の勝手だが、面倒を見るのは看守の仕事だ。
 俺は正直、発狂した囚人は好きじゃない。


「俺はあるヴァンピールから話を聞いた。お前の話だ」
「……」

 427は俺を見ている。話を聞いているのかは分からない。

「お前が悪魔を召喚して、その悪魔を殺したって話だった」
「……」
「全部が真実だとは、俺も思ってない。だが話を聞いた以上、真偽を確かめる義務がある。全部が嘘だとも思ってない」
「……うん」

 思ったより427は取り乱さず、むしろ冷たく酷薄な視線で俺を見ている。


 まるで全てを肯定するかのように。
 それがなんだと言わんばかりに。

 ……いや、気の所為かもしれない。そうに違いない。


「来い」

 俺は427の手首を掴み、引っ張る。

「……止めたほうがいいよ」
「なんで?」
「外は危ないでしょ」
「なんでそう思う? いつも出てただろ」
「看守様、ゆってたよね」

 427は感情を見せない声色のまま言う。


「ゼンリョクのヴァンピールを殺せるって」

 ガンッ、と激しく独房の扉が叩かれる。
 反射的に振り向く。扉が歪む。


「……そのヴァンピール、何人までなら殺せるの?」


 真鍮の弾丸が頬を掠める。
 暗い色の瞳、既に正気を失った声音。

 見覚えのある制服の袖が、扉の端に見える。


「427。何が起きてるか、説明できるか?」
「吸血鬼に噛まれた人は、吸血鬼になるんだよ。知らないの?」

「でもお前らは吸血鬼じゃないだろ。ニンニクも食うし、十字架も平気だ」
「だけど銀の弾丸で死んじゃうよ」
「銀でも金でも、弾丸打ち込まれれば大抵の生物は死ぬんだよ」


 俺は外れそうな扉を、内側から抑えて時間を稼ぐ。


「なんで武器を使ってる? 知能がないんじゃなかったのか?」
「看守様だって使えるでしょ?」

「元の人格に依存するのか? じゃあやっぱり此奴らは……」
「そうだよ。ヴァンピールの血は感染するんだ。絶望と同じように」


 だが、いくら看守だとしても、さすがに自動装填装置付きの銃は持ち歩いていない。

 装備は実弾の銃とテーザーガンが一丁ずつだ。弾の数は知らない。

 看守長の俺でもそれは同じだが、複数人から蜂の巣にされたら、多分俺は結構長い間死ぬことになる。
 どちらかといえば僥倖だ。最悪、俺が盾になればこのガキは死なない。


「誰に噛まれた? お前が噛んだのか?」
「……」

 427は暗い目をして俺を見ている。

「ヴァンピールに噛まれたんだよ。ヴァンピールの個体を区別することに、意味があるの?」
「お前か、お前以外か、それを区別することに意味がある」
「……そんなの、どっちでも一緒だよ」
「は? っあ、クソ」

 ガコンッ、と激しく扉が揺れる。
 俺は一瞬よろめいたが、背中で抑えつけて踏ん張り直す。

「どっちでも同じだもん」
「はっきりしろ」
「……しらない」
「お前、自分の立場分かってるか? 尋問されたいのか?」
「分かんないもん! だって、だって427はばけものなんだよ! 僕は、427は、みんなを不幸にする悪魔なんだよ!」
「こんなときにヒスるな、殺すぞ!!」


 耐えかねたドアノブがバゴンと音を立てて外れ、蝶番が壊される。

 凄まじい力がかかり、俺は仕方なく体を捩って扉を諦め、ドア裏でナイフを取り出して構える。



 二人だと思っていたが、飛び込んで来たのは三人だった。

 俺は一人の足をかけて体勢を崩し、鋭くナイフを突き立てて素早く足の腱を切る。
 後遺症を考えるとそれが一番マシだ。


「……」


 ……後遺症?
 ヴァンピールは即刻、処刑だと決まってるのに?



「427、来い」
「どこにいくの?」
「……状況を把握する」

 俺は427を抱き上げ、二人を掻い潜って独房を出た。

 
「どこにいくの?」
「次にその質問をするときは、右か左の好きな方を選んでおけ。選ばなかった方の手を引き千切ってやる」
「ひえっ」
「頭を起こすな」

 体を屈める。避けたテーザーガンの電極が足下でバチバチと爆ぜる音。

 427はビクッと震え、沈黙した。


 角を曲がる。
 壁のスイッチを叩きつけるように押すと、非常用のベルが鳴り響き、通路は格子で閉鎖される。

 追って来た看守は立ち止まったが、闇雲にそれを蹴る。
 頑丈な金属は徐々に歪んでいくが、しばらく時間は稼げそうだ。

「……奴ら、執拗に追ってくるな」
「うん」
「お前を狙ってるのか?」
「うん」
「なんでお前を狙ってる?」
「僕が敵だから」
「なんでお前は敵なんだ?」
「ヴァンピールの敵だから」
「俺がさっき言ったことは、どこまで合ってる?」
「僕は悪魔を憎んでるんだ」
「そうだな」
「それだけだよ」
「他は全部でたらめなのか?」
「全部じゃない」
「じゃあ何が嘘なんだ」
「……」
「……グダグダ考えんな。後でちゃんと吐かせてやるから覚悟しろ」


 俺を追う看守は、そこそこの間、俺の部下をやっていた二人だ。
 俺と特別親しい訳ではないが、ただでさえこの監獄は人手が不足しているので、できるなら殺したくはない。

 大きな音がした。恐らく壁が砕けたのだろう。二人は走って追いかけてくる。

 俺も走って逃げている。速度は拮抗する。
 俺の体力は無限なので、向こうが普通の生物であれば、俺の勝利は揺らがない。


「……」

 だが、らちがあかないことも事実だ。それ以前に、相手が普通の生物じゃない。

 俺は尋問室の扉を蹴って開けて、中に入って施錠して立てこもることにした。


「……また開けられちゃうよ」

 427を降ろしてやると、427はてこてこと狭い部屋を移動し始めた。
 ネジ式のおもちゃみたいな動きに見える。

「問題ない。尋問室の扉は、職員のシェルターより頑丈だからな。看守にとっては」
「……」


 部屋の中央には肘掛け付きの拘束椅子(リクライニング機能付き)が置いてあり、部屋の角に簡易な丸椅子が山積みされている。
 この丸椅子は、看守が休憩用に使うのと、気に入らないことがあったときに床に叩きつけるのと、用済みの囚人の頭を叩き割るのに使われる。

 俺はその中から2つ選んで出してきて、カタンと床に並べて置いた。


「座れ427」
「……」

 427はこちらを振り向き、俺の横の丸椅子と部屋の中央の大きな椅子を見比べる。

 俺がポンポンと丸椅子の方を叩くと、427はそっちに歩いていってカタンと音を立てて座った。


「……」
「何があったか、正確に教えろ。言いたくないならそう言え。黙りと嘘は許さない。いいな?」
「……うん」

「聞かせろ」

 427は、少し戸惑いがちに、俺の方を見て、それから俯き、自分の足の甲を見ながら話し出した。
 暗い色の睫毛は、こうしてみると長くて綺麗だ。
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