第六監獄の看守長は、あんまり死なない天使らしい

白夢

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25 まっちベターざんヒアー

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 職場でヴァンピールの襲撃に遭い、殺されかけたら、普通の人間は心身喪失状態になってもおかしくないということを、俺は594に会ってから思い出した。

「連れてくるのは理解できます。この場所は警備の方に見張られていますし、看守さんのご家族ですし」
「ああ」

「それはどうして、私に世話をお任せに? 管理人さんがいらっしゃるのではないのですか?」
「管理人はいるが、部屋に入れたくない」


 俺は気絶するようにして眠り出した官吏をリビングのソファに寝かせ、額にタクシー代の請求書を貼り付ける。
 
 594は通常、寝室に幽閉されているが、少し鎖を伸ばしてキッチン辺りまで可動域を広げてやったため、官吏の世話をさせるのに不自由しないはずだ。


「この場所では、お前が一番信用できる」

「性奴隷扱いしている殺人犯の死刑囚が一番信用できるなんて、看守さんの交友関係はどうなってるんですか?」
「心外だな。俺はお前のことをお嫁さんだと思って大事にしてるが」
「看守さんは、お嫁さんに首枷と足枷をつけて鎖で拘束して口移しで食料を与えているんですか?」
「そうだ」
「……」

 594は仏頂面で黙り込んだ。
 そんなところも可愛い。


「594、俺は427の様子を見てくる。帰って官吏が死んでたらお前を殺すから、そのつもりでいろ」
「……分かりました。427くんによろしくお伝えください」
「分かった」

 俺は足早に部屋を出て、そのまま427の独房に向かおうとした。


「……看守長!」
「……」

 振り返る。いつかの新人職員だ。
 俺が倒れた時に、駆けつけてくれた、あの怖がりの職員。


「あぁ、お前か……どうかしたのか?」
「看守長、今、お戻りにナラれたのですか?」
「そうだな。用があって外にいた」

 わざわざ俺の部屋まで駆けつけてくるなんて、珍しい。
 監獄からはそこそこ離れているはずなのだが。

「……そうでスか」
「何かあったのか?」

「それが……427番が――……殺しテ……」
「427番が? どうした? 暴れてるのか? あの小さいのが? おい、いくらヴァンピール相手でも、あんなのに看守がやられたのか?」
「……ソンナこと、――ないィですヨォ」
「おい、何言ってるんだお前?」

 よく聞き取れない。
 俺は彼女の肩に手を置いて揺さぶろうとした。

「問題……モンダい、ないです……」
「おい?」
「万事、問題ありませェン」
「……おい、お前様子がおかしいぞ」

 看守はその場で崩れ落ち、俺のことを見上げた。

「看守ちょウ……」

 その眼が鈍く輝く。
 どこかで見たような暗い輝き。

 咄嗟に体を仰け反らせる、彼女の両手が空を切る。
 

「アァ……アア……」

 口元には見覚えのある牙。真っ赤な舌。
 白い頬長い爪細い指。

 俺は躊躇なく胸元の銃を抜いた。
 弾丸は腹を捉えたが彼女は怯まない。

「看シュ……チョウ……」

 獣のように床に這い、俺の足を掴んだ職員は、その細い腕からは想像できないほどの力で俺を引き倒して馬乗りになる。
 俺は容赦なく傷口を抉るように蹴り上げて体勢を入れ替え、強く頭を掴み、激しく床に打ちつけた。


「……たすけテ、ください、カんしゅ、チョウ」

 職員は、泣きながら俺のことを見上げる。

「感染したのか?」
「ア、アァ」
「おい、答えろ!」
「イヤ、いゃ、やめてぇ、いたィ」

 錯乱したように、職員は頭を振りながら俺から逃げようとした。


 ふと思い出す。


 出勤初日だったか二日目だったか、聞いてもいない身の上話を長々と俺に語った彼女は、泣きながら俺にこう言った。


 ――私、昔から馬鹿なんです。

 私はそうしなきゃいけないって分かってても、人を蹴落としたり、傷つけたり、殺したり、そんなことできません。

 だから必死で勉強したんです。

 市井で生きていこうと思ったら、誰かから奪うしかないから。
 時には殺してでも奪い取らなくちゃいけないから。

 だからどうしても公務員になりたくて、必死で勉強して、なんとか監獄に引っかかって。
 それなのに、私の仕事は、罪のない人を殺すことになってしまったんです。

 だから私、どうしてもできないんです、看守長。

 私、死ぬしかないんでしょうか。
 私、なんでこんな国に生まれてきたんですか?
 私、もう嫌なんです。


 知るか。
 と、いうのが、俺の返事だ。


 それだけで堪えたことを褒めてほしいくらいだ。

 お前、よく現看守長の俺に向かってそんなこと言えたな。
 泣くなゴミカス。ふざけんな。


 恐らくきっとこの新人、一種の社会不適合者なのだろう。

 人の気持ちがさっぱり分かってないのか、分かってて無視してるのか知らないが、そういう内情を吐露するのは、昨日今日会ったばかりの俺じゃなく、幼くして亡くした両親の墓前とかにするべきだ。俺ならそうする。


 自分が悲劇のヒロインだと思いすぎだ。俺を巻き込むな。

 悲惨な人生なんて珍しくもない。良くあるだろそのくらい。女の不幸話は父親のガキ孕んでからが本番なんだよ。今からぶち犯して、その不幸話を増やしてやろうか?


 しかし残念ながら、俺は泣きそうにない女を泣かせるのが好きなのであって、泣いている女にわざわざ争いの種を植え付けたりする趣味はない。

 俺はうんざりして彼女を追い払った。



「たスケて、しにたク、ナィでス、たすけて」

 職員はボロボロと泣きながら、汚らしい鼻水を垂らしていた。
 あのときのように。


「……目を閉じろ」
「う、ウゥ、や、やダ、たすけテ、タスけてくださイ」
「大丈夫だ。目を閉じて、落ち着け」
「ァ、あ、アァ、看守、長……ワタシ、わたシ、母を、家族を、支エなきゃ、イケなイんです、おねガイ、看守長、助けテ」
「俺を信じて、会いに来たんだろ? だったら信じろ」

 彼女はホッとしたように、真っ赤な口で少し笑った。
 そして酷く震えながら、ゆっくりと目を閉じた。

「心を落ち着けろ。ゆっくり深呼吸するんだ」
「は、ぁ、あ、はぁ、はぁ」
「ほら、もう大丈夫だ。分かるな?」

 俺は彼女の目を塞いだ。
 涙は半分固体だった。ボロボロと指の間を崩れ落ちていく。


 俺は、反対の手でゆっくりと銃を構え、彼女の口元に触れないように、その先を正確に脳幹に向けた。


「いい子だ」
「ハァ、はぁ、アァ、痛い……」

「痛くない。ほら、楽しいことを想像しろ。母親の誕生日は?」
「ママは……ママは、冬生まれで……雪が好きな人……」

「そうか、きっと美人なんだな。どんな顔なんだ?」

 俺は彼女に、低く穏やかな声で、囁くように尋ねる。
 

「うん、すごく……美人なの。世界で、一番素敵な笑顔……」
「素敵な人だ。どんな風に笑うんだ? きっと、すごく楽しそうに笑うんだろうな。お前に似て、屈託なく」
「そう。ママは……すごく、楽しそうに笑うんです。私の笑顔ハ、ママ譲り……こんな風に目を細めて、口を大きく開けて、あは――」

 弾丸は音もなく突き刺さった。
 彼女はくたりと全身の四肢の力を抜いた。既に絶命していた。

 銀の弾丸は、通常の弾丸よりも小さいせいで殺傷能力が低い。しかしこの距離で正確に脳幹を打ち抜けば、当然、即死だ。
 痛みも恐怖も感じる暇はない。


「……」

 ドクドクと真っ赤な血が部屋の廊下に広がる。
 涙は溶けて液体に変わる。

「『神よ、愛すべき子に光の道を』」


 彼女なら、きっと天国に行けるだろう。

 俺の居場所じゃないが、ここよりずっといい場所だ。
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