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20 苦痛のレガシー

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 苛立ちのままにめちゃくちゃな抱き方をしてしまった。
 まあいいかと思ってるあたり、俺だってもれなくクソ野郎なのだろう。


「……昨日は大荒れでしたね」

 594は掠れた声で呻くように言った。

「どうかされたんですか?」
「別に」
「それが嘘であることをお祈り申し上げますよ」

 理由もなく抱き潰された594は、恨めしそうに俺を睨んだ。


「SMプレイはしてないだろ」

「同じようなものですよ。帰ってくるなり一言も発せず、シャワーも浴びず、無言でベッドに押し倒されたときには命の危機を感じました」

 朝チュンなのにこの愛想のなさがたまらない。
 抱き寄せてキスで口を塞ぎ、舌を差し出すと絡めてきた。

 さっさと済ませようとしているらしい。
 俺の扱いを心得てきている。

 堪らなく愛おしい。一生俺だけ見ていてほしい。
 俺もうダメだな。


「んっ……はぁ。で、何があったんですか?」
「溜まってたんだよ、そんだけだ」

「泣いてましたよ」

 594は、少し躊躇うようにそう言った。


「泣いて? お前が?」
「……看守さんがですよ。気づいていなかったんですか? それとも、恥ずかしいから知らないふりを?」

「俺がねぇ、なんでだろうな」

 俺は体を起こし、タオル片手にバスルームの扉を開ける。


「壊れたみたいに泣いてましたよ。……自殺でも決めたみたいな顔で」

「はー、自殺? 俺が? ちょっと飲みすぎたんだろ」
「お酒を召し上がったんですか? だとしたら、飲まないほうがいいですよ」

 いや飲んでないけど。
 でも飲みたかったのは事実だ。

「俺が死ぬと思ってんのか?」
「昨日、初めて思いました」
「……」


 俺はバシンと音を立ててシャワーの扉を閉めた。

「……」

 ふと振り返り、鏡越しに自分の背中を見る。
 ズタズタに引き裂かれ、切り落とされた翼の傷痕が、今もまだ遺っている。

 しかし、古傷は所詮古傷で、もう血が流れることはない。

 知っている。
 もう大丈夫だ。

 傷は癒える。
 傷は癒える。
 いつか必ず傷は癒える。

 何もしなくていい。
 何もしなくても時間は進む。


 俺はバスタオルで体を拭き、使ったバスタオルを乾燥機に置いた。

「話は後にしろ、仕事の時間だ。さっさと浴びろ」
「……今日は休ませて下さい」
「甘えたことを言うな」

 そう言うと、594は信じられないというように首を振り、怒りと戸惑いを込めて俺を睨んだ。

「あんなに力任せにしておいて? これはレイプですよ、強姦ですよ!」
「ずっとそうだろ」
「それはそうですが、私を人形みたいに扱わないでほしいものです!」
「分かった分かった、つまり今日は寝てたいんだな」
「……そういうあなたは平気なんですか?」
「言ってなかったか? 絶倫なんだ。体力には自信がある」

 そう言うと、594は苦笑いして「そうですか」と言った。

「貴方がいいと言うなら、今日は寝ていることにします」
「じゃあ寝てろ。おやすみ」

 俺は制服に袖を通して、軽く手を握り、開く。
 全身に鈍い怠さが残っているが、気にするほどではない。

 体力には自信がある。
 精神力にも見習ってほしいくらいだ。

「看守さん」
「食べたいものでも?」

「帰ってきたら、何があったのか教えて下さいよ」
「……」

 俺は聞こえないフリをして、部屋の扉を開けた。

「……ミックスナッツが、食べたいです」
「ナッツは駄目だ。俺がアレルギーだから」
「知ってます」
「……気が向いたらな」

 俺は目を伏せてそう言って、彼女の方を見ずに部屋を出た。

 
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