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19 ガラスと虐待
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「うわぁ、すごい! 本当にヴァンピールだ!」
427が騒ぎ出す。
顔を上げると、そこには幼い幼女が入れられた大きな水槽があった。
幼い、本当に小さい。
見た目には3歳か4歳くらいに見える。
427も小さいと思っていたが、その比ではない。
握れば潰れてしまうんじゃないかというくらいに小さい。
そんな幼女は、透明な水槽の中でもがき苦しんでいた。
初めて会ったときの427と同じように、銀の首輪をつけられていた。
それには鎖こそなかったものの、両手首にも銀の枷があり、明らかに皮膚は焼かれている。
427はろくに身動きもしなかったが、幼女は気絶と覚醒を繰り返しながら、苦しみもがき叫びのたうち回っていた。
「――!!」
幼い顔をグズグズに溶かし、硬い床に体を打ちつけ、全身を掻きむしり、少しでも苦痛を逃そうと、痛々しいくらいに泣き叫んでいる。
だが声は聞こえない。
密閉された水槽の中に入れられているからだろう。あまりにも静かだ。
その静けさが、却ってその拷問の凄惨さを物語っている。
血と涙に塗れながら、必死で拘束を外そうと、狂ったように壁に頭や腕を打ち付けている。
血が滲むくらいに枷を引っ張って、呼吸困難になるくらいに泣き喚く。
中から外は見えているかは不明だ。
幼女は体力が続く限り闇雲に走り回っては、突然力尽きてぶっ倒れ、また数秒後に起きる、ということを繰り返している。
「すごい、本当に生きたまま捕獲されてる……!」
427は俺の背中から自主的に降りて、その水槽に駆け寄った。
そしてそのガラスに無邪気に触れた。
そこに、苦しむ同族を慮る様子などまるでなく、ただ純粋に、檻の中のオウムを見るような、無垢な視線を注いでいる。
「……自殺しそうな勢いだな」
俺は近くにいた研究員に言った。
「苦痛のために命を絶つという知能もありません。ご心配なく」
「お前らは本当にいい趣味をしてる。後でビデオを送ってくれ、今後の参考にしたい」
「はぁ……? 何の参考ですか?」
「趣味に決まってるだろ。今後、ヴァンプの女を抱かないとも限らないからな」
「……そうですか」
研究員はドン引きして、ゴミを見る目で俺を見る。
見慣れた視線だ。
「完全に制圧できない以上、こうするしかないんだ。理解してくれ」
官吏は苦笑しながら言う。
「俺は理解してないつもりはないが? サディストの俺をこんなに興奮させてくれて感謝してるよ。俺がロリコンじゃなくて残念だ」
「看守さまぁ、みて、みて、くるしそうだねぇ!」
「……黙れ427、耳障りだ」
「ごめんなさぁい。ねえ看守様は見ないのー?」
「はしゃぐな」
「では開けます」
機械音が鳴る。見上げると、水槽の上部が徐々に下がって来ていた。
つまり、水槽が徐々に開いている。
「ギャアアアアアアアア! アアアアアア!」
それに伴って、とてつもない声量の悲鳴が聞こえた。
臭いは意外にも漏れない。開いているのが水槽上部だからだろうか。
何をしようとしているのか知らないが、幼気な少女がこれ以上泣き喚くようなことにならなければいいが。
427はそんな水槽の隙間をしばらく見つめていた。
しかしある程度まで開くと、突然床を蹴り、水槽の壁に取り付く。
「おい427!」
そのまま427は超人的な跳躍力で、水槽の上部から中に侵入した。俺はそれを追い、同じルートで部屋の中に入る。
「っう……」
案の定、部屋の中は酷い臭いだった。
血と肉、糞尿に汗、どこかかび臭く、発酵したような甘ったるい刺激臭。
全面が鏡張りの上、これみよがしにカメラが設置され、プライバシーなど当然のように全く存在せず、部屋のど真ん中でピクピクと痩せた全裸の幼女が横たわっている。
俺自身も、まさか女の体を見てこんな気持ちになる日が来るとは思わなかった。
とりあえず、ここに594を連れて来て強めに抱きしめたい。
「看守様!?」
427は俺がついてくると思わなかったらしく、ちょっとびっくりしてトコトコ寄ってきた。こんな場所じゃなかったら、ちょっと可愛かった。
「看守様、危ないですよ!」
『何をしてるんですか!? 今すぐ退室して下さい!』
外からスピーカー越しに声が聞こえる。
無性にムカついて、俺はガラスをブーツの裏で蹴った。
「黙れ、427は俺の囚人だ。手の届くところに置く」
『はぁ? ふざけるな、モルモットが調子に乗りやがって!』
「飢えたネズミは、人の腹を食い破って内臓を啜るんだよ。よく覚えておけ」
研究員は怒り狂い、何かのスイッチを押そうとしたが、官吏がその手首を掴んで止める。
俺の経験からすると、あれは水槽内をきれいさっぱり溶かして存在ごと消し飛ばす、素敵な液体お薬の散布スイッチだ。
アレをされると、俺でも激痛にのたうち回ることになり、427と幼女は普通に息の根が止まるだろう。
軽くトラウマが蘇り、ゾワッと背中に悪寒が走る。
『……分かりました、実験の妨害にならないなら……』
不服そうだったが、研究員は俺が存在することを了承したらしい。官吏が何か言ったのだろう。
別に邪魔するつもりはない。その権利は俺にない。
「看守さま……」
「聞いただろ427。好きにしろ」
「でも……」
「言っただろ。気にするな。俺はここでお前を見てるだけだ」
「……はい」
427は不安そうだったが、幼女の方へと向き直る。
「あ、アァ……?」
幼女は427を同族と認めたのか、叫ぶのをやめて427を見つめた。
427が近づいたが、彼女は逃げない。
もしかしたら、助けてもらえると思ったのかもしれない。
「う、うぅ、ひっ、ぐ」
彼女は、しゃくりあげながら427を見つめている。
「……不味そうだなー」
しかし427は、冷たい目をして、不満そうに呟く。
そしてその体に無造作に手を伸ばし、乱暴に押さえつけ、その大腿部の内側に噛み付いた。
「ギャアアアアアアア!!」
突然の痛みから逃れようと、少女は大きな声を上げて暴れ、叫ぶ。
427はまるで容赦なく、そのまま肉を噛み千切った。
傷口の肉は抉れていて、白い骨が見える。少女は痛みのあまり、ひぃひぃと変な呼吸をしている。
427はクチャクチャと肉を咀嚼し、ゴクンと飲み込んだ。
「ぁ……アァァ……」
少女は諦めて大人しくなり、静かに泣き始めた。
「お前、名前は?」
427は冷たい声で尋ねた。
「……うっ、うぅ、う、いたぁい、いたいよぉ」
427は幼女の頭を掴んで持ち上げて、ギリッと睨みつける。
どこか俺の面影を感じた。
やはりコイツと俺は似ているのかもしれない。
しかし同時に相容れないとも感じた。
俺は尋問に悦楽を感じることはあっても、相手を憎悪したことはない。
「答えろ、穢らわしいヴァンピール。名前を言え」
「うあぁ、なまえ……あたしの……? うぅ、あ、アイ、リスです……おねがいです、いたい、いたいの、たすけて……助けてください……」
「アイリス」
「あぅあ」
427は助けを求める幼女を無視し、その頭を再び床に叩きつけるようにして放りだした。
幼女は、自分の味方は居ないと悟ったのか、再び絶望し、蹲って泣き始めた。
「おかぁさぁん、ごめんなさい、ごめんなさい、おかぁさん、おかぁさぁん、いいこにするから、むかぇにきてよぉ……うぇえん、うぇぇん」
「……」
俺はゆっくりと彼女に近づき、跪いて、幼女に手を伸ばした。
「お聞きになりましたか? 知能のないヴァンピールと、意思疎通ができました!」
427は、俺と幼女には目もくれず、水槽の外側に向かって、期待を込めた声で言った。
俺は幼女を見つめて尋ねる。
「……痛いのか?」
「うえぇん、いたぁい、いたぁい、たすけて、たすけてぇ」
「……」
俺は幼女に近づき、そっとその頬に触れる。
涙を流しながら、彼女は俺を見上げる。
「たすけて、おねがい……」
「……」
綺麗な目をしている。
そこには本能も飢えも渇きもない。
ただ純粋な恐怖に満ちている。いっそ理性的ですらある。
しかし俺はそれを無視して、無言で頭を撫でてやるだけだった。
というか、俺にはそれしか許されていない。
「一定程度の知能の発生を確認しました。実験は成功です」
「ありがとうございます! お役に立てて光栄です!」
「うっ、うぅ、ひっく……」
「……」
427に噛みつかれた幼女の傷は、治りつつあった。
その傷口からは、不思議と出血していない。赤い肉と血管が、ひくひくと脈動しているだけだ。
「たすけて……おねがい、おねがい……」
「では確認します。知能をもつヴァンピールは、ヴァンピールに知能を与えることができるのですね」
「はい、その通りです! 僕はまだ幼体なので、完璧に支配することはできませんが、眷属化したので、なんでも命令を聞きますよ!」
427は勢いよく、嬉しそうに宣言した。
特殊能力を使ったようだ。俺は興味ないが。
「ご苦労だったな」
「はい! 貴重な体験をいただき、大変嬉しく思います!」
どうやら、終わったらしい。
俺は幼女から手を離し、立ち上がった。
「今日の実験は終わりか?」
「ううん、分かんない! 看守さま、ご褒美にだっこして!」
「……出たらな」
俺は子供のように甘える427をいなしながら、目の端でしくしくと涙を流す幼女を見たが、そのまま再び水槽の隙間を通って部屋を出た。
「勝手な行動は慎んでいただけると、ありがたいんですが」
「次から気をつける。気が向いたらな」
俺は研究員にそう吐き捨てる。
「……化け物が、調子に乗りやがって」
「……」
それはこっちの台詞だ。
研究員は再び水槽のガラスを閉じた。
それに気がついた少女は、なんとかこちらまで這ってきて、必死で助けを求めてガラスを叩く。
「おねがい……たす、け」
「では、もう一度、面接室に」
「はい、参ります」
427はウキウキで走って行った。
相当嬉しかったのか、俺の方を見もしない。
「……で、このガキはどうする? 俺が預かるのか?」
「処分します」
研究員は、面倒くさそうにそう答えて、シッシと俺を追い払うようにジェスチャーした。
「……あんなに幼い子が、大泣きしながら助けてくれって言ってるのに、お前らは情報だけ搾り取って処刑するのか?」
「職場で楽しそうにしていることでは?」
「俺はロリコンじゃない。仕事をしてるだけだ」
この気に入らないクズ野郎の首を縊って捩じ切れば、世界は少しだけ綺麗になる気がする。
散々化け物だモルモットと嘲笑いやがって。俺がその気になれば全員肉塊にできるのに。
「死なせる理由があるか? 無力化できてるんだろ」
「生かす理由がありませんので」
「ならお前のことも殺してやろうか? お前を生かす理由が、俺にはないからな」
「そうしたいならどうぞ。正義感とやらに目覚めたんですか?」
「やめないか、二人とも」
官吏がやんわりと止めに入るが、俺は無視して言い返した。
「俺はただ、正常なだけだ」
「狂人は、得てしてそう言いますね」
「科学に身を捧げて、人の心まで失った化け物共に言われたくない」
「はぁ。人の心なんて、生まれてこの方一度も持ったことがないモンスターが、それを言いますか」
「止めなさい、二人共。この場で議論を交わしても、何にもならない」
官吏は俺の腕を掴んで制止するが、俺はそれを押し退けた。
「この子がどれだけの苦痛を受けたか、想像できないのか?」
「我々は研究者です。推測はしても、想像はしない」
「研究者である前に、人間じゃないのか? ヴァンピールは人間だ、人間に危害を加えるとしても、かつては人間だった。それをよくもお前らは……」
「拷問が趣味の看守殿が博愛主義だとは、存じ上げませんでしたね。ところで以前、ヴァンピールの排除作戦に参加なさっていたのでは?」
「ああ、命令だったからな。散々実験体だ化け物だと蔑んでおいて、いざとなったら助けてくれって縋ってくる、可哀想な人間を守るための作戦なんだろ?」
「異を唱えなかったのはご自分では?」
「異を唱えれば、俺を初期化するだけだ。昔はよくやってただろ? なぁ? ほらやってみろよ。大脳に高圧電流でもなんでも流してみろ、お前らの都合のいいように作り変えろ。いつかみたいに誰かのミスで俺の理性がぶっ飛んで、お前らを皆殺しにするかもしれないけどな!」
俺は研究員の胸ぐらを掴み、水槽に叩きつけた。
ガラスは割れない。イライラしてるが、力加減は間違えていないようだ。
「止めないか!」
官吏はそんな俺の腕を掴み、引き摺るようにして俺を研究員から引き離した。
俺はそれに抵抗せずに従う。
「俺がヴァンピールを殺すのは、殺すしか止める方法がないからだ。知能もなく、ただ人間に危害を加えるだけの存在を、俺は人間を守るために殺した。守ってくれとお前らが言うから、俺は守るために殺した。でもこの子は違う。知能があり、無力化できてる。なのにあえて殺す。そうやってお前らが犯してきた罪が、ヴァンピールを生むんだよ。これは人類に対する天罰だ。お前らは、天を恐れないのか? 俺の知ってる地獄より、この国はよっぽど混沌としてる」
「くだらない妄想を垂れるのが上手くなりましたね」
研究員は軽く鼻で笑って、立ち去った。
「……」
「……」
俺はギリッと奥歯を噛む。
でも、そんな風に思うこと自体が無駄だ。
「……看守、大丈夫か?」
官吏が心配そうな声音で言った。
まるで俺の味方だとアピールしているようだ。この冷血鬼。暴走した俺を殺したのはお前なのに?
「昔は人間になりたいと願ってた。人間になれない自分を呪ってた。でも最近は、人間になんかなりたくないと思ってる。人間じゃないことを誇りにすら感じてる」
「済まなかった。私は君に感謝しているんだよ」
「その必要はない。俺はお前に恩があるからな。お前と過ごした日々には最悪の思い出しかないが、それでも今という時間を用意してくれた。その恩は返す。人間と違って、俺は義理堅いからな」
「……そうか、それは嬉しいよ」
俺は427の手を掴んで、ぐいっと引っ張った。
427は躓いてびたっと潰れるが、それを持ち上げて担ぎ上げる。
「ああ。せいぜい大切に利用するんだな。どうせ子供は、親の持ち物だ」
「ただ君に幸せになってほしいと、私は今でも本当に思っている」
「俺が人間なんかと仲良くやれるわけがない」
「人間にも善良な者はいる。その子は善良だろう。本当に……実に良い子だ。友達になれるんじゃないか?」
「ああ、良い子だ。俺の友達になるかもな」
「ひゅえっ?」
「でも人間じゃない」
俺は変にドキドキしている427を無視してそのまま大股で歩く。
「君は誤解している。私は、確かにヴァンピールに対して非人道的な扱いを容認しているが、それは人類にとって有益だからというわけではない。ましてや私個人に有益だからというわけでもない。単に無関心なのだ。己に降りかからない火の粉を払う者はいない。だから私は、君は優しい子だと言ったんだ」
「俺は正常なだけだ」
「そうだね……そうかもしれない。こんなに大人しい君が憤慨するのだから、私たちはよほど酷いことをしているのだろう。だが……敢えて言おう、忘れなさい。君は何も気にせず、その子の面倒を見てやってくれ。そうすれば何もかも上手くいく。決して悪いようにはしない」
「……そうだな」
官吏は昔からそうだった。
俺に命令し、俺はその通りに振る舞えば、全て上手く行った。
笑えるくらいに完璧だった。
ナイフを振れば敵の首があった。
手足を動かすだけで舞踊になった。
俺は一度だって失敗したことはない。
ただ言われるがままに生きているだけで、何もかも上手く行った。
「せいぜい長生きしろ」
「待ちなさい、看守」
横を通り過ぎようとしたら、官吏はそう言って俺の顔に手を伸ばし、頬を拭った。
布には血が付いていた。
「例え人類が滅びようと、君が元気であってくれれば、それが一番の幸せなんだよ」
「ほざけ」
振り払って吐き捨てて、足早に去った。
そうすることしかできなかった。
427が騒ぎ出す。
顔を上げると、そこには幼い幼女が入れられた大きな水槽があった。
幼い、本当に小さい。
見た目には3歳か4歳くらいに見える。
427も小さいと思っていたが、その比ではない。
握れば潰れてしまうんじゃないかというくらいに小さい。
そんな幼女は、透明な水槽の中でもがき苦しんでいた。
初めて会ったときの427と同じように、銀の首輪をつけられていた。
それには鎖こそなかったものの、両手首にも銀の枷があり、明らかに皮膚は焼かれている。
427はろくに身動きもしなかったが、幼女は気絶と覚醒を繰り返しながら、苦しみもがき叫びのたうち回っていた。
「――!!」
幼い顔をグズグズに溶かし、硬い床に体を打ちつけ、全身を掻きむしり、少しでも苦痛を逃そうと、痛々しいくらいに泣き叫んでいる。
だが声は聞こえない。
密閉された水槽の中に入れられているからだろう。あまりにも静かだ。
その静けさが、却ってその拷問の凄惨さを物語っている。
血と涙に塗れながら、必死で拘束を外そうと、狂ったように壁に頭や腕を打ち付けている。
血が滲むくらいに枷を引っ張って、呼吸困難になるくらいに泣き喚く。
中から外は見えているかは不明だ。
幼女は体力が続く限り闇雲に走り回っては、突然力尽きてぶっ倒れ、また数秒後に起きる、ということを繰り返している。
「すごい、本当に生きたまま捕獲されてる……!」
427は俺の背中から自主的に降りて、その水槽に駆け寄った。
そしてそのガラスに無邪気に触れた。
そこに、苦しむ同族を慮る様子などまるでなく、ただ純粋に、檻の中のオウムを見るような、無垢な視線を注いでいる。
「……自殺しそうな勢いだな」
俺は近くにいた研究員に言った。
「苦痛のために命を絶つという知能もありません。ご心配なく」
「お前らは本当にいい趣味をしてる。後でビデオを送ってくれ、今後の参考にしたい」
「はぁ……? 何の参考ですか?」
「趣味に決まってるだろ。今後、ヴァンプの女を抱かないとも限らないからな」
「……そうですか」
研究員はドン引きして、ゴミを見る目で俺を見る。
見慣れた視線だ。
「完全に制圧できない以上、こうするしかないんだ。理解してくれ」
官吏は苦笑しながら言う。
「俺は理解してないつもりはないが? サディストの俺をこんなに興奮させてくれて感謝してるよ。俺がロリコンじゃなくて残念だ」
「看守さまぁ、みて、みて、くるしそうだねぇ!」
「……黙れ427、耳障りだ」
「ごめんなさぁい。ねえ看守様は見ないのー?」
「はしゃぐな」
「では開けます」
機械音が鳴る。見上げると、水槽の上部が徐々に下がって来ていた。
つまり、水槽が徐々に開いている。
「ギャアアアアアアアア! アアアアアア!」
それに伴って、とてつもない声量の悲鳴が聞こえた。
臭いは意外にも漏れない。開いているのが水槽上部だからだろうか。
何をしようとしているのか知らないが、幼気な少女がこれ以上泣き喚くようなことにならなければいいが。
427はそんな水槽の隙間をしばらく見つめていた。
しかしある程度まで開くと、突然床を蹴り、水槽の壁に取り付く。
「おい427!」
そのまま427は超人的な跳躍力で、水槽の上部から中に侵入した。俺はそれを追い、同じルートで部屋の中に入る。
「っう……」
案の定、部屋の中は酷い臭いだった。
血と肉、糞尿に汗、どこかかび臭く、発酵したような甘ったるい刺激臭。
全面が鏡張りの上、これみよがしにカメラが設置され、プライバシーなど当然のように全く存在せず、部屋のど真ん中でピクピクと痩せた全裸の幼女が横たわっている。
俺自身も、まさか女の体を見てこんな気持ちになる日が来るとは思わなかった。
とりあえず、ここに594を連れて来て強めに抱きしめたい。
「看守様!?」
427は俺がついてくると思わなかったらしく、ちょっとびっくりしてトコトコ寄ってきた。こんな場所じゃなかったら、ちょっと可愛かった。
「看守様、危ないですよ!」
『何をしてるんですか!? 今すぐ退室して下さい!』
外からスピーカー越しに声が聞こえる。
無性にムカついて、俺はガラスをブーツの裏で蹴った。
「黙れ、427は俺の囚人だ。手の届くところに置く」
『はぁ? ふざけるな、モルモットが調子に乗りやがって!』
「飢えたネズミは、人の腹を食い破って内臓を啜るんだよ。よく覚えておけ」
研究員は怒り狂い、何かのスイッチを押そうとしたが、官吏がその手首を掴んで止める。
俺の経験からすると、あれは水槽内をきれいさっぱり溶かして存在ごと消し飛ばす、素敵な液体お薬の散布スイッチだ。
アレをされると、俺でも激痛にのたうち回ることになり、427と幼女は普通に息の根が止まるだろう。
軽くトラウマが蘇り、ゾワッと背中に悪寒が走る。
『……分かりました、実験の妨害にならないなら……』
不服そうだったが、研究員は俺が存在することを了承したらしい。官吏が何か言ったのだろう。
別に邪魔するつもりはない。その権利は俺にない。
「看守さま……」
「聞いただろ427。好きにしろ」
「でも……」
「言っただろ。気にするな。俺はここでお前を見てるだけだ」
「……はい」
427は不安そうだったが、幼女の方へと向き直る。
「あ、アァ……?」
幼女は427を同族と認めたのか、叫ぶのをやめて427を見つめた。
427が近づいたが、彼女は逃げない。
もしかしたら、助けてもらえると思ったのかもしれない。
「う、うぅ、ひっ、ぐ」
彼女は、しゃくりあげながら427を見つめている。
「……不味そうだなー」
しかし427は、冷たい目をして、不満そうに呟く。
そしてその体に無造作に手を伸ばし、乱暴に押さえつけ、その大腿部の内側に噛み付いた。
「ギャアアアアアアア!!」
突然の痛みから逃れようと、少女は大きな声を上げて暴れ、叫ぶ。
427はまるで容赦なく、そのまま肉を噛み千切った。
傷口の肉は抉れていて、白い骨が見える。少女は痛みのあまり、ひぃひぃと変な呼吸をしている。
427はクチャクチャと肉を咀嚼し、ゴクンと飲み込んだ。
「ぁ……アァァ……」
少女は諦めて大人しくなり、静かに泣き始めた。
「お前、名前は?」
427は冷たい声で尋ねた。
「……うっ、うぅ、う、いたぁい、いたいよぉ」
427は幼女の頭を掴んで持ち上げて、ギリッと睨みつける。
どこか俺の面影を感じた。
やはりコイツと俺は似ているのかもしれない。
しかし同時に相容れないとも感じた。
俺は尋問に悦楽を感じることはあっても、相手を憎悪したことはない。
「答えろ、穢らわしいヴァンピール。名前を言え」
「うあぁ、なまえ……あたしの……? うぅ、あ、アイ、リスです……おねがいです、いたい、いたいの、たすけて……助けてください……」
「アイリス」
「あぅあ」
427は助けを求める幼女を無視し、その頭を再び床に叩きつけるようにして放りだした。
幼女は、自分の味方は居ないと悟ったのか、再び絶望し、蹲って泣き始めた。
「おかぁさぁん、ごめんなさい、ごめんなさい、おかぁさん、おかぁさぁん、いいこにするから、むかぇにきてよぉ……うぇえん、うぇぇん」
「……」
俺はゆっくりと彼女に近づき、跪いて、幼女に手を伸ばした。
「お聞きになりましたか? 知能のないヴァンピールと、意思疎通ができました!」
427は、俺と幼女には目もくれず、水槽の外側に向かって、期待を込めた声で言った。
俺は幼女を見つめて尋ねる。
「……痛いのか?」
「うえぇん、いたぁい、いたぁい、たすけて、たすけてぇ」
「……」
俺は幼女に近づき、そっとその頬に触れる。
涙を流しながら、彼女は俺を見上げる。
「たすけて、おねがい……」
「……」
綺麗な目をしている。
そこには本能も飢えも渇きもない。
ただ純粋な恐怖に満ちている。いっそ理性的ですらある。
しかし俺はそれを無視して、無言で頭を撫でてやるだけだった。
というか、俺にはそれしか許されていない。
「一定程度の知能の発生を確認しました。実験は成功です」
「ありがとうございます! お役に立てて光栄です!」
「うっ、うぅ、ひっく……」
「……」
427に噛みつかれた幼女の傷は、治りつつあった。
その傷口からは、不思議と出血していない。赤い肉と血管が、ひくひくと脈動しているだけだ。
「たすけて……おねがい、おねがい……」
「では確認します。知能をもつヴァンピールは、ヴァンピールに知能を与えることができるのですね」
「はい、その通りです! 僕はまだ幼体なので、完璧に支配することはできませんが、眷属化したので、なんでも命令を聞きますよ!」
427は勢いよく、嬉しそうに宣言した。
特殊能力を使ったようだ。俺は興味ないが。
「ご苦労だったな」
「はい! 貴重な体験をいただき、大変嬉しく思います!」
どうやら、終わったらしい。
俺は幼女から手を離し、立ち上がった。
「今日の実験は終わりか?」
「ううん、分かんない! 看守さま、ご褒美にだっこして!」
「……出たらな」
俺は子供のように甘える427をいなしながら、目の端でしくしくと涙を流す幼女を見たが、そのまま再び水槽の隙間を通って部屋を出た。
「勝手な行動は慎んでいただけると、ありがたいんですが」
「次から気をつける。気が向いたらな」
俺は研究員にそう吐き捨てる。
「……化け物が、調子に乗りやがって」
「……」
それはこっちの台詞だ。
研究員は再び水槽のガラスを閉じた。
それに気がついた少女は、なんとかこちらまで這ってきて、必死で助けを求めてガラスを叩く。
「おねがい……たす、け」
「では、もう一度、面接室に」
「はい、参ります」
427はウキウキで走って行った。
相当嬉しかったのか、俺の方を見もしない。
「……で、このガキはどうする? 俺が預かるのか?」
「処分します」
研究員は、面倒くさそうにそう答えて、シッシと俺を追い払うようにジェスチャーした。
「……あんなに幼い子が、大泣きしながら助けてくれって言ってるのに、お前らは情報だけ搾り取って処刑するのか?」
「職場で楽しそうにしていることでは?」
「俺はロリコンじゃない。仕事をしてるだけだ」
この気に入らないクズ野郎の首を縊って捩じ切れば、世界は少しだけ綺麗になる気がする。
散々化け物だモルモットと嘲笑いやがって。俺がその気になれば全員肉塊にできるのに。
「死なせる理由があるか? 無力化できてるんだろ」
「生かす理由がありませんので」
「ならお前のことも殺してやろうか? お前を生かす理由が、俺にはないからな」
「そうしたいならどうぞ。正義感とやらに目覚めたんですか?」
「やめないか、二人とも」
官吏がやんわりと止めに入るが、俺は無視して言い返した。
「俺はただ、正常なだけだ」
「狂人は、得てしてそう言いますね」
「科学に身を捧げて、人の心まで失った化け物共に言われたくない」
「はぁ。人の心なんて、生まれてこの方一度も持ったことがないモンスターが、それを言いますか」
「止めなさい、二人共。この場で議論を交わしても、何にもならない」
官吏は俺の腕を掴んで制止するが、俺はそれを押し退けた。
「この子がどれだけの苦痛を受けたか、想像できないのか?」
「我々は研究者です。推測はしても、想像はしない」
「研究者である前に、人間じゃないのか? ヴァンピールは人間だ、人間に危害を加えるとしても、かつては人間だった。それをよくもお前らは……」
「拷問が趣味の看守殿が博愛主義だとは、存じ上げませんでしたね。ところで以前、ヴァンピールの排除作戦に参加なさっていたのでは?」
「ああ、命令だったからな。散々実験体だ化け物だと蔑んでおいて、いざとなったら助けてくれって縋ってくる、可哀想な人間を守るための作戦なんだろ?」
「異を唱えなかったのはご自分では?」
「異を唱えれば、俺を初期化するだけだ。昔はよくやってただろ? なぁ? ほらやってみろよ。大脳に高圧電流でもなんでも流してみろ、お前らの都合のいいように作り変えろ。いつかみたいに誰かのミスで俺の理性がぶっ飛んで、お前らを皆殺しにするかもしれないけどな!」
俺は研究員の胸ぐらを掴み、水槽に叩きつけた。
ガラスは割れない。イライラしてるが、力加減は間違えていないようだ。
「止めないか!」
官吏はそんな俺の腕を掴み、引き摺るようにして俺を研究員から引き離した。
俺はそれに抵抗せずに従う。
「俺がヴァンピールを殺すのは、殺すしか止める方法がないからだ。知能もなく、ただ人間に危害を加えるだけの存在を、俺は人間を守るために殺した。守ってくれとお前らが言うから、俺は守るために殺した。でもこの子は違う。知能があり、無力化できてる。なのにあえて殺す。そうやってお前らが犯してきた罪が、ヴァンピールを生むんだよ。これは人類に対する天罰だ。お前らは、天を恐れないのか? 俺の知ってる地獄より、この国はよっぽど混沌としてる」
「くだらない妄想を垂れるのが上手くなりましたね」
研究員は軽く鼻で笑って、立ち去った。
「……」
「……」
俺はギリッと奥歯を噛む。
でも、そんな風に思うこと自体が無駄だ。
「……看守、大丈夫か?」
官吏が心配そうな声音で言った。
まるで俺の味方だとアピールしているようだ。この冷血鬼。暴走した俺を殺したのはお前なのに?
「昔は人間になりたいと願ってた。人間になれない自分を呪ってた。でも最近は、人間になんかなりたくないと思ってる。人間じゃないことを誇りにすら感じてる」
「済まなかった。私は君に感謝しているんだよ」
「その必要はない。俺はお前に恩があるからな。お前と過ごした日々には最悪の思い出しかないが、それでも今という時間を用意してくれた。その恩は返す。人間と違って、俺は義理堅いからな」
「……そうか、それは嬉しいよ」
俺は427の手を掴んで、ぐいっと引っ張った。
427は躓いてびたっと潰れるが、それを持ち上げて担ぎ上げる。
「ああ。せいぜい大切に利用するんだな。どうせ子供は、親の持ち物だ」
「ただ君に幸せになってほしいと、私は今でも本当に思っている」
「俺が人間なんかと仲良くやれるわけがない」
「人間にも善良な者はいる。その子は善良だろう。本当に……実に良い子だ。友達になれるんじゃないか?」
「ああ、良い子だ。俺の友達になるかもな」
「ひゅえっ?」
「でも人間じゃない」
俺は変にドキドキしている427を無視してそのまま大股で歩く。
「君は誤解している。私は、確かにヴァンピールに対して非人道的な扱いを容認しているが、それは人類にとって有益だからというわけではない。ましてや私個人に有益だからというわけでもない。単に無関心なのだ。己に降りかからない火の粉を払う者はいない。だから私は、君は優しい子だと言ったんだ」
「俺は正常なだけだ」
「そうだね……そうかもしれない。こんなに大人しい君が憤慨するのだから、私たちはよほど酷いことをしているのだろう。だが……敢えて言おう、忘れなさい。君は何も気にせず、その子の面倒を見てやってくれ。そうすれば何もかも上手くいく。決して悪いようにはしない」
「……そうだな」
官吏は昔からそうだった。
俺に命令し、俺はその通りに振る舞えば、全て上手く行った。
笑えるくらいに完璧だった。
ナイフを振れば敵の首があった。
手足を動かすだけで舞踊になった。
俺は一度だって失敗したことはない。
ただ言われるがままに生きているだけで、何もかも上手く行った。
「せいぜい長生きしろ」
「待ちなさい、看守」
横を通り過ぎようとしたら、官吏はそう言って俺の顔に手を伸ばし、頬を拭った。
布には血が付いていた。
「例え人類が滅びようと、君が元気であってくれれば、それが一番の幸せなんだよ」
「ほざけ」
振り払って吐き捨てて、足早に去った。
そうすることしかできなかった。
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