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15 油断大敵ブラックアウト

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 この国も、この世界も、何もかも、いつからこうなったのか、俺には分からない。
 昔は良かった、なんて言うが、本当に良かったのかは分からない。

 ただ誰も気づかなくて、ただ今より猶予があって、だから良かったと思うだけで、実際のところは何も変わっていないのではないかと、俺はそう感じる。

 残念ながらそんな老人は、十一年前のクーデターで全滅しているというのが現状だが。


「おい、いい加減にしろ!」

 怒りに任せて怒鳴りつけると、427はヒクッと身を縮こませて頭を庇い、テーブルの下に隠れた。

 場所は俺の部屋、いつものように427に594の手料理を食べさせた後のこと。
 いつもは独房で直に噛ませているのだが、今日は予め採血した血液をボトルに溜めて持って来た。

 毎回噛まれるのには慣れてきたが、ボトルで済むならこちらで管理する手間が省けるので楽といえば楽なのだが、心なしかいつもよりも抵抗が激しいような気がする。


「やめてください、彼は嫌がっているんですよ」

 594が同情して、怯える427を庇う。
 ちょっと調子に乗った427が、594を盾にしてえぐえぐとウソ泣きをしはじめた。

 ちなみに、594は427の吸血状態を見たことがない。直接噛ませるのはさすがにリスクが高いが、ボトルでいいなら594にも手伝わせられるのに。


「594、今すぐそのガキを羽交締めにしろ」
「う、うっ、うぅ」

「俺は別におかしなことを言ってないだろうが。ついさっき医療棟で抜いてきたばかりの血を飲み干せって言ってるだけだ」

 俺は427の腕を掴もうと手を伸ばしたが、427はトコトコ走って逃げ出した。

「いやだ、血なんて飲みたくない!」
「お前は吸血鬼なんだから飲まなきゃ生きられないんだよ」
「看守様の血を飲むくらいなら死んだほうがマシだもん!」

 427は逃げ回りながら、大声で叫んでいる。

「もうさんざん飲んだだろうが! どうせ飲むことになるんだから無駄な抵抗をするな!」
「やだやだやだやだぁ!!」
「おい逃げるな!!」

 俺は427を追いかけるが、427は小さな体でちょこまかと動き回って逃げ回る。
 本当にいつもより抵抗が激しいし、俺の部屋でやっているせいで障害物が多い。

「594と同じ房に閉じ込めてやってもいいんだぞ! 594を噛み殺したいか!」
「いやぁあああ! うわああああ!」

 大泣きしながら狭い独房を逃げ回る427を、594はどっちの味方をすればいいのか決めかねている。

「やだぁ、やだぁ! いやだよ! ゼノさんたすけて、看守さまはひとのみちに外れたことをしている!」
「人間でもないくせに何言ってんだお前は。594、いいから捕まえろ」
「えっ、えぇ……」

 594の返事は曖昧だったが、戸惑いながらも彼女は427に手を伸ばす。
 気を取られた427の首辺りを掴み、俺はついに427を取っ捕まえて組み伏せた。

「やーだー! 看守様のエッチ! 看守様の変態! へんたーい!!」
「おーおー、言ってくれるなこのマセガキ」
「いやあああああ!」
「騒ぐな427、ごっくんしろ。溢したら承知しないからな」
「変態! 変態! 看守様のエッチー! なんで拷問しないの!」
「何が変態なんだ? 適当なこと言って逃げようとしても無駄だって学べ」
「ばかばかばか!」

 じたばたと必死で暴れる427を全身で抑えつけながら、俺は無理矢理ボトルの口を突っ込む。

「んっ、……ん」

 427は最後まで抵抗していたが、血液が口に触れるとすぐに恍惚となり、自らボトルを持って飲み始めた。

「ンクッ、んくっ」

 その表情は、心なしかいつもより幸せそうだ。
 もしかしなくても、この方が嬉しいのか?


「はぁ、はぁ、はぁ……クソが、こっちは採血直後だぞ……ぁあ……クソ、ったく……」

 思わず悪態をつき、俺は床に座り込んだ。


「お前も協力するか? 594」
「えっ」

 彼女は少し離れた場所で、困惑しているようだった。

 
「ったく……はぁ」

 俺はふらふらになりながら、冷蔵庫を開け、少し悩んでスポーツドリンクのボトルを開ける。
 採血の前後は水分補給が肝要だが、聖水を使うほどではない。

「……あの、彼が飲んでいるのはあなたの血なんですか?」
「ああそうだよ。お前も協力してくれるか?」
「私はよく知りませんが、こんなに抜いて大丈夫なんですか?」


 427は大きなボトルを抱え、一滴も溢すまいとしているかのようにその口に吸いついて喉を鳴らしている。


 594は俺を見て不安そうに尋ねた。
 確かにあれだけ抜けば、普通の人間は致命傷なのかもしれない。

「……俺は特殊な体質なんだよ。お前が協力してくれれば、半分で済むんだがな」

「私は駄目ですよ。駄目だと言われたことがあります。それに……死刑囚の血とか、体に良くないと思いますよ」

「献血じゃないんだから、酒と薬が混ざってなけりゃなんでもいいんだよ。死刑囚でも修道女でも、こいつにしてみれば一緒だ」


「ぷはぁ! ふへへっ……おいしー……」

 どうやら飲み終わったらしい427は、手に持ったボトルのキャップを行儀よく閉めて満足そうに呟いた。
 
 その様子はいつもよりも元気なように見える。
 やはり、こうやって飲む方が好きだったりするのだろうか? 吸血感はなさそうだが。

「こっち来い、427」


 ぼんやりして、427は恍惚とした表情で近くにいた594に近寄ろうとしたが、俺はそう言って427を引き寄せて口元の血を拭ってやった。

 真っ赤な鉄の臭いがする。こんなもの、よくがぶがぶ飲めるな。


「んんー……おいしい……あまい……」
「腹は膨れたか?」
「んー……あんまし……」

 あんましかよ、と俺は苦笑いする。いつも飲ませている量よりも少なかったのか、満足感が違うのか。


「もっと、ほしー……」

 427は俺のことを暗い瞳でじぃっと見ている。

「はいはい、ソフトクリームだな。分かってる分かってる、今出してや……る、か……ら?」


 噛まれた。


 深く牙が入る。一気に体温が奪われ、指先が痺れる。

 いつもと位置が違う。確実に神経と動脈を貫く位置、獲物を仕留めるための牙。

 不意を突かれた俺は為す術なくそのまま膝を折って崩れ落ち、全身から力が抜けた。
 さっきの採血が響き、一瞬で視界が引き絞られ、ふわっと浮かび上がった意識が、不自然に引き戻される。


「59、4」

 視界がバチバチと爆ぜる。赤と黒の点滅、舌先まで痺れている。
 恐らく脳幹をやられた。俺じゃなかったら即死だった。


「俺が許可する、俺の、腰に、鍵が、部屋を、看守……誰でもいい……呼べ、俺が……そう言ったと……」

 言えたか言えていないか、分からない。
 あまりにも寒すぎる。指先の感覚がない。

 耳鳴りのように聞こえる、ゴクゴクという嚥下音。

 別にこのまま飲ませてやっても俺は一向に構わないが、下手に理性を飛ばしてハッスルされても、それはそれで面倒だ。


 俺は力の入らない指先を叱咤し、真っ暗なままの視界を手探りに、腰のスタンガンを握った。

「悪いな、427……」

 バチバチバチッ、と腕に衝撃が走る。
 その瞬間、427はぐたっと全身から力を抜いてそのまま気を失った。


「……」

 全快のヴァンピールはスタンガン程度で気を失ったりしないので、そこそこ可愛がってやってるというのに、未だにそれほど元気ではないらしい。

 今回はその健康状態に救われたわけだが、可愛がっている立場からは微妙なところだ。


「……」

 そうこうしている間にも、体から血が失われていく。
 俺は起き上がれず、そのまま床に倒れた。

 427も倒れたまま動かない。
 俺より後に起きればいいが、なんて思っているうち、意識は途切れた。
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