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10 反省プロポーズ
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日課の健康診断が終わるのを待つ間、俺は594と二人で公園にいた。
医者は細い血管に慣れたようだったが、看護師までそうだというわけではない。
任せられるが、時間がかかる。
久しぶりに太陽を見た594は、それだけで嬉しそうで、ベンチの隣に俺がいても、何も言わなかった。
「……」
「……」
彼女は風を楽しんでいるようだった。
柔らかな風が小さく彼女の髪を揺らして彩る。
魅力的な横顔をしていた。
俺は本格的に、この死刑囚に惚れているようだ。
フェイクレザーの首枷は、とても彼女に似合っていた。
手を伸ばし、その手に指を絡ませる。
彼女は何も言わなかった。嫌そうな顔もしなかった。
公園に居たいのだろう。何か文句を言えば、また閉じ込められると思っているのかもしれない。
「594番」
「何ですか」
「俺と結婚したいとは思わないのか? 俺はこれでも、それなりに地位がある。俺と一緒になれば、恩赦の機会もある」
彼女は、聞き飽きたと言わんばかりに溜め息を吐いて、俺の方を見ないままに言う。
「……お尋ねしますが、貴方は私と結婚してもいいとお考えですか?」
「ずっとそう言ってる。愛する人と結婚を望むのは普通だろ」
彼女は呆れたように俺を一瞥し、その価値もないと言わんばかりに空へと視線を戻した。
「貴方はいつも、狂っているのか冗談を言っているのか、分かりかねますね」
「俺が冗談で、愛してるなんて言うと思うか?」
「ではやはり、貴方は狂人ですね」
「否定はできないな」
「……はぁ」
彼女は小さく息を吐く。
「私は死刑囚ですよ。私が言うことではないのかもしれませんが、貴方は被害者の方に対して何も思わないんですか?」
「思わないな。知らないガキが七人死んで、一人怪我をしたってだけだ。子供なんて弱いもの、お前が殺してやらなくたっていくらでも死ぬ」
「……それでも、尊い命が奪われたんですよ」
「命なんてものはない。死んでる状態と死んでない状態があるだけだ」
「何が言いたいのか分かりません」
「分からなくていい。俺は狂ってるんだ、昔からな」
「誰にも理解されないと?」
「ああ」
「……死刑囚に情をお寄せになるなんて、よほど孤独なんですね」
彼女は少し同情めいた声音で言う。
孤独、と言われれば、確かにそうかもしれない。
でももう慣れた。ずっとそうだったからだ。
対処法も簡単だ。鞭を脅しに枷をして、鎖で括ればそれでいい。
「とにかく、俺はお前が好きで、結婚したいと思ってる」
「……私は今、プロポーズされているんですか?」
「そうだな」
「正気ですか? ……いえ、そうじゃないと仰せでしたね」
「狂人と契を交わすのは嫌か? 死ぬより良いだろ」
「お母様が悲しみますよ」
「俺に母親は居ない」
「……それでも、天国にはいますよ」
「天国?」
彼女に他意はなかっただろうが、残念ながら、天国には俺の母親は居ない。もちろん地獄にもいない。
母親なんていたことがない。
「427は可愛いかったか?」
「え、ええ……そうですね。可愛らしい子でしたよ」
「あんな息子が欲しくないか?」
「気持ち悪いことを言わないで下さい。この前も言いましたけど、私は子供を七人も殺しているんですよ」
「それとこれに何の関係がある?」
「直接的な関係があると思いますが。私ならシリアルキラーの母親なんて、絶対に嫌ですよ」
「お前はシリアルキラーじゃなくて大量殺人鬼だろ」
「同じことでは?」
「シリアルキラーは連続殺人鬼で、大量殺人鬼とは違う」
「何が違うんですか?」
「連続殺人鬼は何度も殺すが、大量殺人鬼は一度だけだ」
「……普通の人は、一度も殺しませんよ。たったの一人も」
594は、念を押すように言った。
確かに、言われてみればその通りだった。
ただしこの国において、それが普通とは限らない。
「お前より、俺の方がたくさん殺してるけどな」
「殺人のご経験が?」
「俺の仕事を忘れたか?」
「……あぁ、そうでしたね」
「俺は何度も、何人も殺してる」
594は何かいいたげだったが、俺は彼女の背中に手を回し、その体を抱き寄せてキスした。
「427は、ヴァンピールだ」
「……ヴァン……なんですって?」
「ヴァンピール。吸血鬼って分かるか? それと同じようなものだと思えばいい」
「……吸血鬼って、小説の中に出てくる? ニンニクの嫌いな?」
「ニンニクが嫌いかどうかは知らないが、あの子は、一生実験動物だ。ああして可愛い顔して好き勝手我儘言ってるが、お偉い人間様が一言指示を飛ばすだけで、どんな非人道的な扱いでも受けることになるだろう」
「……」
「一生鎖に繋がれて労働することになるかもしれないし、素っ裸で見世物にされるかもしれない。指先から微塵切りにされて、それこそニンニク料理になるかもしれない。可哀想に、あいつの人生は……この先、地獄を見ながら生きることになるだろう。空腹と苦痛に耐えながら、人間様のために血と涙を流し続ける」
「……何が言いたいんですか?」
「死にたいなんて言わないが、死ぬほど辛い思いをしてるのは確かだ。親に愛されず、空腹のあまり妹を噛み殺したことをずっと引きずって、自分を責めてる。故に427は自分自身を憎んでる。可哀想だろ。なあ。殺してやった方が遥かに人道的だ。そう思わないか?」
「……貴方が何を言いたいのか分かりません」
「俺は聞いてるだけだ。もし俺が好きにしていいと言うなら、殺してやりたいか?」
「……嫌ですよ。少なくとも今は幸せそうなんですから。ずっとその幸せが、続く可能性がある限り……いえ、例え終わってしまったとしても、その先で幸せになれるかもしれませんから。その権利を奪うことは、私には……いえ、誰にも、許されていないんですよ」
「やっぱり俺は、お前が好きだな」
強く抱きしめてキスをする。
いつもより抵抗が弱い。つまらない。
でもそんなところも、可愛いと思い始めている。
「天寿を全うしたくなったら言え。一生俺に嫐られる覚悟を決めてからな」
その体を抱きしめることに、支配欲と同時に安心感を感じ始めている。
女を愛することなんて、随分久しぶりだった。
「行くぞ」
別に、こんな気持ちは初めてじゃない。
一方通行の片思いは、たいてい最悪の形で終わる。
今回だってご多分に漏れずそうなるだろうってことくらい、分かりきっていた。
愛さないように心がけていたつもりはない。でもそうなって、まずいなと感じたのも事実。
だが俺は、もう傷つくことなんて恐れてはいなかった。
傷は癒えると知っていた。
そう、どんな傷だっていつかは癒える。擦過傷も、火傷も、裂傷も、失恋の傷も、虐待の傷も。
必ず癒えて消えてなくなる。
それを知っていた。
医者は細い血管に慣れたようだったが、看護師までそうだというわけではない。
任せられるが、時間がかかる。
久しぶりに太陽を見た594は、それだけで嬉しそうで、ベンチの隣に俺がいても、何も言わなかった。
「……」
「……」
彼女は風を楽しんでいるようだった。
柔らかな風が小さく彼女の髪を揺らして彩る。
魅力的な横顔をしていた。
俺は本格的に、この死刑囚に惚れているようだ。
フェイクレザーの首枷は、とても彼女に似合っていた。
手を伸ばし、その手に指を絡ませる。
彼女は何も言わなかった。嫌そうな顔もしなかった。
公園に居たいのだろう。何か文句を言えば、また閉じ込められると思っているのかもしれない。
「594番」
「何ですか」
「俺と結婚したいとは思わないのか? 俺はこれでも、それなりに地位がある。俺と一緒になれば、恩赦の機会もある」
彼女は、聞き飽きたと言わんばかりに溜め息を吐いて、俺の方を見ないままに言う。
「……お尋ねしますが、貴方は私と結婚してもいいとお考えですか?」
「ずっとそう言ってる。愛する人と結婚を望むのは普通だろ」
彼女は呆れたように俺を一瞥し、その価値もないと言わんばかりに空へと視線を戻した。
「貴方はいつも、狂っているのか冗談を言っているのか、分かりかねますね」
「俺が冗談で、愛してるなんて言うと思うか?」
「ではやはり、貴方は狂人ですね」
「否定はできないな」
「……はぁ」
彼女は小さく息を吐く。
「私は死刑囚ですよ。私が言うことではないのかもしれませんが、貴方は被害者の方に対して何も思わないんですか?」
「思わないな。知らないガキが七人死んで、一人怪我をしたってだけだ。子供なんて弱いもの、お前が殺してやらなくたっていくらでも死ぬ」
「……それでも、尊い命が奪われたんですよ」
「命なんてものはない。死んでる状態と死んでない状態があるだけだ」
「何が言いたいのか分かりません」
「分からなくていい。俺は狂ってるんだ、昔からな」
「誰にも理解されないと?」
「ああ」
「……死刑囚に情をお寄せになるなんて、よほど孤独なんですね」
彼女は少し同情めいた声音で言う。
孤独、と言われれば、確かにそうかもしれない。
でももう慣れた。ずっとそうだったからだ。
対処法も簡単だ。鞭を脅しに枷をして、鎖で括ればそれでいい。
「とにかく、俺はお前が好きで、結婚したいと思ってる」
「……私は今、プロポーズされているんですか?」
「そうだな」
「正気ですか? ……いえ、そうじゃないと仰せでしたね」
「狂人と契を交わすのは嫌か? 死ぬより良いだろ」
「お母様が悲しみますよ」
「俺に母親は居ない」
「……それでも、天国にはいますよ」
「天国?」
彼女に他意はなかっただろうが、残念ながら、天国には俺の母親は居ない。もちろん地獄にもいない。
母親なんていたことがない。
「427は可愛いかったか?」
「え、ええ……そうですね。可愛らしい子でしたよ」
「あんな息子が欲しくないか?」
「気持ち悪いことを言わないで下さい。この前も言いましたけど、私は子供を七人も殺しているんですよ」
「それとこれに何の関係がある?」
「直接的な関係があると思いますが。私ならシリアルキラーの母親なんて、絶対に嫌ですよ」
「お前はシリアルキラーじゃなくて大量殺人鬼だろ」
「同じことでは?」
「シリアルキラーは連続殺人鬼で、大量殺人鬼とは違う」
「何が違うんですか?」
「連続殺人鬼は何度も殺すが、大量殺人鬼は一度だけだ」
「……普通の人は、一度も殺しませんよ。たったの一人も」
594は、念を押すように言った。
確かに、言われてみればその通りだった。
ただしこの国において、それが普通とは限らない。
「お前より、俺の方がたくさん殺してるけどな」
「殺人のご経験が?」
「俺の仕事を忘れたか?」
「……あぁ、そうでしたね」
「俺は何度も、何人も殺してる」
594は何かいいたげだったが、俺は彼女の背中に手を回し、その体を抱き寄せてキスした。
「427は、ヴァンピールだ」
「……ヴァン……なんですって?」
「ヴァンピール。吸血鬼って分かるか? それと同じようなものだと思えばいい」
「……吸血鬼って、小説の中に出てくる? ニンニクの嫌いな?」
「ニンニクが嫌いかどうかは知らないが、あの子は、一生実験動物だ。ああして可愛い顔して好き勝手我儘言ってるが、お偉い人間様が一言指示を飛ばすだけで、どんな非人道的な扱いでも受けることになるだろう」
「……」
「一生鎖に繋がれて労働することになるかもしれないし、素っ裸で見世物にされるかもしれない。指先から微塵切りにされて、それこそニンニク料理になるかもしれない。可哀想に、あいつの人生は……この先、地獄を見ながら生きることになるだろう。空腹と苦痛に耐えながら、人間様のために血と涙を流し続ける」
「……何が言いたいんですか?」
「死にたいなんて言わないが、死ぬほど辛い思いをしてるのは確かだ。親に愛されず、空腹のあまり妹を噛み殺したことをずっと引きずって、自分を責めてる。故に427は自分自身を憎んでる。可哀想だろ。なあ。殺してやった方が遥かに人道的だ。そう思わないか?」
「……貴方が何を言いたいのか分かりません」
「俺は聞いてるだけだ。もし俺が好きにしていいと言うなら、殺してやりたいか?」
「……嫌ですよ。少なくとも今は幸せそうなんですから。ずっとその幸せが、続く可能性がある限り……いえ、例え終わってしまったとしても、その先で幸せになれるかもしれませんから。その権利を奪うことは、私には……いえ、誰にも、許されていないんですよ」
「やっぱり俺は、お前が好きだな」
強く抱きしめてキスをする。
いつもより抵抗が弱い。つまらない。
でもそんなところも、可愛いと思い始めている。
「天寿を全うしたくなったら言え。一生俺に嫐られる覚悟を決めてからな」
その体を抱きしめることに、支配欲と同時に安心感を感じ始めている。
女を愛することなんて、随分久しぶりだった。
「行くぞ」
別に、こんな気持ちは初めてじゃない。
一方通行の片思いは、たいてい最悪の形で終わる。
今回だってご多分に漏れずそうなるだろうってことくらい、分かりきっていた。
愛さないように心がけていたつもりはない。でもそうなって、まずいなと感じたのも事実。
だが俺は、もう傷つくことなんて恐れてはいなかった。
傷は癒えると知っていた。
そう、どんな傷だっていつかは癒える。擦過傷も、火傷も、裂傷も、失恋の傷も、虐待の傷も。
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