64 / 143
07 人智及ばぬ授けもの
異文化交流
しおりを挟む
「狂気の里に、そうと知って迷い込んだ人の子……全く、愉快じゃのう。これじゃからヒトというのは興味深い」
精霊さんは、人の住処を真似て作った、小さな小屋に住んでいるらしい。
外は極寒なのに、小屋の中は不自然なまでに快適だった。
きっと何か魔法を使っているのだと思う。
転がっている家財道具は普通に人間用のものが多く、彼女は思ったより人に近い種族のようだ。
さっき見た精霊族さんは、全然違ったけど……
「さあ、飲むがよい。深淵の水じゃ、人の世では味わえぬじゃろう?」
女の子精霊さんは、わたしにグラスに入った水を差し出してそう言った。
そして自分はわたしの向かい側に座り、同じくその水を飲む。
わたしは、深淵の水ってなんだろう、と思いながら口に含んだ。見た目には透明だ。
甘いような辛いような、中途半端な味がする。
すっごい美味しい海水というのが一番近いけど、それとは違う形容し難い固体めいた旨味を感じた。
「その……さっきの方も、精霊さんなんですよね? 何も、言ってなかったけど……」
「いかにも。そなたのような可愛らしい女子を見て恥ずかしくなったのじゃろう。くく、存分に可愛がってやるとするかの」
「——————」
わたしが瞬きした次の瞬間、そこにはもうさっきのシカツノの精霊さんがいた。
わたしが驚く間もなく、彼は頭をゆっくりと振りながら、女の子精霊さんを背後からつついている。
「おや、来たかの」
やはり、彼はわたしを導いてくれたのだろう。わたしはシカツノさんと目を合わせ、「ありがとうございました」と言った。
「ふふ、なんと肝の据わった幼子よ。人は己と乖離したものを恐るというに、やはり数奇な子じゃの。そうじゃろう、深淵よ」
「————」
「なんじゃ、相手は人の子じゃぞ? せっかく来たのじゃから、挨拶くらいせぬか」
シカツノさんはわたしの方を見て、首を傾げる。そして長い指の関節を緩めてわたしに触れた。
「……ニンげん、……はじめ……マシテ」
「ほぅ、上手くなったもんじゃのう」
女の子さんは嬉しそうに目を細めた。
「我々精霊族は言葉を持たぬ。言語によるコミュニケーションは下等種の仕草と嘲る者も少なくないが、やはり言葉とはよいものじゃのう。人の子と話すのは実に愉快じゃ」
「そうだったんですね……」
「これは深淵の精霊での。なかなか見込みのある子よ。妾が言葉を教えておるのじゃ」
女の子さんは自慢げだ。
シカツノさんはわたしの隣に立って、その硬くて長い指でわたしの頭や頬を突いたり、撫でたりする。
人間、というものが珍しいのだろうか。
「ふむ、あまり乱暴に扱うでないぞ。人間は壊れやすいのじゃ」
「……分かって……イル」
指が触れ合う度に、カチカチと音がする。
本当に乾いたサンゴみたいだ。
どこか痛々しさすら覚える。わたしよりずっと脆そうに見える。
「して、人の子よ。ただ闇雲に歩いて来たとは言うまい? 何故この地へ赴き、精霊の言を望む?」
女の子さんは、机に頬杖をついてそう言った。
その様は本当にただの普通の女の子に見えたけど、その首筋の切れ目は確かに動いていて、細めを開ける。
「世界が、滅びそうだって話はご存じですか?」
「ふむ?」
聞き覚えがない、というように彼女は首を傾げる。
「なんじゃ、魔王でも出たか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
「妾はついぞ耳にしておらぬな、おぬしはどうじゃ?」
「……バランスが、崩れテいる」
シカツノさんは、わたしからスッと離れてそう言った。
不思議なことに、足音もしない。ひゅうという風切り音が時折聞こえる。
「ほう。なんじゃ、人が滅ぶほどかの?」
「……失楽園、追放さレタ者の……末路」
「現世は危機に?」
「ワカらない」
「なるほど、では少し見てみるかの」
女の子さんはそう言うと、おもむろに目を閉じ、上半身に纏っていた衣服を脱ぎ捨てる。
わたしは思わずその体を凝視してしまった。
滑らかな肌には乳首とかヘソとかそういうものが全くなく、代わりに、全身に無数の切れ込みみたいな線が走っていた。
それは一種の呪いのようでもあり、魚の鱗のようでもあった。
そしてそれは、めりめりと音を立てて開いた。
グチュッ、グチュッ。
現れたのは眼球。
それはギョロギョロと周囲を見渡しながら、体の全部を這い回るように移動する。
大きいのも小さいのも、細いのも長いのも、色とりどりの蟲みたいに。
女の子さんは片腕を前に伸ばした。
その指先へ導かれるように一つの線が走り、手の平で開眼する。
一際大きなその眼は、綺麗な翠色をしていた。
本来黒眼があるはずのところには宝石があって、魔法陣みたいな複雑な模様が刻まれている。
キラキラと輝いて、まるで全ての光を反射しているみたいに。
「……なるほど、よう見えた」
女の子は、再び全ての目を閉じた。
彼女もまた人ではないのだと、わたしは改めてそう知った。
精霊さんは、人の住処を真似て作った、小さな小屋に住んでいるらしい。
外は極寒なのに、小屋の中は不自然なまでに快適だった。
きっと何か魔法を使っているのだと思う。
転がっている家財道具は普通に人間用のものが多く、彼女は思ったより人に近い種族のようだ。
さっき見た精霊族さんは、全然違ったけど……
「さあ、飲むがよい。深淵の水じゃ、人の世では味わえぬじゃろう?」
女の子精霊さんは、わたしにグラスに入った水を差し出してそう言った。
そして自分はわたしの向かい側に座り、同じくその水を飲む。
わたしは、深淵の水ってなんだろう、と思いながら口に含んだ。見た目には透明だ。
甘いような辛いような、中途半端な味がする。
すっごい美味しい海水というのが一番近いけど、それとは違う形容し難い固体めいた旨味を感じた。
「その……さっきの方も、精霊さんなんですよね? 何も、言ってなかったけど……」
「いかにも。そなたのような可愛らしい女子を見て恥ずかしくなったのじゃろう。くく、存分に可愛がってやるとするかの」
「——————」
わたしが瞬きした次の瞬間、そこにはもうさっきのシカツノの精霊さんがいた。
わたしが驚く間もなく、彼は頭をゆっくりと振りながら、女の子精霊さんを背後からつついている。
「おや、来たかの」
やはり、彼はわたしを導いてくれたのだろう。わたしはシカツノさんと目を合わせ、「ありがとうございました」と言った。
「ふふ、なんと肝の据わった幼子よ。人は己と乖離したものを恐るというに、やはり数奇な子じゃの。そうじゃろう、深淵よ」
「————」
「なんじゃ、相手は人の子じゃぞ? せっかく来たのじゃから、挨拶くらいせぬか」
シカツノさんはわたしの方を見て、首を傾げる。そして長い指の関節を緩めてわたしに触れた。
「……ニンげん、……はじめ……マシテ」
「ほぅ、上手くなったもんじゃのう」
女の子さんは嬉しそうに目を細めた。
「我々精霊族は言葉を持たぬ。言語によるコミュニケーションは下等種の仕草と嘲る者も少なくないが、やはり言葉とはよいものじゃのう。人の子と話すのは実に愉快じゃ」
「そうだったんですね……」
「これは深淵の精霊での。なかなか見込みのある子よ。妾が言葉を教えておるのじゃ」
女の子さんは自慢げだ。
シカツノさんはわたしの隣に立って、その硬くて長い指でわたしの頭や頬を突いたり、撫でたりする。
人間、というものが珍しいのだろうか。
「ふむ、あまり乱暴に扱うでないぞ。人間は壊れやすいのじゃ」
「……分かって……イル」
指が触れ合う度に、カチカチと音がする。
本当に乾いたサンゴみたいだ。
どこか痛々しさすら覚える。わたしよりずっと脆そうに見える。
「して、人の子よ。ただ闇雲に歩いて来たとは言うまい? 何故この地へ赴き、精霊の言を望む?」
女の子さんは、机に頬杖をついてそう言った。
その様は本当にただの普通の女の子に見えたけど、その首筋の切れ目は確かに動いていて、細めを開ける。
「世界が、滅びそうだって話はご存じですか?」
「ふむ?」
聞き覚えがない、というように彼女は首を傾げる。
「なんじゃ、魔王でも出たか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
「妾はついぞ耳にしておらぬな、おぬしはどうじゃ?」
「……バランスが、崩れテいる」
シカツノさんは、わたしからスッと離れてそう言った。
不思議なことに、足音もしない。ひゅうという風切り音が時折聞こえる。
「ほう。なんじゃ、人が滅ぶほどかの?」
「……失楽園、追放さレタ者の……末路」
「現世は危機に?」
「ワカらない」
「なるほど、では少し見てみるかの」
女の子さんはそう言うと、おもむろに目を閉じ、上半身に纏っていた衣服を脱ぎ捨てる。
わたしは思わずその体を凝視してしまった。
滑らかな肌には乳首とかヘソとかそういうものが全くなく、代わりに、全身に無数の切れ込みみたいな線が走っていた。
それは一種の呪いのようでもあり、魚の鱗のようでもあった。
そしてそれは、めりめりと音を立てて開いた。
グチュッ、グチュッ。
現れたのは眼球。
それはギョロギョロと周囲を見渡しながら、体の全部を這い回るように移動する。
大きいのも小さいのも、細いのも長いのも、色とりどりの蟲みたいに。
女の子さんは片腕を前に伸ばした。
その指先へ導かれるように一つの線が走り、手の平で開眼する。
一際大きなその眼は、綺麗な翠色をしていた。
本来黒眼があるはずのところには宝石があって、魔法陣みたいな複雑な模様が刻まれている。
キラキラと輝いて、まるで全ての光を反射しているみたいに。
「……なるほど、よう見えた」
女の子は、再び全ての目を閉じた。
彼女もまた人ではないのだと、わたしは改めてそう知った。
16
お気に入りに追加
671
あなたにおすすめの小説
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!
父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
その他、多数投稿しています!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
ひっそり静かに生きていきたい 神様に同情されて異世界へ。頼みの綱はアイテムボックス
於田縫紀
ファンタジー
雨宿りで立ち寄った神社の神様に境遇を同情され、私は異世界へと転移。
場所は山の中で周囲に村等の気配はない。あるのは木と草と崖、土と空気だけ。でもこれでいい。私は他人が怖いから。
異世界転生 勝手やらせていただきます
仏白目
ファンタジー
天使の様な顔をしたアンジェラ
前世私は40歳の日本人主婦だった、そんな記憶がある
3歳の時 高熱を出して3日間寝込んだ時
夢うつつの中 物語をみるように思いだした。
熱が冷めて現実の世界が魔法ありのファンタジーな世界だとわかり ワクワクした。
よっしゃ!人生勝ったも同然!
と思ってたら・・・公爵家の次女ってポジションを舐めていたわ、行儀作法だけでも息が詰まるほどなのに、英才教育?ギフテッド?えっ?
公爵家は出来て当たり前なの?・・・
なーんだ、じゃあ 落ちこぼれでいいやー
この国は16歳で成人らしい それまでは親の庇護の下に置かれる。
じゃ16歳で家を出る為には魔法の腕と、世の中生きるには金だよねーって事で、勝手やらせていただきます!
* R18表現の時 *マーク付けてます
*ジャンル恋愛からファンタジーに変更しています
異世界転生雑学無双譚 〜転生したのにスキルとか貰えなかったのですが〜
芍薬甘草湯
ファンタジー
エドガーはマルディア王国王都の五爵家の三男坊。幼い頃から神童天才と評されていたが七歳で前世の知識に目覚め、図書館に引き篭もる事に。
そして時は流れて十二歳になったエドガー。祝福の儀にてスキルを得られなかったエドガーは流刑者の村へ追放となるのだった。
【カクヨムにも投稿してます】
めんどくさがり屋の異世界転生〜自由に生きる〜
ゆずゆ
ファンタジー
※ 話の前半を間違えて消してしまいました
誠に申し訳ございません。
—————————————————
前世100歳にして幸せに生涯を遂げた女性がいた。
名前は山梨 花。
他人に話したことはなかったが、もし亡くなったら剣と魔法の世界に転生したいなと夢見ていた。もちろん前世の記憶持ちのままで。
動くがめんどくさい時は、魔法で移動したいなとか、
転移魔法とか使えたらもっと寝れるのに、
休みの前の日に時間止めたいなと考えていた。
それは物心ついた時から生涯を終えるまで。
このお話はめんどくさがり屋で夢見がちな女性が夢の異世界転生をして生きていくお話。
—————————————————
最後まで読んでくださりありがとうございました!!
一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?
たまご
ファンタジー
アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。
最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。
だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。
女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。
猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!!
「私はスローライフ希望なんですけど……」
この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。
表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。
チート無しっ!?黒髪の少女の異世界冒険記
ノン・タロー
ファンタジー
ごく普通の女子高生である「武久 佳奈」は、通学途中に突然異世界へと飛ばされてしまう。これは何の特殊な能力もチートなスキルも持たない、ただごく普通の女子高生が、自力で会得した魔法やスキルを駆使し、元の世界へと帰る方法を探すべく見ず知らずの異世界で様々な人々や、様々な仲間たちとの出会いと別れを繰り返し、成長していく記録である……。
設定
この世界は人間、エルフ、妖怪、獣人、ドワーフ、魔物等が共存する世界となっています。
その為か男性だけでなく、女性も性に対する抵抗がわりと低くなっております。
病弱が転生 ~やっぱり体力は無いけれど知識だけは豊富です~
於田縫紀
ファンタジー
ここは魔法がある世界。ただし各人がそれぞれ遺伝で受け継いだ魔法や日常生活に使える魔法を持っている。商家の次男に生まれた俺が受け継いだのは鑑定魔法、商売で使うにはいいが今一つさえない魔法だ。
しかし流行風邪で寝込んだ俺は前世の記憶を思い出す。病弱で病院からほとんど出る事無く日々を送っていた頃の記憶と、動けないかわりにネットや読書で知識を詰め込んだ知識を。
そしてある日、白い花を見て鑑定した事で、俺は前世の知識を使ってお金を稼げそうな事に気付いた。ならば今のぱっとしない暮らしをもっと豊かにしよう。俺は親友のシンハ君と挑戦を開始した。
対人戦闘ほぼ無し、知識チート系学園ものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる