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ルシファー
それはあべこべな懺悔だった
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中庭に招待された隻腕の狩人は、促されるままにテーブルについた。
ルシファーは紅茶を注ごうとして、その匂いに彼女が顔を顰めたのを見てすぐにそれを中断する。
彼にしては珍しく、客人に細心の心配りをしているようだった。
「アンタは、ここに一人で住んでるの?」
「ああ、そうだよ」
ルシファーは穏やかにそう答えたが、傍目にも彼は少々緊張しているように見える。
尤も、この中庭を観察する者が誰もいない以上、傍目など存在しないのだが。
「教会、だっけ?」
アインはまるで蔑むように言う。
「まるで神様みたいだね」
「……」
ルシファーは、その外見にしては上手く笑っていた。
それでも彼が最大限に努力しても、その指先が震えてしまうことは避けられないようだった。
「……そうだね、そうかもしれない」
彼は震える声で、絞り出すようにそう言った。
その幼い少年が泣き出しそうなのを健気に堪えているような様は、否応なしに人の同情を誘っただろう。
しかし光を失った狩人は、そんな彼を完全に無視して言葉を紡ぐ。
「それで、アンタは何かアタシに話したいことでもあるの?」
「ああ、もちろんだよ」
「じゃあ、早くしてくれる? レビィを待たせてるの。アンタと違って、アタシはあの子のことをあまり不安にさせたくないんだよね」
「……」
ルシファーはどうにかして自分の心の揺らぎを抑えなければと苦心した。
苦心して、しかし全てを抑えることはできないでいた。
「私の、」
その声は完全に震えていた。
そんなルシファーの様子を聞いても、狩人は彼を慰めようとすらしない。
「私の弟を、救ってくれて、ありがとう」
ルシファーは、テーブルに額を擦り付けんばかりに頭を垂れてそう言った。
「本当にありがとう。本当に、本当に、心から感謝している。君は私を憎んでいるだろうに、それなのにあの子に何も報せないで……」
「アタシがレビィを助けたことと、アンタに対する憎悪は関係ない」
「ああ、そうかもしれない……だが私は、本当に感謝している。本当に、本当に、本当にあの子は、私の大切な子なんだ。大切な大切な、家族だ」
「へぇ、そう」
狩人は「別に疑うわけじゃないけど」と言ってからまた、ルシファーを睨みつけるように彼を見下ろす。
「レビィはそう思ってないみたいだったよ」
彼女は極めて攻撃的にそう呟く。
彼女にしては珍しく、相手を傷つけるためだけに発言した。
そして無防備な幼い少年はその鋭い矢を生身で受けて、深く唇を噛んだ。
「……そう、だな。私もそう思う。あの子は私のことを……そうだね、神様だとでも思っているんだろうね」
「アンタは嬉しいんじゃないの? だって神様みたいな生活をしてるんでしょ。可哀想な人達を騙して、脅して、アタシにしたみたいに、アタシたちにしたみたいに奪い取って」
「……そう、かな」
顔を上げたルシファーは微笑んでいたが、明らかに動揺していた。彼は本当に苦しそうに、まるで毒の霧でも吸っているかのように顔を歪めていた。
「なんだっけ、神域結界? アンタは本当に頭がいいよね。都合の悪いものを隠すんじゃなく目立たせて、貶めるんじゃなく祀り上げて神聖化することで、結果的に本質を見えなくしてる。ねえ、アタシに聞かせてよ。この何の意味もない呪いの壁は、一体何から何を守ってるの? 誰のために、誰によって?」
「……」
「レビィはいい子だった。ずっといい子であろうとし続けて、そうでなければ自分の価値を認められないくらいにまで追い詰められて。可哀想なレビィ。せめてアンタの弟じゃなければ、まさか崖から身を投げたりなんかしなかっただろうね。レビィが何のために死のうとしたと思う? その神域結界のためだよ。アンタの作り上げたその『神』とやらに、レビィは殺されかけた。そしてアンタはそれを止められなかった。アンタはさっき、アタシになんて言ったっけ?」
「……」
「新しいものを創造する? より良い方向に導く? そんなの当たり前でしょ、償いにもならない。それはアンタの責任であって償いじゃない。アンタが本当に、そう、レビィに対してだけでも本当に償いたいと思ってるなら、アンタはレビィに嫌われても憎まれても、全身全霊を賭してレビィを守るべきだった。それなのにアンタはそうしなかった。アンタはレビィにとっての尊敬できる兄であることに固執して、いつまでもレビィを助けようとしなかった。アンタがレビィを殺した。アンタがレビィを追い詰めて傷つけて殺した。何もかもアンタのせいだよ。レビィがどんな状態だったと思う? アンタになんて、とても想像できないくらいに傷ついてボロボロだった。見知らぬ大陸の人間に、アタシがそんなに簡単に同情すると思う? 簡単に可愛がると思う? 簡単に責任を負うと思う? アタシがそうしてあげたいと思うくらいに、そうしてあげなきゃあまりにもこの子が報われないと思うくらいに、レビィは傷ついてたんだよ。アンタのせいで」
ルシファーは酷く泣いていた。
ボロボロとその涙は止まることを知らず彼の頬を伝い流れ落ちて滴る。
そんな彼に、いっそ残酷なほどに狩人は酷い罵声を浴びせ続けた。
口調だけは静かだったが、それが却ってルシファーを酷く虐めていた。
「で、アンタは何が言いたいんだっけ?」
「……ありがとうと、言いたいんだ。レビィを、助けてくれて。私の、代わりに」
「気にしないでいいよ。アンタのために助けたんじゃないから。他には?」
「……君は、怒るかもしれないが、私は、本当に後悔しているんだ。君と、君たちにした仕打ちを、本当に、悔やんでいる。本当だ、本当に……心から、謝罪したい」
「へぇ」
狩人はまた不機嫌そうな声を上げた。
可哀想な少年はすっかり怯えて縮こまって、びくびくしている。
「逆に聞くけど、アンタはまさかアタシが『それは何よりだ、とても喜ばしい。もちろん許そう』と笑顔で言う可能性がほんの少しでもあると思ってたの?」
「そんなことは思っていない。ただ、その、私は、もし私がその話をすることで君を苦しめてしまうなら、私は……」
「ああ、なんだ。そんなことを心配してたの? なら安心していいよ。アタシは誰かさんのおかげで、ありがたいことに苦痛を感じなくなったの。どんなに痛くて苦しいことがあっても、あの時の苦痛に比べれば全然平気。おかげで拷問にも耐えられたし、アタシは誰かさんに感謝すべきかもね。ほら見てよ、この腕。この腕を切り落とされても、アタシはなんとも思わなかった。何も感じなかった。何も、そう、何もね」
狩人はそう言って、失われた腕の切断面をルシファーに向けて嘲笑する。
「だからむしろ感謝してるよ。たかが手足を切り落とされるくらい何でもないと思えるようになるくらいの苦痛を、アタシに教えてくれてありがとう」
狩人は歪に笑い、そう言って軽く会釈した。
ルシファーはその顔に浮かべた表情をより一層暗くして、どうにか、何か上手い言葉を探しているようだった。
そして彼は結局それを諦めて、せめて不味くないような言葉を拾って静かに置いた。
「……レビィは、あの子は、君の様子に胸を痛めるだろう」
「悪いのはアンタだけどね」
狩人は相変わらず容赦がなかったが、そのくらいで済んで良かったと、ルシファーは考えていた。
「……君がもし、私に何か望むのなら、私は何でもそれに応えるつもりでいる。この中庭でできることで、という条件をつけてしまうけれど」
「ふぅん。そう。じゃあ今すぐ死んでくれる?」
「……すまない、それはできないんだ。私の糸が一瞬でも揺らげば、神域結界に亀裂が入ってしまうから」
「だから何だっていうの? その罰当たりな結界とやらに傷が入ったら、何の罪もない可哀想な人達の、たった数百人がアンタのために苦しめられずに済むだけでしょ」
「お願いだ、私の本質が邪悪であることを否定するつもりはない……でも、結界については、君は誤解している。この神域結界は、壁ではない。柱なんだ。確かに君の言う通り、ただの詭弁かもしれない。でも、この結界に救われている人々もいるんだ。決して少なくない人々が……この結界の安定を日夜祈っている。私はそれに応えなければならない。分かってくれるだろう? 君はとても賢明な人だから」
「アンタが全く努力してないとは、アタシも思ってないよ。アンタはアンタなりに頑張ってきたと思ってる」
ルシファーは少し笑った。
それは確かに自嘲の笑みで、その表情からは子供らしさなどただの一滴たりとも感じられない。
「ありがとう、君にそう言ってもらえるなんて、光栄だよ。私はそんなに哀れかな」
「そうだね。そう思う。もしアンタがそんなに弱ってなかったら、アタシはもっと容赦なくアンタを罵倒しただろうね。レビィの目の前だろうが何だろうが、アンタのその分厚い面の皮を、骨が見えるまで削いでやったんじゃない?」
「……ははは、そうか」
ルシファーは力なくそう笑う。彼は狩人と話し始めた時よりも、少しだけだが感情を見せていた。
その感情は決して外見相応というわけではなかったが。
「……少し、昔の話を聞いてくれないか」
そう言ってルシファーは、先ほど取り損ねたマカロンを摘まんだ。そして少し狩人を伺ってから、彼女と自分に透明な水を注ぐ。
彼女はそれを受け入れ、喉奥に流す。
それを見て、ルシファーは安堵したらしかった。
「君が聞いたかどうか分からないが、レビィは私たちの父親の愛人の子だ。父親は彼が生まれてすぐに亡くなっている。
「その父親の葬儀の場に、レビィの母親が現れた。とても綺麗な人だったが、酷く憔悴していた。本当に若い女性で……幼いとすら感じた。
「知らぬ間に現れた彼女だったが、結局弔問客が途絶えるまでずっとその部屋の隅に留まっていた。その腕に抱かれていたレビィはとても大人しく、ずっと眠ったままだった。
「そして夜も更け、ようやくその部屋には喪主である私たちと赤ん坊を抱いた女性だけになった。彼女は私に近づいて、名を尋ねた。私が名乗ると、彼女は腕に抱いた赤ん坊を差し出し、私に、『どうかこの子をお願い致します』と、そう言った。
「『その子は貴方の弟です。貴方方のお人柄を信じて、この子を託します。どうか幸せにしてください』と、彼女は泣きながらそう言っていた。
「彼女は悲しそうだったし、悔しそうだった。我が子を本当に愛していたのだと思う。そして若いながらも賢明な彼女は、現実の冷たさと厳しさを理解し、レビィを私たちに託すという決断をした。
「私はそうだ、その願いを聞き入れ……レビィを引き取った」
ルシファーはカラカラに乾いた喉に、無理矢理マカロンをねじ込んで咳き込む。
その隙間を埋めるように、狩人が相槌を打つ。
「それでレビィは、自分には母親がいないって言ってたんだ。自分には、母親と呼べる存在がいないって」
「……そうだね。私たちはあの子の母親にはなれなかった。それはあの子が健やかに育つことを阻害してしまった。白状するなら、当時……というより最近まで、それほど私たちは大きな過ちを犯したとは思っていなかったんだ。ゾッとするほどあの子は純粋だ……私の顔色を窺って、いい子であろうと努力し、極めて忠実で、他者と友好関係を築こうとせず、自分を容赦なく非難し、自己弁護の術を知らない。あの子は本当に私のことが大好きなんだろうね」
ルシファーはそう言って、溜め息を殺したように唇を噛んだ。
しかし顔を上げた彼は、少し笑っていた。
「だから私は、その点でも君に感謝を述べなければならないね。ありがとう、レビィの母親になってくれて。あの子は君にだけは、素直に甘えてくれる」
ルシファーのその表情は、もはやほとんどすべてを諦めているように見えた。
狩人はその態度を好ましく思わなかったのか、小さく眉を吊り上げる。
ルシファーはそれから逃れるようにして俯いた。
「君は私を責めるかもしれない。私は今からでもやり直すべきなのかもしれない。確かに、それが正しいことだ、それは分かっているんだ。でも私は、今のままが一番、あの子を傷つけないでいられると思う。あの子は私を崇拝している。それを無理に正すより、ただ私があの子に崇拝されるに相応しいような人物になればいい。それに何より、あの子には君がいる。だから大丈夫だろう?」
狩人は一瞬だけ、ルシファーを見つめた。
その小さく、幼い体を眺めた。
その膠着の後、彼女は小さく溜め息を吐いて、ルシファーを見つめた。
「アンタ、なんかあったの? 昔とは随分違うんだね」
「もちろん、あったさ。でもそれほど大きな出来事じゃない」
ルシファーはそう言って、それから彼は立ち上がった。
「引き留めてすまなかったね、アイン。レビィを頼むよ」
「アンタにお願いされる筋合いはない」
狩人はそう言って、それから失った腕を見て、「別にいいけど」と言った。
「アタシの勝手にするだけだから」
中庭の天井は抜けていて、その光は降るように注ぐ。
忌まわしい神域結界のその空虚な姿を睨んで狩人は、「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた。
ルシファーは静かに俯いて、小さな指をカップに沿える。
その唇を濡らした彼は、何かを案じているようにも、過去を懐かしんでいるようだ。
「ありがとう」
ルシファーは呟いた。
未来の罪を憂うかのように、憫笑しながら。
ルシファーは紅茶を注ごうとして、その匂いに彼女が顔を顰めたのを見てすぐにそれを中断する。
彼にしては珍しく、客人に細心の心配りをしているようだった。
「アンタは、ここに一人で住んでるの?」
「ああ、そうだよ」
ルシファーは穏やかにそう答えたが、傍目にも彼は少々緊張しているように見える。
尤も、この中庭を観察する者が誰もいない以上、傍目など存在しないのだが。
「教会、だっけ?」
アインはまるで蔑むように言う。
「まるで神様みたいだね」
「……」
ルシファーは、その外見にしては上手く笑っていた。
それでも彼が最大限に努力しても、その指先が震えてしまうことは避けられないようだった。
「……そうだね、そうかもしれない」
彼は震える声で、絞り出すようにそう言った。
その幼い少年が泣き出しそうなのを健気に堪えているような様は、否応なしに人の同情を誘っただろう。
しかし光を失った狩人は、そんな彼を完全に無視して言葉を紡ぐ。
「それで、アンタは何かアタシに話したいことでもあるの?」
「ああ、もちろんだよ」
「じゃあ、早くしてくれる? レビィを待たせてるの。アンタと違って、アタシはあの子のことをあまり不安にさせたくないんだよね」
「……」
ルシファーはどうにかして自分の心の揺らぎを抑えなければと苦心した。
苦心して、しかし全てを抑えることはできないでいた。
「私の、」
その声は完全に震えていた。
そんなルシファーの様子を聞いても、狩人は彼を慰めようとすらしない。
「私の弟を、救ってくれて、ありがとう」
ルシファーは、テーブルに額を擦り付けんばかりに頭を垂れてそう言った。
「本当にありがとう。本当に、本当に、心から感謝している。君は私を憎んでいるだろうに、それなのにあの子に何も報せないで……」
「アタシがレビィを助けたことと、アンタに対する憎悪は関係ない」
「ああ、そうかもしれない……だが私は、本当に感謝している。本当に、本当に、本当にあの子は、私の大切な子なんだ。大切な大切な、家族だ」
「へぇ、そう」
狩人は「別に疑うわけじゃないけど」と言ってからまた、ルシファーを睨みつけるように彼を見下ろす。
「レビィはそう思ってないみたいだったよ」
彼女は極めて攻撃的にそう呟く。
彼女にしては珍しく、相手を傷つけるためだけに発言した。
そして無防備な幼い少年はその鋭い矢を生身で受けて、深く唇を噛んだ。
「……そう、だな。私もそう思う。あの子は私のことを……そうだね、神様だとでも思っているんだろうね」
「アンタは嬉しいんじゃないの? だって神様みたいな生活をしてるんでしょ。可哀想な人達を騙して、脅して、アタシにしたみたいに、アタシたちにしたみたいに奪い取って」
「……そう、かな」
顔を上げたルシファーは微笑んでいたが、明らかに動揺していた。彼は本当に苦しそうに、まるで毒の霧でも吸っているかのように顔を歪めていた。
「なんだっけ、神域結界? アンタは本当に頭がいいよね。都合の悪いものを隠すんじゃなく目立たせて、貶めるんじゃなく祀り上げて神聖化することで、結果的に本質を見えなくしてる。ねえ、アタシに聞かせてよ。この何の意味もない呪いの壁は、一体何から何を守ってるの? 誰のために、誰によって?」
「……」
「レビィはいい子だった。ずっといい子であろうとし続けて、そうでなければ自分の価値を認められないくらいにまで追い詰められて。可哀想なレビィ。せめてアンタの弟じゃなければ、まさか崖から身を投げたりなんかしなかっただろうね。レビィが何のために死のうとしたと思う? その神域結界のためだよ。アンタの作り上げたその『神』とやらに、レビィは殺されかけた。そしてアンタはそれを止められなかった。アンタはさっき、アタシになんて言ったっけ?」
「……」
「新しいものを創造する? より良い方向に導く? そんなの当たり前でしょ、償いにもならない。それはアンタの責任であって償いじゃない。アンタが本当に、そう、レビィに対してだけでも本当に償いたいと思ってるなら、アンタはレビィに嫌われても憎まれても、全身全霊を賭してレビィを守るべきだった。それなのにアンタはそうしなかった。アンタはレビィにとっての尊敬できる兄であることに固執して、いつまでもレビィを助けようとしなかった。アンタがレビィを殺した。アンタがレビィを追い詰めて傷つけて殺した。何もかもアンタのせいだよ。レビィがどんな状態だったと思う? アンタになんて、とても想像できないくらいに傷ついてボロボロだった。見知らぬ大陸の人間に、アタシがそんなに簡単に同情すると思う? 簡単に可愛がると思う? 簡単に責任を負うと思う? アタシがそうしてあげたいと思うくらいに、そうしてあげなきゃあまりにもこの子が報われないと思うくらいに、レビィは傷ついてたんだよ。アンタのせいで」
ルシファーは酷く泣いていた。
ボロボロとその涙は止まることを知らず彼の頬を伝い流れ落ちて滴る。
そんな彼に、いっそ残酷なほどに狩人は酷い罵声を浴びせ続けた。
口調だけは静かだったが、それが却ってルシファーを酷く虐めていた。
「で、アンタは何が言いたいんだっけ?」
「……ありがとうと、言いたいんだ。レビィを、助けてくれて。私の、代わりに」
「気にしないでいいよ。アンタのために助けたんじゃないから。他には?」
「……君は、怒るかもしれないが、私は、本当に後悔しているんだ。君と、君たちにした仕打ちを、本当に、悔やんでいる。本当だ、本当に……心から、謝罪したい」
「へぇ」
狩人はまた不機嫌そうな声を上げた。
可哀想な少年はすっかり怯えて縮こまって、びくびくしている。
「逆に聞くけど、アンタはまさかアタシが『それは何よりだ、とても喜ばしい。もちろん許そう』と笑顔で言う可能性がほんの少しでもあると思ってたの?」
「そんなことは思っていない。ただ、その、私は、もし私がその話をすることで君を苦しめてしまうなら、私は……」
「ああ、なんだ。そんなことを心配してたの? なら安心していいよ。アタシは誰かさんのおかげで、ありがたいことに苦痛を感じなくなったの。どんなに痛くて苦しいことがあっても、あの時の苦痛に比べれば全然平気。おかげで拷問にも耐えられたし、アタシは誰かさんに感謝すべきかもね。ほら見てよ、この腕。この腕を切り落とされても、アタシはなんとも思わなかった。何も感じなかった。何も、そう、何もね」
狩人はそう言って、失われた腕の切断面をルシファーに向けて嘲笑する。
「だからむしろ感謝してるよ。たかが手足を切り落とされるくらい何でもないと思えるようになるくらいの苦痛を、アタシに教えてくれてありがとう」
狩人は歪に笑い、そう言って軽く会釈した。
ルシファーはその顔に浮かべた表情をより一層暗くして、どうにか、何か上手い言葉を探しているようだった。
そして彼は結局それを諦めて、せめて不味くないような言葉を拾って静かに置いた。
「……レビィは、あの子は、君の様子に胸を痛めるだろう」
「悪いのはアンタだけどね」
狩人は相変わらず容赦がなかったが、そのくらいで済んで良かったと、ルシファーは考えていた。
「……君がもし、私に何か望むのなら、私は何でもそれに応えるつもりでいる。この中庭でできることで、という条件をつけてしまうけれど」
「ふぅん。そう。じゃあ今すぐ死んでくれる?」
「……すまない、それはできないんだ。私の糸が一瞬でも揺らげば、神域結界に亀裂が入ってしまうから」
「だから何だっていうの? その罰当たりな結界とやらに傷が入ったら、何の罪もない可哀想な人達の、たった数百人がアンタのために苦しめられずに済むだけでしょ」
「お願いだ、私の本質が邪悪であることを否定するつもりはない……でも、結界については、君は誤解している。この神域結界は、壁ではない。柱なんだ。確かに君の言う通り、ただの詭弁かもしれない。でも、この結界に救われている人々もいるんだ。決して少なくない人々が……この結界の安定を日夜祈っている。私はそれに応えなければならない。分かってくれるだろう? 君はとても賢明な人だから」
「アンタが全く努力してないとは、アタシも思ってないよ。アンタはアンタなりに頑張ってきたと思ってる」
ルシファーは少し笑った。
それは確かに自嘲の笑みで、その表情からは子供らしさなどただの一滴たりとも感じられない。
「ありがとう、君にそう言ってもらえるなんて、光栄だよ。私はそんなに哀れかな」
「そうだね。そう思う。もしアンタがそんなに弱ってなかったら、アタシはもっと容赦なくアンタを罵倒しただろうね。レビィの目の前だろうが何だろうが、アンタのその分厚い面の皮を、骨が見えるまで削いでやったんじゃない?」
「……ははは、そうか」
ルシファーは力なくそう笑う。彼は狩人と話し始めた時よりも、少しだけだが感情を見せていた。
その感情は決して外見相応というわけではなかったが。
「……少し、昔の話を聞いてくれないか」
そう言ってルシファーは、先ほど取り損ねたマカロンを摘まんだ。そして少し狩人を伺ってから、彼女と自分に透明な水を注ぐ。
彼女はそれを受け入れ、喉奥に流す。
それを見て、ルシファーは安堵したらしかった。
「君が聞いたかどうか分からないが、レビィは私たちの父親の愛人の子だ。父親は彼が生まれてすぐに亡くなっている。
「その父親の葬儀の場に、レビィの母親が現れた。とても綺麗な人だったが、酷く憔悴していた。本当に若い女性で……幼いとすら感じた。
「知らぬ間に現れた彼女だったが、結局弔問客が途絶えるまでずっとその部屋の隅に留まっていた。その腕に抱かれていたレビィはとても大人しく、ずっと眠ったままだった。
「そして夜も更け、ようやくその部屋には喪主である私たちと赤ん坊を抱いた女性だけになった。彼女は私に近づいて、名を尋ねた。私が名乗ると、彼女は腕に抱いた赤ん坊を差し出し、私に、『どうかこの子をお願い致します』と、そう言った。
「『その子は貴方の弟です。貴方方のお人柄を信じて、この子を託します。どうか幸せにしてください』と、彼女は泣きながらそう言っていた。
「彼女は悲しそうだったし、悔しそうだった。我が子を本当に愛していたのだと思う。そして若いながらも賢明な彼女は、現実の冷たさと厳しさを理解し、レビィを私たちに託すという決断をした。
「私はそうだ、その願いを聞き入れ……レビィを引き取った」
ルシファーはカラカラに乾いた喉に、無理矢理マカロンをねじ込んで咳き込む。
その隙間を埋めるように、狩人が相槌を打つ。
「それでレビィは、自分には母親がいないって言ってたんだ。自分には、母親と呼べる存在がいないって」
「……そうだね。私たちはあの子の母親にはなれなかった。それはあの子が健やかに育つことを阻害してしまった。白状するなら、当時……というより最近まで、それほど私たちは大きな過ちを犯したとは思っていなかったんだ。ゾッとするほどあの子は純粋だ……私の顔色を窺って、いい子であろうと努力し、極めて忠実で、他者と友好関係を築こうとせず、自分を容赦なく非難し、自己弁護の術を知らない。あの子は本当に私のことが大好きなんだろうね」
ルシファーはそう言って、溜め息を殺したように唇を噛んだ。
しかし顔を上げた彼は、少し笑っていた。
「だから私は、その点でも君に感謝を述べなければならないね。ありがとう、レビィの母親になってくれて。あの子は君にだけは、素直に甘えてくれる」
ルシファーのその表情は、もはやほとんどすべてを諦めているように見えた。
狩人はその態度を好ましく思わなかったのか、小さく眉を吊り上げる。
ルシファーはそれから逃れるようにして俯いた。
「君は私を責めるかもしれない。私は今からでもやり直すべきなのかもしれない。確かに、それが正しいことだ、それは分かっているんだ。でも私は、今のままが一番、あの子を傷つけないでいられると思う。あの子は私を崇拝している。それを無理に正すより、ただ私があの子に崇拝されるに相応しいような人物になればいい。それに何より、あの子には君がいる。だから大丈夫だろう?」
狩人は一瞬だけ、ルシファーを見つめた。
その小さく、幼い体を眺めた。
その膠着の後、彼女は小さく溜め息を吐いて、ルシファーを見つめた。
「アンタ、なんかあったの? 昔とは随分違うんだね」
「もちろん、あったさ。でもそれほど大きな出来事じゃない」
ルシファーはそう言って、それから彼は立ち上がった。
「引き留めてすまなかったね、アイン。レビィを頼むよ」
「アンタにお願いされる筋合いはない」
狩人はそう言って、それから失った腕を見て、「別にいいけど」と言った。
「アタシの勝手にするだけだから」
中庭の天井は抜けていて、その光は降るように注ぐ。
忌まわしい神域結界のその空虚な姿を睨んで狩人は、「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた。
ルシファーは静かに俯いて、小さな指をカップに沿える。
その唇を濡らした彼は、何かを案じているようにも、過去を懐かしんでいるようだ。
「ありがとう」
ルシファーは呟いた。
未来の罪を憂うかのように、憫笑しながら。
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リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
離婚した彼女は死ぬことにした
はるかわ 美穂
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