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#4 家族
29 アタシは強いの
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ジャックは私にアインの病室をなかなか教えてくれなかったが、私の傷がほとんど完治した頃、ようやく教えてくれた。
どうせ処刑される体を治療する意味はよく分からない。
とにかく、ジャックは私の体の調子を気にかけ過ぎている。
それでも私が彼女に会いたいと言うと、ジャックは微笑んで「分かった」と言った。
「……ここの部屋だよ」
そう言われ、私は一瞬躊躇した。
理由は分からない。
「……」
「どした?」
「いや、なんでもない……」
私は扉をノックし、ゆっくりと開けた。
スライド式のドアが、滑らかに開く。
「……アイン……?」
彼女は私の呼びかけで体を起こし、こちらを見た。
その姿は包帯やテープだらけで痛々しいが、私の方を向いてひらりと手を上げる、その仕草は何も変わらなかった。
「元気だった、レビィ?」
思わず、泣きそうになった。
彼女の声だった。紛れもなく、アインの声。
アインが私を呼んでいる、その事実があまりにも嬉しくて、私は彼女に駆け寄った。
「ああ、元気だ、会いたかった、本当に、本当に会い……た、か……」
私は目を見張って、思わず動きを止めた。
呼吸の仕方を忘れた。
「ア、イン、そ、それ、」
「何、アタシに会えて嬉しかったんじゃないの?」
彼女は右腕を失っていた。
元々それがあったはずの場所は、ぷつんと途切れて何もなくて、私はその場で崩れ落ちた。
「アンタが元気で良かった」
アインは残った左腕だけで、私の頭を撫でた。
「でも、腕、アイン、腕が……」
「右腕だけで済んで良かったんじゃない。大陸の医者は優秀だね、あんだけズタズタにされてたのに、再建手術、だっけ? それで全部元に戻してくれた」
「そんな……そんなの、だって、この腕じゃ、もう、弓が……」
「なんでアンタがそんなに悲しむの? アタシが生きてて、嬉しくない?」
「嬉しい、嬉しいに決まっている、でも、でも……」
素直に喜べるはずがなかった。
アインにとって、弓がどんな存在だったのか、私はよく知っていた。
「大丈夫だって。腕なんかなくても生きてる奴はいくらでもいる。あの医者には感謝しなきゃね、でなきゃアタシは一生ダルマみたいに転がって生活しなきゃいけなくなってた」
アインが本当になんでもないようにそう言うので、私も悲しんではいけないような気がして、無理矢理笑った。
「レビィ。アタシ、アンタの家族に会ったよ」
「ジャックか?」
「そう。アンタが仲が悪いって言ってた方の兄さん」
アインは私に、ベッドに腰掛けるように促した。
私は彼女に従う。
「ねえ、レビィ。ジャックはアンタのことを可愛がってると思うよ。方法は悪いけど、アンタのことを大切にしてる」
「……何を言っているんだ、急に?」
突然ジャックの話になって、私は面食らってしまった。
そんなに、ジャックが印象的だったのだろうか。
「アンタは言ってたでしょ、ジャックは自分のことを憎んでるし、恨んでるって。そうじゃないよって言ってるの」
「……お前は、ジャックと私の関係を知らないからそう言うんだ」
「知らないよ、でも分かる。ジャックは本当にアンタのことを大切に思ってて、帰ったことを心から喜んでる。アタシにそう感謝してた。アタシはそれが嘘じゃないってことが分かる。知ってるでしょ?」
「……」
「疑う気持ちは分かるよ。アンタは随分長い間、そうじゃないって思ってたみたいだし」
アインはそう言って、私の頭を撫でた、それを振り払うのは以前より簡単だったが、振り払おうと思わなかった。
「アンタはちゃんと愛されてる。アンタにはちゃんと居場所がある。それに何より、アタシはアンタのことが大好き。だから心配しないで、レビィ」
アインはそう言って、私のことを慰めた。
「なんでも一人でやろうとしないで。アンタは一人じゃない」
それから彼女は、「ありがとう」と言った。
「ありがと、アタシのことを助けてくれて。すごく嬉しかったよ、レビィ」
それは慰めに似たものかもしれなかったが、それでも私はそれで心が安らいだ。
「そうだ、私は、剣を……」
「剣?」
「そうだ、お前の、家族の形見だと言っていたあの剣を、持って来たんだ。お前に渡さなければと思って、それで……」
「ああ、これのこと?」
アインは、ベッドの枕元に置いてあった短剣を手に取った。
確かにそれは、私が島から持ち出したものだった。
「アンタが持っててくれたんでしょ? すごく嬉しかった、ありがとう」
「もう少し、上手くやれたら……」
「そんなに後悔しないで。ところで、アンタは大丈夫なの? 足の傷が、酷いって聞いたけど」
「普通に歩ける」
「そう、なら良かった」
私はアインに体を預け、目を閉じた。
それだけで良かった、それだけをずっと望んでいたのだから。
アインもそれを受け入れて、私の背中を撫でてくれた。
「よく頑張ったよ、アンタは。一人にしてごめんね」
「……不安だった」
「ごめん」
「……もう、どこにも行かないか?」
「行かない。アンタの側にいてあげる。だからもう大丈夫」
その言葉に、安堵する。
胸の内にある、言い様のない不安が満たされる。
寂しかったのだろうか、とふと思った。
まるで子供みたいで馬鹿馬鹿しいが、きっとそういうことだったのかもしれない。
「ジャックって言ったっけ」
目を開けると、ジャックがこちらに近づいて来ていた。
相変わらず表情は全く読めない。
ただ彼にしては珍しく、無表情に見える。
「……ああ、俺はジャックだ」
「分かってると思うけど、何もかもアンタ達の罪だよ。レビィは何も悪くない。アンタ達が悪い。これ以上レビィを傷つけたら許さないから。それがわざとでも、そうじゃなくても」
「アイン?」
「分かってるよ、悪いのは兄さんと俺で、特に俺さ。本当に感謝してる。本当なら、もっと丁重にもてなしたい」
「じゃあそうすれば?」
アインは刺々しく、突き放すようにそう言った。
話の方向性が見えず、私は困惑する。
「……分かってるだろ、それはできないって」
ジャックは暗い声で言った。ジャックらしくもない。
「でも信じて欲しいのは、俺は止めたんだ。俺が兄さんの弟じゃなけりゃ殺されてたくらいには……いや、それは免罪符にはならねーってことは分かってるよ。だけど信じてくれ、実際兄さんは悔やんでた。あの時はどうかしてたって……」
「アタシは、レビィのことは好きだよ。でもアンタに何を言われても、アンタと、アンタの兄さんを許す気にはならない。でもアタシはレビィが好きだから、こうしてアンタと喋ってる。レビィにとってアンタとアンタの兄さんは大切な家族だから。それ以外に理由はない。下らない言い訳なんて聞きたくない」
「アイン? 何の話をしてるんだ?」
「……大丈夫だよ、アンタには関係ないこと。気にしないでレビィ」
アインはそう言って、ポンポンと私の肩に触れた。
「だから頼む、レビィには言わないでくれ」
その声は、よく通った。
私はアインを見た、彼女は明らかに不機嫌だった。
「……それは、誰のために?」
「レビィのためだ、レビィのために決まってるだろ。アインちゃんだって分かってるはずだ、レビィがどれだけルシーを大事に思ってるか。レビィにとって、ルシーは法なんだ。レビィの中心にあるのは兄さんなんだ。それが揺らいだら、本当に……」
「どうしてそんなに、残酷なことができるの?」
不思議と、アインの感情は私にも分かった。
彼女は明らかに軽蔑していた。ジャックのことを、これ以上ないくらいに。
「っ、違うんだ、俺は、俺はただ、可愛くて……レビィが可愛くて仕方ないんだ、レビィは俺の弟だ、たった一人の弟なんだよ。ずっとそうであってほしいんだ」
「だったら、弟に恥じない兄貴になるべきだったね」
「……分かってる」
「別に、言いふらす気はないよ。アタシだってレビィを苦しめたくない、それはアンタと一緒」
「なあ、アイン……」
私は、説明を求めてアインの袖を引いた。片方しかない袖。
「ごめん。不安がらないで、レビィ。ねえ、アンタの部屋はどこ?」
「……追い出さないでくれ」
「そんなこと言ってないでしょ。アタシも、もう少しアンタの顔が見てたい。……アンタ、何してたの? アタシと別れてから」
「しばらくは、島で生活していた。でも、私の手配書を見つけて……お前が私のせいで攫われたと気づいた。それで、お前を追って、海を渡って」
「海を渡ったって、島に船なんかないでしょ?」
「作った。そのくらいできる」
「落ちたらどうするつもりだったの、アンタ泳げないのに。海が怖いって、釣りするときもアタシがいなきゃ岸にも近寄らなかったくらいだったのに」
「それでも行かなければ、お前に会えないと思って……」
思い出すと、ゾッとして怖くなる。
するとアインは私の背中に手を回して、また優しく撫でてくれた。
「ありがと、アンタはすっごく頑張ってくれたんだね。怖かったでしょ」
「平気だ。……お前ほど酷い目に遭ったわけじゃない」
「そう? アタシは大きな船で渡ったから、アンタよりも楽だったと思うけど」
アインは、茶化すようにそう言う。私は奥歯を噛んだ。
「お前は、何をしていたんだ? ……酷い、拷問だった」
「内緒、アンタには教えてあげない」
「……思い出すだけで辛いのか?」
「そうじゃない。別にアタシには堪えてないよ。でもアタシが傷ついた話を聞いたら、アンタが辛いでしょ。アタシは、そっちの方がよっぽど嫌なの」
「私は平気だ、子供扱いするな。私は、本当に酷い拷問だったと思う、どうしてそんなにされてまで口を割らなかったんだ。私は、お前を、お前に傷ついてほしくなかった。例え私が死ぬことになっても、お前が、こんなにボロボロにされるくらいなら……」
「言ったでしょ、アタシには別に堪えてない。アタシ、痛みには強いから」
アインはあっけらかんとしてそう言うが、アインに与えられた苦痛は「痛みに強い」程度の精神ではとても持たないはずだ。
四肢はおろか、乳房まで引き千切られていたのだ。
その痛みは想像に難くない……いや、とても想像できない。
「アタシは強いの。アタシが痛めつけられてる間はアンタは無事だって分かってたし、全然平気」
「でも……」
「大丈夫だって。今のアタシは何か傷ついてるように見える?」
確かにアインは、最後に会ったあの時と、何ら変わっていないように見えた。
「……そうだな」
私はそう呟いて、小さく言った。「お前が無事でよかった」と。
「ジャック、アンタの弟はアタシが見ててあげるよ。一人にしない。だからもう行きなよ」
「……」
「アンタはアタシが信用できないみたいだけど、レビィにとってはそうじゃない。レビィがアンタたちの弟だからって、邪険にするつもりはない。それでもまだアタシが信じられない?」
「……」
ジャックは相変わらず、同じような笑みを浮かべている。
ジャックはアインを疑っているのだろうか。
確かに、アインは結界の境に住んでいたから、余所者という風に思っているのかもしれない。
「……俺ぁ、お前に感謝してんだよ、アインちゃん。それ以上でもそれ以下でもない。俺はただ、弟を救ってくれた恩人に感謝してて、帰って来た弟のことが愛おしくて堪らない。それだけだ、それだけなんだよ。アインちゃんは俺のことを誤解してる」
じゃあな、とそれだけ言い残してジャックは部屋を出て行った。
やはりどこか、様子がおかしいような気がするのだが。
「……アイン、ジャックはお前を疑ってるのか」
「さあ、どうだろうね。大陸の人間の考えることは、アタシにはよく分からない」
「私も大陸の人間だろう」
「そうだね、驚いたことに。アンタが小さい子だからかな」
「私は小さくない。もう大人だ」
「そうだね、驚いたことに」
アインはそう言って、窓の方を向いた。
この病室はベッドへの射線を外すため、窓が非常に高い位置にある。だから窓からは空しか見えない。
「……お前はルシファーが嫌いなのか?」
「アンタはそう思うの?」
「そう見える。島でも、私がルシファーの話をするといい顔をしなかった」
「まあ、アンタほど好きじゃないかもね」
「何故だ? ルシファーはこの世界の全てなのに」
「アタシはこの世界が好きじゃないからだよ」
「……そうなのか?」
「そう。この世界はアンタを苦しめて、追い詰めて、利用しようとするでしょ」
「……それは、ルシファーがそうだと言っているのか?」
「アンタはそれが当然だと思ってるだろうけど、実はそうじゃないかもしれない、それをアンタは知らない」
「……」
アインの目は、私を説得する力を持っている。
いつだってそうだ、正しいのはアインの方なのだ。
いつも、いつも、いつもそう。
私も、そんなことは分かっている。
「……アイン」
「何?」
「ジャックは、私のことが好きか」
「そうだね」
「私のことを可愛がっていたか?」
「そうだね」
「私のことを……探していたのか?」
「長い間ね」
そうか、と私は呟いた。
ジャックは私を、本当に弟だと思ってくれていたのか。
同情か義務感で、そう接していただけではなく。
意外だった。
どうせ処刑される体を治療する意味はよく分からない。
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そう言われ、私は一瞬躊躇した。
理由は分からない。
「……」
「どした?」
「いや、なんでもない……」
私は扉をノックし、ゆっくりと開けた。
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「……アイン……?」
彼女は私の呼びかけで体を起こし、こちらを見た。
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「元気だった、レビィ?」
思わず、泣きそうになった。
彼女の声だった。紛れもなく、アインの声。
アインが私を呼んでいる、その事実があまりにも嬉しくて、私は彼女に駆け寄った。
「ああ、元気だ、会いたかった、本当に、本当に会い……た、か……」
私は目を見張って、思わず動きを止めた。
呼吸の仕方を忘れた。
「ア、イン、そ、それ、」
「何、アタシに会えて嬉しかったんじゃないの?」
彼女は右腕を失っていた。
元々それがあったはずの場所は、ぷつんと途切れて何もなくて、私はその場で崩れ落ちた。
「アンタが元気で良かった」
アインは残った左腕だけで、私の頭を撫でた。
「でも、腕、アイン、腕が……」
「右腕だけで済んで良かったんじゃない。大陸の医者は優秀だね、あんだけズタズタにされてたのに、再建手術、だっけ? それで全部元に戻してくれた」
「そんな……そんなの、だって、この腕じゃ、もう、弓が……」
「なんでアンタがそんなに悲しむの? アタシが生きてて、嬉しくない?」
「嬉しい、嬉しいに決まっている、でも、でも……」
素直に喜べるはずがなかった。
アインにとって、弓がどんな存在だったのか、私はよく知っていた。
「大丈夫だって。腕なんかなくても生きてる奴はいくらでもいる。あの医者には感謝しなきゃね、でなきゃアタシは一生ダルマみたいに転がって生活しなきゃいけなくなってた」
アインが本当になんでもないようにそう言うので、私も悲しんではいけないような気がして、無理矢理笑った。
「レビィ。アタシ、アンタの家族に会ったよ」
「ジャックか?」
「そう。アンタが仲が悪いって言ってた方の兄さん」
アインは私に、ベッドに腰掛けるように促した。
私は彼女に従う。
「ねえ、レビィ。ジャックはアンタのことを可愛がってると思うよ。方法は悪いけど、アンタのことを大切にしてる」
「……何を言っているんだ、急に?」
突然ジャックの話になって、私は面食らってしまった。
そんなに、ジャックが印象的だったのだろうか。
「アンタは言ってたでしょ、ジャックは自分のことを憎んでるし、恨んでるって。そうじゃないよって言ってるの」
「……お前は、ジャックと私の関係を知らないからそう言うんだ」
「知らないよ、でも分かる。ジャックは本当にアンタのことを大切に思ってて、帰ったことを心から喜んでる。アタシにそう感謝してた。アタシはそれが嘘じゃないってことが分かる。知ってるでしょ?」
「……」
「疑う気持ちは分かるよ。アンタは随分長い間、そうじゃないって思ってたみたいだし」
アインはそう言って、私の頭を撫でた、それを振り払うのは以前より簡単だったが、振り払おうと思わなかった。
「アンタはちゃんと愛されてる。アンタにはちゃんと居場所がある。それに何より、アタシはアンタのことが大好き。だから心配しないで、レビィ」
アインはそう言って、私のことを慰めた。
「なんでも一人でやろうとしないで。アンタは一人じゃない」
それから彼女は、「ありがとう」と言った。
「ありがと、アタシのことを助けてくれて。すごく嬉しかったよ、レビィ」
それは慰めに似たものかもしれなかったが、それでも私はそれで心が安らいだ。
「そうだ、私は、剣を……」
「剣?」
「そうだ、お前の、家族の形見だと言っていたあの剣を、持って来たんだ。お前に渡さなければと思って、それで……」
「ああ、これのこと?」
アインは、ベッドの枕元に置いてあった短剣を手に取った。
確かにそれは、私が島から持ち出したものだった。
「アンタが持っててくれたんでしょ? すごく嬉しかった、ありがとう」
「もう少し、上手くやれたら……」
「そんなに後悔しないで。ところで、アンタは大丈夫なの? 足の傷が、酷いって聞いたけど」
「普通に歩ける」
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それだけで良かった、それだけをずっと望んでいたのだから。
アインもそれを受け入れて、私の背中を撫でてくれた。
「よく頑張ったよ、アンタは。一人にしてごめんね」
「……不安だった」
「ごめん」
「……もう、どこにも行かないか?」
「行かない。アンタの側にいてあげる。だからもう大丈夫」
その言葉に、安堵する。
胸の内にある、言い様のない不安が満たされる。
寂しかったのだろうか、とふと思った。
まるで子供みたいで馬鹿馬鹿しいが、きっとそういうことだったのかもしれない。
「ジャックって言ったっけ」
目を開けると、ジャックがこちらに近づいて来ていた。
相変わらず表情は全く読めない。
ただ彼にしては珍しく、無表情に見える。
「……ああ、俺はジャックだ」
「分かってると思うけど、何もかもアンタ達の罪だよ。レビィは何も悪くない。アンタ達が悪い。これ以上レビィを傷つけたら許さないから。それがわざとでも、そうじゃなくても」
「アイン?」
「分かってるよ、悪いのは兄さんと俺で、特に俺さ。本当に感謝してる。本当なら、もっと丁重にもてなしたい」
「じゃあそうすれば?」
アインは刺々しく、突き放すようにそう言った。
話の方向性が見えず、私は困惑する。
「……分かってるだろ、それはできないって」
ジャックは暗い声で言った。ジャックらしくもない。
「でも信じて欲しいのは、俺は止めたんだ。俺が兄さんの弟じゃなけりゃ殺されてたくらいには……いや、それは免罪符にはならねーってことは分かってるよ。だけど信じてくれ、実際兄さんは悔やんでた。あの時はどうかしてたって……」
「アタシは、レビィのことは好きだよ。でもアンタに何を言われても、アンタと、アンタの兄さんを許す気にはならない。でもアタシはレビィが好きだから、こうしてアンタと喋ってる。レビィにとってアンタとアンタの兄さんは大切な家族だから。それ以外に理由はない。下らない言い訳なんて聞きたくない」
「アイン? 何の話をしてるんだ?」
「……大丈夫だよ、アンタには関係ないこと。気にしないでレビィ」
アインはそう言って、ポンポンと私の肩に触れた。
「だから頼む、レビィには言わないでくれ」
その声は、よく通った。
私はアインを見た、彼女は明らかに不機嫌だった。
「……それは、誰のために?」
「レビィのためだ、レビィのために決まってるだろ。アインちゃんだって分かってるはずだ、レビィがどれだけルシーを大事に思ってるか。レビィにとって、ルシーは法なんだ。レビィの中心にあるのは兄さんなんだ。それが揺らいだら、本当に……」
「どうしてそんなに、残酷なことができるの?」
不思議と、アインの感情は私にも分かった。
彼女は明らかに軽蔑していた。ジャックのことを、これ以上ないくらいに。
「っ、違うんだ、俺は、俺はただ、可愛くて……レビィが可愛くて仕方ないんだ、レビィは俺の弟だ、たった一人の弟なんだよ。ずっとそうであってほしいんだ」
「だったら、弟に恥じない兄貴になるべきだったね」
「……分かってる」
「別に、言いふらす気はないよ。アタシだってレビィを苦しめたくない、それはアンタと一緒」
「なあ、アイン……」
私は、説明を求めてアインの袖を引いた。片方しかない袖。
「ごめん。不安がらないで、レビィ。ねえ、アンタの部屋はどこ?」
「……追い出さないでくれ」
「そんなこと言ってないでしょ。アタシも、もう少しアンタの顔が見てたい。……アンタ、何してたの? アタシと別れてから」
「しばらくは、島で生活していた。でも、私の手配書を見つけて……お前が私のせいで攫われたと気づいた。それで、お前を追って、海を渡って」
「海を渡ったって、島に船なんかないでしょ?」
「作った。そのくらいできる」
「落ちたらどうするつもりだったの、アンタ泳げないのに。海が怖いって、釣りするときもアタシがいなきゃ岸にも近寄らなかったくらいだったのに」
「それでも行かなければ、お前に会えないと思って……」
思い出すと、ゾッとして怖くなる。
するとアインは私の背中に手を回して、また優しく撫でてくれた。
「ありがと、アンタはすっごく頑張ってくれたんだね。怖かったでしょ」
「平気だ。……お前ほど酷い目に遭ったわけじゃない」
「そう? アタシは大きな船で渡ったから、アンタよりも楽だったと思うけど」
アインは、茶化すようにそう言う。私は奥歯を噛んだ。
「お前は、何をしていたんだ? ……酷い、拷問だった」
「内緒、アンタには教えてあげない」
「……思い出すだけで辛いのか?」
「そうじゃない。別にアタシには堪えてないよ。でもアタシが傷ついた話を聞いたら、アンタが辛いでしょ。アタシは、そっちの方がよっぽど嫌なの」
「私は平気だ、子供扱いするな。私は、本当に酷い拷問だったと思う、どうしてそんなにされてまで口を割らなかったんだ。私は、お前を、お前に傷ついてほしくなかった。例え私が死ぬことになっても、お前が、こんなにボロボロにされるくらいなら……」
「言ったでしょ、アタシには別に堪えてない。アタシ、痛みには強いから」
アインはあっけらかんとしてそう言うが、アインに与えられた苦痛は「痛みに強い」程度の精神ではとても持たないはずだ。
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その痛みは想像に難くない……いや、とても想像できない。
「アタシは強いの。アタシが痛めつけられてる間はアンタは無事だって分かってたし、全然平気」
「でも……」
「大丈夫だって。今のアタシは何か傷ついてるように見える?」
確かにアインは、最後に会ったあの時と、何ら変わっていないように見えた。
「……そうだな」
私はそう呟いて、小さく言った。「お前が無事でよかった」と。
「ジャック、アンタの弟はアタシが見ててあげるよ。一人にしない。だからもう行きなよ」
「……」
「アンタはアタシが信用できないみたいだけど、レビィにとってはそうじゃない。レビィがアンタたちの弟だからって、邪険にするつもりはない。それでもまだアタシが信じられない?」
「……」
ジャックは相変わらず、同じような笑みを浮かべている。
ジャックはアインを疑っているのだろうか。
確かに、アインは結界の境に住んでいたから、余所者という風に思っているのかもしれない。
「……俺ぁ、お前に感謝してんだよ、アインちゃん。それ以上でもそれ以下でもない。俺はただ、弟を救ってくれた恩人に感謝してて、帰って来た弟のことが愛おしくて堪らない。それだけだ、それだけなんだよ。アインちゃんは俺のことを誤解してる」
じゃあな、とそれだけ言い残してジャックは部屋を出て行った。
やはりどこか、様子がおかしいような気がするのだが。
「……アイン、ジャックはお前を疑ってるのか」
「さあ、どうだろうね。大陸の人間の考えることは、アタシにはよく分からない」
「私も大陸の人間だろう」
「そうだね、驚いたことに。アンタが小さい子だからかな」
「私は小さくない。もう大人だ」
「そうだね、驚いたことに」
アインはそう言って、窓の方を向いた。
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「まあ、アンタほど好きじゃないかもね」
「何故だ? ルシファーはこの世界の全てなのに」
「アタシはこの世界が好きじゃないからだよ」
「……そうなのか?」
「そう。この世界はアンタを苦しめて、追い詰めて、利用しようとするでしょ」
「……それは、ルシファーがそうだと言っているのか?」
「アンタはそれが当然だと思ってるだろうけど、実はそうじゃないかもしれない、それをアンタは知らない」
「……」
アインの目は、私を説得する力を持っている。
いつだってそうだ、正しいのはアインの方なのだ。
いつも、いつも、いつもそう。
私も、そんなことは分かっている。
「……アイン」
「何?」
「ジャックは、私のことが好きか」
「そうだね」
「私のことを可愛がっていたか?」
「そうだね」
「私のことを……探していたのか?」
「長い間ね」
そうか、と私は呟いた。
ジャックは私を、本当に弟だと思ってくれていたのか。
同情か義務感で、そう接していただけではなく。
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無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
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