役立たずの雑用係は、用済みの実験体に恋をする。――神域結界の余り者

白夢

文字の大きさ
上 下
49 / 51
#5 海と島人

48 相談、公私混同の恐れあり

しおりを挟む
 アインさんは研究所内を徘徊し、所長様に追われている。
 所長様はせっかく再びその地位を譲り渡されて職務に復帰されたのに、彼女の捜索に時間を取られ、業務の大部分を他者に任せざるを得ないようだ。


 秋の始まる頃、アインさんはいつの間にか研究所のカフェスペースで座っていた。
 それとなく近づいた私を見つけ、彼女は私を手招いた。

「ねえアンタ、何か悩みがあるの?」
「えっ?」

「あの男になんか言われた? アタシはアンタを応援するけど、あの男と付き合うのは未だに賛成できない」

 アインさんはブロウのことが嫌いで、たまにこうやって私を説得する。
 彼の何が彼女にとって気に入らないのかは、よく分からない。

 彼女については分からないことが多い。
 それなのに、私のことは何もかも分かっている。

「その、アインさんは将来のことなど、どう思っているんですか?」
「アタシは別に、将来のことなんて考えてない。船乗りでもないのに、明日の風向きなんて考える必要はない」
「そう……ですか」

「アンタは、自分の将来のことについて悩んでるの?」

 アインさんは、まるで私の姉みたいに親身になって話を聞いてくれる。
 突き放すようなところもあるけれど、優しい人なのだ。

「そうだと、思います」
「仕事のこと?」
「仕事のことでは……ありませんが」
「じゃ、あの男とのことだ。何をされたの?」

 決めつけられるのは釈然としないけれど、間違ってもいないので何も言えない。
 私は俯いて少し悩んでから、首を振った。

「分からないんです」
「分からない?」
「彼に、何かされたわけではなく、ただ……なんとも言えないような、その、もやもやしたものがあって」
「へぇ、そうなんだ?」
「はい……」
「それはどんなのなの?」

 アインさんは、猫のような瞳で私を見る。
 とても綺麗な人だ、と思った。

 もし私が彼女の様に綺麗だったら、何か違ったのだろうか。

「彼は、その、私をどう思っているのかなと……」
「アンタを? あの男が? 好き好き言い続けてるでしょ」
「それはそうなんですが、その、本当に好きなのかなって……」

「まさか浮気でもされたの? ぶっ飛ばしに行こうか」
「い、いえ違います! ぶっ飛ばさないでください!」

 少々血の気の多いところもあるアインさんは、既に半分腰を浮かしている。
 それを私は慌てて止めた。

「彼は……私と一生一緒に居たいと言って下さるんですが」
「うん」

「一生一緒に居ようと言うのに、彼は……私と結婚する気はないと仰るんです。しかも、私と交わしていた契約も首輪を外したいと」

「契約?」
「はい。奴隷の首輪と呼ばれるものなんですが、奴隷の糸を主人の糸によって縛る契約技術があるんです。それをすると、主人の糸が切れると同時に……即ち、死ぬということですが、それと同時に奴隷は死ぬことになるんです。私と彼は奴隷と主人として契約を……」

「何それむかつく。あの野郎ぶっ飛ばす」
「待って、待って下さいそうじゃないんです!」

 私は、立ち上がって歩き出したアインさんをなんとか席に戻す。

「私は、研究によって生み出された人工生命体です。だから寿命という概念もなく、故障しない限り、半永久的に動き続けることができます。老化もしませんし、成長もしないんです。

「だから、そうやって縛られることで、彼と共にこの世を去ることができるというのが、嬉しくもありました。そうやって縛られている限り、私は一人ぼっちでこの世界に取り残されることは決してありません」

「ふぅん、アンタがそう思うならそれでいいよ。アンタの気持ちはアンタにしか分からないから。でもさ、あくまでアドバイスだけど、あの男だけに拘らなくてもいいと思うよ」

「それは……私は彼が好きなんです。一生、一緒に居たいんです」

 アインさんは、そっかと頷いた。「やめといた方がいいと思うけど」と一言添えて。

「それなら、その契約を解除されたら困るんじゃないの?」
「でも……してほしくないと彼に言うこともできないし」

「なんで? 言えばいいのに」

「だって、彼は私を信頼しているから、その首輪を外すのだと言ったんです。だから、もしそれを断ってしまったら、信頼するなと言っているようなものではありませんか」

「あの男はそんなに深く物事を考えない。アンタはあの男を過剰評価してる」
「彼は思慮深い方ですよ、それなりに」

 私は彼のフォローに回りつつ、手持無沙汰に右手をテーブルの上で彷徨わせる。

「彼は私と一生一緒に居たいと言うんです。でも結婚する気はないと……」

「ブライド、やっぱりアタシはあの男を一度か二度ぶっ飛ばした方がいいと思う」
「ち、違います、私はただ、何故彼がそう言うのか分からなくて……」
「遊びたいんじゃない? 八つ裂きにした方がいいよ、そんな男は」

「止めてください、落ち着いて。その、私には何が足らないと思われますか? 何故彼は私と結婚したくないと思っておいでなのか……」
「アンタ、そこまで言われてもブロウと結婚したいの?」

「えっ、え、ええ、あ、あぁ……それは、その、もちろん、それに越したことはないというか、もし彼がいいと言って下さるなら彼と誓いを交わしたいとは思いますが……」

「なんであの男なの? 他にも男はたくさんいるのに、何故よりにもよってあの男なの?」

 アインさんはむっとして私にそう尋ねる。

 彼に対しての当たりが強すぎる。
 もしかして、彼に何かされたのだろうか。ごめんなさい、彼に悪気はないんです。

「……色々あったんです」

「あの男の全ての欠点を打ち消すほどの出来事があるってことが信じられないけど、アンタが本気なことは分かる。つまり、アンタは結婚したいけど、あの男は嫌だって言ってるってこと? あの男はその理由についてなんて言ってるの?」

「それは、その……分かりませんが……」
「教えてくれないの? それなら吐くまで拷問しようか?」

「違います、落ち着いてください。ただ単に私が尋ねていないだけで」
「アンタみたいに健気なのを断るなんて、あの男は何を考えてるの? 向こうがお願いしますと言うのを足蹴にするのが筋でしょ」

「そんなにお怒りにならなくても……」

「もうそんなクズ捨てちゃおうよ。同じ部屋に住んでるって言っても、アンタにも稼ぎはあるんだし、アタシと二人で住もう」

「えっ? でもアインさん、所長様と一緒にお住まいでは……」
「レビィは良い奴だけど、過干渉。距離が必要」
「えっ……あ、そ、それは所長様と話し合って下さい」

 さすがに人事権を丸ごと掌握している上司のトラブルには首を突っ込みたくないので、私は微笑んで身を引いた。
 人事権の恐ろしさはしっかりと分かっている。

 アインさんはふぅんとまた興味なさげに言って、飲み物を飲もうとカップを傾けてそのまま置いた。
 中身はもう入っていない。

「アンタはあの男に遠慮しすぎ。もっといいのはいくらでもいる」

「彼はとても私に優しくして下さるんですよ」
「アンタに優しくするのは人として当然だから」

 アインさんは立ち上がって、飲み物を取って来た。
 私の前にはジュースを置いたので、彼女は私を少し子供扱いしているのかもしれない。

「結局、アンタはブロウと結婚したいと思ってるんだよね」

「えっ、あ、まあ、その……それは、機会さえあればということで……」
「じゃあ、機会がなければしなくていいってこと?」
「ああ、その、でも……」

「それなら今のままでいいの?」
「それは、その、もやもやすると言いますか……」

「でも、別れるのは嫌なんでしょ?」
「はい、それは、嫌です……」

「それなら、今すぐ結婚するしかないんじゃない?」
「え、あ、そんな、今すぐだなんて……」

「アンタの気持ちまで揺らいでどうする。アンタの中で答えは出てる。まずはそれを認めることから」
「はい……」

「よしよし、アンタはブロウと結婚したい、そうでしょ?」
「うん……」

 アインさんは、優しく私の頭を撫でて微笑んだ。

「じゃあ、まずそう言ってみたら? 向こうにも言い分があるかもしれないし。納得できないようだったらアタシがぶっ飛ばすし」

「でも……私は」

「アンタは空気の読める子だけど、たまには暴れちゃってもいいと思うよ。駄目だったらアタシに愚痴ればいいじゃん、話聞くから」
「アインさん……」

 私は思わず泣きそうになって、目を擦った。

「おいアイン!」
「ひぃ!」

 急に大きな声がした。背後には鬼の形相をした所長様がいた。
 というか所長様が明らかに血に濡れた何かを持っている。
 何かの実験体の処分だろうか。そうであることを祈ろう。

 どうか、少なくともブロウのものではありませんように……

「実験体5924、アインを見つけたら直ちに報告しろと何度も言っているだろう!」
「実験体じゃない。ブライドって呼んで」

 アインさんは立ち上がり、所長様に近づく。
 さすがはアインさん、すごい度胸だ。

 所長様はギリッと奥歯を噛んだ。

「アイン、お前は何故言われた場所から動いてばかりなんだ! 頼むから大人しくしていろと、これほど言っているのに何故聞かない!」

「どこに行くかなんて、アタシの自由。ブライドを責めるのは止めて」

「何故分からない? これほど私はお前を、お前を……」

 アインさんは、所長様の肩をぽんぽんと叩いて抱きしめた。

 それから離れ、所長様を正面から見つめる。

「はいはい、分かったから。アンタはアタシが心配なんでしょ。アンタの心配してるようなことは起きないから、安心して」
「そうとは限らないだろう!」

「アタシは強いよ、レビィ。だから大丈夫。泣かないで、もう絶対に、いなくなったりしないから」
「泣いてなどいない、私はもう子供じゃないんだ! 年少者のように扱うな!」

「分かったってば、落ち着いてよレビィ。不安にさせて悪かったと思ってる。ごめんねブライド、アタシはもう行く」

「え、ああ、はい……」

「アイン待て! 話は終わっていない!」
「向こうで話そうって言ってるの。アタシに置いていかれたくないなら、ついてきて」

 アインさんはひらひらと手を振って行ってしまい、所長様はブツブツ文句を言いながらもそれに従う。

 私はなすすべなくそれを見つめた。

 所長様は、私の知識の中では非常に冷静沈着かつ敬虔な信徒でで、ああして感情を顕わにすることなんてありえないような方だったのだけど、実際はそうでもないらしい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非! *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

処理中です...