42 / 51
#5 海と島人
41 森林、人魚姫の声のように
しおりを挟む
私は森に住んでいるらしい何かの鳥の声で目を覚ました。
寮とは違い、部屋のベッドはキングサイズだ。
仮死状態に陥っているのかと疑うくらい寝相のいい彼はぴくりともしないで昨晩と同じ姿勢をしていた。
相当疲れていたのだろう。
ここはルシファー様が個人的に所有される別荘の一つだそう。
海岸近くの丘の上に立つこの木造の建物は鬱蒼とした森林の、木々の生い茂る地を一部切り開いて作られたものだ。
聖都の圧倒されるような白塗りの壁とは異なり、温かみを覚える柔らかで明るい木材で建てられている。
起こすのも気が引けて、私は彼を起こさないようにそっと立ち上がった。
しかしその僅かな仕草で彼は目覚めてしまい、眠そうな声で私を呼ぶ。
「んー、ぶらいどー?」
「あ、すみません。起こしてしまいましたか?」
彼はうーんと背伸びした。
「大丈夫、もう朝か……あー、良く寝た」
「昨晩はお疲れさまでした」
「うん、やっぱり何度乗っても空の旅は慣れないんだよな……お前は平気だったか?」
「飛行船……でしたっけ。私は大丈夫でしたよ」
彼はシャワーを浴びに行ってくると言って、そのまま着替えを持って行ってしまった。
私は朝からシャワーを浴びる習慣はない。
最初に彼に連れ出されたときの名残で、蒸しタオルで体を拭くのがルーティーンの一つになっている。
「おはようございます、ブライド様」
使用人の方が一人、私に話しかけて下さった。
丁寧にお辞儀されたのだが、少し気後れしてしまう。
「あ、えっと、おはようございます。その……様というのは呼ばれ慣れませんね……」
「慣れていただかなければ困ります。私共にも立場がございますので」
そう言われてしまうと無理にやめてくれとも言えず、私はそうですかと致し方なく受け入れる。
すると彼女は小さく微笑み、私に蒸しタオルを差し出した。
「お気遣いありがとうございます、どうぞ」
「えっ……ありがとうございます」
何故私がこれを欲していることを知っているのだろうか? 彼から聞いたのかな。
私はそれを受け取って、タオルで体を拭いて着替えた。
リビングに出ると、彼は朝食を食べていた。
何度も見ているけれど、彼の食事は何度見ても美しい。
教科書とかに載ってそう。惚れ惚れする上品さ。
「今日も可愛いな、ブライド。スクランブルエッグよりも眩しいよ」
「……はい」
なんと言えばいいのかがよく分からず、私は曖昧に笑ってそう言った。
彼はとても綺麗な人だけれど、たまに言葉のチョイスに疑問を感じる。
彼は何であれ取捨選択が苦手なのだ。
こういうところがモテない原因だろう。
私が好きなところでもある。
「たまには俺以外の料理も食ってみろよ、たまに食う分には美味しいから」
「ブロウ、貴方はもう少し言葉の選択というものを覚えた方が良いと思うんです」
優しいはずの料理人の方が殺意の篭った視線を送ってきている。
彼は無自覚に人に嫌われるタイプだ。
優しいところもあるんだけど、同じくらいデリカシーもあったら良かったのに。
いや、このままでいいのかな。人には一つか二つくらい欠点があった方が良いと思うし。
私は彼の目の前の席に座った。
一枚のプレートに収められた朝食は、確かに彼の言う通り美味しい。
「大丈夫か?」
「えっ?」
「ぼんやりしてるように見えたから」
「貴方じゃないんですから、ぼんやりなんかしていませんよ」
「あれ? もしかして俺のこと馬鹿にしてたりする?」
「違いますよ」
「本当にそうなんだよな? 俺信じていい?」
彼は食事をしながら喋っているのに、何かの物語のワンシーンみたいだ。
何故彼は何をしても様になるのだろう。
私は最後にバケットを口に入れて、食後の紅茶を一口嗅いだ。海の色から、柑橘系の香りがするのがなんだかおかしい。
「このお茶は何ですか? とても綺麗な色ですね」
「マリンオレンジの紅茶でございます。お口に合ったなら何よりです」
なんだか思った以上にそのままの名前で拍子抜けしてしまった。
名づけた人もこの紅茶を飲んで私と同じように思ったに違いない。
「気に入ったのか?」
「ええ……とても香ばしいシトラスの香りです。こんなに鮮やかなブルーの紅茶なのに」
「そっか、それはよかった」
彼はにっこり笑って、また一口コーヒーを飲んだ。
暗い苦みを持った香りがする。
朝にコーヒーを飲むのは紳士の嗜みだそうだ。
でも朝以外はそんなに飲まないところを見ると、コーヒーそれ自体はそれほど好きではないらしい。
「悪いんだけど、ちょっとだけ書類仕事していいか? 午前中に終わらせるよ。その間、お前はここの探検でもして待っててくれ。それで、午後からハイキングにでも行こうぜ」
「お仕事ならお手伝いしますよ」
「いや、なんでもかんでもお前任せじゃ俺も成長できないというか、立つ瀬がないというか……頑張りたいんだよ、俺も」
別に気にしなくていいのに、と思いつつ、たまには彼の自尊心も尊重してあげようとか、偉そうなことを思いながら私は頷いた。
「分かりました。ハイキングって、海を見に行くんですか?」
「ああ、そうだよ。綺麗な海なんだ」
彼はにこっと笑う。
綺麗な人だ。
人魚なんて見たことないけれど、彼は多分、彼らより美しいのだと思う。
「楽しみにしていますね」
私はそう言って笑い返した。
寮とは違い、部屋のベッドはキングサイズだ。
仮死状態に陥っているのかと疑うくらい寝相のいい彼はぴくりともしないで昨晩と同じ姿勢をしていた。
相当疲れていたのだろう。
ここはルシファー様が個人的に所有される別荘の一つだそう。
海岸近くの丘の上に立つこの木造の建物は鬱蒼とした森林の、木々の生い茂る地を一部切り開いて作られたものだ。
聖都の圧倒されるような白塗りの壁とは異なり、温かみを覚える柔らかで明るい木材で建てられている。
起こすのも気が引けて、私は彼を起こさないようにそっと立ち上がった。
しかしその僅かな仕草で彼は目覚めてしまい、眠そうな声で私を呼ぶ。
「んー、ぶらいどー?」
「あ、すみません。起こしてしまいましたか?」
彼はうーんと背伸びした。
「大丈夫、もう朝か……あー、良く寝た」
「昨晩はお疲れさまでした」
「うん、やっぱり何度乗っても空の旅は慣れないんだよな……お前は平気だったか?」
「飛行船……でしたっけ。私は大丈夫でしたよ」
彼はシャワーを浴びに行ってくると言って、そのまま着替えを持って行ってしまった。
私は朝からシャワーを浴びる習慣はない。
最初に彼に連れ出されたときの名残で、蒸しタオルで体を拭くのがルーティーンの一つになっている。
「おはようございます、ブライド様」
使用人の方が一人、私に話しかけて下さった。
丁寧にお辞儀されたのだが、少し気後れしてしまう。
「あ、えっと、おはようございます。その……様というのは呼ばれ慣れませんね……」
「慣れていただかなければ困ります。私共にも立場がございますので」
そう言われてしまうと無理にやめてくれとも言えず、私はそうですかと致し方なく受け入れる。
すると彼女は小さく微笑み、私に蒸しタオルを差し出した。
「お気遣いありがとうございます、どうぞ」
「えっ……ありがとうございます」
何故私がこれを欲していることを知っているのだろうか? 彼から聞いたのかな。
私はそれを受け取って、タオルで体を拭いて着替えた。
リビングに出ると、彼は朝食を食べていた。
何度も見ているけれど、彼の食事は何度見ても美しい。
教科書とかに載ってそう。惚れ惚れする上品さ。
「今日も可愛いな、ブライド。スクランブルエッグよりも眩しいよ」
「……はい」
なんと言えばいいのかがよく分からず、私は曖昧に笑ってそう言った。
彼はとても綺麗な人だけれど、たまに言葉のチョイスに疑問を感じる。
彼は何であれ取捨選択が苦手なのだ。
こういうところがモテない原因だろう。
私が好きなところでもある。
「たまには俺以外の料理も食ってみろよ、たまに食う分には美味しいから」
「ブロウ、貴方はもう少し言葉の選択というものを覚えた方が良いと思うんです」
優しいはずの料理人の方が殺意の篭った視線を送ってきている。
彼は無自覚に人に嫌われるタイプだ。
優しいところもあるんだけど、同じくらいデリカシーもあったら良かったのに。
いや、このままでいいのかな。人には一つか二つくらい欠点があった方が良いと思うし。
私は彼の目の前の席に座った。
一枚のプレートに収められた朝食は、確かに彼の言う通り美味しい。
「大丈夫か?」
「えっ?」
「ぼんやりしてるように見えたから」
「貴方じゃないんですから、ぼんやりなんかしていませんよ」
「あれ? もしかして俺のこと馬鹿にしてたりする?」
「違いますよ」
「本当にそうなんだよな? 俺信じていい?」
彼は食事をしながら喋っているのに、何かの物語のワンシーンみたいだ。
何故彼は何をしても様になるのだろう。
私は最後にバケットを口に入れて、食後の紅茶を一口嗅いだ。海の色から、柑橘系の香りがするのがなんだかおかしい。
「このお茶は何ですか? とても綺麗な色ですね」
「マリンオレンジの紅茶でございます。お口に合ったなら何よりです」
なんだか思った以上にそのままの名前で拍子抜けしてしまった。
名づけた人もこの紅茶を飲んで私と同じように思ったに違いない。
「気に入ったのか?」
「ええ……とても香ばしいシトラスの香りです。こんなに鮮やかなブルーの紅茶なのに」
「そっか、それはよかった」
彼はにっこり笑って、また一口コーヒーを飲んだ。
暗い苦みを持った香りがする。
朝にコーヒーを飲むのは紳士の嗜みだそうだ。
でも朝以外はそんなに飲まないところを見ると、コーヒーそれ自体はそれほど好きではないらしい。
「悪いんだけど、ちょっとだけ書類仕事していいか? 午前中に終わらせるよ。その間、お前はここの探検でもして待っててくれ。それで、午後からハイキングにでも行こうぜ」
「お仕事ならお手伝いしますよ」
「いや、なんでもかんでもお前任せじゃ俺も成長できないというか、立つ瀬がないというか……頑張りたいんだよ、俺も」
別に気にしなくていいのに、と思いつつ、たまには彼の自尊心も尊重してあげようとか、偉そうなことを思いながら私は頷いた。
「分かりました。ハイキングって、海を見に行くんですか?」
「ああ、そうだよ。綺麗な海なんだ」
彼はにこっと笑う。
綺麗な人だ。
人魚なんて見たことないけれど、彼は多分、彼らより美しいのだと思う。
「楽しみにしていますね」
私はそう言って笑い返した。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる