役立たずの雑用係は、用済みの実験体に恋をする。――神域結界の余り者

白夢

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#4 湖

36 疾病、印象は良くない

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 春が終わり夏に近づくにつれて、彼の体調はややよい方向へと向かっていった。
 私は彼を元気づけるよりは、休ませることに尽力すべきだと気づいていた。

「ただいま帰りました」
「お帰り、ブライド」

 その日は、彼は体を起こしてベッドに腰掛けていた。

 彼は女性の着るネグリジェのようなものを着ていて、日で色が変わる。お気に入りのルームウェアなのだろう。
 とても良く似合っているのだけど、近頃散髪をさぼっているせいもあって、角度によってはショートカットの女性に見える。

「……ルシー、元気そうだったか?」
「はい。お元気そうでした」

 私は、調子が悪くて外出できない彼の代わりに、教会にお使いに行っていた。
 ルシファー様は彼の体調が悪いのでお心を痛めているご様子だったけれど、「君のおかげで安心できるよ」と言って下さる。

「そっか、良かった」

 彼は儚く微笑んでそう言った。
 彼とルシファー様は互いを思い合っていて、とても深い愛情で結ばれているのだと感じた。

「貴方は大丈夫なんですか?」
「うん、そうだな。ちょっと……マシになったかもしれない。ごめんなブライド、世話かけて。ずっとご飯作れてないし……」
「お気になさらないでください。横になられなくても平気ですか?」
「うん、大丈夫だよ。ごめんブライド、水か何かもらえるか?」
「はい、分かりました」

 彼は始め私に世話をかけるのを嫌っていたのだけれど、私が何度も頼んだからか彼は私のことを頼ってくれるようになった。私はそれが嬉しくて仕方がない。

 私からすればいつだって彼は私より優れていて、でもそんな彼が私に弱った姿を見せたり頼ったりしてくれる。
 その事実はいつも私の小さな自尊心を満たしてくれる。

「お水です、どうぞ」
「ありがとう」

 心の病だと彼は言った。
 周期的に、元気な時とそうでないときが繰り返されるそうだ。

 元気な時は何日も徹夜しても平気だし、周りにも精力的に話しかけるし、多少の困難でも乗り越えられる。

 でもそうでないときは、出勤はおろかベッドから起き上がることすらままならない。
 気分も沈んで、希死念慮に苛まれ、でも動くことすらできないから死ぬことすら難しい。

 彼は今回復段階にあって、ピークの谷の底は越えたと思う。
 ただ、私には一つ気がかりなことがあった。

「クロさんは最近、どちらにいらっしゃるんですか?」
「クロ? ああ、そういえば最近見ないな」

 幻覚を見ないことは良いことだと彼は喜んでいる。
 私と一緒にいるおかげだとも言う。

 彼は彼女の正体については何一つ知らなくて、彼自身も考えてみるけれど全く分からないし、彼女自身に尋ねてもはぐらかされるのだと言った。

「貴方は……クロさんについて何かお考えではないのですか?」
「いや、別に何とも思ってないけどな。クロは俺の幻覚で、妄想だから。お前に見える理由も、お前の推理通りだと思ってるよ」

「つまり、私が貴方と契約したから……私の糸が、貴方によって縛られているから」
「ああ、そうだと思う。クロがお前に何かするのか?」

 彼は心配そうに私に尋ねた。
 私はそれには首を振って、そういうわけではないと答えた。

 むしろ危害を加えられているのは彼の方だ。
 彼はいつも彼女に罵声を浴びせられて、時には自死すら促されているくらいなのだから。

「クロはお前に見られてたり、聞かれてることを不思議がってる様子もないし、お前の介入は予想通りだったんだろうな。俺の知ってることは何もかも知ってるのに、クロのことは何も分からないんだよ」

 ごめんな、役立たずで。と彼は私にそう言った。

「そんなことはありません。多分、貴方だから分からないんだと思います」

 彼女自身が、「先輩の幻覚」だと名乗る。
 私に対しても、彼に対しても。「妄想」だとか「幻想」だとか、あるいは「死神」、「悪魔」だと言う。

 彼女の受け答えはいつも飄々としていて中身がなく、ついさっきまで肯定していたことを突然否定したり、矛盾を指摘すれば「どちらも嘘です」と笑う。

 嘘の言えない、正直で不器用な彼とは全く逆だ。

 似ているところと言えば、彼のその誠実さと同様、彼女のその器用な話術も、彼女の印象として圧倒的に負のエネルギーしか持っていないということだろうか。

 でも彼と違って彼女は、私に好かれたいとか、全くそんなことは思っていない。

 恐らく、私のことなんてどうでもいいのだと思う。
 彼女が私に関わるのは、偏に私が彼の側にいるからであって、それ以外に理由はない。

 いやそれどころか、彼女は彼に自分がどう思われているのかすらも、まるで興味がないのだと思う。

 ただ彼女は彼を害することだけを目的にしている。

 彼に罵声を浴びせて死を提示し、それを肯定する。
 彼自身を否定して追い詰める。

「彼女はあんなに貴方を責めるのに、貴方は彼女のことを責めたりしないんですか?」
「ああ、まあそりゃ……仕方ないよ、全部本当のことだしな。それに別に、いつも俺のことを責めてるばかりじゃないんだぜ? それなりに馬鹿な話にも付き合ってくれるしな」

「嫌いにはならないんですか?」
「別に、そんなことないって。意外と面白いところもあるぜ。いつも辛辣だけど」

 死ぬ寸前まで追い込まれても、彼は彼女のことを総評し笑いながら「嫌いではない」と言う。
 彼は、死を望むくらいに追い詰められているのに。
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